今宵、魔法図書館で

 昔々、あるところに偉い魔法遣いがおりました。


 魔法遣いは魔導書を集めるのが趣味で、あちらこちらに出かけては古今東西の魔導書を譲り受け、買い求め、時にはかすめ取って、自宅に持ち帰っておりました。

 ところで、魔法について書かれた魔導書は、それ自体が微弱な魔力を有するようになります。そして、単体ならば特に害のないものなのですが、それが一万冊を超えてしまうと、寄り集まった魔力の効果が発現してしまうのです。そのことを魔法遣いはすっかり失念していたのでした。

 ある日、魔法遣いが家に持ち帰った魔導書が目出度く一万冊を超えた時――


 魔法遣いの自宅は『魔法図書館』となって、魔法遣いの目の前から姿を消してしまいましたとさ。


 *


 王国首都の中心部、勇壮華麗な王宮に向かって伸びる目抜き通りは、建国当初からゆったりと余裕を持った造りになっている。

 左側通行の馬車道は、左右おのおのを馬車二台が併走し、計四台が行き違う場合であってもぶつかる心配がないほどに広々としている。

 それに沿って設けられている歩道には、長い間そこで営業を続けてきた老舗がのきつらね、休日ともなるとさらに露店が歩道の馬車道側に立ち並ぶことになるが、そこに周辺諸国からの観光客が殺到しても歩くことの妨げにはならなかった。

 ところが、その目抜き通りをれて路地裏に一歩足を踏み入れると、状況は一変する。

 両側に建物がせまった、日中でも薄暗い路地裏には、急に思いついたように怪しげな店が現れては、素人をカモにする気配が濃厚な扉を、中がぼんやりとのぞけそうなぐらいの、いかにも覗かないと申し訳なくなりそうなぐらいの絶妙な隙間で開けている。そして、その奥には店主のあやしく光る目があった。

 さらに路地を先のほうに進むにつれて、表通りの華々しい雰囲気はどんどん薄れ、代わりに五百年以上続く王国の、あまり表沙汰にしたくない闇の部分が沈殿したような空気が満ちてくるようになる。そうなると、ここで生まれ育った者以外はなかなか立ち入れない。日が沈んだ後の時間ともなればなおさらである。

 そのような王国のどこにでもある路地裏を、僕はうつむきながら歩いていた。

 さきほど太陽が西側の山並みに沈んだばかりなので、空や周囲の壁には貼りついた残骸のような光が残っている。路地のところどころには妖精灯が設けられていたが、まだ妖精は集まっていなかった。もしかしたら、この付近の住民が妖精の好む砂糖を置き忘れているだけなのかもしれない。

 が、仮に灯火がなかったとしても、僕には支障なかった。

 僕は先を急ぐ。

 路地の片隅かたすみで何か黒いものが動いたが、それに目もくれなかった。それが注意を向けるとこちらにすり寄ってくる魔物のたぐいであったためでもあり、それに注意を払っている心の余裕がなかったためでもある。

 ――今日の授業は散々だった。

 僕は俯きながら溜息をついた。

 この『授業』というのは、今年の始めから僕が通うことになった『国立魔法学院』の、実技演習のことである。

 国立魔法学院は、王国と対立する国家であっても、その俊英を送り込まざるをえないほどの歴史と実績を兼ね備えた、王国の最高学府である。

 そして、十六歳から十八歳までの魔法遣い候補生達がそこでしのぎを削っているわけだが、いずれも生まれ故郷の期待を一身に背負った者ばかりで、基本的な魔法スキルがべらぼうに高い。

