ユア・ブラッド・マイン -錆びた刃のレクイエム-

真倉流留

一章:落人剣士のレクイエム

第一刃 《九月三〇日》

 どこかで、鈴虫が鳴いている。


「ねぇ」


 一面の青紫色に宝石を散りばめたような空の下で、ふと隣の少女が口を開いた。

 墨色というのだろうか。少しだけ灰の色が混ざった黒の長髪がさらりと風に流れ、秋の月に照らされて鋼のような銀色に照る。大和撫子と呼ぶには些か外つ国の趣を感じさせる蒼い瞳が、悪戯げに細められたまま、ただこちらを見つめていた。

 彼女と同じ名前を一字持つ樹から、紅く染まった葉が一枚。ふと目の前に落ちてきた。ボロボロの国防服に、唐紅がよく映える。


「真一はさ、この戦争が終わったらどうするの」

「ん」


 問いかけに、少年は小首を傾げた。

 さて、考えたこともなかった。このまま兵士として生き、兵士として戦い、兵士として散るものだと思っていたから。

 だが、それはその生き方しか知らぬが故だ。既に世界の過半数は魔鉄文明化を終えた。これにより鉄歴――かつての西暦は二一〇五年間の歴史を閉じ、新たに魔鉄歴が始まってもう少しで丸一〇年だ。

 さらにアクエンアテン、ヴァンゼクス、ライオニアという超国家ドミニオンが生まれていき、長年の戦乱もようやっとの膠着を見せ始めている。この日本でも、いよいよ国家を挙げての製鉄師ブラッドスミス育成の動きが起きていると、『未通後家ヴァージンウィドウ』からの垂れ込みもあった。

 そうなれば正規の軍隊が結成され、謂わば義勇軍である自分たち――〇世代ワイルドエイジがいる必要もなくなる。

 世界は、間違いなく終戦へと向かっていた。

 では、太平の世で、自分たち兵士が不要とされる時代で、どう生きていくか。

 少年には、何も見えない。


「うーん……教師、とか?」


 だから、適当にぽっと思い浮かんだそれを口にした。

 この戦争で培った技が、時代に生まれてゆく製鉄師たちに受け継がれていく。

 なんだか、それがとても素敵なことのように思えたから。

 思わずといったように少女が噴き出す。


「えー。真一が先生ぃ?」

「ンだよ、悪ぃか」

「でも真一、馬鹿だからなぁ。心配だなぁ。担当される子は可哀相だなぁ」

「じゃ、こうしよう」


 疑うような、からかうような声に、少年は伸びをしながら応える。


「楓花が色々教えてくれよ。国語も、社会も、算数も、理科も」

「むっ、自分から申し出てくるなんて珍しいね」

「ったりめーだ。製鉄師と魔女アールヴァは一蓮托生だ。だったら、一緒に生きていく道を探さねぇとな」


 言ってから気づいた。

 これじゃ、まるでプロポーズだ。

 にわかに熱くなる頬と耳を隠そうとそっぽを向く。秋の夜風が稲穂を揺らし、そっと肌寒い空気を運んでくる。

 ざわざわと喚き出す草花に紛れて、どこか嬉しそうな少女の声が耳に届いた。


「――うん。良いよ、約束」

「……おう。約束だ」


 りん、りん、りん、と。

 どこかで、鈴虫が鳴いている。


 時は魔鉄歴九年、九月の三〇日。

 これが、高辻真一が七泉楓花と交わした最後の睦言となった。





 大前提に。

 魔鉄ブラッド・スティールという鉱物が存在する。

 いつこの世界に顕われ始めたのかなど誰も分からない。ふと気がついた時にはただそこにあった。

 見た目や手触りはほとんど鉄と同じ。それでいて物理の法則の理外にあり、通常の手法では如何なる加工も破壊も受け付けないという物質界の悪魔。

 かつて鉱夫たちから「銀のまがい物」として忌まれたコバルトのように、「鉄のまがい物」として長い間唾棄され続けたそれは、しかし他の金属とは決定的に異なる、ある特性をその身に備えていた。

