生命の魔晶石 3-9 遺跡へ

「大丈夫か、ルシカ殿」


「うん、平気。魔導を遣って疲れているだけだから。ありがとう、ソバッカさん」


 ソバッカから手渡された『万色の杖』を受け取り、ルシカがにっこりと笑顔で礼を言った。


 元気を装っている彼女だったが、本当は無理をしていることにテロンは気づいていた。数千年も続いていた封印魔法を解除したのだ。体内の魔力マナの消費量は凄まじかったはずである。


 それがわかったからといって、彼女のために何もできず……テロンは歯がゆい思いを味わいながら周囲に視線を流した。


 結界の穴はすでに塞がれている。核であった封印魔法そのものを解いたとはいえ、外郭である結界は周辺の安全を脅かさぬよう残したままである。『生命の魔晶石』の影響を失った結界の中が今後どうなるのかわからないが、歪んでしまった環境や生き物たちが本来の生態に戻るとは思えなかったからだ。


 また後日、調査に来る必要があった。だが、それは今回の事件を解決させたあとの話である。


 結界のおぼろな光に照らされている周囲を眺め渡していたテロンは、ふと思い出して衣服の合わせ目から箱を取り出し、ルシカに差し出した。


「そうだルシカ。これを預かっていたんだが……」


「『生命の魔晶石』を入れた箱ね。テロン……さっきはごめんね。あたしを運んでくれたし、箱も拾ってきちんと持っていてくれて、ありがとう。なんだか、テロンには助けられてばかりだね」


 快活そうだった明るい瞳に、わずかなかげりが生じる。テロンは慌てて首を横に振り、言葉を足した。


「いや、助けられているのはこちらも同じだ。ルシカが居なければ、魔晶石だって手に入らなかった。ただ、この箱を渡して平気なのかと心配になったんだ。少しでも君の体に影響があるなら、俺がこのまま預かっておく」


 ルシカがびっくりしたように目を見開いて、真っ直ぐにテロンを見上げた。咲き初めの花びらのような唇がぽかんと開かれ、大きな瞳が揺れるように震えたが、すぐにふっと細められた。


「テロン、ありがとう。でも、おじいちゃんは『空間』の力をもつ魔導士だし……本当にすごいの。中途半端なものを作らないんだよ、そうは見えないけれど」


 箱を受け取ったルシカは、衣服の胸の内側に箱を仕舞った。彼女は少しだけ遠くを見つめる目になり、それからテロンに視線を戻して嬉しそうな笑顔をみせた。


 頬の熱さを感じたテロンは急いで視線を逸らし、鍾乳洞の内部を調べようとしてその場を離れた。『終末の森』側の壁を覆う結界の場所以外にも、洞窟は続いていた。奥には瓦礫や土くれが散乱し、小山のように積もって進路を狭めている。


「崩落でもしたのだろうか。それにしては不自然な感じがするが」


 テロンはかがみ込み、焦げたようなあとが残る岩の破片を拾いあげた。洞窟が続く先を、瓦礫が埋め尽くしている。しかし、量にしては天井や壁のはがれが少ない。


「通路そのものを損なうことなく、この場所を塞いでいた障害物のみを取り除いたようですな。だとすれば、通常の方法ではありますまい」


 いつの間にか、ソバッカがテロンの傍に歩み寄っていた。


「自然崩落ではないぞ。魔法じゃないのか」


 メルゾーンが言った。シャールに付き添われ、座り込んでいたはずのルシカも彼らのすぐ後ろに立っていた。まだ少し顔色が悪い。


「ダルメス様が王宮を訪ねる前に、ファンの町で不可解な地震があったと聞いたわ。位置からして、この場所に関係あるかもしれない……」


 ルシカは目を閉じ、呼吸を整えながら動きを止めた。自分自身の魔力を解放して、洞窟のさらに奥の地形を探っているのだ。


「洞窟、まだ続いているみたい」


「ふむ……」


 ソバッカは顎をさすりながら考えにふけっているようだった。メルゾーンが片足をカツカツと苛立たしげに鳴らしながら、腕を組んで言い放った。


「王子が誘拐された交換条件にあった『生命の魔晶石』は、さっき手に入れたんだろ。それで、今度はその犯人たちが接触してくるはずだと言ってなかったか? そいつらを探し出し、吹っ飛ばしてやれば解決じゃないか」


「簡単に言うのね。でも、珍しくあたしと意見が一致しているけれど」


 ルシカとメルゾーンの遣り取りを聞きながら、テロンは手にしていた破片を見ていた。不可思議な形をしている。一面だけ真っ直ぐで平らになっており、明らかにひとの手で加工されたものだとわかる。


