第32話:なんというおやくそく

 上体を起こしたまま市販の風邪薬を飲んで、横になった後に布団をかぶった。

「えいっ」

 お互い食べ終わってから、いきなりひかるがベッドに潜り込んできた。

「ちょっ…風邪かぜ感染うつるよっ!?」

 輝の顔が、息のかかるくらい目の前に迫ってくる。

「初めてだな」

「えっ?」

「こうして彩音とふたりきりでいるの」


 ボッ


 顔が真っ赤に染まったのを感じたあたしは、あわてて輝に背を向けるように寝返りをうつ。

 バクバクと心臓が早鳴る。

 これだけ近くにいられると、早鳴る胸の音を聞かれてしまいそうで心配になってしまう。

「こっち向いて」

 真っ赤になった顔を見られたくなくて、背を向けたままうずくまる。

 ベッドに潜り込んでは来たけど、輝は触ってこない。

 やっぱりまだ傷は癒えてないんだ…。


「これ、彩音がいつも寝てるベッドだよね」

 そう言って輝もベッドに潜り込んで

「…これが彩音の匂いか」

 スン、と鼻息を立てて嗅いできた。


 カアッ!!!


「やめてよバカ!ヘンタイ!!」

 ドガッ!!

「ぐはっ!!」

 あたしは反射的に体をひるがえして、寝っ転がったまま輝を思いっきりベッドから蹴り出した。

「はははっ」

 輝は起き上がってあぐらをかいた座り姿勢のままいたずらっ子みたいに笑って

「やっとこっち向いた」

 と微笑んだ。

 勝てないな…輝には…。

「もう…ただでさえふたりきりでドキドキしてるのに、ベッドに潜り込まれて…心臓が壊れそうになったわよ…」

「同じだ。僕も…ドキドキしてる」

 それを聞いて、胸の奥がほわっと暖まった。

 あたしに対してドキドキしてくれてる。

 嬉しさと気恥ずかしさが入り混じって、複雑な顔をしてしまう。

 緊張や恥ずかしさがあるのは輝も同じだったんだ。

 一人でドキドキしていたわけじゃない。

 それならしっかりと向き合って心を通わせたい。

「ん…」

 あたしは寝ながら手を差し出す。

「なに?」

「手、出して」

 輝はよくわからない顔をしながら手を伸ばす。

 ぎゅ。

 あたしはその手を握って、ベッドの中へ引っ張り込む。

「彩音…?」

 引っ張り込んだ手を、両手で包み込んで感触を楽しんでいた。

 別に胸に手を押し付けるわけでもなく、両手で包み込むだけ。

 輝は本気で付き合ってた人に、こっぴどく振られたから本気になるのが怖いだけ。

 だから肌の触れ合いを恐れる。

 肌が触れ合うと、その相手に情が移る。

 情が移ることによって、離れたくなくなる。

 離れたくない人に拒絶された記憶が邪魔をする。

 輝はそれを恐れているんだ。

 自分から触れるのが怖いなら、あたしから触る。

 これで少しでも輝があたしのことを想ってくれるなら、積極的になるって決めた。

 今になって、やっと紘武ひろむの言った事の意味を完全に理解した。

 付き合えることになったら、あたしが傷つくと。

 紘武が輝の過去を隠したままだったら、あたしは今もずっと一方的に傷つけられてきたはず。

 けど恐れない。

 あたしは絶対に輝を過去の鎖から解き放ってあげると。

 颯一そういちと別れてすぐに輝と付き合い出したことに加えて、輝の追っかけが多いから付き合ってることをバラすのは心配が多くて、この関係はまだ秘密にしている。

 といっても茉奈まな埋橋うずはしさんにはバレちゃったけど。


 輝はあたしがギュッと握りしめてる手を振りほどこうとせず、そのままベッドのフチに背中を預けた。

 あたしが握りしめても、輝は握り返してこない。

 きっと、輝も求めたい気持ちはある。

 けどそれを許さないのは過去の辛い記憶。


 ブルルッ!


