第4節 ブラックアウト

「なんだ、思ったより簡単だ」


 長い夏の日もようやく暮れかかり、暗くなってきた頃合い。物置の小さな窓の一つから侵入した少年は、残念だ、とでも言わんばかりにわざとらしい溜め息を吐いた。誰かが入ってくるとは思えない、開度が制限された窓。無警戒に開けられたそこを、成長前の小柄な身体を生かし難なく通り抜けたものだから、少々得意げにしている。


「もうちょっと妨害があると思ったんだけどなぁ」

「それは、ご期待に沿えず、申し訳ございませんでした」


 あえて恭しく、しかし口調は皮肉げに声を出してみれば、ノエはぎょっとして振り返った。キキは棚の影から身を晒す。


「……居たんだ」


 想定外だったのか、ひきつったような微妙な笑顔。


「宣言されてのこのこ見逃すはずもないでしょう。詩凪を傷つけると判っているなら、なおさらね」

「ケナゲなんだねー。根っからの召使いなんだ、おねぇさん」


 つくづく人を馬鹿にしてくる少年だ。いい加減相手をするのもうんざりしてきた。


「影を返してもらうわ」

「素直に返すと思う?」


 思っていない。キキは溜め息を吐く。こういう人を焚き付ける言動をあえてするところに、この少年の嫌らしさが表れていると思う。


「もういいわ。黙っていなさい」


 キキは箒を構え、ノエに向かって突っ込んだ。

 建物の中、ましてここの物置は六畳ほどの広さがあるとはいえ、物の多さもあって狭い。迂闊に風を引き起こすことなどできはしない。だからキキは物理で攻めることにした。箒を使った棒術だ。今持っているのは箒であるため、軽いし、穂先のほうが大きいのでバランスも悪く、武器として扱うには非常に不向き……なのだが、他の物を持てない以上、贅沢は言っていられない。柄をうまいこと利用して、突いたり小さい振りで打ち付けたりしながら、ノエを追い詰めていく。

 ノエのほうは、修羅場慣れしていると見え、キキの攻撃はことごとく躱された。触媒は握りしめているが、躱すばかりで、反撃はしてこない。

 柄の周囲に風の渦を纏わせた渾身の突きを一跳びで躱し宙返りを決めた少年は、花瓶や壺を飾る小さな台の上に着地すると、そのままそこに腰かけた。


「さっきも思ったけどさぁ、メイドの割に意外にやるよね。お嬢様の為に小さいころから仕込まれたとか?」


 脚を組み、その膝の上に肘をつき、頬杖をついてキキを見上げる。


「無駄話ならしないわよ」

「いや、可哀想だなって。あんな甘いお嬢様、大変でしょ、守るの」

「苦に思ったことはないわ」


 仕方のない子だ、と思ったことはあるけれど。

 環境に恵まれ、人にも恵まれ、優しい世界で育った詩凪は、まさに苦労しらずのお嬢様だ。心根は真っ直ぐで、物事をすべて善で捉える。それが、甘さに繋がっているのだとは思う。

 だが、許容される以上の甘えは持たない子だ、とキキは思っている。仕事はきちんとこなし、学業も疎かにすることはない。戦闘だって、役割分担の結果普段は後ろに回っているが、きちんと自分で戦うことだってできる。

 だから。


「……詩凪のこと、良く知りもしないくせに」


 表面的な欠点だけあげつらって、つつき回すこの少年は非常に気に入らない。


「〝貴方には解らない〟……って?」

「……そうね」

「勝手に決めつけないで欲しいな。これでも僕も、仕える人間なんだけど」


 意外な言葉に、キキは目を瞠った。


「〈グランギニョール〉の、主? そういう組織なの、〈グランギニョール〉は」


 よくよく考えれば、組織であるのなら、通常はリーダーとなる人物がいるものだが。

 しかし、〝仕える〟と言う以上は、単なるまとめ役ではないということだ。主と仰ぎ、忠誠を誓う相手。現代では時代錯誤な関係性。

 ――彼も?

 他人を侮った態度を取る彼が仕えるだなんて、それはいったいどのような人物なのか。


「あ、無駄話はしないんだったね」


 気になるところで会話を打ち切る。手を掲げた先で、十字剣が姿を現す。本当に妙なところで小賢しい少年だ。

 放たれた剣を躱し、箒を抱えてノエの前へ飛び込む。そして、台の上にたった少年に足払い。跳んで躱したところをさらに追撃。次の剣を出す暇は与えない。

 ノエの言うとおり、キキは長いこと詩凪を守るために魔術と武芸の訓練をしてきた。といっても、そう幼い頃のことではない。せいぜい七年前のことである。次期当主としての自覚が出てきた詩凪を守りたいと思い、自分からはじめた。使用人としての仕事の傍らであったし、当時は学業もあったことだから、どちらも極めるほどではなかったけれど、こうした不届き者を追いつめる分には充分な力を手にしていると思っている。

