第31話:あきれられちゃったかな

 ぽすっ

 感極まったあたしは、思わず輝の胸に飛び込んでしまう。


 しまった!


 付き合ってること、内緒なのに…こんな恋人みたいなマネを…。

 部員の視線があたしの背中に突き刺さる。

 思わず固まってしまう。

 顔中にじっとりと嫌な汗が吹き出す。

 まずい…まずいよ…大ピンチッ!

「こらこら、マネージャー。いくら僕が戻ってきて君がラクできるからといっても、これはやりすぎだよ」

 あたしの両肩を掴んで引き剥がす。

 思わず顔を真っ赤にしてしまったけど、部員から顔を見られる角度ではない。

「あっ…あはははっ。そうだよねっ!ごめんごめん」

 焦った~…。

 輝がうまくかわしてくれたけど、もしここで輝が慌ててたらどうなったか…。

 前に「僕は調整はできるけど人の心を…」と言ってたけど、あれってこんな時でも冷静に計算してたのかな?


「早速だけど…」

 あたしの爆弾発言ならぬ爆弾行動をうまくかわした輝は、ボードに手で書き始めた。

「自分で作るものと期限を決めて、それぞれ制作開始。作るものと期限を決めたらコピーを提出。決まらない場合はこっちで作るものを決めます」

 あの役目、輝が戻ってこなかったらあたしがやってたんだよね。

 それぞれテーブルについて、制作物を考え始めた。

 もちろん、輝に相談する格好で女子部員が囲んでいる。

 最初はもっと騒がしかったけど、ずいぶん落ち着いた感じになっていた。


「ねえ、彩音さん」

「部長…]

 こっそりと隣で話しかけてきた。

「仲直りできたみたいね。何があったか知らないけど」

「別にケンカしてたわけじゃ…」

 そう。ケンカなんてものではない。

 あたしが輝に避けられてただけ。

「それで、あっちとは何かあったんでしょ?」

 いつの間にか颯一そういちが来ていた。

「…実はね…颯一とは別れちゃった」

「そう、やっぱりね。明らかに態度が違うもの」

 聞かなくても分かってたんだ。

「文化祭という山場は乗り切ったけど、くれぐれも個人的な事情で部の空気を悪くしないようにね」

「わかってるわ」


 向こうでキャイキャイと女子部員に囲まれてる輝を見ていると、胸の奥にモヤモヤしたものを感じる。

 わかってる。

 もしあたしが輝の彼女だと知られたらどうなるか。

 わかっていて、覚悟して、それでも輝のそばにいると決めた。


 けれどもあたしの颯一への想いはまだ冷めない。

 一度火が着いた気持ちというのは、そう簡単に消せはしない。

 どこまでも柔らかな颯一の優しさに触れた。それがあたしの気持ちに火を着けた。火が着いた矢先に、颯一は別れを切り出してきた。

 その想いはまだあたしの心でくすぶっている。

 どうしてこうもうまくいかないんだろう…。

 輝とはずいぶんこじらせて付き合えることになったけど、しばらくは内緒。

 仮に付き合ってることをバラすなら、大勢の女子を相手にする覚悟をしなければならない。もちろん、この部員たちとも…。

 輝に心配された時は大丈夫と言ったけど、実は…怖い。

 今でも追っかけ女子が輝の…隣のクラスに来て眺めている。

 あたしが輝と付き合ってるって知られた時、あの人たちにどう思われて、どんなことを言われるのだろう?

 もしバラす時、輝はどうするんだろう?

 何か考えてあるのかな…。


 部活が終わり、備品チェック担当に戸締まりを任せて部室を後にする。

 部長は先に帰って、副部長とマネージャーの組み合わせで部室を簡易な点検をしてから帰るため、みんなとは帰る時間がずれる。

 必然的に二人並んで帰るわけで…。

 一度は諦めた輝の隣。

 今はお試しではあるけど、恋人として側にいる。

「でね、茉奈まなったら埋橋うずはしさんと一緒にいることが多くなって、あたしよりいい感じになってるくらいなのよ」

「そんなことがあったんだ。確かに茉奈って、時々人が変わったみたいに迫ってくることがあったな」

「知ってたの?」

「僕は前に茉奈から彩音との関係を問い詰められてね、その様子を見る限りは虐められてたなんて信じられないくらいの迫力だった」

「ええっ!?輝に迫ってたのっ!?」

「ただ、茉奈の言うことは最も過ぎて、何も言い返せなかった。その時に僕が退部するつもりだったことを言ったけど、あの一言はきつかったよ」

「あの子…何を言ったのよ…」

 スイッチが入った茉奈は本当に心配。

 傷つけようが嫌われようが構わない勢いだから。

「僕みたいな不誠実な男を、彩音が選ばなくてよかった…と」

 あぁ…しっかりスイッチが入っちゃってたのね…。

「それも言い返せることはなかった。彩音を吉間きちまに取られたことを後悔しても遅かった」

 後悔してたんだ…?

