第3話 征野ゆく廃太子

『欲しいものは、自らの手で奪え』か。

流浪のはて、ようやく私は同朋を見つけたようだ。

手に入れよう、今度こそ。

私の……私だけのつがいを。


 ◇ ◇ ◇


 リィゼン盗賊国は、自分の財布と身を守る術さえあれば、どんな人間でも受け入れてくれる国だと、聞いていた。

 どんな素性の、人間でも――。

「レイシア様?」

 夕食においては、給仕役を務める片眼鏡の男ユーグが、さじを止めた自分に向かって、声をかけてきた。

「いや。なに」

 レイシアは、赤い視線(め)を、窓から食卓へと戻す。

「ずいぶん立派な塔だと思って」

「盗賊王の居城、監獄城ですね」

「接岸中のアルゼン国からでも、こうして、リィゼンの首都王城が見られるものだから」

 旅の宿から見上げる巨塔は、まるで満月を突き刺す、不格好な槍のようだ。

「通常は首都王城を守るよう、およそ円形に近い形で領土を広げていくものです。しかし、リィゼン代々の王将は、三日月状に領土を拡大している。首都と沿岸部、港湾部を近づけることに、利があるものと考えられます。おそらくは貿易や、流通網の関係」

「なるほど」

「盗賊国などという蔑称的な国号がついていますが、リィゼンでも基本的に王族が王将位に就きます。おもしろいことに、暗殺などの手段でも、王位の継承はなされると明文化されていることです」

「よくある話だが、暗殺を明文化というのは、聞いたことがないね」

「現王ルヴァンが他国への留学中、妹姫の婿に父王を討たれ、王位を奪われましたが、数年後、この義弟を討ち、即位したそうです。そういった経緯によるものでしょう」

 給仕は、レイシアが差し出した木杯に、水を注いだ。

「今や世界第七位の広さを誇り、このアルゼンのような属国、衛星国は数知れず。農業ほか、貿易、賭博場を含む一大歓楽街が財政源。歓楽街で散財した間は、みな、ごっそり盗賊に盗まれたようだ、と嘆くとか」

「さすが見聞作家だ、詳しいね、ユーグ」

「城づとめより、こちらのほうが性に合っております。文官・医官時代に比べれば、低収入ですが」

「すまないね。私が、なかなか、くたばらなくて」

「お気になさらず。あなたが、のたうち回るほどに、僕が書く随行記がおもしろくなりますから」

 これが唯一の味方なのだから、と。レイシアは苦笑する。

「ユーグ。きみは本当に、おもしろいか、おもしろくないかだけの判断で生きているな」

「だから出奔後も、僕をそばに置いているのでしょう、レイシア廃太子」

「きみに見捨てられないためにも、そうだな、明日は盗賊国本土に渡って、観光に行こうか。幸い、衛星国から徒歩で渡る分には、出入国管理が緩いらしいから」

「よろこんで」

「もしかしたら王位簒奪の現場を目撃してしまうかもしれないね」

「あなたが、なさるのですか?」

「まさか! よそ者の私が、そんなことをしたら、国全体が海に沈んでしまいかねないよ」

 食事の最後に、歯磨き粉と水で口をすすぎ、レイシアは唇を拭った。

「きみは、続き部屋の奥を使いなさい。どこであろうと用心はしておこう」

「では、お言葉に甘えまして」

 本来ならば、主人が奥の部屋を使うのだろうが、この主従は逆である。

 自分は武芸をただしく修得したが、ユーグはそうではない、というのが、その理由だ。

「食器は、廊下に出しておけば、よいね。では、おやすみ」

「おやすみなさいませ、レイシア様」

 従者らしからぬ従者が、奥の部屋に消えたところで、レイシアはようやく服をゆるめた。馬の尾のようにくくっていた銀髪を解放し、蒸した頭皮をがりがりと掻く。ため息ひとつ。

 ユーグとは物心ついたころからの付き合いだが、少々苦手意識を持っている。昔から彼はああいう性格で、王族だろうがなんだろうが、容赦がない。

 それでも従者としているのは、彼はレイシアに足りないものを補っているからだ。たとえば、宿や食事の手配や金銭のやりとりなど。

「まったく。いつまで続くのだろうね。私には永遠に、安住の地も、妻(つがい)も得ないか」

 食器を廊下に出してから、扉の錠をかけ、さらに食事に使っていた円卓を動かして、開閉を封じる。

 ――母国において、長子相続の国内法どおりであれば、亡父のあと、レイシアが王になっていたはずだが、実際には、そうはならなかった。腹違いにして正妃の子である弟レイチャードに追放され、さらに暗殺者に追いかけ回される日々。