 王都生まれの王都育ち、入学の時点でぎりぎりすべり込むことが出来た僕とは、負っているものが始めから違っていた。それで、いつも僕は、

「この王都生まれの苦労知らずが」

 という目で見られていた。

 まあ、今のところはそれが真実であるから、僕は何も言えない。

 そもそも国立魔法学院自体、尊敬する祖父が「是非に」と勧めたから猛勉強して入っただけのことで、自分から進んで入ったわけではなかった。

 王国魔法軍の将校を務めたこともある祖父は、変に僕の才能を買いかぶっているところがあり、

「この子はきっかけさえあれば相当伸びる」

と、日頃から公言してはばからないのだが、そのきっかけが一向に現れない。

 僕自身、

「そもそも、そんな能力なんか最初からないと思うんだけどな」

嘆息たんそくしてしまうほどに、予兆すらない。

 ――いや。

 もしかしたら「あれ」が予兆だったのかも知れないが、今のところそんなきざしはなかった。

 今日の授業も、基礎の基礎の基礎である火焔術式呪文の詠唱途中でつっかえてしまい、教官による発動強制解除を受けてしまった。 

 それで大層落ち込んでいたのだが、それでも足は前を向き、僕を目的地へと着実に運んでゆく。

 僕は頭を上げた。


 すると路地のずっと先、目的地付近で妖精灯が緑色に輝いているのが見える。


 僕は安堵の息を吐いた。「今日は開いている」という合図だった。

 そこに近づくに連れて、闇の中にぼんやりと扉があるのが見えてくる。

 普段、日中にここに来ても、薄汚れた、なにかが貼りついたような染みのある袋小路しかない。

 ところが日没後の僅かな時間――逢魔が時に来ると、扉が現れる。

 しかも、その扉は誰にでも見えるわけではなかった。


 *


 最初にここを通りかかったのは、数少ない友人(しかも国立魔法学院ではなく、武器工房を進路に選んだ友人)の自宅を訪問した時のことである。その時は予想外に話し込んでしまったために、いつもより遅い時間になってしまった。

 外は既に薄暗く、遠慮する僕に、

「そこまで送るよ」

 と言ってくれた友人と一緒に、ここを通りかかった時に、扉があることに気がついた。

「ところで、ここの扉はどこに通じているの」

 そう僕が尋ねると、友人は怪訝な顔をした。

「どこって――扉なんかどこにもないよ」

「えっ、だってそこの壁のところに」

「どこ? ここは昔から袋小路で、壁しかないけど」

「だって、ほら、そこの……」

 そう言いながら、僕が友人から視線を逸らして扉のあったほうを向くと――

 確かにそこには壁しかなかった。

「疲れているんじゃないの。国立魔法学院は勉強大変そうだし」

 友人はそう言って笑い、僕は取り合えず苦笑いしたが、内心は別だった。

 ――いや、確かにさっきまでそこに扉があった。

 普段は優柔不断な僕が、その時だけは確信を持ってそう考えたことを、今でも鮮明に覚えている。

 そして、思えばその確信自体が魔法図書館に選ばれたことのあかしだったのだろう。


 *


 僕は、古めかしい木の扉に取り付けられている、つたった意匠がほどされた取っ手を握った。それをわずかに手前に引くと、「カチリ」という音がしてから扉が手前に開く。

 中から柔らかい暖色系の光がれ、僕の足元に真っ直ぐな光のすじを描いた。

 僕は素早く身体を中に滑り込ませる。

 この瞬間に誰か他の人が来ると、途端に扉が消えてしまうからだ。

 無事に中に入り、大きな安堵の息を吐いてから、僕は目の前の光景を眺める。

 真っ白い壁と短い廊下。

 その先には受付らしき木のカウンターがあり、その隣には表のものと似た扉がある。僕はそこに近づいた。

 すると、カウンターの上に木に登る蜥蜴とかげの姿を模したカードホルダーがあり、木の枝の先に魔法札がしてあることに気づく。

 僕が魔法札に手を伸ばすと、蜥蜴は目をぐるりと動かして舌を出した。彫刻の癖に、不適切な相手が手を伸ばすと容赦なく噛み付いてくるので、始末が悪い。ただ、今日はそのまますんなりと魔法札を取る事が出来た。

 魔法札は基本的に黒。札の周辺部を金色の蔦の意匠が取り囲み、中央部に文字が浮かび上がるようになっている。僕が手に取った瞬間から、にじみ出るように文字が浮かび上がっており――そこには、こう書かれていた。


