トリコロールの才媛

銀鏡 怜尚

序章

序章

▲博愛の色▲


 私は逃避したわけではない。機会を窺っていただけだ。


 言い換えれば諦めきれなかったのだ。私の原動力となっていた存在だと思わざるを得なかった。

 長い間、しょうけいとも憎悪とも言える複雑な対象だった。

 しかし、いざいなくなってしまうと、心に大きな穴が空いてしまったのもまた事実だった。

 すなわち、私にとってあのはバイタリティーの源であり、生き甲斐であったのだ。悔しいことに。

 それを認めたい気持ちと認めたくない気持ちが、脳内でしのぎを削っている。


 海を越えて遠く離れても、それを頭から葬り去ることは出来なかった。

 それくらいあの瞬間ときは輝いていた。

 悔しいけど、これまでの人生で、一年前のあの四ヶ月もの間がいちばんたのしかったかもしれない。

 今は、どれだけ良いスコアを得ようが、それはただの無機質な数値にしかならなかった。超えるべき目標がなければ、それは意味を持たない。

 だから、懇願して試験を受けさせてもらった。

 但し、まだあの娘を超えるには至らないが、近付いてきている感触はあった。

 そうだ、これこそが私であり、私であり続ける理由だ。


 でも、やはりたいしたい。あの時のように。

 苦い思い出だが、空虚な現在いまとなってからは、とても光り輝いて見えるだけに、皮肉な話だ。


 ある日、私は夢を見た。

 ひのきたいに立つあの娘を。

 そこには私も立っていた。


 さらには、一時期垂涎すいぜんの的だった彼もいた。


 その舞台の行く末を見届ける前に目が覚めてしまったが、驚くほど鮮明なものだった。

 これは、実は私自身が最も望んでいる事象を脳内で具現化した明晰めいせきなのかもしれないが、一方で予知夢よちむにもなるような気がしていた。なぜなら私には、そのような自他共に認める第六感シックスセンスが備わっているのだ。

 なら、私も舞台に立つ以外の選択肢は見出せなかった。

 すぐさまスマートフォンを操作し、舞台の黒子として私を輝かせる脇役を募るのだ。


 もうすぐ高校二年生の冬だ。チャンスはあと一回しかない。



●平等の色●


 国境を越えた名士、となにがしが称したようだが、その某の野望は打ち砕かれてしまった。

 そのおかげで、一人の貴重な命が助からなかった。私の大切な存在。

 ただ、これは誰が悪いわけでもない。

 ましてや、あの彼のせいでもない。彼も自分の身を守る権利は当然あるのだ。

 でも、ニュースを観て、世界で限られた者しか持たないあかき水脈を持つ者どうしとして、一方的にシンパシーを感じた。


 私の想いはシルクロードを越えて、仏蘭西フランスから日本国に到達した。絶対に彼を手に入れなければならない。


 そのためには手段を選ばない。このたぐいまれなる頭脳と容貌、それから与えられた財力で周囲をなずける。


 彼のことを調べ尽くした。

 彼の高校、交友関係、性格、周囲の環境、交際相手についても微に入り細に入り……。

 結果、彼を手中に収めるのは至難の業であることが判明したが、諦めきれなかった。

 考えに考えて入念に計画を練った。壮大なプロジェクトだ。

 先方もまた天才と称される人物ゆえ、メディアや政治屋への根回しも必要となった。

 準備は整った。

 あとは、おびせるだけ……。

 

 そして、まんまと釣られてくれた。完璧だ。

 舞台まで引っ張りさえすれば、きっと持ち前の力で這い上がってくれるだろう。

 そして頂点の舞台まで来たら、駆け引きをしよう。

 至高なるこの私が失った大切なものと引き換えに、これだけの補償はしてもらわないと、釣り合わない。

 そう、彼の細胞の一つ一つに格納されている染色体までもが私のもの。

 そして、私とともに、Nouvelleヌーヴェル Vagueヴァーグとなるべく黄金時代を築き上げるのだ。

 


◆自由の色◆


 私が評することではないかもしれないが、彼はまさしく逸材だった。

 知り合って、わずか数ヶ月足らずだが、彼の潜在能力には驚きを禁じ得ない。もし環境が整っていたら、どれだけの教養の持ち主になっていたことだろうか。私自身は遺伝子と環境に助けられ、一般的には聡明と呼ばれる部類に属する人間であるらしいが、彼には同じスタートラインに立ったときにはきっと負けてしまうだろう。

 別に勝敗をつけようとしているわけではない。むしろ応援する立場だ。


 しかしながら現況は悔しいと言うより他ない。まさしくかっ掻痒そうようたる思いだ。

 私の命の恩人である他ならぬ彼が、たったそれだけの理由で前途を端から諦めざるを得ないこの状況は、私には耐え難きことであった。環境に恵まれないだけで、ダイヤモンドの原石のようなポテンシャルを反故ほごにしてしまうのか。


 彼はあるときこんなことを言った。

「君のお父さんの力で僕ひとりが良い思いすることはできないし、僕が許さない。僕のことは僕がしたい」

 物腰が柔らかそうに見えて、実はとても芯が強い。悪く言えば頑迷がんめいな男だ。

 私に言わせれば古くさい根性論であり、何ひとつ得をしない。論理で動く私とは、その点相容れない点でもある。そこが最近の悩みであった。


 しかし、彼は補足するように続けた。

「──百歩譲って親の力を借りずにできるならまだしも……」

 この言葉は聞き捨てならなかった。神経細胞ニューロンだつぶんきょくするように、妙案が飛び込んだ。

 私は、図らずも遺伝子と環境に助けられて、成績は優秀らしい。これなら彼の言う『親の力を借りず』になし得ることが保証されるかもしれない。

 これなら、彼とせっしょうすることが出来るかもしれない。

 

 但し、条件もあるという。普通に考えれば、不可能と考えるほうてつもない無理難題だ。しかし、私ならなし得るという蓋然性がいぜんせいがあるという。

 それなら、飲んでやろうじゃないか。その条件。

 その代わり、ちゃんと彼に折衝するに足る以上の報酬を担保してもらうようにするんだから。そのためには彼を欺いてでも頂点に立ってやる。

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