絆 4-6 進展 

「きゃあ。この雰囲気、楽しくなっちゃう!」


 正午を前にしたロスタフの『市場通り』入り口で、クレシュナの嬉しそうな声があがった。


「これだから街って大好き」


 かなりの賑わいを見せる通りである。鮮魚や野菜が並ぶ店もあれば、手作りの細工物を並べている露天もあった。


 クレシュナは嬉しそうにあちこちの店を眺めながら、テロンの腕を引いて歩いていた。ふたりは朝早く出掛ける祖父ゾウムを見送ったあと、北街道を南下する乗合馬車に揺られてこのロスタフへ出て来たのである。


 クレシュナが、久しぶりに行きたいとテロンを誘ったのだ。彼女は賑やかな場所が好きなのだが、最近ゾウムが都市へ出かけることを許してくれなくなったのである。


 だが、今日は丸一日、祖父が釣りに出かけて居ない日だ。チャンスとばかりにクレシュナがテロンに頼み込み、文字通り彼を引っ張るようにしてこのロスタフまで来たのだった。


 ロスタフは大都市だ。広大な平地に発展した陸海双方の交易の要である。貿易商人らの集う市場の中心ではなく、生活の品や土産物を並べた一般向けの通りでも、眼を見張るようなひとの多さだ。


 目覚めてからずっと静かな場所で日々を過ごしてきたテロンは、あまりの人混みに疲れはじめていた。


「しかし、覚えがあるような――」


 ……ひとにぶつかられてばかりいて、頼りなく揺れるばかりの金色の髪。思わず握った、細くあたたかい手。幸せを感じながらふたりで歩いた先には……。


 途切れ途切れの映像が脳裏に浮かび、テロンはまた苦しくも懐かしい気持ちに駆られた。手を繋いでいた相手は、いったい誰だったのか。


 だが、いつものように、浮かびかけた映像はすぐに意識の底に沈んでしまう。テロンはふぅとため息をつき、宙に彷徨っていた視線を市場の光景に引き戻した。


 いつの間にかクレシュナが隣に居なくなっている。首を巡らせると、すぐ近くの店の前にいるのに気づいた。楽器を扱う店らしい。彼女は何かをじっと見つめているようだ。


「――あの撥弦楽器リュートかい?」


 視線を追ったテロンは、クレシュナに声をかけた。


「うん。母がよく弾いていたの」


 なつかしそうに微笑みながらクレシュナが語った。


「今はもう壊れてなくなってしまったけど、母が生きていた頃は、私もよく教わっていたのよ。母と過ごした記憶といえば、一番にそれを思い出すの」


 昔話をしたことに照れたのか、彼女はまた歩きはじめた。


 何か言おうと口を開きかけたテロンは、ふいに気づいた。振り返ることなく、背後に意識を集中する。


 「――尾行、されている?」


 テロンの鍛えられた敏感な感覚が、その気配を感じ取ったのだ。誰かがこちらの様子をじっと窺っている。


「どうしたの? テロン」


 立ち止まったまま動かず緊張した表情のテロンに、戻ってきたクレシュナが不安そうに訊いた。


「いや、何でもないよ」


 テロンは微笑して応え――後方に注意を向けたまま再び歩きはじめた。





「あの娘か。間違いないんだな?」


 通りに積み上げられた木箱の陰で、三人の男たちがひそひそと言葉を交わしていた。黒装束を身に纏った男たちである。そのうちのひとりが、通りを歩いていく茶髪の女を顎で示すように訊いたのだ。


「ああ、間違いあるまい」


 そう答えた男は、護符アミュレットのような石製の首飾りを握っていた。その表面には、邪神とされる『無の女神』の印が彫られている。


「我らが神は、あの娘に手掛かりがあると告げておられる。連れの男の衣服といい、この周辺の猟師かもしれん。ロスタフの者ではなさそうだ」


「一緒にいる男はどうすんだ? 大きな騒ぎになるとヤバイぜ。まだこの都市には王宮の直属兵がうろついているからな」


 そう語った男は、ギジリ、と悔しそうに奥歯を鳴らして言葉を続けた。


「ダームザルト様も、ソサリアの王子が率いる直属兵に『竜の岬』で殺されて……」


「言うな。あのような金髪を見ていると、そのくそ忌々しい王子を思い出すくらいだからな」


 護符を持つ男が、凄まじい形相をして言葉を吐き捨てる。


 自分たち教団のリーダー格だったダームザルトは『竜の岬』で海に落ち、数日後に変わり果てた姿で発見されたということだ。一緒に落ちたという王子のほうは助かったのか、怪我をしたという噂すら聞かなかった。


