第弐拾節
「おや千さん、久しぶり。お月ちゃんは元気にしてるのか?」
万屋の店先に現れたのは、長屋のガキ大将の一人だった。
「てめーこそ、何してやがる」
「お使いだよ。頼まれたものを届けにきたんだ」
虎次郎はそういうと、店子にどこからか頼まれたらしい手紙を渡した。
代わりに小銭を受け取る。
「最近は千さんも、お月ちゃんの姿も見えないから、みんな心配してるよ」
その小さな顔と握りしめた拳を見て、俺はふと妙案を思いつく。
横にあった飴箱の蓋をあけた。
「一つ取れ。お代は俺が払う。他の長屋の子どもも全員呼んで来い。月星丸を一番最初に見つけた奴には、もう一つ飴をやる」
「やった! どんだけ凄い人数になっても、ちゃんと約束は守れよ!」
「当たり前だ」
虎次郎が駆けだしていく。
どんな大人に頼むよりも、子どもたちの方がこういう時には頼りになる。
走り去る虎次郎の背を見送ってから、俺は再び月星丸を探して歩き始めた。
さて、俺はどこを探そうか。
全く、この俺が消えた女の姿を探して、町中を歩き回る日が来るようになるなんて、思いもしなかった。
薄い青の空を見上げる。
ハケで擦ったような雲が走っている。
平和に見えるこの町のどこかにも、月星丸のように過酷な日々を送っている、大人のような子どもがいるのだろうか。
野犬の群が通り過ぎて行った。
どこかで血のにおいでも嗅ぎつけたのか、興奮した様子で走り去ってゆく。
いつだって狙われるのは、一番弱くもろいところだ。
萬平の、俺の迎えを待っているという言葉が、どこかに引っかかっている。
そのことが原因でうまく捜索に集中できない。
俺の迎えを待っているのなら、なんで逃げ出すかなぁ。
面倒くさいだけなのに。
いつもの大通りを、過ぎゆく人々にそっと目を凝らしながら歩く。
気をつけて見てはいるが、こんなところに月星丸のいる様子はない。
一体なぜ、誰があんな小娘の命を狙っているというのだろうか。
そんなところから抜け出してきた、月星丸の過去を思う。
あの男装も、いつからの習慣なんだろう。
随分と男仕草が身につきすぎている。
そんなことよりも、俺はあの子どもを救って、どうするつもりなんだろう。
俺と一緒に暮らしたいと言ったのは、本望なのだろうか。
今日は少し風が強い。
梅雨入り前の季節に、わずかに肌寒い。
深手を負った月星丸が、余計に体を弱らせていなければよいのだが。
橋の上に立つ。
下に流れる川を見て、また空を見上げた。
いかん、月星丸を探しにゆかねば。
「千さ~ん!」
虎次郎の声が聞こえた。
「こんなところにいたのかよ、探したぜ」
長い距離を走ってきたのか、虎次郎は両膝に手をついて息を整える。
「お月ちゃんが見つかったって」
「それはまことか」
「こっちだよ」
虎次郎に案内され道を急ぐ。
連れて来られたのは、海だった。
潮風が喉にひりつく。
ぽつりぽつりと浜で漁をしているのに混じって、一人座る月星丸の背中が見えた。
「ほら、あそこ」
他にも数人の子どもたちが、打ち上げられた砂で出来上がった浜堤の後ろに隠れて、のぞき込んでいた。
「な、お月ちゃんだろ?」
ただ座って、波の打ち寄せる穏やかな海を見ている。
疲れてはいなのか、腹は減っていないのか、傷の具合はどうなのか。
月星丸はじっと座って、背中を向けていた。
「ほら、千さん行ってやれよ」
「あぁ、そうだな」
俺は浜堤からのぞき込む子どもたちを見た。
「お前たちが見つけたんだ。一緒に行こう」
「いいのかい?」
「当然だ」
駆けだした子どもたちと一緒に、白い花の咲き乱れる砂浜を下りてゆく。
「お月ちゃぁ~ん!」
子どもたちの呼ぶ声に、月星丸は振り返った。
そのまま月星丸に飛びついて抱きつくと、はしゃぎまわって喜んでいる。
「どこ行ってたんだよ、探したんだよ!」
月星丸は俺を見上げる。
