57

 午後八時、最後のお客様を見送り店を閉めた。掃除に追われる私達、鳴海店長はレジを締め、一日の売り上げをパソコンに入力して、現金の集計をし、合算を確認すると現金を銀行の夜間金庫専用バッグに入れた。あとは夜間金庫に預けるだけ。


 諸星はシャンプー台の清掃をしている。


 時刻は午後九時になり、私はみんなが着替えたあと、一人でロッカールームで着替えを済ませる。


 足は棒のようだ。

 一日でヘトヘト。


 ロッカールームでへたりこんでいると、不意に香坂がドアを開けた。


「なにしてんだよ。帰るぞ」


「はい」


「あっ、そうだ」


 香坂は私の顔にヌーッと顔を近付けた。鼻先が擦れ合う距離だ。


「ハァーって息吐いてみろ」


 意味わかんない。

 これはセクハラ? パワハラ?


「ハァーって吐いてみろよ」


 ド変態! 鬼畜! ケダモノ! 場所を弁えろ。


「な、なんですか」


「キスの味は相手によって違うと言ったはずだ。今お前とキスすると、ニンニク臭いのかなって、ふと思っただけだよ」


「し、失礼ね。昨日何度も歯磨きしたし、口臭スプレーを何度もシューシューしたんだから、今キスをしてもニンニクの味なんてしません」


「そうか? じゃあどんな味?」


 私の鼻先でクンクン臭いを嗅ぐ香坂。やな性格だな。


 唇が近過ぎて、鼓動のリズムが乱れる。


「し、試食はお断りですから。お引き取り下さい」


「は? 試食? プッ、お前の唇なんて食わねぇよ。ほら、帰るぞ」


 香坂は私からスッと離れロッカールームを出る。思わず両手で口の周りを拭う。


 キスされるかと思った。


 香坂が私にキスするわけないのに、ドキドキしている私は、どうかしてる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る