第21話:あきらめなくてよかった

 ひかるの目つきが少し変わった。

 あたしが少し強い口調で迫ったからだろう。

「どうした?」

 このままじゃ彼は手芸部を辞める。

 引き止められるとは思ってないけど、何もせずに引き下がりたくもない。

「輝、言ってたわよね?あたしの理想とする手芸部の姿をどうしたいかって」

 入部届を持って入ってきた輝を追いかけて入ってきた女子たちが騒いでいて、部活の体を成していないことに苛ついていた頃に、輝が壁ドンして迫ってきた時の言葉。

「十分に役目は果たしたと思うが」

「果たしてないわよ。これで輝が辞めたらどうなるかくらいは分かるでしょ?」

 輝を追いかけて入ってきた部員もほぼ残らないと、あたしは見ている。

「その要求は達成期限も維持期限も決めてない。あの時そう言ったろう?ならばいつどうなっても僕の勝手だろ」

 そう。言うとおりだった。

 けど、逆を返せば、あたしも自由に決めて良いことになる。それでもあたしが期限を伸ばしたところで聞くとは思えない。だから…。

「逃げるつもりなの?」

「僕に言ったこと、忘れたの?」

「あたしが言ったこと、忘れちゃった?」

 あたしたちの会話は、もはや禅問答ぜんもんどうのようになっている。

「言ったわよね、一番楽な退部になんて絶対させてあげないって。ここで退部になんてさせてあげないわよ」

「僕は責任を果たしたつもりだ。副部長になって、一人ひとりが作品造りに打ち込むようにした。現実としてできていると判断した。これ以上何を望むんだ?」

「これで輝が退部して、それが続くと思ってるのっ!?無理よ!」

「何を言われようと、もうやめにする。僕の役目は終わりだ」

 ダメだ…。

 もう引き留められない。

 決意が固い。

 いや、輝の心が折れてしまったと解釈するべきなのかもしれない。


 もう言葉を尽くしたあたしは、ただ黙って輝の背中を見送るしかなかった。


「ねぇ、彩音さん」

 輝が行った後でふと声をかけられた。

 振り向くと、そこには茉奈にいたずらしていた女子がいた。

「何?埋橋うずはしさん」

「一つ頼みたいんだけど、茉奈ちゃんの手帳カバーを預かってきてくれないかしら?」

「今度は茉奈に何をやるつもりよ?」

 あたしは厳しい目線を送る。

「わたしのうち、しみ抜きの内職をしてて、あの布カバーのらくがきはなんとかなるかもしれないの」

 これは初めて知った埋橋さんの家庭事情だった。

 もし本当に戻せるなら茉奈にはいいんだろうけど…。

「イヤよ」

 はっきりと断った。わずかに目を見開く埋橋さん。もちろん断ったのには明確な意図がある。

「わたし、あれから反省したの…。茉奈ちゃんと仲良くしたくて一年の頃から話しかけてたけど、全然心を開いてくれないから…ついちょっかい出してたんだけど、どんどんエスカレートしちゃって…引っ込みつかなくなって…」

「だったらそう茉奈に伝えればいいでしょ?あたしを使っても意味は無いわ。今までのことを謝罪して、誠意を見せればきっと茉奈は心を開いてくれるわ。そのうえで預かればいいでしょ?」

 言葉を失った埋橋さんを置いて、あたしはその場を離れた。

 それにしても茉奈にはびっくりしたわ。

 あの激しさはあたしでもひるむ。


 文化祭を明日に控え、放課後に事件は起きた。

「よし、なんとか仕上がったわね」

 依頼のあった衣装はすべて完成して、各クラスへ配り終わった。

 日は傾いていて、そろそろ部活終了の時間。

 けど明日に控えた文化祭当日前だから、今夜は学校内で朝まで目一杯使える。

 手芸部の展示は去年の飾り付けがそのまま残っているから、おそらく一時間もあれば終わるはず。

「さあみんな、展示に取り掛かって!」

 部長が声を上げて、部員が動き始めたそんな時…。


 ジリリリリリリリリ!


「何が起きたのかしら?」

『校内の生徒へお知らせします。只今本校舎三階にて火災が発生しました。各教室に先生が向かいました。先生の指示に従い、落ち着いて避難してください。繰り返します…』


 ウー!カンカンカン!ウー!カンカンカン!


