第一章 蹶起(ケッキ)

第一章 蹶起(ケッキ)  1 影浦

 大城おおしろゆうは強引だった。それは、影浦かげうらあきら自身の態度にるものかもしれないが。


 今年の夏休みに起こった事件を契機に、優梨と影浦は交際するようになった。かつて出会ったことのない聡明な少女。そして明朗で美麗な優梨は魅力に溢れていた。

 名古屋市内の病院の院長を父に持つ優梨は、まさしく典型的な良家のお嬢様である。一方の影浦は事情により児童養護施設『しろとり学園』に入所している。こんな格差カップルは物語の世界に限定されるかと思われる。

 しかも、有り難いことに、優梨の両親も交際を認めてくれている。

 その理由は偶然かつ衝撃的なものであった。しくも、影浦が優梨の命の恩人となったためである。

 だからと言って、影浦の経済的環境が好転することはないし、影浦自身それを好まなかった。固辞しているのだ。

 結婚して生計を同じにしているわけでもなければ、大城家に養子縁組や里親委託をしているわけでもない。優梨は、交際にかかる費用をすべて自分で持とうとするが、そんな義理はないと思っている。

 影浦がそのような態度を取り続けていると、あるとき優梨はごうを煮やしたかのように言った。

 時は、高校二年生の二学期も終わりかけとなる十一月。金山かなやま駅近くのカフェにてデートのはずだったが、口論となる。

「じゃあ、大学はどうするの? 進学は? まさか今のバイトだけでまかなうつもり?」

 そのような問いかけに影浦は素直にこう応じた。

「高校卒業後は働くつもりだよ。児童養護施設の人間が高校に行かせてもらうだけでも奇跡的なんだ。まして大学なんて……。奨学金受け取っても返さないといけないし」

「はぁ? 何言ってんの? 瑛くんは、自分の頭の良さに気付いてないの?」

 幸か不幸か、影浦は頭脳には恵まれている方らしい。名古屋市内のごく普通の公立高校であるとめやしろ高校に通っているが、成績は上位を維持している。自らの境遇ゆえに予備校には通っていないが、交際を機に優梨という心強い家庭教師を得た。いや、家庭教師と呼んでは失礼か。優梨自身はデートの一環で家庭教師役を買ってくれているわけで、無論授業料も払っていない。しかし、結果として短期間ながら、著しく学力が身に付いたような自覚はある。二学期の中間考査では、学年で一位の成績を収めることができた。

 でも、そうしたところで影浦に里親が見つかるわけでもない。

「気付くも何も、経済的な問題だから仕方ない。受け入れるしかないさ」

「だったら、私のお父さんが出すって!」

「それはダメだよ。気持ちは嬉しいけど、優梨や家族にかけるべきお金を、僕が手をつけるわけにいかないよ」

「じゃあ、結局宝の持ち腐れ!? そんなん耐えられない! 能力を持った者は、その能力を行使する責務があるのよ!」

「悪いけど、それが現実なんだ」

「この頑固者!」

 優梨は怒った。カフェに優梨の声が響く。しかし、優梨は意に介さず、影浦にそう言い放って、そっぽを向いた。

 優梨にとっては、理解できないのだろう。優梨の通う滄洋女子中学・高校は名門私立校である。中・高の六年間通い続けるとなると、当然学費もそれ相応なものになり、成績はおろか家の経済的状況によっても入学をとうされる。また、当然中学受験、入学後は大学受験に向けて大手予備校に通わせるところも多い。自ずと裕福な家庭に限定される。

 卒業生の九十九パーセントは大学へ進学するだろうし、大学の進学に当たって、経済的状況を気にしている生徒もまず聞かないと言う。

 よって、影浦のような存在は、学内にもいないし、おそらく全国的に見て稀少ではないかと言うのだ。


 優梨の両親は、影浦を養子として迎え入れることをも検討しているらしい。それは自ずと恋人の優梨と一つ屋根のもとに暮らすことになろう。影浦の中でその心の準備はできていない。

 理由は、解離性同一性障害(以前は多重人格障害と呼ばれていた疾患)を患っていた影浦に、かつて宿していた交代人格サブパーソナリティーの存在だ。

 交代人格の『夕夜』は荒々しい。ただ、『悪』ではない。むしろ『悪』を成敗するための必要悪だと考えている。中学生のとき、『悪』を成敗するため、『夕夜』はやむを得ず暴力事件を起こした。結果として中学校の内申点に響いてしまい、内申点の高い名門公立高校を辞退しなければならなかったと、友人の風岡らは評価してくれている。その『夕夜』は、夏の事件を境に鳴りを潜めている。

