第四章 譎詐(ケッサ) 6 優梨
優梨は目を疑わざるを得ない四枚のヒント(うち一つはミスリードヒント)を見て、素頓狂な声を上げてしまった。
そのヒントは『fish』、『circle』、『soil』、『soil』。
まさかの『soil』という英単語が二つ占め、貴重な情報枠を一つ奪ってしまっている。『soil』とは、日本語で『土』とか『土壌』という意味だ。ということで並んでいるヒントを和訳すると『魚』、『円』、『土』、『土』である。さっぱり意味が分からない。
そもそも、この『soil』は正しいヒントなのか。それともミスリードヒントなのか。
正しいヒントなら、『fish』、『soil』、『soil』、あるいは『circle』、『soil』、『soil』となる、ますます意味が分からない。
ミスリードヒントなら『fish』、『circle』、『soil』で『魚』、『円』、『土』となるが、これはこれで分からない。円形の土に関する魚って何だ。
しかし、三枚のヒントを見た平野は大いに驚いていた。ということは、三つの正しいヒントのうち『soil』が二つを占めていて混乱していたのか。ついでに言うと、二つの『soil』の筆跡は影浦と陽花のものっぽい。『fish』がミスリードヒントというのは、少し考えにくい。
ということは『fish』、『soil』、『soil』が正しいヒントとなるのか。よっぽど土に関係する魚か。ぱっと頭に浮かんだのは『ドジョウ』だ。しかしその場合『circle』というミスリードヒントが、何を意図して提供されたヒントだろうか。
何気なく『魚』、『円』、『土』、『土』と漢字で四つのヒントを書き連ねてみた。そのときある単語が思い浮かんだ。閃光が頭の中で走ったのだ。
「あー! なるほど!」優梨は思わず大きい声を上げた。「もー! 危うく気付かないところだったじゃない!」
これなら、『circle』がミスリードヒントなのも分かる。
タイムアップの時間が迫ってきている。優梨は解答を書き終えた。そして、銅海の解答者、川島も書き終えたようだ。
三塩アナウンサーが大きな声でシンキングタイムの終了を告げた。
「タイムアップ! では、滄洋女子高校連合チームの大城さん、解答オープン!」
「①サケ、②サバ」優梨はパネルをオープンにした。
「では、銅海高校チームの川島くん、解答オープン!」
「①ニシン、②サケ」
「両者、解答が分かれました! では正解は──!?」
数秒間の溜めが入る。いざ自分の番となるといっそうもどかしい気持ちになる。
モニターに表示されるとともに三塩アナウンサーの大きな声で正解が告げられる。
「『salmon』、『サケ』です! 滄洋女子高校連合チームが二ポイント、銅海高校チームが一ポイント! 滄洋女子高校連合チームがAブロックの決勝進出決定です!」
その結果を聞いた、優梨ら五人が集まってハイタッチを交わす。
「さすが、優梨!」陽花は大きな声で優梨に抱きついてくる。
「滄洋女子高校連合チームの大城さん。どうしてこのヒントで分かったんですか?」
「これは、四つのヒントが『fish』、『circle』、『soil』、『soil』で『魚』、『円』、『土』、『土』です。この『土』がわざわざ二つあるのは何でだろうと思ったときに、実は漢字を表しているのでは、と思いました。つまり『円』がミスリードヒントと仮定すると、魚に土が二つ、つまり
「す、すごい。大城さん。そして、ヒント提供者もそうだけど、ミスリードヒントを出した平野くんも、それを読んでいたんですね。こんな短時間に閃いて、ハイレベルな頭脳戦を繰り広げていたのですね!」与那覇は少し興奮ぎみに語る。
「そして、惜しくも②に『サケ』と書いた川島くん。どうしてこの答えに行き着いたのですか?」
「いやー、日比野くんにやられました。『spawn』、『sashimi』、『canned』、『grill』とあって、訳すと『魚卵』、『刺身』、『缶詰にされた』、『焼く』で、『サケ』か『ニシン』で迷いました。でも『缶詰』が敢えて出てきているので、シュールストレミングのことを言っているのかなと思って、『ニシン』を①番に書いてしまいました」
なるほど、と優梨は思った。シュールストレミングと言えば、世界一臭い食べ物として有名なニシンの缶詰である。『spawn』、『sashimi』、『grill』だけだと、確かに『サケ』を思い浮かべやすいかもしれないが、『canned』でミスリードして、『サケ』と答えさせる確率を下げたのだ。
完璧ではないかもしれないが、日比野も平野も相手の意図を読んで、最大限のミスリードヒントを提供した。あとは、解答者の運に委ねられただけだ。しかし、影浦たちの出したヒントは非常に絶妙だと感心せざるを得ない。一歩間違えれば、優梨自身もヒントの意に気付けなかったかもしれない。突飛なヒントでも分かってくれるだろうという、信頼関係に基づいて勝負に出た結果だと言えよう。