 もしかして颯一そういちと付き合い始めた頃に輝が荒れてたのって…?

「なんか…ごめんね。茉奈って悪い子じゃないんだけど、勘がすっごく鋭くて時々グサッとくることを言うのよ。あたしも困ることがあるわ」

「彩音が困るレベルの口撃こうげきか…凄まじいんだな」

「もう凄まじいなんてどころじゃないわよ。もはや口害こうがいだわ」

 あたしはげっそりしながら言う。

「でも仲いいんだろ?」

「まあね。高校に来て最初の友達だし」

「女子ってすぐ打ち解けて一緒にいる印象が強いけど、そうじゃないのか?」

「知ってのとおり、あたしは周りから避けられてるのよ。なんでもズバズバ言うようにしてるから。茉奈みたいに口撃的なことは言わないようにしてるけど」

 とはいえ、最近ではになりさんや埋橋うずはしさんという理解者も出てきてはいる。

 部活内でも前みたいに敬遠されることは無くなった。

 文化祭が手芸部にとっては最大の忙しさに見舞われるイベントで、無事におわって一安心。

 輝とも付き合えることになって、色々といい方向に向かってる。

 とはいえ難しい問題は山積み。

 颯一そういちとの接し方はまだ距離感が掴めないし、輝と付き合ってることは秘密だし、バラした後のことはノープランだし、肌の触れ合いが無くて寂しい思いをしてる。

 そもそも半年のお試しだから、新学年の頃には期限が来る。お試し期間が終わってからはどうなるやら…。

 ゆかりさんの件もまだ解決したわけじゃないと思う。

 あたし一人じゃ、絶対に輝とお試し交際することすらできなかった。

 これら全部のことは紘武ひろむが鍵になりそうな気がする。

 最初は邪魔ばかりしてきて嫌な人って思ってたけど、輝のことをほぼ把握してて、そのうえで最善の結果になるよう裏で動いてきていたみたい。

「彩音、今度の日曜は予定空いてるか?」

「え?うん。空いてるけど」

 ふわっと輝の顔がほころぶ。

「よかった。なら一緒に行きたいところがあるんだ。いいかな?」

 それって…デートッ!?

「うんっ!行こっ!」

 ぱあっとあたしの顔が華やいで、二つ返事で答えた。

 お試しは半年。

 少しも無駄にしたくない。

 絶対にあたしと一緒にいてよかったと思わせて、離れられなくしなきゃ!


 待ち遠しくて仕方ない、楽しみにしていた日曜がやってきた。

 今日は輝と恋人(お試し)としての初デート。

 朝早く起きて、濃すぎない程度にお化粧して、可愛い色の子供っぽくはないヒラヒラした服でバッチリおめかしして、髪もしっかりセットを終えて、ウキウキと待ち合わせ場所へ向かう


 はずだったのに…。


 なぜか待ち合わせ時間になってもあたしはベッドに潜っている。

 ピピピッ、ピピピッ。

 体温計を取り出して、液晶の表示を見る。

「37度8分…」

 見事に、狙いすましたかのように風邪で倒れてしまった。

『ごめん輝。風邪ひいちゃったから、今日は行けない。逢いたいよ…(T-T)』

 と、朝にLINEを送って、スマートフォンを枕元に置いてある。

 しくしく…初デートのはずが…いきなりこれとは…。

 土曜から何か不調な感じはしていた。

 だから早めに寝たけど、日曜の朝起きたらこれだった。

「彩音。お昼置いとくからね。冷蔵庫におかゆと消化のいいおかずがあるから、それ温めてから食べて。夜には帰ってくるから」

「わかった…」

 お母さんの声に返事する。

 初めて明かされるうちの家族構成だけど、母は接客業だから日曜にも仕事で出ていく。

 父は単身赴任。それほど離れてないけど、通勤は片道3時間と遠いから職場近くまで引っ越していて家にいない。

 妹はいるけど、出掛けていることが多い。今日も朝からフラッとどこかで出ていったようだ。

 傍から見ると母子家庭に見えるだろう。

 ちなみに母はアパレルの仕事をしていて、裾上げや袖詰め幅詰めなど、裁縫の腕は確か。あたしが手芸部に入ったのも母の影響が強いことは言うまでもない。


「ただいまー…と言っても誰も…?あ、お姉ちゃんがいるんだ?」

 妹はフラッと戻ってきて、玄関の靴を見て悟った。


 ピンポーン


「はーい」

 妹は家に入ってすぐ、誰か押した呼び鈴に反応した。


「ん…」

 ふと目が覚めた。

 今、何時だろ…?