 それこそが――人のイメージに呼応して形状やあるいはその性質すらも全く違うものに変更できるというもの。

 この特異極まりない性質を発見し、実用化に乗り切った国家が一つ。

 その名を、ラバルナ帝国。

 この帝国がやがて成し遂げる『世界統一』という大偉業と、そして五〇年というあまりにも規模に対して短すぎる崩壊を持って、世界は新たなるステージへと至った。

 西暦は既に過去のもの。

 鉄歴と名を改めたそれに替わり、人々が新たなる時代につけた名は即ち魔鉄歴。

 魔なる鋼、悪魔の鉄を以て日々を営む、魔鉄器時代エイジ・オブ・ブラッドの到来である。


 まあ、ぶっちゃけそんな大仰な話をしたところで、世界単位での大混乱がとっくの昔に収まった今となっては、庶民の生活ミクロな部分は大して変わっちゃいないのだ。

 その証拠に。

 終業を告げる鐘とほとんど同時だった。

 ガダダダダダダッッッ!!!! と、机と椅子がぶつかり合い喧しい音を立て、教室のドアを三人の刈り上げ男子生徒が駆け抜けていく。


「あっ、おいこら! 杉内、築地、両角! まだホームルーム中だぞ!」

「校規上は今ので終了だろあばよタカティー!」

「へいへい、無断早退で単位削っとくからな」


 最後の宣告はどうやら三馬鹿には届かなかったらしい。それにしてもなんともすばしっこいことか。今年でついに四〇の大台に手を掛けるこの身体からみると、まるで別の生物のようにも思える。

 とは言え、飛び出していったアホどもの行く先は九分九厘割れている。どうせ部活だ。あとで野球部顧問の藤澤教諭にこっぴどく叱って貰うことにしよう。

 追うだけ面倒だと諦めて、高辻真一は手元のプリントに目を落とした。

 モノクロのコピー用紙に、いかにもやる気がないでありんすと言わんばかりに薄く雑に公印と理事長の私印が押されている。大方、休暇中に上がった案件に渋々押したのだろう。あの人はもう少し働くということに真摯になった方が良い。


「あーっと? ん、どこまで読んだっけ……ああそうそう、どうも最近ヴァンゼクスやライオニアからの密入国者が増えてるって話なので、生徒諸君は不要の外出は控えるよーにというお達しだ。よいこの皆さんは部活終わったらとっとと家なり寮なりに帰りましょう。以上!」


 プリントの中身をざっくり掻い摘まんでホームルームを切り上げる。今日は朝から職員会議で、この後も国語科の会議。委員長の水戸の号令を見届けるのも億劫だ。高校生にもなってるのに碌に言うことも聞きやしないがきんちょどもの面倒も見なくてはいけないので、本当に教師という仕事は割に合わない。

 全員が礼の姿勢から面を上げて、各々が学生鞄やスポーツバックを手に去って行くのを、いつの間にかまた伸びていた顎髭を撫でながら見守る。

 もう随分と見慣れた光景のはずだが、ついつい「青春だねぇ」などとオッサンくさい感慨が湧いてきてしまう。未来への希望に満ち溢れた若者が、眩しくて目に染みる。


「わ、見て見て!」


 不意に窓の近くが色めき立った。見れば、女子生徒が数人集まって、何やら携帯のカメラを外に向けている。

 有名人でも来たのか、と思いながら名簿と資料を小脇に抱えたときにそれは聞こえた。


「綺麗な夕陽! まるで燃えているみたい!」


 嗚呼、と溜息を吐く。

 と悟ったのだ。


「いや、太陽なんだからみたいもくそも本当に燃えてるんだろアホか」

「うるせぇなマジな話するなよ、風情もへったくれもない。これだから理系は!」

「おっと、理系に対する謂われのないヘイトスピーチはやめておけ???」


 もう一度、今度は窓の外へ視線を向ける。それでも、真一には茜色に輝く夕空など見えない。

 諦めるように小さく首を振って、教室の扉を潜る。もう慣れた話だ。

(さて)

 相も変わらず本当に教育課程上は高校相当なのかここという疑問が浮かぶほど馬鹿でかい廊下だ。ここから国語科教務室に行くのにも相当骨が折れる。

 肩に重くのし掛かる凝りを、腕をぶん回して気休め程度にほぐしながら真一は歩を進める。




「ンにゃぁ……」


 女児向けのアニメ番組によくいるマスコットキャラクターが発しそうな台詞が、四十路へ秒読み段階のおっさんこと高辻真一の口から漏れた。

 時刻は夜の七時。ホームルームがだいたい三時くらいなので、あれから約四時間会議に拘束されていた計算だ。釣瓶落としとはよく言ったもので、日はとっくに沈んでいる。薄暗い廊下には人っ子一人いない。クラスの馬鹿男子どもあたりは「肝試しだ!」とか言って喜ぶかも知れないが。

