第七章 訐揚(ケツヨウ)  12 日比野

「な、何てことを!?」

 日比野は、突然ありもしないことを第三者に言われてしまっただけでなく、女子に腕を組まれたというはじめてのシチュエーションに混乱していた。

 取りあえず、組まれた腕を振りほどこうとするが、千里の力が異様に強く、振りほどくことができなかった。しかも、ここは若者で賑わう店内。気付くとこちらに視線が集まっていた。

「嘘? マジで? いつの間に付き合ってるの!?」

 優梨は、目をしばたたかせている。

「今日からでーす!」笑顔で千里は言う。

「まだ、付き合ってない」日比野は苦し紛れに否定する。

「と言うことは、いずれは付き合うのかな?」今度は白石が茶々を入れた。しまった。失言だったか。

「だって、もう二回もデートしてるんだよ。はるばる沖縄から来てる時点で、私の気持ち悟って欲しいのに、いつまで経っても五郎くん、好きって言ってくれないから、いま付き合うことに私決めましたぁ!」

 もう何とでもなれ。日比野は捨て鉢な気分になったが、勝手に宣言されて、却ってすっきりした。好きだと言えないところ、情けない男に違いないが、千里の言うとおり、放置しておけば日比野からは告白できなかったろう。強引だが、こうされてしまった方が良かったかもしれない。

「おめでとう!」優梨は祝福する。

 大会中に、影浦によって日比野と千里の関係性は看破されてしまったので、ある意味良かった。ここではじめてカミングアウトされるよりは、いろいろと衝撃が少ない。


「あ、お邪魔してごめんなさい。席探そうか?」

 千里は、混雑している店内を見回した、

「あっ、桃原さん」白石が千里を呼び止めた。「それから、日比野くん。いまさらだけど、知力甲子園に巻き込んでしまってすみません」

 白石はこちらの方を向いて、深々と頭を下げた。

「いろいろ事情は聞いてます。でも、私は、いちばん輝いていたあのときに戻れたんだから、楽しかったよ」

 千里はにこやかに答えた。たぶんこれは社交辞令による作り笑いではないだろう。千里は続ける。

「あと、署名運動の件も日比野くんから聞きました。私も協力するから」

「ありがとうございます」そう言ったのは、優梨だ。


「じゃあ、今後ともよろしくね」

 まさかこんなところで、『トリコロールの才媛』が再び相見あいまみえるとは思っていなかった。しかし、大会中のような遺恨はなかったので、ほっと胸をろした。


 しばらく、店内で日比野は千里と談笑した。

 いまさらながら、不思議と千里とは話が弾む。お互い知識欲が強く、相手が知らない情報を提供して、たたえ合う。そんな一風変わった会話内容だが、日比野自身はそれが楽しいと思った。


 そんなことを思っていると、千里が急に口を開いた。

「さっきは、唐突に、大城さんたちの前であんなこと勝手に言ってごめんなさい」

「……ああ。大丈夫だよ」もう終わったことなので日比野は気にしていない。

「で、まだ、私の告白に対する五郎くんの回答を聞けてないんだけど」

「え?」

 千里の思いがけない言葉に、日比野は目を見開く。

「正式に、私と付き合ってくれませんか?」

 急に胸が高鳴る。当然日比野にとって人生ではじめてのこと。しかも、お相手は優梨や白石に匹敵するほどの麗女だ。

「い、いいのか?」

「だ、だって、五郎くんは優しいじゃん。二年前、私が飛び降りようとしたときに、助けてくれた。看病もしてくれていたし、あの時から実は好きだったんよ。沖縄に行くとき、日比野くんと離ればなれになるのはかなり心残りだった。蘇芳薬科でも、そりゃ私くらいの美人は珍しいから、いっぱいコクられたよっ。でも、好きな人がいる、って無下に断ってるうちに、態度悪い女みたいな噂広まって男友達どころか女友達までいなくなっちゃったんだけどね。もう! 変な話させないでよ。ほら! YESなの? NOなの? ビシッと男らしく答えてよ!」

「よ、喜んで。お、俺で良ければ、お願いします」

 低い声で、日比野はこうべを垂れた。

「60点。まぁ、ぎりぎり及第点だね」

 千里は破顔しながらそう言うと、突然俯いて声を震わせた。

「……でも、ありがとうね。こんな私だけどよろしくね……」

 千里は涙目になって、日比野の手を握った。日比野五郎に、人生ではじめて恋人ができた瞬間である。とても柔らかな手の感触だった。

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