 包み込んでる手を通して、輝が身震いをしたのを感じた。

 そっか、もう木枯らしが吹く季節だったよね。

「輝」

「なんだい?」

「寒いよね。ベッド、入ってみる?風邪を感染うつしちゃうかもだけど…」

 本当はエアコンをつけて、部屋全体を暖めればいいんだけど、もっと近くに感じたいから、あえて言わずに状況を利用した。

「そうだな」

 そう言って、輝はベッドに潜り込んできた。

 セミダブルだから少し余裕はあるけど、二人でいると窮屈な感じはする。

 今度は向かい合ってあたしと輝、二人の視線が絡み合う。

「匂い嗅いだらさっきみたいに蹴り出すからね」

 ジト目で釘を刺す。

「それは僕に鼻で息するなってこと?」

 そっか。そうなるわよね。

「うん」

 あたしはいたずらっぽく微笑む。

 察した輝は、口を閉じたまま息をしていた。


 吐息がかかるほどの距離で、あたしは輝と見つめ合う。

 抱き返してくれないことを分かっていつつ、輝の体を抱きしめる。

「今日ばかりは、風邪の病原体に感謝かな」

 唐突なことを言い出す輝。

「え?」

「外だったら、こうして彩音の体温を感じられないからな」

「もっ…もう…」

 顔を赤くして、けど背を向けずそのまま抱きしめる。

 足を絡めて、誰よりも近くでその大きな体を感じ取っている。

「あっ…」

 太ももに硬い感触があった。

 照れた顔が、なんだか可愛く見える。

「まあ、これは生理的な反応でな…」

 お互いに恥ずかしさで顔を真っ赤にした。

「ま、輝なら心配無いけどね」

「そこまで信頼されてるんだ?」

「だって、こんな至近距離でも触ってこないじゃない」


 しまった!


 つい口から出たのは迂闊うかつな一言だった。

 後悔しても遅い。

「何でもズバズバ言う彩音節あやねぶしは健在だな」

「ごめん、今のは無神経だったわ…」

「気にしないで。過去のことだ。それに、忘れようと意識すればするほど強く意識に残るから、思い出してもなんとも思わなくなるのがゴールだと思ってる」

 あたしと向き合うため、輝も変わろうとしてる。

 そう思えた。

「ところであたしを選んだのは、どこまでもまっすぐだからと言ってたけど、なんでまっすぐだからなの?」

「彩音、隠し事できないでしょ?すぐ顔に出るし、口にも出る」

「否定できないわ…」

 とはいえ、言えないことの一つや二つはもちろんある。

「あの人は、本心を隠して僕に近づいてきた。それで深く傷つけられた。けど彩音は出会ったあの日まで僕のことをろくに知らなかった。二年では隣のクラスであるにも関わらずだ」

「うん」

「僕は君のことが気になりだしたのは一年の夏頃からだった。アヤアヤの噂は聞いてたけど、ずっと気になってた君がまさか噂のアヤアヤとは思わなかった。実際に話しをしてみて、なるほどなと感じた」

 輝が気になりだしたのって、颯一そういちに告白されたあたりだったのか…。

「名前も知らないけど、この人ならもしかしてと思っていた。それでも僕は過去に囚われていて、あと一歩を踏み出せなかった。それでも勇気を出してあの学食での言い合いを利用して近づいてみたわけだ」

「そうだったんだ…」

「それで、そのまっすぐな姿勢でありながら、最初は僕を嫌っていた」

「やっぱり気づいてたんだ?」

 確かに知り合った当初は、輝に関する噂は美化されたいいことばかりだったけど、それだけにあたしは目の前の人をチャラ男扱いして、絶対好きになるものかと決めていた。

「だから、少なくとも僕をステータスとして見ることは無いとわかった。それでもっと近づきたくて、部活にも追いかけていった」

 やっと辻褄つじつまがあった。

 輝なりに、前へ進もうとしてたんだ。

 それを紘武は強く背中を押してくれた。

「ありがとう。話してくれて。心配されそうだから黙ってたけど、実はね…」

 茉奈まな埋橋うずはしさんには付き合ってることがバレたことを話した。

「そっか、キャンプファイヤーの点火をしたあの人が…あの場にいたのか。まあ、いつまでも隠し通せるとは思ってないからな。いいタイミングがあれば、お試し期間でも付き合ってることを僕から公言する。いいよね?」

「うん。任せる」

 覚悟はできている。

 知られた後、大勢の女子たちに迫られることは分かっている。

 けど輝がこうして勇気を出してあたしと一緒にいることを選んいでるのだから、あたしも勇気を出して輝と向き合う。

 もぞ…と輝が動いた。

 もっと近くに感じたい、と言わんばかりに足を絡めてくる。

 それが嬉しくて、あたしももっと密着したくて足を絡めて、抱きしめ直す。

 太ももにあたる固い感触が気になって仕方ないけど、いずれは…。

 脇腹あたりに違和感を覚えた。

 輝が背中へ腕を回してきたから。

「輝?」

 まさかこんな早く、あたしに触ってくるなんて…。

「風邪で弱ってるところにつけ込む形でごめん。でも、今は甘えさせて」

「ううん、あたしはいつでも甘えたいし、甘えられたいよ」

 あたしがわずらってるのは鼻風邪だから、咳はほとんど出てない。

 体がポカポカと暑いくらいなのは、風邪のせいだけではなかった。

 輝の顔が目の前にあるから、嫌でも意識してしまう。

 その唇を。


 そういえば颯一とは何度もキスしたっけ。

 別れを切り出されるときも、お互いの口に舌を差し込んで…。

 本気の付き合いにしてすぐに別れちゃったから、まだなんだよね。

 一度、颯一に着けられた心の火は、未だ消えずにいる。

 はっ!

