詩凪と落丁した魔書 ~切り離された街の悲劇再録~

森陰五十鈴

序章

第0節 分岐点

「なんだ、ありゃ」


 想像を越えた目の前の光景に、凌時りょうじは思わず声を上げた。そこに悲鳴が混じったのは不覚としか言いようがないが、あまりのおぞましさに自制が効かなかった。


 朧月の下、信号が赤に黄色にと瞬く片側二車線の交差点。四隅の街灯が照らすだけで走行する自動車さえ一台もないアスファルトの上を、白いヒトガタが列を為して歩いている。

 パレードだった。

 楽器を吹き鳴らすもの。踊るもの。旗を振るもの。人形が張り付けられた小さな山車に、担がれた簡素な神輿に、手を振り上げて喜ぶ観客たち。紙吹雪さえ舞っている。華やかな集団が南北に走る通りを埋め尽くしていた。

 ただ、それらの〝祭り〟はあまりに薄っぺらく、のっぺらぼうだ。まるで等身大の紙のよう。――否、こうして横から見てみれば、動く切り絵に他ならない。

 二十年に満たない人生ではじめて巡り会う奇怪な光景。滑稽とも微笑ましいとも捉えられるこのパレードに、背筋が冷えるような恐怖を覚えるのは何故だろう――。


「第四章第一節〈葬列〉」


 呆然と行進を眺める凌時の背後から、声が一つ落とされた。振り向いた先にいるのは、ゴシックな装いの少年だ。群青を基調とした盛装で自らを飾った彼は、陶器人形ビスクドールのように張り付いた笑みで切り絵の行列を見つめている。


「魔女の死を祝い、住人が棺を担いで町中を練り歩く……ルルーの町最後の喜ばしい催しが再現されていますね」


 つらつらと解説する高い声に喜悦が混じっているのを感じ取り、凌時は戦慄した。あんな得体の知れないものを見て何故喜んでいられるのか。こちらもまた不気味で嫌になってしまう。


「ですが、棺の中身はないようです」


 さ、と凌時の顔から血の気が引いた。何気ないその言葉に不吉めいたものを感じたからだ。


「祭りはやはり奉るものがなければ、住民たちも満足できないことでしょう」


 どうかお気をつけて、と切り揃えられた髪に飾ったミニハットを胸の前に持って礼をして、少年は影に溶けていった。


「奉るものって……」


 文字通り消えていった少年の異常性も気にはなるが、今はそれ以上に、彼が言い残した言葉が不吉めいていて、そちらのほうに思考が行った。

 神輿のように担がれた棺。その中身は空。

 奉るものがない。

 祭り上げるものあっての祭りであるならば、それがない祭りは成り立たない。

 ――ならば、この行列に加わっている者たちは、いったいどうするのだろう? 


 ふと気がつくと、南北に列を成していたはずの白い紙人形たちが、いつの間にか周囲を取り囲むように立っていた。凌時を中心に花の花弁を為すように、幾層にも渡って輪を作り、存在しない眼でこちらをじっと見つめている。

 まるで、品定めでもしているかのような複数の眼差し。舌なめずりまでしている気がするのは、錯覚だろうか。


「……やっぱり死体ね」


 凌時の右後ろにいた銀縁眼鏡に三つ編みをうなじから一本垂らしたの女がため息を吐く。口にしたのは、凌時も行き着いた答えだった。

 そう、凌時はこの場に一人いるわけではなかった。二十歳前後の男女一人ずつと、それからもう一人。凌時含めて全部で四人。――あの青いのを加えると五人だが、彼は消えてしまったので、とりあえず除外する。


「私たちの誰かを棺に入れようっていうのかしら」


 一重で切れ長の目で辺りを見回した彼女は、物憂げに呟いて、棒状のものを担いでいた腕を下ろして地面に立てた。空いた手を腰に当て、周囲を睥睨するさまは、まさに余裕の表れだ。


「それは困るね」


 軽い調子でそう応えるのは、長身と明るい茶色に染めた癖っ毛が特徴の青年だ。こんな状況だというのに、表情柔らかにする垂れ目を愉しそうに細めている。

 いったいどういう神経をしているんだ、と思いながら見ていると、その日本人にしては薄い茶色の眼がこちらを向いた。


「それとも、君が入るかい?」


 からかうように投げつけられた言葉。凌時の頭に一瞬で血が昇る。


「冗談言うな! 初回で死ねるかよ!」

「威勢はいいね」


 青年はくすり、と笑う。


「でも、あながち冗談でもないよ。こいつらは本気で、僕たちを棺桶の中に入れようとするだろうからね」


 ここでようやく凌時はからかわれたのではなく、自身が試されたことに気づいた。彼は、初めて死地に立つ凌時の覚悟を訊いたのだ。


 ここは一つの分岐点。平穏な日常と危険のある非日常と。


 凌時の頬が再び強ばった。覚悟は決めてきたつもりだが、改めてこうして尋ねられてしまうと、臆するものがある。ここに来てから慄いてばかり。これからしばらくらと関わっていかなければいけないなんて、考えるだけでもゾッとする。

 ――でも。


「どうする? 引き返すなら、今のうちだよ」


 念押しする青年の声に、凌時はアスファルトを踏みしめ、こちらを見る六つの視線を真っ向から受け止めて、はっきりと宣言した。


「やるさ。――覚悟はできてる」

「だってさ、詩凪しいな


 青年が振り返る。凌時に向けるものと打って変わって優しい色を宿した薄茶の眼差しは、最後の一人に向けられた。


 線の細い少女だった。背の中心まで届く長い髪。幼さが残る顔を構成するのは、大きな黒い眼と少しだけ低い鼻。紅差すまでもなくみずみずしい桃色の唇は、固く引き結ばれている。早春の夜の肌寒さにが心許ない白いワンピースに薄紫のカーディガンの姿でこの異様な交差点に立つ彼女は、朧月の作り出す幻影のように儚く見えた。

 しかし、その双眼は、この場にいる誰よりも強い意志を秘めていた。


 穂稀ほまれ詩凪しいな。彼女こそ、この一団の要。

 ここに留まることを決意した凌時が、これから守らなければならない存在。


「うん」


 青年の言葉に頷いた彼女は、一歩、二歩と、凌時たちの前に出る。夜風が、両耳の後ろで一房細く編まれた長い髪を、金糸の刺繍の入った白いワンピースを揺らした。

 詩凪は自分たちを取り囲む白い驚異に臆することなく相対すると、肩から斜めにかけた革のポシェットから小さな箱を取り出し、胸の前で掲げ持った。

 そして、振り返ることなく告げる。


「それじゃあ、やるよ――みんな」


 号令と共に、辺りは白い光に包まれた。

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