「王宮の第二王子めが……。いつか探し出して兄者の仇を討ってくれるわ……!」


 男は押し殺した声で唸ると、首に引き下げていた覆面を戻して素顔を隠した。仲間たちに目で合図を送り、そっと動き出す。





 物品や陳列棚、積み上げられた箱などで見通しは良くない。だが、活気ある商人たちの呼び声や周囲を流れる雑多な客たちの雰囲気は、明るく華やいだものだ。のんびりとふたりが歩いていると、クレシュナが立ち止まった。突然頭を抱えて呻いたのである。


「クレシュナ?」


 驚いたテロンは、何事かとクレシュナの顔を覗きこんだ。苦しげにみえたクレシュナだったが、何事もなかったかのようにスッと顔を上げた。


「ここで待っていて」


 抑揚のない声で言うと、進んでいたほうとは別の方向へ歩き出した。周囲は迷路のように街路が入り組んでいる。


「お、おい。離れるとはぐれてしまうぞ」


 テロンはクレシュナに声をかけた。だが、彼女は振り返ることもなく、人混みのなかへ消えてしまった。


「変だ……」


 テロンはクレシュナの後を追ったが、見失ってしまった。さきほどの彼女の顔には、表情というものがなかった気がする。何か不吉な感じがした。


 テロンは精一杯に背伸びをして、人であふれる通りに注意深く目を凝らした。こういうとき、長身は役に立つ。かなり離れたところで、長い茶髪の後姿の女性が、メイン通りから路地に入っていくのが見えた。


 テロンはその路地を目指し、ひとを掻き分けるようにして急いだ。





 テロンと並んで歩いていたとき、突然クレシュナの頭の中に奇妙な詠唱が響いた。何だろうといぶかる暇もなく、目の奥がズキリと痛み、しびれたように意識が暗転したのである。


 そして気づくと、自分ひとりで暗い路地の奥を歩いていたのであった。


「……え、え? どうしてこんなところに……」


 言い知れぬ不安と心細さにがくがく震えながら、クレシュナはつぶやいた。立ち止まり、後退りするように背後の明るい場所へ戻ろうとする。


「我々が呼んだのだ」


 布に阻まれて聞き苦しく低い声に、クレシュナは目をいっぱいに開いた。すぐ目の前に、黒装束と覆面に身を包んだ三人の男たちが立っている。


 クレシュナは悲鳴をあげることも忘れ、よろめくように方向を転じ、この場から逃れようとした。


「なぁに、貴方を今すぐ殺すとかいうわけではありません」


 正面に立つ男が、手の中に黒く光る短剣を、見せびらかすようにもてあそびながら話しかけてきた。丁寧な口調だが、抑揚のない声がその印象を裏切っている。


「ただ、ちょっとお訊きしたいことがありまして、ね」


 クルリ、と短剣をひらめかせた――次の瞬間。


 踏みこむと同時にクレシュナの鼻先に短剣を突きつけてみせた。明らかに武器の扱いに熟練している様子だ。暗殺者か盗賊かもしれない。だが、自分は要人でもなければ金持ちでもない。となれば狙いは何なのか――。


 クレシュナは娘らしい恐怖に今度こそ悲鳴をあげるところだったが、ぐっと堪えた。ここで悲鳴など発しようものなら、間違いなく一突きで絶命させられてしまう。


 ――助けて、テロン! おじいちゃん!!