 ほどなく、消防車の音が迫ってくる。

「火事!?」

「嘘でしょ!?」

 一気に騒然とする部室。

 不安な空気に包まれ、部員は今にも部室を飛び出しそうになっている。

「落ち着いて!ここは二階よ!三階の火災ならすぐには火や煙は来ない!顧問の先生を待ちましょう!」

 一瞬、部室はシーンとなる。

 しまった!思わずいつものノリで、あたしは大声を上げてしまった。

 部活では部長、副部長、になりさん、颯一くらいしか理解者はいない。

 ただでさえ輝から贔屓ひいきされてて部員からはよく思われてないのに。

 部員の視線が痛い。

 傷つく言葉を浴びせかけられることを覚悟したその時…。

「そっか、そこまで慌てる必要はないわね」

「落ち着いて行動しましょ」

 口々に聞こえ始めたのは、あたしの呼びかけに同調するようなことばかり。

 侮蔑ぶべつの言葉を覚悟していたから、肩透かしを受けた気分になる。

「みんな!顧問の先生を探してくるけど、もしここまで煙が入ってきたら落ち着いて東階段からゆっくり避難してね!」

 部長が指示を出して部室を後にする。


 何が…起きたの…?

 あたしのことをよく思ってる人はいないはず。

 小さい体だから、舐められないよう強気な態度でいたら、今度は煙たがられる様になっていて…。

 煙たがる人からはアヤアヤと呼ばれるようになって、つい反発してしまう自分に少し嫌悪してしまう自分もいる。

「どうも彩音のこと、見直してる人が出てるみたいよ」

「えっ!?」

 不意に耳打ちしてきたになりさん。

「いい傾向じゃない」

 と言って、あたしに軽くウインクする。


 消防車が校庭に入ってきて、まもなく鎮火が確認された。

「彩音さんがみんなを鎮めてくれたからスムーズに避難できたわ」

「つい大声をあげちゃって、みんなに引かれたかと思ったわよ…」

「そんなことないわ。彩音さんを見直してる人が多いわ」

 避難したおかげで、すっかり日が落ちてしまった。

 外を見ると真っ暗になっている。

 展示の準備を進めている時に、部室のドア向こうに人影が現れた。


 コンコンコン


「はい、どうしましたか?」

 部長が対応を始める。

「…うーん、もう間に合わないわね」

「そんなっ!ここまで準備してきて、せっかくみんな張り切ってるのにっ!」

 何やら揉めているらしい。

「どうしたんだ?」

 輝が部長と来客の対応に割り込んでいった。


 しばらく立ち話をして、来客の生徒はしょんぼりして帰っていった。

「部長、何があったの?」

 気になって仕方なかったあたしは部長に話しかける。

「それが、さっきの火災で作った衣装が燃えちゃったらしく、もう一度作ってと来たのよ。けどもう生地がないし、時間も無いから断ったの」

 さっきの火災…衣装が燃えちゃったんだ…。

「どの出し物?場合によってはなんとかなるかも」

「無理よ。天界喫茶で、天使の衣装10名分だから白い布が大量に必要よ。今から生地を買いに行ってもお店はもう閉まるから間に合わない」

「白い布があればいいのね?サイズ表はどこ?」

「やめておきなさい。絶対間に合わないから」

 部長が止めに入るけど、あたしは構わない。一人でもやるつもりだから。

「いいから貸して」


 押し切る形でサイズ表を受け取り、あたしは校舎を駆ける。


「マネージャー、どうしたんだ?」

 輝が部長に話しかける。

「彩音さんがさっきの件、なにかやろうとしてるのよ。仮に布がどうにかなっても、あたしは展示が終わったら帰るつもりよ。だからやめておくよう言ったのに…ただでさえ連日の詰め込み気味なスケジュールでみんな明らかに疲れてる。せめて前日くらいはゆっくり休んでほしいのよ。もちろん彩音さんにも…」

 苦々しく言い終わると、展示の作業に入った。

 輝は黙って部室を出ていく。


「これで展示もだいたい終わりね」

「結局彩音さん、戻ってこなかったけど、何かあったのかしら?」

 部長と話をするになりさんは、部室のドアを見る。

「副部長もどこへ行ったの…」

 部長が言い終わるより前に


 スパーン!


 はあっ!はあっ!はあっ…!