 ダメダメッ!今は輝のことだけ考えなくちゃっ!


 輝とは二度、キス未遂したんだっけ。

 一度目は手芸部室で押し倒された姿勢で。

 二度目は屋上であたしが抱きついた時。

 このままキスしてみたい。でも風邪をこれで感染しちゃってもまずいよね。

 ぐるぐると考えていたけど、幸せな気持ちに浸りつつ、薬が効いてきたのかやがてあたしの意識は闇に落ちた。


 目が覚めたら、赤い光が窓から差し込んでいた。

「夕方…?」

 赤い光は輝の寝顔を朱く映し出しいている。

「体温は…と」

 目が覚めてすぐ脇に差した体温計がほどなく検温終了の音を出す。

「36度5分…ほとんど平熱に戻ったわね」

 隣で寝ている輝に抱きついて、幸せなひとときを噛み締めていた。

 このまま時間が止まってしまえばいいのに…。

 そんなことを考えながら、わずかな黄昏時たそがれどきを過ごした。

 おそらく紘武ひろむも知らないであろう、輝の本音を聞くことができた。

 聞いてる限りでは矛盾が無い。


「ほんと、ごめんね。一日中時間を使わせちゃって」

 外が暗くなって、玄関で輝を見送りながら、頭を下げる。

「気にしないで。ゆっくり彩音と過ごせてよかったよ。それに…」

「なに?」

 口ごもって、もったいぶっている。

 ニカッと笑って口を開く。

「彩音のかわいい寝顔、じっくり見られたし」


 カアッ!!


「もー出てって!!!」

 真っ赤になったあたしの顔を見られたくなくて、飛び蹴りで玄関から蹴り出した。

「あーもー…なんで輝はこう…」

 玄関のドア内側にもたれかかったまま、あたしは思いを巡らせる。

 たった今送り出し…じゃなくて蹴り出したばかりなのに、また逢いたくなっちゃった。

 ずっと一緒にいたい。

 帰ってほしくなかった。


 颯一とはこんな感じじゃなかった。

 どこまでも柔らかで、さっきみたいに蹴るようなこともない。

 どっちがあたしの自然体なのかはわからないけど、颯一のことも確かに好きだった。

 好きになった矢先に別れを切り出されて戸惑った。

 颯一に言われたことは確かにそう。

 彼と一緒にいても、いつでも輝のことを重ねていた。

 多分、気持ちが届いていなかったんだ。

 満たされない何かを、颯一はずっと考えてたんだろうな。

 輝のことが好きでもいいと言ってくれたけど、やっぱりダメだったんだよね。そんな中途半端な気持ちのままでは…。

 きっと輝よりも颯一への想いが大きくなって、本気になってくれると期待して…そう言ってくれたんだと思う。

「ごめんね…颯一…」

 胸の奥がチクッとする。

 人を…好きになれた人を傷つけた。

 それが何より辛い…。

 あたしはまだ少し熱っぽい感じがして、自室のベッドに潜り込んだ。


 翌日

「おはよう、茉奈」

「彩音~、おはよ~。それでむぐっ!」

 あたしはすかさず茉奈にヘッドロックをかけて、喋られないようにした。

「言っとくけど、何もなかったからね」

「ふぐっ!ふごっ!」

「あたしは風邪で寝込んでたんだから、期待してるようなことは何もないわよ」

 ポンポンとロックしてる腕を叩いてギブアップの意思表示をしている。

「あ、いじめだ」

 埋橋うずはしさんが教室に入ってきた。

「あんたが言わないでよ」

 冗談が通じるようになったからこそ言える減らず口。

「茉奈、なんで住所教えたのよ」

 ヘッドロックを解除して問いかける。

「だって面白そ~だったんだもん」

 こいつ…。

「何があったの?」

「昨日風邪引いちゃったんだけど、茉奈があの人にあたしの住所教えてね、あの人がうちに来たのよ」

「それは何よりの薬だったんじゃない?」

 ほんと、埋橋さんが輝に興味無くてよかったわ。

「嬉しかったのは確かよ。けどびっくりしたわ。起きたらそこにいたんだもの」


 気がついたら廊下が何やらざわついている。

「ええっ!?新宮さん、今日は休みなのっ!?」

 あら…輝に風邪が感染うつっちゃったのか…。

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