エピソード3

 夕陽はすっかり沈んで、空は群青色に染まっていた。

 今日の締め括りとして街で一番大きな公園へ行って散歩した。別段物珍しいスポットがある訳ではないが、街中にある自然の集合地という事でさぞ空気が澄んでいようと思ったが故に、僕から提案させてもらった。セルシアさんは二つ返事で了承してくれた。


 一通り歩き廻ってから、二人して自販機で紅茶のペットボトルを買って、ベンチに腰掛けた。ペットボトルに口を付けると、紅茶と牛乳が絡み合ったまろやかな甘味が口内へ広がる。


「今日はありがとうございました。なんだかずっとお世話してもらいっぱなしでしたね」

「ううん、お構いなく。こちらこそ、ワタシに付き合ってくれてありがとう。おかげで今日は楽しかったわ」


 それは僕も同じだ。この楽しいひと時がもうすぐ終わろうとしているのかと思うと、名残惜しい心地になる。


「また……会えますか?」


 意図せずして、その言葉を発していた。途端に顔が熱くなる。何を言い出してるんだ僕は。でもそれが正直な気持ちだった。

 対するセルシアさんはと云うと、


「…………」


 何も答えなかった。今まで明るかった表情は霧消して、顔に陰りが見える。それは喫茶店で見せたあの暗い表情と同じものだ。


「どうかしましたか、セルシアさん? 何か悪い事でも言ってしまいましたか?」


 尋ねると、セルシアさんは首を左右に振る。


「違うの。別に義成くんがどうかした訳じゃないの。ただ……」


 段々と口籠るセルシアさん。後ろめたい事を隠そうとする子供のように下を向く。

 何も言わないセルシアさんに、何も聞けない僕。互いに沈黙を保ちながら、時間は刻々と過ぎていくばかり。




「貴方がたが再会することは叶わないでショウ。何故なら、そこの彼女はここで私に処されるのですカラ」


 二人の沈黙を破ったのは、前方から放たれた闖入者のひと声だった。

 声の主はシスター服を身に纏った女性だった。フードは被らず、ショートの茶髪が露わになっている。西洋人らしい鼻筋の通った端正な顔立ちをしている。

 一歩、二歩とこちらへ近づく度に黒いブーツの音が響いてくるように感じられた。


「クリスね。よくもまぁここまでやってきたものね。敵ながら感心するわ」


 ようやく口を開いたセルシアさんの眼は刃のようにとても鋭く、見るだけで心が締め付けられるようだった。


「貴女は……一体誰なんですか? セルシアさんとはどういうご関係なんですか」


 僕の問いに対してクリスと呼ばれた女性は、


「私の名前はクリスティーナ=ヴァルキーと云いマス。私は異端狩りと云う組織の一員で、人間に害を為す人外達を排除する事を使命としていマス。例えば、貴方の隣に居る白い鬼なども、討伐対象に当たりマス」


 と答えると、セルシアさんに人差し指を向ける。当のセルシアさんは無言で応える。

 イタンガリ。ジンガイ。シロイオニ。普段では決して聞くことの無い単語が、嫌に耳に残る。彼女らの言動と併せて至った結論は────。


「セルシアさんが、白い鬼……?」


 鬼と謂えば、巨大な体躯に角を生やして、人を攫っては食する怪物。そんな怪物が、僕の隣に居ると言うのか?


「う、嘘だ。セルシアさんが人間じゃないなんて、信じない。これは何かの間違いだ。うん、きっとそうだ」


 自分に言い聞かせる為に独り言を呟く。けれども、それが脆く頼りない事は既に自明だった。クリスティーナさんの眼は真っ直ぐにセルシアさんを見つめて、否、睨み付けていた。冗談や冷やかしで言っているとは思えない。それに何より、セルシアさんは一向に否定をしなかった。それこそが目前に拡がる現実だと云うのに、僕は心から拒んでいる。


「その女、セルシア=メリグロンドは食人鬼と呼ばれる存在デス。名称の通り、人を食べる鬼デス。人間とかなり相似していマスガ、それは人間に擬態して効率良く捕食する為に進化したからデス。

彼女ら食人鬼は人間を喰らい、私達人間は抗い続ける。彼女らと私達は相容れない関係にありマス」


 淡々と僕の知らない事実を告げるクリスティーナさん。平静なようでいて、所々で滲み出るのは憎悪の感情、だろうか。少なくとも食人鬼と云う存在を好ましく思っていない事は推察出来る。そんな彼女を前にして、セルシアさんは、


「彼女の言ってる事は正しいわ。私は人間じゃない、人間の敵。今まで黙っててごめんね、義成くん」


 僕の疑念を見事に粉砕した。肯定の言葉と共に添えられた儚げな笑みに、どうしようもなく胸を締め付けられる。


「そこの鬼がどうして貴方に近付いたのかは明白デス。おそらく“食事”の為でショウ。サァ、これ以上は危険ですのでその鬼から離れてくだサイ」


 唐突に、今日一日の出来事が思い起こされる。河川敷での出会い、喫茶店での語らい、雑貨屋での買い物に、公園での散歩。色とりどりに表情を変化させるセルシアさん。それらの記憶が鮮明に蘇ってきて────。


「短い間だったけど楽しかったわ。ありがとう。そしてさよなら、義成くん」


 セルシアさんがそう呼び掛けると、立ち上がって一歩ずつ前進する。クリスティーナさんは静かに懐へ手を忍ばせて、銀色に光るナイフを取り出す。その刃先は近寄るセルシアさんへ向けられる。両者の距離は着々と縮まっていき、僕はそれを。




「セルシアさん!!」


 気付けば僕はセルシアさんを突き飛ばして、彼女よりも前に走り出た。勢い余って倒れ込んだ先に待っていたのは、


「なっ、何をしてるのデスカ!」


 クリスティーナさんが驚愕する声を上げる。その彼女を、僕は押し倒す形で蹲っていた。腹部に熱いモノを感じる。辛うじて熱源に視線を遣ると、そこにはナイフの柄が見えた。


「義成くん!」


 セルシアさんの叫ぶ声。けれども僕は応えることが出来ず、意識が薄れていった。

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