第6話 できる人 その1

 ひさこは週4日パートで事務をしている。数年前に始めたころは週2だったが去年の春に週4に替わった。


 パートを始めるまでひさこはかなり長い間専業主婦をしていた。前職は事務ではなかったし、男性ばかりの職場だったというのも今回の環境とはかなり違っていた。なので始めたころは本当に緊張した。今度の職場の最初の印象はみな言葉尻がきついなということだった。以前の職場でもママ友の間でも出会ったことのないような人たちだった。女の人が働くのってこういうかんじでないといけないのねと思った。


 向かいに座っている田端さんという若い男の人が隣の女の人にしょっちゅう容赦なく注意されていた。田端さんがあまりに仕事ができないのか、それともあの女の人がめちゃくちゃ厳しいのかどっちなんだろうといつも思っていた。たまたま田端さんとお昼休憩が一緒になると田端さんからよく愚痴を聞いて盛り上がった。そして時々二人で声をたてて笑った。それはそれで楽しかった。だけど田端さんは結局やめて大分へ帰ることになってしまった。ひさこはとってもさびしかったけど、どうすることもできなかった。最近始めたと聞いていたテニスの靴下を最終日にプレゼントした。田端さんは「ここで働いてた2年半の中で一番うれしいっす」と笑った。そしてしばらく経った頃、ひさこの家に大分特産の魚の干物が大量に送られてきて、冷凍庫が満杯になった。


 ひさこともう一人のパートさんに仕事を振るのは佐伯さんというアラフォーの女性だった。やはりほかの人と同様容赦ない感じの人だった。ひさこは目を皿のようにして書類に目を通し、穴が開くぐらい何度もチェックをした。しかしどうしてもミスは起きた。佐伯さんに「ひさこさぁん」と冷たい口調で呼ばれる度にドキンとし、通勤の際は「何かしでかしてなかったかしら」と不安な気持ちだった。


 仕事を始めて数か月後、明らかに重要そうな書類作成の手順を教えられた。「大丈夫かしら」と小声でつぶやいたひさこに、佐伯さんは「ダブルチェックするから大丈夫です」と答えた。


 書類作成を始めて数週間後のことだった。とつぜん「あー!」という声が事務所中に響き渡った。ひさこが顔をあげると、事務所の一番向うの席の佐伯さんだった。佐伯さんは「もぉー!」と大きなため息をつきながら背もたれにどんと身を投げ出した。そして、「ひさこさん、また間違ってる!さっきも間違えてたし。もう、いいかげんにしてください!ゆっくりでいいんでもっときちんとやってください!」と叫んだ。そして向うからひさこの席までつかつかと寄ってきて、「だからゆっくりでいいんでぇ、もっときちんとやってください!ゆっくりでいいんで!!!」と叫んだ。ひさこは震え上がって「申し訳ありません」をただただくりかえした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る