今宵こよい、魔法図書館で』


 僕は少しだけ待った。

 しかし、そこから先の文字は一向に現れない。

 このようなもったいぶった演出はたまにあることなので、僕は息を吐いて隣の扉を手前に引いた。

 そこから続く部屋の天井は僕の背丈の十三倍ほどあり、とても表にあった扉からは考えられないほどに高い。だからこそ、ここが普通の場所ではないことを実感する。

 そして、四方の壁はすべて本棚で埋め尽くされている。

 入ってきた扉と天井以外はすべて本棚で、実に徹底していた。

 部屋はほぼ正方形の形状をしており、一辺が二千ミクル(訳註:一ミクルは概ね一センチメートル)ほどになる。手前は閲覧用の木の机が九つと、おのおのに木の椅子が四つ並んでおり、その先には部屋の中にも背の高い本棚が並んでいるので、全体が見渡せなかった。

 ――まあ、そんな必要もないのだけれど。

 今日も彼女は、入口の目の前にある席に座っていた。


 彼女の名前は『メル・アイヴィー』という。


 僕と同じく国立魔法学院の一年生。

 身長も僕とほぼ同じぐらいなので、だいたい百六十四ミクル前後だろう。

 どこの国からの留学生なのか、どのような出自なのか、噂にも出たことはない。聞いても誰も知らなかったし、逆に聞かれて「知らない」と答えたことは一度や二度ではなかった。

 いつも一人ぼっちで、同級生と話をしているところを普段見ることはなく、授業で先生から質問されても、必要最小限のことを言うだけだった。

 だから何となく話しかけづらい存在となって、教室の中では僕とは違った意味で浮いていた。

 今、彼女は透き通るような銀色の長い髪を右の指でもてあそびながら、こちらも透き通った青い瞳で魔導書を読んでいる。

 常に同じような白のワンピースを着て、複雑に編み込んだ長い銀髪を赤いリボンでまとめている。

 首筋を流れる黒のチョーカーだけが異質な雰囲気をかもし出していたが、それゆえ彼女の氏素性を知る唯一の手がかりのように思える。チョーカーの先にはメダルのようなものが付けられていたが、刻まれている紋章が精緻すぎて、遠目で読み取ることは出来なかった。