 枕元に置いてあったスマートフォンを持ち上げて時間を確認する。

「11時か…輝とのデート、残念だったな…」

 体温計を脇に挟む。

 こうして目を閉じると、輝の顔が浮かんでくる。

 目を開けて、横を見ると輝の顔があった。

「はは…あたしまだ夢の中にいるんだ…」

 いるはずのない顔がそこにあって、まだ寝てることを自覚する。

「彩音、大丈夫か?」

「うん、今日寝ていればなんとかなると思う。体温は…と」


 ピピピッ、ピピピッ。


「37度5分。少し下がってはきてるみたい」

「そうか。早く彩音の元気な顔を見たいな」

「あたしも夢の中じゃなくて、現実で逢いたいな」

「ははは、寝ぼけてる彩音も可愛いや」

「もう、からかわないでよ」

 あたしは夢の中で輝の顔に手を伸ばして…

「はは…あったかい」

「彩音の手は熱いな。風邪のせいかな?」

 やたらとリアルな感触の顔を触りながら、あたしは気持ちがほっこりする。

「夢にしてはすごくよくできて…」

 そこで手を止める。

 あれ…?


 …………………………………。


 夢じゃ…ない…?

 え?でも輝ってあたしの住所知らないはず…。

 けどこの確かな感触は…。

「ええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーっ!!!?」

 ガバっとベッドから飛び起きて、あたしは熱でフラッと倒れ込む。

「大丈夫かっ!?彩音っ!!」

 慌てて輝があたしの肩に手を添える。

「ちょっとまって!なんで…なんで輝がいるのっ!!?今日は逢えないはずだし、家には誰もいないから入ってこられないし、そもそもなんであたしの住所がっ…!?」

「落ち着いて」

 取り乱すあたしをなだめに入る。


 輝の肩を借りて、再びベッドに伏せるあたし。

「住所は茉奈に聞いた。ここは妹さんに入れてもらった。妹さんはまた出かけてる」

 なんでもテキパキとこなす輝らしい端的かつ的確な答えだった。

「…はい?」

 いつもフラッと出てって夜までほっつき歩いてる妹が帰ってたんだ…珍しい。

 ちょっとまて…茉奈に聞いたってことは…明日学校でまた暴走するんだろうな…。

 妹はマイペースで、我関せずな姿勢だからともかくとして。

「なんで…来たの?風邪、感染っちゃうよ…?」

「彩音が逢いたいって言ってたろ?」

 確かに、あたしはそうメッセージを送った。

「だからって…」

「それに…僕も彩音に逢いたかった」


 ドキンッ!!


 心臓が飛び出しそうになりながら、あたしは顔を真っ赤になった。

 ぼふっ

 布団を深くかぶって、真っ赤になった顔を見られないようにする。

「どうしたんだ?」

 言えない…照れた顔を隠したいなんて…。

「もしかして、具合悪くなった?」

 違う…ただ恥ずかしいだけ。

「…そろそろお昼だな。台所借りるよ」

 輝が立ち上がった。

「あっ、いいよ。あたしが自分でやる」

 ガバっと起き上がって輝を止める。

 しかし足元がおぼつかず、その場でへたり込む。

「ほら、無理でしょ。寝てて」

「ごめん…冷蔵庫にあたしの分があるんだけど…輝の分は…」

「そうか、使っちゃダメなものはある?」

「…お母さんの使う分はよくわからない」

「ならいいや」

「よくないっ!」

 あたしは部屋から出ていく輝を止めようとしたけど、熱で思うように動けない。

 パタン

 ドアが閉められ、追いかけるのを諦めてベッドに潜りこんだ。


「彩音、これは食べてもいいものか?」

 輝はカップ麺を持って戻ってきた。

「それなら多分…」

「ならいただくよ」

 ドアが再び閉められて、輝は台所へ向かう。


 数分して、輝はあたしの分のお粥とカップ麺を持ってきた。

「ほら」

 ほどよく温まったお粥を、輝はあたしに食べさせようとする。

「いいって。自分で食べるから。輝は麺が伸びちゃうよ」


 輝は床に置いた小さなテーブルで、あたしはベッドで食べていた。

「ほんとに、ごめんね。せっかくの初デートがこんなになっちゃって」

「………」

 食べてるからか、返事をしてくれない。

 気まずく感じてしまう。

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