 今回の会議は酷かった。現代文の教育計画が議題に上がった時、東京の姉妹校・聖玉学園から出向してきた若手エリート教師と古株で国語科主任の大門寺が真っ向から衝突しやがったのだ。

 これが両者一歩も譲らないのだからたまったものではない。会議の場は突如として守旧派と革新派による政治闘争の場へと発展。結局何も決まらず、議題は次回に持ち越しという不毛な結果に終わった。会議は踊るされど云々とは言うが、巻き込まれる側の身にもなって欲しい。だいたい、真一の担当は古文である。

 さて職員室に戻って残ってる業務をやっつけようとなんとか己を奮い立たせたときだった。

 ポケットの中で、携帯電話が震える。


「……」


 苦虫を噛み潰したような表情で、嫌々ながらも取り出すと画面には予想通りの着信番号と名前が出ていた。反射的に着信拒否したくなるのをグッとこらえて通話ボタンを押す。

 ……そういえば、この携帯電話のデザインは百年以上前の鉄歴二〇一五年あたりから余り変わっていないという。それほどまでに、優れたデザインなのだろう。


「もしも――」

『辛気臭い顔で働くな我が校の評判が下がる懲戒として減俸するぞバカ』


 出なければ良かった。

 一三、四の少女と思しき声が、いっそ冷徹に通話口から飛び出てきた。というか、なぜ今の表情を知っている。どこにカメラがある。


『給与も休暇も十分出しているだろう、もっとシャキッとしておけ』

「肉体じゃなくて精神が削られてるんだが。おい」

『なんだ? じゃあ今度嵐山でも行ってみると良い。今の時期は紅葉が良いぞ、さぞかし心も楽しませられるだろう』

「……お前は俺の『歪む世界オーバーワールド』知ってるだろ」


 くつくつと聞こえる笑い声に、ぶっきらぼうに言葉を投げかける。本当にコイツは悪趣味だ、と首を振りながら顔を上げた。

 この聖銑学園が設立されたのはつい一七年前の出来事だ。聞くところによれば、今歩いているこの廊下も輝くばかりに白いのだという。

 それが。

 今、彼の瞳に映るのはただ汚らしく赤茶色にくすんだ廃墟同然の長廊下だ。

 窓から見る街路の電柱や木々から夜空に浮かぶ雲やアスファルトで舗装された地面やあるいは灯りに誘われてふらふらとよってくる虫に至るまで。

 一切合財が、脆く。

 触れてしまえばそのままほろほろと剥がれ落ちてしまいそうに、ただ脆く。

 高辻真一の見る世界は、その全てが錆び付いている。


 日常の中で、我々人間が身体を動かそうとする時を思い浮かべて欲しい。

 多分、「自分がどう動くか」を無意識的にイメージしながら手を伸ばしたり、足を曲げたりするのではないだろうか。

 咄嗟に、無意識的に、という場合にも往々にしてこのイメージの段階を挟んでいることが多い。言い換えれば、人は『日常的に、自分自身に対して己のイメージを反映させ、自己の身体をイメージ通りに改変している』のだ。

 さて、ではここで一つ問題。

 本来ならば自分にしか働かないこのイメージが、自分以外にも適用し且つ改変できるとしたら?

 これを、オーバード・イメージ・コンスティテューション――OI体質と呼ぶ。

 もちろん、これで何もかもが思い通りというわけではない。むしろこのOI体質を活用するにはある金属と相応の技術が必要だし、なによりこのOI体質を持つ者は、あるデメリットを抱えることになる。

 それが、『歪む世界』。

 かつてイギリスという国家があった頃、超常現象研究家アンジェリカ・マナウィダンは「この世界は物質界マテリアル霊質界アストラル冥質界カセドラルという別時空が同座標にレイヤー状に重なり合っている」とする三層世界論セオリー・オブ・トリニティワールドを提唱した。