「こんばんわ」

「……こんばんわ」

 僕が挨拶すると、メルは小さな声でそっけなく答える。顔を上げもしない。いつものことなので、僕は苦笑いすると隣の席に荷物を置いた。

 それに、返事が返ってくるだけでも進歩である。半年ほど前、最初にここで会った時は無視された。

 僕はあまり失礼にならないほどの注意力で、彼女のほうを眺める。

 すると、メルが向かっている机の上に、いつもの通り硝子の器が載っていることに気がついた。それを見つめていると――


 上のほうから精霊が硝子の器めがけて降りてくる。


 約五ミクル程度の半透明な精霊は、一.五倍ほどの大きさの硝子の器を軽々と持ち上げると、そのまま再び天井のほうに向かって飛んでゆく。

 そして、天井に吸い込まれるようにして姿を消すと、すぐ後に今度は同じような硝子の器を持って、天井から染み出してきた。

 ただ、今回の器には黄色い、柔らかそうな菓子らしきものが鎮座している。精霊はそれをメルの手元に丁寧に置いた。

 彼女は左手に持っていたスプーンを、至極当然のことのように黄色いお菓子に挿し込み、切り分けた柔らかそうな欠片かけらを口に運ぶ。

 そこで、僕が見ていることに気がついたのか、こちらを向いて、

「何よ」

 と言った。

 僕は尋ねる。

「いつも食べてる、そのお菓子のようなものは何?」

「プリン」

「何で出来てるの?」

「知らない」

「じゃあ、どうしてそれの名前を知っているの?」

 彼女は無言で、机の上に伏せてあった魔法札を取り上げて、僕のほうに示す。

 そこには、

『プリンを召し上がれ』

 と書かれていた。

「ふうん。それにしても――いつも、ここにいる間中、ずっとそれを食べてるよね」

 僕がそう指摘すると、メルは急に頬をふくらませて横を向いた。

「私は良く食べるほうなのよ。悪い?」

「いや、その、そんなことはないけど……」

「けど――なによ?」

「いや、その……」

「はっきり言いなさいよ!」

 実は、その時の僕は彼女の珍しい反応に、大層驚いていた。

 それを素直に口に出す。

「その、実は驚いていた。普段、君は全然感情を表に出さないから」

 それで、自分がむきになっていたことに気がついたのだろう。

 メルは僕から顔をそむけた。

 しかし、赤くなった耳が今の彼女の感情を如実にょじつに表現している。

 メルは小さな声で言った。

「……感情を表に出すのが昔から苦手なのよ」


 *


「ねえ」


 僕が、本棚の前で立ったまま魔導書を読んでいると、前のほうからメルの声がした。

 顔を上げると、目の前にある本棚の本の隙間から、彼女の青い瞳がのぞいている。

「私としてはこのほうが話しやすいから、失礼を承知でこの状態のまま聞くのだけれど――」

 要するに、間に何かあったほうが感情表現が苦手な自分としては話しやすい、という意味である。ただ、それは後になって気がついたことで、その時の僕は突然のことに慌てていて、それどころではなかった。

「えっ、あ、何?」

 彼女の眼が細くなる。


「――君、どうしていつも自信なさそうな顔をしているの?」


 僕は言葉に詰まる。

 メルは普段の大きさまで瞳を戻すと、形の良い眉を心持ち上げてから言った。

「まあ、今日の実技演習の様子を見ていると、君のその気持ちも分からないことではないのだけれど――」

 僕は、彼女に失態を見られていたことに狼狽ろうばいする。顔が、生まれてからこれ以上はないと確信できるほどに、赤くなった。

 彼女は眉を降ろして、再び眼を細める。

「――でも、仮にも魔法図書館への入室を許可されたわけじゃない? どうしてそれが自信に繋がらないのかなぁって、ずっと不思議に思っていた」

 国立魔法学院に入学してから、そろそろ一年が経過しようとしている。

 そして、この図書館の存在に気づき、そして彼女がここにいることを知ってから半年になる。ということは、いつのことなのか不明だが、半年前から現在までのどこかで、彼女は僕に興味を持ったということになる。

 それでまた動揺して、僕は人生における最高赤面記録を更新してしまった。

 その様子を見て察したのだろう。彼女はさらに眼を細めると、

「あの、誤解しないでよね。これは純粋な好奇心なのだから」

「あ、はい」

 僕は、顔から血の気が引く盛大な音を聞いたような気がした。

 メルの青い瞳から緊張が消え、普通の大きさに戻る。

「で、どうなの?」

「どう、って?」

「さっき聞いたこと。魔法図書館に選ばれたくせに自信がなさそうな顔って、どういうことなのよ、ってこと」

「ああ――」

 僕は頭をいた。

「――その、僕のおじいさんがさ、昔、王国魔法軍で大活躍した人なんだ。それで、まだ僕が小さかった頃から魔法の手ほどきを受けていたんだけど、全然ものにならないんだよね。さすがに教えてくれる人が最高だから、学院に入学するレベルまではなんとかいけたんだけど、そこから先が全然駄目なんだよね。今日、見ていたのなら分かると思うんだけれど、大体あんな感じなんだ」

「ふうん」

 メルはそう言うと、瞳を僕から見て右上、メルからだと左上に動かす。

 何かを考えている時の眼の動き。

 さほど待つことなく、彼女の瞳は元の位置に戻る。そして、先程さきほどよりもその輝きが増したように思われた。

「ところで君、今何の本を読んでいるの?」

「何のって、そりゃあ魔法図書館がおすすめしてきたもので――」

 魔法図書館にある魔導書は、すべて閲覧可能なわけではない。

 その日、読むことが可能なものは棚の中でかすかに発光しており、それ以外のものはページすら開かないようになっていた。未熟な魔法遣いが高度な魔導書を読んでしまうことを、魔法図書館が嫌がっているのだろう。

 そのことを言ったのだが、即座に彼女の眉が盛大に上がった。

「そこじゃなくて、本の内容のほうなんだけど!」

「あ、ごめん。今日のは――なんだか植物の絵と名前が大量に並んでいるやつ」

「その前は?」

「料理の基礎のようなことが書いてあった」

「その前」

「鉱物見本みたいなやつ――あれ、よく考えてみると基本の手引き、例えば攻撃術式呪文というわけではなくて、図鑑みたいなものばっかりだね」

「ふうん」

 そう言ってメルは下を向いた。

 何かを深く考える時の眼の動き。

 僕が黙ってしばらく待っていると、彼女は急に頭を上げて言った。


「君、治癒魔法の経験はある?」

 