気付くと、平野は目頭を押さえている。
「平野くん、泣いている?」与那覇が声をかけた。
「……んなこと……ないです」と、強がる声は震えていた。
正直、滄洋女子高校連合チームが勝って、銅海が負けたのは、紙一重の結果だと思う。勝敗が逆になっていた可能性だっていくらでもあった。
知力甲子園とは無情なフィールドである。どれだけ努力して力を付けても、運に見放された者が泣きを見る。
どうしても優劣を付けなければならない、その運命を分ける境界線が、時の運なのだ。まさしく、高校野球の甲子園のようだ。
「日比野! これを受け取れ!」
平野は泣いているのを何とか
どうやら、鉢巻きをポケットに忍ばせていたようだ。そこには『必勝 銅海』と、マジックでお世辞にも綺麗とは言えない字で書かれていた。
「これをお前に託す! お前が銅海高校の俺らの遺志を継いで、絶対優勝してくれ!」
最後は力強く日比野に告げた。
「分かった。優勝しよう」
日比野も静かながらもはっきりとした口調で応えた。日比野はそっと受け取った鉢巻きを、制服のポケットに忍ばした。
隣では同時進行でBブロックの試合が進んでいる。
Bブロック第一試合は千里率いる蘇芳薬科大附属高校チームと千葉県代表の銀座学園幕張高校チームで、蘇芳薬科大附属高校チームが勝利した。
試合の過程は分からないが、千葉県でも一、二を争う名門高校を一対一の勝負で打ち破っている。
おそらく、高校の偏差値だけで言えば銀座学園幕張高校の方が上であろうが、千里らの頭脳は相手の精鋭達の頭脳に勝ったのであろう。やはり強い。彼女はそのままの勢いで決勝まで勝ち進むのだろうか。
一方で現在行われているのは第二試合。天明率いる叡成高校チームと札幌螢雪高校チームとの一戦だ。
と、認識していたが、Bブロックの会場からは大歓声が沸き起こっていた。
「北海道代表! 札幌螢雪高校チームの勝利です!」
「えっ?」優梨は耳を疑う。まさか天明が敗れたか。
対する札幌螢雪高校チームの面々はハイタッチを交わしている。愛知県の高校はさておき、北海道の高校には詳しくない優梨だが、札幌螢雪高校は名門という。T京大にもたくさん輩出しているとか。
はっきり言って、叡成高校チームのメンバーは昨年の優勝メンバーである天明ら三人を擁している。模試で五科目満点という大偉業を達成したこともある人間がリーダーとなって牽引するチームで、知力甲子園での実績も充分。今大会は千里の活躍で蘇芳薬科大附属高校チームがやたら目立っているが、おそらく大本命はやはり叡成高校チームであろう。毎年決勝戦まで駒を進めてくる名実ともに実力校で、競馬で例えるならオッズがいちばん低いはずだ。
正直、叡成高校チームと同じブロックで対戦することにならなくてほっと胸を撫で下ろしていたが、意外にもここで散っていった。札幌螢雪高校チームは一体どんな強豪なのか。ダークホースかもしれない。
解答テーブルを後にした天明は、去り際にこっそりと優梨たちに言った。
「決勝に出るとしたら、君たちと戦いたかったけど、そうは問屋が卸さなかったね。無念だよ。でも僕らは手紙を送ってくれた君たちを応援したいと思う!」
「ありがとう。次は西の名門男子校の漢隼高校チームだから、勝てるかどうか分からないけど」
「僕の予想では漢隼には勝てる」
「分からないよ」と答えようとすると、まだ発言は終わっていないかように天明は続けた。
「ただ、間違いなく札幌螢雪は強い。ゲームの裏を読んでくる。知力にも優れているが、チームワークもある。そして知謀家で策略家だよ。特にリーダーの白石さん。気を付けた方が良い」天明ははっきりと言い放った。
「蘇芳薬科よりも?」優梨は思わず問う。
「たぶん良い勝負になるか、ひょっとしたら札幌螢雪が勝つかもしれないね。あくまで僕の予想だからあてにならないけど。ごめん、聞き流して。次の試合でも健闘を祈っているよ」
そう言って、どこか諦観ともとれるような、さっぱりとした笑顔で激励し去っていった。
札幌螢雪高校。
ここまで順調に勝ち抜いているとは思ったけど、
優梨は、千里のことばかり気にしていたが、ここに来て不気味な存在が増えてしまった。
ただ、幸か不幸か、Aブロック決勝では当たらない。Bブロック決勝でその札幌螢雪高校チームと蘇芳薬科大附属高校チームが潰し合うのだ。
決勝戦に駒を進めるのはどの高校だろうか。
楽しみと不安とが絶妙に交錯し、不思議な感覚が優梨の胸中を支配していた。
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