 あたしは肩で息をして、荒々しくドアを開けて部室に転がり込む。

「白い布…用意したわよ…!」

「彩音さんっ!?」

 ツカツカと展示をほぼ終えた部室に入って、持ってきた白い布を展示途中の机に積み上げた。

「みんな、展示を手伝えなくてごめんっ!けどあたしはやり遂げたいっ!みんなのおかげで校内の衣装制作依頼をすべて終えられたわっ!さっきは不幸な火災事故で制作を終えた衣装を燃やしてしまったクラスが出てしまった!文化祭を成功させるための衣装制作はまだ終わってないわっ!!だからやり遂げたいっ!!お願いっ!!みんな力を貸してっ!!」

 時計はもう9時を回っている。

 部員は総勢の半分もいなくてまばらな状態。

 颯一そういちはバイトで先に帰っていた。

 部員同士は顔を見合わせて、視線を泳がせるものもいた。

「彩音さん、あなたの熱意はとても良くわかったわ」

 冷静な目線を送る部長。

 そこに燃え上がる情熱というものは感じられない。

「けどね、みんな疲れがピークに達してるの。連日の納期ラッシュに合わせようとかなり無理をさせてきたわ。もう遅い時間だけど、せめて今夜くらいはゆっくり寝かせてあげたい。だから…」

「いいわよ…ならあたし一人で残って、意地でも仕上げてみせるわっ!!」

 何と言われようとも、引くつもりは一切ない。

 決意を秘めた目を見た部長は、ため息をついて

「そう、あなたには結果だけじゃなくて、部員の体調も考えられるようになっていることを期待してたわ。なりゆきでマネージャーになっただけとはいっても、立場にあった判断ができなければ人の上には立てないわよ」

 あたしに背を向ける部長は

「みんな、今日はすっかり遅くなっちゃったけど、すぐ帰ってゆっくり休んでちょうだい。明日の文化祭でまた会いましょう」

 部長が号令をかけると、部員はそそくさと帰り支度をして、部室を出ていった。

「彩音さん、ごめんなさいね」

 賀さんがこっそり耳打ちしてきた。

 積み上げた白い布を手にとって、布を机に戻す。

 ………いいわよ、一人でも…やるんだから…。


 部長を始めとしてゾロゾロと昇降口に向かう部員たちは、連日詰め込んだ疲れのせいか口数少なく昇降口へたどり着く。

 賀さんがふと、足を止めた。

「どうしたの?賀さん」

「彩音さん、どうやって布を集めたのか…考えたの」

「どういうこと?」

「あれ、多分だけど学校のカーテンよ。文化祭に備えて外したものだと思う」

 それを聞いて、考えて黙り込む部長。

「そうだ。あれは外したカーテンだ」

 賀さんの言葉につなげてきたのは、男の声だった。

「副部長…」

 壁の影から姿を現したのは輝だった。

「マネージャーは学校を駆け回って、カーテンを使わせてもらうよう先生たちに掛け合っていた。先生はその熱意に負けて、責任は取るから持って行けと言わしめた」

「今までどこに行ってたの?」

「何かあった時のフォローをしようと思ってたが、必要なかった。僕は調整は得意だけど、人の心を動かす熱意というものはどうも欠けていてね、あれだけまっすぐな気持ちをぶつけられて心を動かされない人は、恐らくいない」

 クルッときびすを返して背を向ける輝。

「どこへ行くの?」

「衣装制作を手伝ってくる。他の部員がいるなら僕は手を動かすなと言われてるけど、マネージャーの腕は確かだ。僕が口を出す必要はない。あの約束は反故ほごにさせてもらうよ」

 その背中を見送る部員たちは複雑な顔をしていた。


「さて、早くやらなきゃ…」

 一人になった部室で、借りてきたカーテンの採寸を開始する。

 もちろん、このカーテンは返すことにしている。

 とはいえ一度切ってしまう以上、完全に元通りにはいかない。

 後日、サイズに合う布を用意してカーテンを作ることで話がついている。もちろん、その費用は天界喫茶もち。

「徹夜してでも間に合わせるわ」


 スラッ


「徹夜までする必要はない」

 ドアが開け放たれ、聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。

「輝…何しに来たの?」

 部室に足を踏み入れ、あたしの作業台近くで足を止める。

「手伝いに来た。他の部員がいれば僕は手を動かしてはダメだけど、マネージャーだけなら話は別だ」

「いいえ、あなたには引き続き制作進行の管理をお願いするわ。これだけの人数だもの」

 輝は振り向きもせずに目線だけをわずかに後ろへ向ける。

「みんな…」

 さっき帰ったはずの部員全員…部長まで部室に戻ってきていた。

「さあ、ぼーっとしてる時間なんて無いわよ。さっさと作りましょう」

『はいっ!』

 部室に戻ってきた部長と部員たちの声が窓ガラスさえ震わせた。

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