 ――箒でなければ、もっと立ち回りやすかったのだけれど。


 何度目かのキキの攻撃を躱し、部屋の入口に着地したノエは、何を思ったのかキキに向かって呼び掛けた。


「僕、知ってるよ。影を取られて透明なると、物にを動かすことができないんでしょ?」

「一応訊くけど、何故それを?」

「試したから」


 つまりキキの前にも被害者がいるということか。キキは眉を顰めた。詩凪と柾から聞いた件といい、彼は他人を巻き込むことに呵責を感じないらしい。そもそも〈異録〉を強奪しようとしていることからして、もはや彼に道を説く意味はないだろうが、それにしてもあまりになりふり構わなすぎやしないだろうか。


「それが?」

「つまりさ、それってこうして簡単に閉じ込められるってことだよねって思って」


 そういってノエは風通しのために開き放していた入口から物置の外に躍り出る。焦りを顔に浮かべ、後を追って飛び付こうとしたキキを嘲笑い、ノエはばたん、と音を立てて勢いよく扉を閉めた。

 夕暮れになり点灯されていた廊下の照明が遮られ、部屋の中が暗くなる。


「そこで大人しくしてろよ。今、お友だちを増やしてやるからさぁ。もっとも、増えたところで見えないんだろうけどね?」


 そう捨て台詞を置いて、足音が遠ざかる。これで彼は、追跡者を封じ込め、いよいよ目的を果たしに迎えると思っているわけだ。


「……他人を馬鹿にするわりに甘いわね、あの子」


 前に来てしまった三つ編みの髪束を払いのけ、先程の焦りなどなかったように、冷静な表情に戻って、誰にとも知れずキキは呟く。

 長い黄昏もようやく終わり、宵の口へ移りかけた外はすでに薄暗い。窓から入る光も微かになって、部屋の隅にあたるこの場所まで届かなくなっていた。

 それこそ、物の影など見えなくなるほどに。


「何故物を動かせないか。試したわりに、あまり調べてないのかしら。私は存在しなくなったわけではないのに」


 影を失ったものは、影に干渉することができない。物を動かすということは影も動かすということだから、逆説的に考えれば、影に干渉できなければ物は動かない。

 では、そもそも影がないのなら? 正確には、影の中で影を識別できない状態だったなら?

 もっとも、キキも藍に指摘されてそのことに気が付いたのだが。


 キキは部屋の壁を見上げた。手を持ち上げた先に、白い箱が設置されている。一つの大きなレバースイッチと、その横に二列で並んだ小さなレバースイッチの集まり。この邸の電気を供給するブレーカーが収納された分電盤。

 アンペアブレーカーに指を掛けた。その突起を撫で回したあと、力を入れてスイッチを押し下げる。

 ばちん、と弾けるような音がする。


 あら、と隣の台所から母の戸惑う声がした。物置の扉の閉まる音やノエの声には反応しなかったのに、こちらには反応するらしい。

 階上も、突然の停電に騒ぎ出しているようだ。

 どうやら本当に電気が切れたらしい。


「藍様……意外にまともなことを言うのね、あの方」


 玄関口で、キキの耳許で囁かれた藍の助言。それがこのときほど有り難かったことなんてあっただろうか。今回ばかりは本気で感謝してもいいかもしれないな、とキキは少し思った。

 助言の内容は、とても簡単だった。


『この魔術は、何を置いても影の存在を前提としています。影なきものは姿が見えない。影なきものは存在しません。では、そもそも影ができない、もしくは影が識別できない場合はどうなるでしょう?』


 キキが一瞬呆気に取られるのを待ってから、藍は続きを吹き込んだ。


『答えは簡単。魔術など成り立ちません。貴女は闇の中、もしくは濃い影の下でその姿を取り戻す――』


 果たして、藍の言葉は真実であったというわけだ。こうしてこの暗闇の下で、キキは姿を取り戻し、ブレーカーのスイッチを操作することができた。

 そして、停電が起きた邸の中でなら、キキは己の姿を失わずにすむというわけだ。

 つまり、詩凪や父と接触することだってできる。


「影を切り放す、なんていうけれど、本当は認知に干渉する術なのかしらね」


 影がない人間は姿が見えない、存在しない。その認識を、掛けられた本人とその周囲に刷り込む術ではないかと、そう推察したが。

 まあ、実際のところどうでもいいか、とそんな思考は払い捨て、キキはパンパン、と手を払った。


「さて、反撃といきましょうか」


 そして、大きく息を吸うと、侵入者――と、叫んだ。

 キキの声は、今度は届いたようだ。なんで、とノエの慌てる声が聴こえる。それから誰かと言い争う声。彼は無事、誰かに見つかったらしい。

 全てが予定通り。あとは影を取り返すまで。


 邸の至るところには、侵入者を警戒して結界が張られている。それは、一見人が入れなさそうな物置の窓も同じこと。

 だが、今回キキは、あえてこの場所の守りを弱めた。理由はただ一つ。ノエを分電盤のあるこの部屋に誘導するためである。

 彼は時間を掛けて念入りに邸を調べ、何の術も掛けられていなかったこの場所から侵入することを決めたようだが、そもそも欠陥があること事態がおかしいと何故気づかなかったのか。


「せめて待ち伏せしている時点で気づきなさいな」


 さんざん他人を馬鹿にして、その癖詰めの甘さを見せるガキんちょに、たっぷりお灸を据えてやらないと、とキキは俄然張り切った。

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