「娘、あの像は何処にあるんだ?」


 短剣を突きつけていない男のひとりが訊いた。


「え……ぞ、ぞうですって?」


 クレシュナは震える声で答えた。


「何のことなの。わたしはそんなもの、持ってな――」


「嘘つけ! 持っているはずだ!」


 短剣を突きつけている男が、決めつけるようにクレシュナの言葉を遮った。


「知っているはずだ。我らがハーデロス様の像のありかを」


「何をしているんだ!」


 クレシュナにとっては、この上もなく頼もしい声がして、テロンが現れた。


「この娘と一緒にいた男か。死にたくなければ見なかったことにして立ち去るんだな」


 クレシュナに迫る男以外のふたりが、腰帯から短剣を抜き、身構えた。


「断る」


 テロンはきっぱりと言い放った。


「言われたとおりさっさと消えろ。俺はいま金髪の男を見ると、ぶっ殺したくて仕方ねぇんだ」


 短剣をクレシュナに突きつけている男が、動いた。振り向きざまに、短剣を持っている手とは別の手を突き出したのだ。その手から、放たれた矢のようにナイフが飛ぶ。


「キャアァッ! テ――」


 だが、ナイフが切り裂いたのはただの空――。


 素早く身を沈めたテロンは、ナイフをかわしたその動きをバネに突っ込んだ。目の前に突き出された切っ先を、体を沈めるようにして避ける。地面についた片腕を軸に、足を斜めに蹴り上げた。短剣を弾き飛ばし、流れるような動きでクレシュナを押さえていた男を蹴り飛ばす。


「なっ、た、体術!? まさか貴様ッ」


 地面に足をつけると同時に拳を繰り出し、残るふたりの男を木箱と地面に叩きつける。テロンは立ち尽くしていたクレシュナの手を掴んだ。


「逃げるぞ!」


 ふたりは、光溢れる表通りに向けて駆け出した。


「ぐっ……」


 弾き飛ばされて壁に打ち付けられた男は、遠ざかるふたりの男女の背中を燃えるような瞳でめつけた。


「あの動き、間違いない! やはり生きていたか……王子め、必ず貴様を殺してやるッ! あの娘と一緒にいるのならば、場所はわかるからな」


 護符を握りしめ、都市に散っている他の仲間たちと合流するため、よろめきながらも歩き出す。仇を討つべき王子が現れたと聞けば、仲間たちは狂喜するだろう。


 我らが兄者を殺した憎き相手を、切り刻む楽しみができたのだから……。





「ルシカ様!」


 ようやく交易都市ロスタフに到着したルシカは、都市の入り口で名前を呼ばれて立ち止まった。王子の捜索を続けてくれている王宮の直属兵だった。


「どうしたの?」


 ルシカの問いに、その兵士は弾む息を押し殺して報告した。


「ルシカ様のお姿を見たと聞き――着いた早々申し訳ありません。例の『黒の教団』と思われる集団を見たという者がいました」


 その言葉に、ルシカは顔を引きしめた。


「集団――何人なの? 場所は?」


「人数は七です。市場通りの南地区に集まったあと、そのまますぐ何処かに移動したということです。今、ふたりの兵士が追っています。奴らの目的地が判明次第、ひとりが報告に戻ってくるということです」


「そう……」


 ルシカは考えこみ、すぐに顔を上げた。


「私は報告を待たず、先行します。移動を開始したときの方角は?」


「北東の方向になります」


「北東?」


 ルシカは目を見開き、頷いた。そして、報告に駆けつけてくれた兵士に向け、微笑んだ。


「ありがとう、ご苦労でした。知らせてくれて助かりました。あなたはこの町で待機していてください。尾行していた兵士が戻ったらすぐに、二十名ほど兵を連れてその目的地に向かってください。――頼みますね」


 兵士は直立不動の姿勢で「はい!」と張りのある返事をして駆け戻っていった。


「ふぅむ。兵士の扱いが上手いな」


 兵士の背を見送りながらメルゾーンがつぶやく。


「テロン王子の居場所がわかったんですか?」


 シャールの問いにルシカは頷いた。『万色の杖』を握りしめ、瞳に力を篭めた厳しい表情で。


「急がなくちゃ。大通りを抜けたら、馬を駆って一気に進みましょう」


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