第九節

夜の町は人通りが少ないとはいえ、入りくんだ通りに身を隠す場所も多い。


「くっそ、何故逃げた!」


あのまま大人しくしていれば話しが早かったものを、どうしてこんなに手間をかけさせやがる。


とことん面倒くさい奴だ。


数人の男がまとまって走る足音が聞こえる。


俺はとっさに身を隠した。


何を話しているのかまでは聞こえないが、集まった男たちは二人ずつの組みになると、そこから四方に散っていく。


月星丸を探しているのは、俺だけではない。


やみくもに探し回っても、見つからないことは分かっている。


俺が奴を騙して万屋へ連れて行ったことで、敵方とつるんでいると思われたかもしれぬ。


そう思うと、俺の姿を見かけたところで、向こうから近寄ってくる公算も低い。


行く当てもない子どもが、駆け込むとするならどこだ? 


立ち止まって、息を整える。


町中を走り回る複数の足音に、ピリピリと耳をそばだてながら、俺はゆっくりと歩き出した。


あいつらが見つけるも一瞬先に、俺がみつければよい。


辺りににらみをきかせながら、慎重に町中を進む。


やがてたどり着いた橋の上で、万屋に月星丸を迎えに来ていた男の姿を見つけた。


これを逃す手はない。


「これはこれは、お探ししていた坊ちゃんを無事に届け終えて、一息ついたというところですかな?」


男は俺を振り返った。


その視線が、俺の思惑を探っている。


「まぁそういったところだ。そなたは?」


「ちょいと探し物をしていてね、見つけたと思ったら逃げていきやがったもんで、また振り出しでさぁ」


「そいつはお気の毒だな」


男は視線をはずした。


十分な間合いを取れる位置で、俺は立ち止まる。


「ところで、あんたらの探しているものは、なんだ」


「そんなものはない。もう見つかった」


俺はゆっくりと刀を引き抜く。


「ならばそいつを、ちょいと見せてもらおうか」


切っ先を向けて、正眼に構えた。


それを見ても、男は微動だにしない。


「悪いが今は手元になくてね」


「そいつは納得いかねぇなぁ!」


俺は男に斬りかかった。


抜かれた相手の刀は、予想よりわずかに早く強い。


俺は後ろに飛び退いた。


男に動揺や焦りの色は見られない。


「そなたが何者なのかはここでは詮索いたさん。だがこれ以上首を突っ込むとなると、話しは別だ」


男は中段に構えた。


俺はそれよりもわずかに剣先を下げる。


「どこのお坊ちゃんだか知らねぇが、なにも命までとることはあるまい。俺に預けてくれれば、あんたらに迷惑はかけねぇって言ってるんだ」


男が踏み込んだ。


上から斬りかかってくるのを、しっかりと受け止める。


「捨ておけ、そなたの人生に関わりのないことだ」


「もちろんそれは承知の上だ」


力で押しのける。


再びぶつかった二本の刃が、視線の間で火花を散らした。


「だけどまぁ、一度でも知っちまったもんはなかったことには出来ねぇだろう? あんまり人が死ぬところは、見たくねぇよなぁ」


ギリギリと刃と刃がかみ合う。


少しでも接点がずれれば、すぐに斬られる。


「そなたの相手をしている場合ではない」


「そんなさみしいこと、言うもんじゃねぇだろ?」


押しのけられるその手前で、後ろに飛び退く。


振り上げられた刀の下をくぐり抜け、背後に回る。


もう一度中段で向かい合った。


「これ以上邪魔立てすると、本気で許さん」


「望むところだ」


俺が刀を振り上げた、その時だった。


「葉山さま! 月星丸さまが見つかりました!」


斬りつける俺の刃の切っ先を、葉山と呼ばれた男はひらりとかわす。


「案内しろ」


「こちらです」


葉山は刀を鞘に収めた。


「おいコラ待て! まだ勝負はついてねぇぞ!」


月星丸確保の一報を受けてか、周囲に葉山の手下が集まってきた。


「そいつの相手はお前らに任す。手強いぞ、気をつけろ」


男の言葉を合図に、五本の刀が一斉に抜かれた。


その隙に、葉山は案内の男と走り出す。


「待て! 待てって言ってんだろこの野郎!」


斬りかかってくる仲間を、さっと二人ほど斬り倒す。


振り返った残りの三人は、刀を構えてはいるものの完全に及び腰だ。


「くそっ」


ここでこいつらの相手をしていれば、本当に月星丸が捕まってしまう。


俺は刀を鞘に収めた。


それを見た手下が叫ぶ。


「卑怯者! 神妙に勝負いたせ!」


「うるせぇ、お前らの相手にはならねぇよ!」


葉山の走り去った方向に向かって走り出す。


あいつに捕まる前に何とかしなければ。


夜廻りの笛が聞こえる。


あまり騒ぎを大きくしたくないのは、あいつらも同じはずだ。


二人組のお侍の姿が、今夜はやけに多い気がする。


声をひそめ辺りに鋭く目を光らせている様子は、いつもの遊び人どもの酔い歩きとは違う、異様な風景だ。


走りながらどれだけ耳をすませても、もめ事や騒ぎのような喧噪の気配はない。


葉山は本当に月星丸を見つけたのか? 


それとも、すでに捕らえたか? 


逃げ足の素早い奴だ。


どこかにうまく身を隠していれば助かるのだが。


立ち止まった四辻の中央でぐるりと辺りを見渡す。


夜の町はしんと静まりかえっていた。


今この瞬間にも、月星丸の命が危ういというのに。


気持ちだけが焦るばかりで、一向に埒が明かない。


俺は腕を組むと、ゆっくりと歩き出した。


葉山の手先なのか、時折角に立つお侍が俺をギロリとにらみつける。


俺は酒に酔ってふらふらと町をさまようふりをしながら、月星丸の姿を探していた。


依頼の仕事が終われば、その後は深入りしないのが鉄則だ。


確かに俺にしたところで、奴を追いかけて得することは何もない。


辻に立つ侍が俺を見ている。


立ち止まりはしない。


俺はただ歩いている。


万屋から受けた仕事は、月星丸を探すことであった。


その仕事は終わったのだ。


その後のことは気にすることはない。


あいつは自分が殺されると分かっていたから、帰りたくなかったのか。


逃げ回っていた奴の行動に、今なら何もかも合点がいく。


月星丸は、自分の身の置き場を求めてさまよっていたのだ。


俺は夜空を見上げた。


月星丸という妙にキラキラした名のわりには、今宵は雲に隠れて何も見えない。


途切れた切れ間から、わずかな星が見えるだけだ。


きっともう、葉山とかいう男に捕まったに違いない。


だとすれば、今頃はもうこの世の者ではないだろう。


どこの誰だか素姓は分からぬままであったが、もしかしたらその方がよかったのかもしれない。


俺は頭を激しく左右に振った。


もう考えるのはよそう。


萬平の言う通り、案じたところで何がどうなるわけでもない。


夜道を歩く。


いつもは静かな江戸の町が、今夜は落ち着きがない。


無数の足音と叫び声が、聞こえないはずの頭に響く。


「くそっ、あの野郎どこに逃げた」


夜道を急ぐお侍の姿を見かける。


ひそひそと人目を気にして交わしている言葉の数々。その声をたどりながら俺は夜道を歩く。


彼らのささやき声に導かれるようにやってきたのは、花街の近くだった。


この辺りは夜でも人の出入りが多く通りも明るい。


「やぁ、あんたまだいたのか」


妖光漂う町へと続く門の前に立っていたのは、葉山だった。

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