 この三つの世界は基本的に相互に不可侵だが、何事にも例外というものはある。その一つがOI体質者だ。

 OI体質者は、物質界にいながら霊質界の風景をその瞳に映し、手を伸ばすことができる。

 霊質界自体には固定された風景は、ない。霊質界は“存在”があるだけの世界だからだ。

 故に、OI体質者が持つイメージ――あるいは心象風景とでも呼ぶべきものに沿った世界を観測する。これこそが『歪む世界』の正体とも言える。


 左の二の腕に視線を落とせば、そこには無骨な腕輪型の機械が冷たく輝いている。登録証OICCなどと呼ばれる、OI体質者の管理を目的とした器具だ。それこそが、高辻真一がOI体質者であるということを克明に示していた。

 つまり、この破滅の世界は言うなれば真一自身の心だ。

 錆び付いて、全てが無味乾燥になった世界。だが二〇年以上も抱えてきたせいか、もう慣れてしまった景色。

 真一には何もない。

 ただ、無為に拾ってしまった命を無駄に消費して生きているだけだ。


「で? わざわざ電話まで入れてきて、要件は嫌味と皮肉だけか?」


 この人物ならそれも十分あり得るのが最悪なポイントだ。ヤニが切れていることもあって若干苛つきながら問うと、またスピーカーの向こうで小馬鹿にしたような忍び笑いが起こった。


『まさか。私はいやしくも一つの組織の長であり、同時に中間管理職でもある。そこまで暇ではない』

「学園運営権を盛大に濫用して私物化しておきながらよく言う……」

『犯罪とは咎められなければ存在していないのと変わらない。正直者が損をして、道徳者が泣きを見る世知辛い世の中だと学べよ』


 教育者にあるまじき問題発言だが、これを堂々と宣うあたり大物である。

 それもそのはず、コイツは三〇年以上前の戦争において日本で活動していた民間軍で、最初期から中心的メンバーに居座っていた怪物だ。『未通後家』の二つ名まで持っている。舌先八寸で自分への追究を握りつぶしてしまう程度、朝飯前だろう。


「じゃあ、用事ってなんだよ」

『実は、明日から我が校に編入することになったヤツが一人いてだな』

「またそれは……急なこった」


 思わず目を丸くする。そんな重要事項なら、今朝の職員会議に上ってもおかしくないだろうに。


『先方の強い希望でな。本当に突然決まったんだ。さっきまでせめてもう少し待ってくれと頼み込んでいたんだが、押し切られてな』

「なんだよ、アンタだったらお得意のご弁舌で丸め込んじまうことくらい易いだろうに」

『いや、あの類いには効かないさ。乗せて何かさせるのは実に簡単だが、その分動き出したのを止めるのはほとんど無理だ』


 実に珍しくお手上げという調子の声を上げる『未通後家』。一見褒めてるようだが、内容をよく噛み砕くと要するに「猪突猛進の馬鹿」だと言いたいようだ。


「それで、そのことが俺となんの関係がある」

『大ありだぞ。お前が担任なんだからな』

「はぁ!?」


 いきなり告げられた新事実に目を剥く。


「俺のクラスにその厄介そうなのぶつけるつもりかよ!」

『これも先方の希望だよ。まあ、観念して受け入れろ。ちょっと彼女の要求は無下にできない』

「……?」


 ぽろりと『未通後家』が漏らした台詞に眉を顰める真一。

 尊大で、横暴で、国家元首である天孫にも噛みつく、天上天下唯我独尊が服を着て歩いているような彼女が、それでも無下にできない相手というのが想像もできなかったのだ。

 彼女、ということは女子生徒なのだろうか。一体どんな問題児なのか。


『とりあえず校舎を見て回るとか言ってその辺ぶらついていると思うから、お迎えして差し上げろよ。以上!』

「あっ!? おい!!」


 制止する間もなく、通話が切れる。折り返しても着信拒否されているのか繋がらない。すんでのところで携帯を床に叩きつけるのをグッと堪え、指示されたとおりにとりあえず近くの教室から見て回る。