「ルシカ、これは」


「うん」


 テロンの傍に寄り、破片を見たルシカがコクッと頷いた。


「これ、扉だったんだと思う」


 ルシカはテロンから破片を受け取り、ためつすがめつ調べながら手の中で転がした。


「守りの魔法がかかっていたみたい。それを無理矢理、炎属性をもつ魔法的な力で壊したのね」


 侵入者のうち、ひとりは『召喚』の魔導士だった。もうひとりが何者なのか判らないが、これを成し遂げたのならば、特殊な破壊の力の持ち主だということだろう。


「……人ではないかも、か」


 ヴァンドーナの言葉が脳裏に浮かび、テロンはつぶやくように言った。ルシカが顔を上げ、通路の先に視線を向ける。オレンジ色の瞳を狭め、きっぱりと言った。


「この先を調べましょう」


「そうだな。場所といいタイミングといい、関係ないというほうが不自然かもしれない。進んでみよう」


 テロンの提案で、一行は注意深く瓦礫の山を登り越えた。再び床に降り立ってみると、そこから先は明らかに自然のものではありえない、魔法王国期の遺跡のごとく真っ直ぐで平らな通路になっていることがわかった。


「ふたり分の足跡が残っておる。それほど時間は経っていないようですな」


 冒険者であった頃の感覚で入念に床を調べたソバッカが、声を低めて報告した。テロンたちの顔に緊張が走る。


 周囲に十分な注意を払いながら、一行は通路の先へと進みはじめた。しばらく行くと、通路は階段に繋がっていた。大きなきざはしは緩やかなカーブを描きながら延々と連なり、上へ上へと続いているようだ。どうやら螺旋状の階段になっているらしい。


「この広さと技術の高さ、環境維持の魔法は切れているようだけれど、グローヴァー魔法王国期の遺跡で間違いないと思うわ。考えてみると不思議なことじゃないよね。『生命の魔晶石』を封印したヴァイルハイマーは、魔法王国期の魔導士だし……」


 賢人ヴァイルハイマーは竜人族だ。『生命の魔晶石』を創り出したリヴァトリエ王も竜人族だった。この現生界における主要な五種族、すなわち人間族、飛翔族、竜人族、魔人族、エルフ族は、それぞれの種族の代表が王となって世界を統べる共同統治を行っていた。それがグローヴァー魔法王国である。


 竜人族は、人間族をはじめとする他種族と同じ姿を好み、真なる竜の姿ではなく人として共存していた。ただし体格の差はあり、魔人族と竜人族は総じて丈高く大柄である。だからこの遺跡の内部もたっぷりと広く、段も大きいのだろう。


 一行は足音を極力押さえながら、上へ上へと進んでいった。


「足跡には、逆向きに進んだものがあったんだろうか」


 テロンのつぶやきには、ソバッカが応えた。


「入っていった形跡しか残されておりませんでしたぞ。今も、ところどころに残っているのは上へと進む足跡だけ。別の出口がある、ということでなければ、おそらくはこの先に潜伏しておるのでしょう」


 一行は体力の消耗を防ぐために自然と無言になり、上へと足を運び続けた。長い、長い階段であった。


「ちょっと休憩を……」


 メルゾーンがをあげた。階段の途中に座り込む。


「だらしないぞ、メルゾーン」


 ソバッカを見上げたメルゾーンは、やけっぱちに怒鳴った。


「俺は頭脳と魔力専門なの!」


 いつもの『私』から『俺』に戻ってしまっている。甲高い声は相変わらずだが。


「ルシカ、俺が運ぶよ。背中に乗って」


 テロンはルシカの前に、背中を向けてしゃがみこんだ。一行のなかでは、ルシカが一番消耗し、苦しんでいるようだった。だが、ルシカは乱れた息遣いの中から首を振って、笑顔を作った。