「ないよ、そんなの。超上級魔法じゃない」

 僕は即答した。

 物理的効果の発現を目的とした攻撃術式は、自然にある因果律を調整するだけのものだから比較的簡単だったが、自然の因果律そのものをじ曲げて、本来ありえないことをさせる治癒魔法の呪文術式は遥かに難しく、国立魔法学院の卒業生であっても、その年のトップクラスの学生しか(あるいはそれですらも)体得することはできなかった。

 それに、損傷部位を補完するための準備物や、その下拵したごしらえなどの段取りも多い。

「ないのね」

 彼女の瞳が鋭く青く光る。

 僕は少したじろぎながら、

「う、ん、これまでやったことはない」

 と答える。

 すると、メルは視線をやわらげてから、

「そう。じゃあ、今度試してみたら?」

 と、穏やかな声で言った。

 本棚の隙間からは、彼女の青い瞳しか見えない。

 ただ、僕は彼女が笑っていることを確信していた。

「人にはそれぞれ、得意なものとそうでないものがある」

 メルは穏やかなままの青い瞳を僕に向けて、話を続けた。

「例えば私の場合、得意分野は『祈り』で、攻撃系の呪文は苦手。そもそも呪文ではなく、歌うことのほうが多い。何かを祈り、こいねがう時には、神々に捧げる歌を歌う。しかも心を穏やかにして、静かに歌う。それが私には一番向いているやり方」

 僕はうなづいた。

 確かに、戦場で高速呪文詠唱する彼女の姿よりも、神殿で静かに歌う彼女の姿のほうが、より容易に想像できる。

「で、君の場合は何?」

「僕の場合は……」

 僕は考える。

 彼女の視線は穏やかで、特にうながすでもなく、静かに棚の間に浮かんでいる。待ってくれているのだろう。

 僕は答えた。

「……まだ分からない。でも、それが攻撃術式呪文でないことだけは良く分かった」

「そう――じゃあ、そういうことで」

 そして、彼女の青い瞳が一瞬泳ぐ。

 何かを躊躇ためらうような眼の動き。

「あの」

「はい」

「これは多分余計なことで、私は感情表現が苦手だから不躾ぶしつけな言い方になってしまうのだけれど――」

「うん、大丈夫だよ」

 僕の相槌あいづちで、彼女の目じりが下がる。


「――君は多分、もっと何かに本気になったほうが良いと思う。できないことを考えるよりも、本気でこれがしたいと思えることに目を向けたほうが良いと思う。それでなければ、君の本当の姿は分からないよ。なにか本気でやりたいことを考えなよ」


 そう言い切ると、メルは眉を寄せ、強く瞳を閉じた。

御免ごめん、自分で言っててすごく恥ずかしい」

「あ、いや、どうも。僕は凄く嬉しい」

 僕は、今まで全然考えたこともなかった自分の基本姿勢に気づく。

 そう、メルの言う通りだった。

 僕は、自分が出来ないことをつらつら数え上げては、空を見上げて溜息をついていただけだった。自分の周りに、まだ自分が出来ることが他にあるなんて考えてもいなかった。

 ――ただ、それは多分彼女も同じなのでは?

 そう思った僕は、静かな声で言った。

「じゃあ、僕も不躾かもしれないのだけれど、君に言いたいことがあるんだ――」

「あ、はい」


「――感情表現が苦手だなんて思わないで、メル。君の瞳を見ていれば、今どんな気持ちなのか良く分かる。だから、全然大丈夫」


「あ……」

 メルが盛大に顔を赤らめる。

 僕もなんだか気恥ずかしくなって、服のポケットに手を突っ込んだ。

 中にあった魔法札に、手が触れる。

「あ……」

 僕はそれを取り出して、表に浮かんだ言葉を見つめた。


『今宵、魔法図書館で、貴方は恋に落ちる』


「あの、今見つけました」

 僕は呆然ぼうぜんとした声で言った。

「あの、何を?」

 メルの慌てた青い瞳が見える。それで、逆に僕はひどく落ち着いてしまった。

 本棚を回りこんでメルのところへと向かう。

「僕が本気でやりたいこと。それは――」


 その後、僕は自分史上最大の幸福を感じることになる。


( 終わり )

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