俺と手を繋いでいた子どもの手が離れると、その子も月星丸に飛びついた。
「もう、心配してたんだからね!」
子どもの手が月星丸の頬を挟む。
こつりと額同士を合わせた。
「う、うん。ごめん。ごめんね」
子どもがにっこりと微笑むと、月星丸の目に涙があふれた。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
月星丸は子どもを抱きしめる。
その子どもも、うれしそうにぎゅっと腕を回した。
「大丈夫だよ、だからもう泣かないで。一緒に帰ろう」
「うん」
月星丸の腕から、するりと子どもが抜け出した。
砂のついた手を握りしめる。
「傷の具合はどうだ?」
「うん。ちょっと痛いけど、平気」
立ち上がった月星丸を、俺はただ見ている。
「千さんも、探してくれたんだね」
「一応な」
月星丸は少しだけ微笑んだ。
「ほら、お前らも帰るぞ!」
浜で遊び始めた子どもたちに声をかける。
子どもたちは、はしゃぎながら駆け寄ってきた。
月星丸の手を、小さな子どもの手がつかむ。
にぎやかな集団は歩き始めた。
子どもたちの他愛のないおしゃべりが続く。
月星丸はそれを、うんうんと聞きながら歩く。
にこにこ笑って、その歩調に合わせて、ゆっくりと進む。
やがて歌を歌い始めた子どもたちと一緒に、俺は月星丸と長屋へ向かった。
「じゃあな、おやすみ!」
手を振って、それぞれの家に子どもたちは戻っていった。
俺は夕明かりの中に立つ月星丸に目をやる。
「傷口は大丈夫か」
「うん」
月星丸は、長屋の引き戸に手をかけた。
「辛いのなら、関のところに戻ってもよい」
「平気だよ」
ガラリと音を立てて、扉を開いた。
その瞬間、月星丸は息をのむ。
「ひっ!」
とたんに、その場にうずくまった。
「どうした?」
俺は月星丸の肩越しに、部屋の中をのぞく。
家の中が、ぐちゃぐちゃに荒らされていた。
古い畳も破られ、床板まで突き破られ、破壊されている。
家財道具も何もかもが壊され、置いてあった米や漬け物などの樽や桶も全てひっくり返されていた。
「なんだこれは!」
その様子に、呆然と立ち尽くす。
月星丸が逃げる様に走り出した。
「待て!」
俺はその腕をつかむ。
「どこへ行く気だ」
「離せ!」
必死で振りほどこうとするその手を、俺は離さない、離すつもりもない。
「誰の仕業だ。お前の知っていることを全部話せ」
月星丸は、激しく首を横に振る。
「お前がここにいる限り、このようなことが続くのか。それでもお前は、ここに居つづけることが出来るのか。それが嫌で関の家を抜け出したのではなかったのか。」
涙を流す目で、俺を見上げる。
「それでも俺は、お前を探して連れ戻した。ここに居たいのではなかったのか? 居たくないのなら、話す必要はない」
月星丸の手を突き離す。
涙が止めどなくあふれ出している。
「お前の命を狙うのは、何者だ」
「お、俺は……、お……」
月星丸がふらりと倒れる。
気を失ったのか、それを倒れる寸前で受け止めたのは、葉山だった。
「ここはもう無理だ。他に身を隠す場所を用意した。そちらに移れ」
葉山は何よりも大切な貴重品を扱うように、月星丸の体を持ちあげた。
その体の上に、姿を隠すように着物を掛ける。
「急げ」
そう言った葉山に、俺はすらりと腰の刀を抜いた。
「待て。どこに連れて行く気だ。いい加減お前も正体を現せ」
俺は慎重に、葉山との間合いを取る。
「女を置いて行け。さもなくば斬る」
葉山はじっと俺の目を見る。
「無礼者。今すぐその刀を収めろ。この方は、第十一代徳川家将軍、家斉公の姫であるぞ」
葉山は木戸門を抜けると、どこかへと走り去った。
気がつけば、俺は始まったばかりの夜の闇の中を、葉山の背を追いかけていた。
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