「ううん、へ、へいき。がんば、れる」


 封印解除で気力体力を激しく消耗し、なおかつこの強行軍である。平気なはずがない。


「倒れられたら困りますよ」


 見かねたシャールが彼女に声をかけた。結界に入るときの魔法の影響を遮断する神聖魔法は解けているが、体力を回復してみても、今の彼女に気力と魔力の回復まではできない。


 テロンはルシカに向き直り、彼女の目と目を合わせて言った。


「俺と、一緒にがんばるって言ってくれただろ。俺ができることは支える。お互いだ。だから無理しないで、もっと頼ってくれ」


 ルシカは目を見開き、オレンジ色の瞳でじっとテロンを見つめた。しばらく見つめあったあと、ふっとルシカが微笑んだ。テロンには、目の端に涙がすこしだけ見えた気がした。


「うん、ありがとう」


 ルシカは素直にテロンの背に体を預けた。


「うぉっほん。ではよし、行こうか」


 ソバッカが咳払いをして、再び歩きはじめた。


「メルゾーン、おまえは自分で歩くのだぞ」


 不満そうに声をあげかけたメルゾーンだったが、シャールに手を握られて口を閉じ、黙って立ちあがった。


「平気だ、ちょっと言ってみたかっただけだ」


 歩きはじめ、あさってのほうを見ながらメルゾーンが唇を尖らせる。ちょっと、顔が赤い。





 永遠に続くかと思われた階段だったが、何度目かの休憩のあと、どうやら終わりが近いようであることがルシカの言葉で判った。


 長い階段の行き着いた場所には重厚な扉があり、罠や気配に用心しながら開くと、そこに部屋があった。竜人族が遺した遺跡らしく、部屋とはいっても武術大会でも開催できそうなほどに天井が高く、広大である。朽ち果ててはいるが調度品の類もちらほらと残されており、精緻な細工が施されていた。


 美術品や家具はすべて埃だらけで、使われた形跡はなかった。入り口とは反対側の壁に、さらに奥へと続く廊下が幾つか伸びているのが見える。


 ソバッカの目には、床に複数の足あとが見えていた。少なくともふたりの人間が行き来したあとだ。声が響くことを警戒し、一行に無言のまま指し示してみせた。


「ここが隠れ家なのかしら」


 テロンの背から降りながら、ルシカが彼に向けてささやいた。


「だとしたら、兄貴はどこにいるんだろう」


 小声で返し、テロンは周囲をぐるりと見回した。ルシカが彼の背中から先へと踏み出し、進もうとするので、テロンもつられるように前へ出た。


「油断するな。テロン殿、ルシカ殿」


 部屋の奥へ進もうとしたふたりを、ソバッカが鋭く制した。周囲に向け、素早く視線を走らせる。


 テロンも気づいた。部屋のどこかから、何者かの気配がする。人間族か竜人族のものかはわからないが間違いなく――殺気だった。


「ルシカ、戻るんだ」


 テロンが先を進むルシカに手を伸ばそうとした瞬間、眼前に黒い影が凄まじい勢いで割り込んだ。


 刹那の出来事に、後方のソバッカたちは動けなかった。ルシカの悲鳴が中途で断ち切られ、苦しそうな呻き声に変わる。


「あぅ……ぐっ」


 テロンの眼前に現れたのは襲撃者のひとり、皮鎧の男だ。ただしまとっている雰囲気が、明らかに違っている。まるで男の全身を闇色の炎が包み込んでいるかのように、禍々しいものだ。


 男の片手が、細い少女ののどを締め上げていた。


「ルシカ!」


 身構えたテロンが叫ぶ。だが、手出しができなかった。男は素早く退いて間合いを取り、踏み込んでもすぐには届かない位置に移動したのだ。


「……ぅ……ぐ……」


 ルシカの顔色が血色に染まっていく。小さな旅用の靴先は床から離れ、完全に宙吊りになっている。


「ルシカを離せ!」


 テロンが気色ばんだ。


 男が返事代わりに力を篭めると、ルシカはさらに苦しそうに身をよじった。堪えかねたシャールが悲鳴をあげる。


「よせ!」


 ルシカの首の骨が折れてしまうほどに、容赦のない力だ。ソバッカが慌てて叫ぶ。


「目的は何だ。そんなことをしたら『万色』の魔導士が死んでしまうぞ」


 驚愕していた者が、もうひとりいた。男の背後に、別の人影が歩み寄っていたのである。


「な……何をしている、グラビティ!」


 それは『召喚』の魔導士だった。もうひとりの襲撃者である。衣服の頭巾フードを背に滑り落とし、彼の黒髪と顔、翠の瞳があらわになっている。目の前の光景に、明らかに狼狽していた。


「フッ。別に私は、この人間が必要だというわけではない。必要としていたのはそなただけだ。私にとっては生死は関係なかった」


 感情の欠落したような無機質な声で、男が『召喚』の魔導士に応えた。そしてニヤリと嗤い、さらに腕に力を篭める。


 ルシカが声にならない悲鳴をあげた。カラン、と音が響く。彼女の震える手から『万色の杖』が落ち、床に転がったのだ。


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