「欲しいものは、自らの手で奪え……か。じつに私ごのみの国だね、リィゼンという国は」

 皮肉を口にのぼらせ、レイシアは愛槍をかたわらに寝台に横たわる。

 見上げた天井のしみが、海図のようだった。

 波瀾万丈を好む従者には悪いが、この世のどこかに、しずかに暮らせる島があればいいと願いながら、赤い目を閉じる。



 何者かの叫び声を聞いて、レイシアは、ぱちりと目を開いた。すぐに槍をつかみ直し、低い体勢のまま、床に着座する。重心を意識し、気を張り、目を配る。

 叫び声は、窓の外からだ。

 リィゼン盗賊国や、衛星国のアルゼンは冬も温暖な気候だが、それでも二月半ばの朝は白く煙る。

 窓掛(カーテン)の隙間から外を見たが、まだ何も見えない。

 やがて、あられもない姿の少女がひとり、朝靄のなかから飛び出してきた。見るからに粗野な男数人に追われている。

 盗賊国の収入源のひとつは、歓楽街によるもの。おそらく、その関係なのだろうが、

「私も、考えが甘いな」

 奥の部屋に一言声をかけ、扉の前を片付けてから、外へ出た。

 宿を出ると、眼前を、少女が駆け抜けようとするところ。

「失礼」

 レイシアは片手を伸ばし、彼女をつかんで、引き寄せた。

 恐怖に顔を歪ませた少女は、いよいよ泣き狂って、手足をばたつかせている。

「よう、にいちゃん。手間ァかけたな」

 追跡者の一人が、息せき切ったまま、彼女に手を伸ばしてきたので、レイシアは、これを振り払った。

「おいっ」

「この子は、足抜けですか? 強盗ですか? 殺人犯ですか?」

「は?」

「あなたが、彼女を追う理由が知りたいのです。事情によっては、お手伝いできるかもしれません」

「んなもん、」

「なあ」

 男たちは目配せし合った。

「その格好みりゃあ、わかんだろ。商売女だと思うだろうが」

 たしかに彼女は、白い布一枚だけを身に巻きつけ、さらには裸足という無防備さだ。

 レイシアは、青ざめて震える娘に、

「あなたは男性向けの娯楽を提供しているのですか?」

 そう訊ねると、彼女は首を振ったる

「ダンセ……? わかんない! あたし、ただの、くちなわだもんっ」

「くちなわ」

 その単語を復唱して、レイシアは眉根を寄せた。

「と、彼女は主張していますが。反論は?」

「だとしても、なんだってんだ。よそものか、あんた」

「また『欲しいものは、自らの手で奪え』か……。リィゼン人の、自立心はずば抜けて素晴らしい。私も見習いたいと思っていました。ですから今より、実行します」

 片腕に抱いていた少女を背後にかばって、宿の扉のなかへ誘導する。

 扉の開閉音を背後に聞きながら、レイシアは愛槍を握り直した。

「――世界第一位の領を誇る、クロイツ王兵師団の槍術、身をもって知りたいのなら、どこからでも、どうぞ」

 こんにゃろう、と誰ぞのつぶやきが合図となった。

 短刀、あるいは握りこぶしひとつで、男たちが飛びかかってきたが、レイシアはこれを無造作に払い、止め、石突きで突き返す。

「こんっのっ、」

 合間を縫って、ふところめがけて一人、飛び込んできたが、レイシアは柄の中程をつかんで槍を半回転させ、男のそけい部に石突きをたたき込んだ。ひとつは潰れたかも知れぬ。

 さらにもう一人、果敢に攻めてきたが、今度は男の長袖の内側を遡って、肘のあたりで刺突を止めた。

「さて。このまま、ひねれば、肩と肘の骨が折れるでしょう。退くなら今のうちですが、まだ続けますか?」



「――派手に暴れたようで。歓声と拍手が聞こえました」

「どういうわけか、見物料をいただいてしまったよ。……穂鞘の封印を解かずにすんで、よかった。これを破ったら、詰め所に呼び出されるのは、私のほうだ」

 宿の部屋に戻ったレイシアは、長袖や帯のあいだに手を入れ、ねじ込まれた金銭を書き出した。

「目立つつもりは、なかったのだがね。レイチャード派に嗅ぎつけられていないと、いいのだが」

 肩をすくめ、朝食の並ぶ円卓に着席した。

 騒ぎのもとだった娘は、ぱくぱくと遠慮なく、ゆで卵を食べている。

「さてと」

 手を拭き清めながら、レイシアはあらためて彼女に向き直った。

「くちなわ、と言っていたね。獣人の、くちなわ族なのかい?」

「うん……。たぶん」

「たぶん?」

「目が覚めたら、しっぽ、なくなっちゃったの」

 悄然とした様子で、彼女は黄色の視線を落とした。

「いつの間にか、あちこち大きくなってるし、声も変。おまけに、人間の脚まで生えてたんだ」

 ユーグが貸しあたえたのだろう、レイシアの上着に着替えた娘は、自分の両脚を手でさすった。

「あたしの、しっぽ。脱皮した皮みたいに、どこかに落ちてるのかと思って」

「尾が落ちるのは、とかげです。蛇では、ない」

 ユーグが口をはさみ、それからレイシアに目配せした。

 レイシアは、すぐにうなずく。

「亜種ではありましたが、くちなわ族ならば、見たことがあります」

「あたしの他にも、いるの?」

 彼女は目を見開いて、片眼鏡の男を見た。

「僕が知るくちなわ族も、幼児期には蛇そのものでした。やがて上半身が人間もどきになり、成人間近には脚を得て、ほぼ人間と変わらない姿形に変化した」

「くちなわ族は、他種族からの迫害を恐れて、尾を隠すそうです。だから、あなたの尾も、今はその二本の脚に変態しているだけですよ。きっと」

 ユーグとレイシアの言葉に、彼女は、うーっとうなった。

「こんなんでも、あたしのこと、飼っててくれるかなあ」

「飼う?」

「シェンナがね、そう言ってた。ごはんもらって、寝床もらって。でも、それは友達じゃなくて、愛玩動物と飼い主って関係なんだって」

「…くちなわを、飼う、か。たいした人物のようだね、あなたの飼い主は」

「レイシア様、」

「まったく! ぜひ一度お会いしたいものだよ」

 レイシアは、ゆで卵をまるごと口に放り込んで、顔全体をゆがませるように咀嚼した。

「あ。銀髪さんも、ゆで卵、好きなんだね?」

「銀髪? ああ、私のことか」

 口に残った残滓を、水で飲み下して、レイシアは彼女に微笑んだ。

「そうだね。卵と苺には、昔から目がなくて、」

「あたしも! それから、お水も大好き!」

「おや、それは奇遇だね。――私たちは、とてもとても気が合いそうだ」

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