 しかしながら、その『夕夜』が何かのきっかけで出現する可能性も否定できない。『夕夜』の言動は粗暴そのもので、優梨の両親や弟に迷惑をかけかねない。

 養子にならない以上は、今の境遇を甘受するしかない。

「君のお父さんの力で僕ひとりが良い思いすることはできないし、僕が許さない。僕のことは僕がしたい」

 改めてそう告げると、優梨はますます業を煮やすのである。

 優梨と影浦の相反する意見。優梨の苛々いらいらが一層膨れ上がって、さすがにせっちゅうあんが必要かと影浦は思った。

「君のお父さんの力で僕ひとりが良い思いすることはできないし、僕が許さない。僕のことは僕がしたい。百歩譲って親の力を借りずにできるならまだしも……」

 と、言いながら、受験勉強に忙しい高校二年生にその提案は無謀かなと思った。


 結局その日は優梨と別れ、カフェを後にした。

 

 地下鉄に乗ろうと改札のエスカレーターに乗ろうと向かったとき、影浦はふと、誰かに尾行されているという感覚を感じた。振り向いたが、人は多く行き交っている。ここは名古屋の主要駅だから人の気配がして当然か。気のせいかな、と思い、気を取り直して改札に向かった。


 †


 およそ三週間後の某日。優梨から影浦に電話が鳴る。

 先日の「──百歩譲って親の力を借りずにできるならまだしも……」という、影浦の意地悪な提案が、優梨の心に火を点けたようだ。

 優梨はとにかく才知に溢れている。一見不可能と思われる代替案を可能にする目算が立っているのだろうか。

「前言ってた話の続きだけど……」と優梨は前置きして、続けた。「親の力を借りなければ良いのよね?」

「それならば優梨の言うとおり、進学することを受け入れるよ」

「実は、親の力を借りずに何とかなるかもしれない方法があるの!」

 影浦は驚いた。優梨は、何か個人の力で収入源になりそうなものがあったか。株やビジネスに手を出していたり、アルバイトをしたりはしていないはずだ。そもそも滄洋女子高校の校則に抵触するのではなかろうか。収入か報酬を得る手段が分からない。

「どんな方法?」と問うと、優梨は質問には答えず、妙なことを言った。

「ただ、瑛くんにも途中まで協力してもらうけどいい?」

「僕が優梨に協力?」

「そう」優梨は自信ありげに言う。影浦自身、大学に行ける境遇なら行ってみたいと思う。学問は続けたいし、人生の選択肢が多いことにこしたことがない。それが、影浦自身の協力を必要として達成されるものなら、試すにやぶさかではない。

「もともと、僕みたいな境遇の人間は自分の努力で進学の権利を勝ち取るしかない。ご両親の力は借りない。でも優梨に手を貸すことで、いや優梨自身と僕との力によって実現可能なら、それは惜しまないよ」

「ありがとう。親の力は借りない」

「それならいいさ。いいんだけど、どんな妙案があるの?」やはり、協力の内容が気になる。

「『全国高校生知力甲子園』って知ってる?」

「??」

 残念ながら、テレビもインターネットもろくに利用しない影浦には、よく分からなかった。

「全国の高校生が参加できるクイズ番組のことだよ。次回から男子校、女子校の格差をなくすために、高校が違ってもエントリーができるようになるんだ。そこで、私とはると、優秀な瑛くんの頭脳も借りて優勝する」

 優梨は相当クイズに自信があるのか、一見途方のないプランをいともやすく提案する。

「優勝って……。そんなに賞金が凄いの?」

「高校生だもん。賞金は出ない。けど、海外研修に行かせてもらえる」

「それじゃ、大学には……」

 海外旅行では大学四年間の月謝は納められない、と思ったが、強引に途中で遮りながら優梨は言った。

「いいから! 黙って参加して! 私には考えがあるの!」

 何だろうか。しかし、優梨のことだから策があるに違いない。

「分かった」

「絶対だよ。げん取ったから! よろしくね! じゃあ!」そう言ってその日は優梨と別れた。


 児童養護施設にいる身分の影浦は、テレビ番組の企画に参加すること自体、縁のないことだ。しかし、それが影浦が大学に通うだけの費用を担保できるだけの勝算があって、その条件が優勝だということだ。

 話が大きくなってきたな、と影浦は頭を掻いた。


 協力すると言った手前、もう引き下がるわけにはいかないが、これによって優梨の受験勉強を大きく妨げるものなら考えものだな、と思った。

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