 そうして、自分の担任するクラスの教室の扉を開けたときだった。

 ガタタッ! という慌てて隠れるような物音が耳に届く。


「……」


 真一の目が、細く、鋭く眇められる。

 わざと足音を高く響かせながら、教室を歩き回る。

 教卓、窓際、無数に並んだ机の最後列……。

 そして、掃除用具が押し込められたロッカーまで来た時だった。


 バン! と。

 勢いよくロッカーの扉が開け放たれた。


 だが。


「そう来るのは――」


 この学校で一〇年、教師をしていた真一の方が早い。


「お見通しなんだよ!」


 驚き怯む様子はない。教師としての経験と勘が、子供が隠れそうな場所を既に察知していた。果たして隠れていたのは自分のクラスのガキンチョか、件の猪突猛進転校生か。どれ、面を拝んでついでに説教してやろうと右手を伸ばし――

 掌が、空を切った。


「…………あ?」


 完全に予想外の事態に、間抜けな声が漏れる。

 そして、気がついた。

 ロッカーの薄い金属製のドア、その換気穴から、まるで蜘蛛の糸のように細い糸が一筋、はるか頭上まで伸びている。よくよく目を凝らせばそれがいわゆるピアノ線であると気づけただろう。

 何より。

 照明は別に切れていない。窓もカーテンは閉め切られていて、月が出ていようが出ていまいが教室の光量にはさして変化はないはずだ。

 だというのに。

 どうして、自分の周囲は急に暗くなっている?


「ッ」


 弾かれるように上を見る。

 ちょっと小さめな大学の講義室とも思えるほど無駄に縦横に長い教室。その天井板の一部が外され、中から一人の少女がこちらに向かって降りて――否、落ちてくるまさに瞬間だった。

 見た目は一〇歳そこらといったところか。異人でございと主張する日本人離れした顔立ちに、勝ち気な釣り目。そのルビーに紛う紅い瞳と目が合う。頭の横には結わえられた二本のテールが風をはらんで、まさしく天使の翼のように白銀に揺れ、――?


 待て。


 違和感に気づく前に、真一と少女が激突する。


「うっづづづづ……!」


 反射的に怪我をさせまいと下敷きになってやったのを後悔する。腰を打った。当たり所が良かったのかなんともなさそうだが、一歩間違えれば寝たきり一直線コースだ。

 予定変更。こんな無茶苦茶をするヤツには大目玉を食らわせてやろうと顔を上げた瞬間だった。

 ジャキッ! と。

 銃口が、鼻先に真っ直ぐ突きつけられた。


「……はい?」

「――アンタがシンイチ・タカツジ? 期待よりも大したことなさそうだけれども、ブランクで鈍ってたのかしら」


 鈴を転がすような可愛らしい、それでいて高圧的な声が降ってくる。

 その主は、仰向けに倒れた真一の腹の上にぺたりと座っていた。

 黒を基調とした、フリルの多いドレスのような服を身に纏った肌は、上質な磁器のように白く、それでいて確かな肉の柔らかさとその下に流れる血の暖かさを感じさせる。

 いかにも高級素材らしくなめらかなその服の、左の二の腕のあたりにはヤドリギの意匠と思しき彫り物が施された登録証がプラチナ色の光沢を放っていた。胸元に輝くのは、石榴ザクロ色の大きな宝石をはめ込んだブローチ。きりりと釣り上がった瞳は、実に鮮やかな赤。ツインテールは生糸とまごうが如く白銀に煌めいている。

 そう。

 全てが赤茶色に錆び付いた世界の中で、まるで浮かび上がるように。

 

 ――美しい。

 あまりにも久しぶりに、心の底からそう感じた。壊死していた心のどこかに、再びなにかが巡り始めるのを感じつつも、長く忘れていたその感情に戸惑う。

 だが、先方はそんな真一の事情などは知らない。


「ほら、私が質問してるのよ? 早く答えなさい」

「な、ん」


 何だお前は、という言葉は声にはならなかった。

 なにか言い返そうとしている空気を察したのか、少女がその手に持つ拳銃をズイッと一層こちらへ突き出してきたのだ。


「……そうだ」

「よろしい」


 少女の口がむふーと得意げに歪む。まるで悪戯を成功させた無邪気な童女そのものだ。


「では、シンイチ」


 白い、新雪のように白い肌の中で一点薄紅色に染まった唇が、告げる。


「――私を、あなたのモノにしなさい」




 時は魔鉄歴三〇年、九月の三〇日。

 それが、高辻真一とレイラ・グロリアーナ・ベラルスの最初の出会いとなった。

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