第20話 蛇身別荘

「じいじ。この島は何?」

「今の、この世界を創った女神さまの墓所だよ。死んだ人間も、ここにたどり着いて、生まれ変わるときを待ってるんだとさ」

「ふうん。ねえ、あれ、見て。白と黒の縄がねじりんぼうになって、木にぶら下がってる」

「あー……うん。まあ、あれだ。人間、あんなふうに仲良くしろよなって、ことだろ」

「変なのー」

「…変じゃねえ。あれは、そうさな、この世界に神さまがいた、しるしだ」

「ただの縄なのに?」

「ただの縄じゃねえ。朽ち縄だ。蛇の……神さまの注連縄(しるし)なんだよ」


   ◇ ◇ ◇


 ――それから、いろんな国の、いろんな首都(みやこ)に行った。

 小さい蛇に変身して忍び込み、地下の霊宮さんたちを解放していく。

 喜んでくれるひともいれば、こまった顔をするひともいる。

アルゼンさんは、もうアギトさんにかまってもらえないんじゃないかって、不安そうにしていた。人間の脚があるんだから、自分からアギトさんについていけばいいんじゃないですか、と言うと、目から鱗が落ちたとかなんとか。鱗が落ちたのは、脚からだと思うけど。

 最後の最後に、リィゼンへ向かった。

 ……ちょうど、シェンナが結婚式を挙げているところだった。お嫁さんは、花束の代わりに赤ちゃんを抱いていた。もと霊宮さんいわく、おめでた婚だそうだ。

 シェンナはもう、他人を疑って、すねるばかりのシェンナではなくなった。

「俺たちはながく、盗賊国などという、不名誉な国号を受け入れてきてしまった。だが、ここから変わろう! たがいに疑心暗鬼におちいるような生活を送りたくないだろう?」

 えらそうに演説している。その背後で、ルヴァンおじさんが涙ぐみ、手ぬぐいで、鼻をちーんとかんでいた。

 だから――私の居場所は、ここじゃないと、はっきりわかった。

 まあ、いくら人間じゃないとはいえ、私がのこのこ出て行ったら、お嫁さんはいやがるだろうな。そもそも蛇が大好きな女の子って、見かけたことないもの。

 結婚式でにぎわう大通りからちょっとはずれて、休業中のお店の長窓を見た。

 クロイツ王兵師団国を出てから、ずいぶん経つはずなんだけど、外見は変わっていない。ただ、

「鱗あと、いっぱい増えちゃったな」

 こっそり裾を持ち上げ、両脚にひろがった鱗状の皮を、硝子窓に映す。

 霊宮さんを解放するたびに面積が増えた、黒い鱗の皮。そろそろ人型でいるのも、難しくなっている。

「銀髪さんも、そろそろ人間のお嫁さんもらったのかな」

 クロイツおかあさんが人間になったんだから、銀髪さんだって……。人間の国の王さまなんだから、人間のお嫁さんをもらうのが普通だよね。

 黒くちなわの私、神さまの残りかすみたいなのじゃなくて。人間は、人間とつがうのが正しい。

 だから……世界の中心の島、死者の島、ダアトおばあさんの島へ渡ろうと決めた。

 塩水のなかを、泳ぐ。泳ぐ、泳ぐ、泳ぐ。

 ……ひとりぼっちで渡る海は、寒くて、さびしかった。

 海水がしょっぱいのは、霊宮の涙でできているのかも知れない。

 ほんと、人間の脚をえさにして、霊宮さんたちを国土に縛りつけた神さまってひと、何考えてんだろう?

 休む暇も、岸もなく、時々溺れそうになりながら、なんとか泳ぎ切った。

『……ダアトおばあさーん?』

 黄金の砂浜にたどり着いて、その辺ぺたぺた這い回って、しゅーしゅー言いながら、おばさんを呼んでみたけど、誰も――

『誰も、いないの? 誰か、いないの?』

 さわさわと風が吹き、木の葉を揺らし、金の砂がさらりと鳴った。

 しずかだ。しずかで、誰もいない。

 ここで生きているのは、私一匹。



 ――昼は木登りや、ぶらんこ遊び。水浴びして、ひなたぼっこ。

 それから、なんでも実る木の、苺ばっかり選んで食べる。

 夜は枝や、根元のあたりにうずくまって休む。

 蛇になっても、まぶたは残っているので、ちゃんと目を閉じて、眠った。

 ……この世界は、玄女を必要としなくなった。だから、私が人間とおなじような形になったり、不老不死である理由もなくなるのだろう。

 日に日に、全身が重くなり、だるくなって、昼も夜も眠ってばかり。

 閉じたまぶたの裏にあるのは、いつも、どんがらと賑やかな街や人間たちの思い出。

 銀髪さん……

 シェンナやルヴァンおじさん、ラックにユーグ。

 アギトさん、セシリアおねえさん、ダアトおばあさん。

 クロイツおかあさん、ついでのレイチャード。

 ……かってに涙が出てきた。

 今までの、歴代の玄女さんたち。不老長寿とか、不老不死とかのはずなのに。そのみんなが消えてしまったのは、誰からも必要とされなくなったからかもね。

 でも、私が出会ったひとたちは、玄女や上帝なんてもののために苦しんできたから、ひとりぼっちくらい、我慢しないと。

 ……我慢しなきゃって、わかってるのに、なあ……。


『なぜ、我慢するの?』

 ぺろ、と誰かがまぶたを舐めてきた。

『ほかに誰もいないのだから、大声で泣いても、いいんですよ』

 誰かが頭を撫でてくれた。

 伏せていた顔をあげると、目の前に一匹、白い蛇がいた。

 赤い目の。銀色にぴかぴか光る、白い皮の。白いくせ、黒い鱗が一点だけ、ついている白蛇。

『どうして?』

『どうして、また私を置いていったの? 国状が落ち着いたと思ったら、また、あなたはいなくなって! ずっと捜したんですよ』

『クロイツおかあさんは? 国は? ユーグ、どうしたの?』

『母なら、ユーグに振り回されていますよ。国? そんなもの、ユーグに押しつけてきました。今まで彼には尻尾つかまれて、振り回され続けていたんですよ。最後に、やり返してきました!』

 ふんふんと白蛇は鼻を鳴らしている。

『でも私は、もう、』

『これ以上、私を置き去りにしていくのは、やめてくださいね』

 下あごで、私の頭を撫でながら、全身で巻きついてくる白い、……私の白い蛇。

『私だって、泣きたいくらい、寂しかったんだ』

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