第八節

月星丸を連れて、店じまいの始まった万屋の店先に立つ。


「萬平どのはおられるか。約束の品を受け取りにきた」


月星丸は疑う様子もなく、店に並べられた数々の品をながめている。


「ふむ、ここはなかなかの大店だな」


「おやおや、お褒めにあずかり光栄にございます」


どんな相手に対しても、絶対に腰の低さを崩さない萬平が奥から姿を現した。


月星丸の顔を見て、太く抜け目のない眉がぴくりと動く。


「ほほう。これはまた千之介さま、どちらでこのお方とお知り合いに?」


「話せば長い。また後だ」


萬平は静かな笑みをその顔に浮かべた。


「ご注文のあったお品は、今届いたばかりにございます。どうぞお二人とも、奥へおこし下さいませ」


萬平に案内されて、いつもとは違う客間に通される。


そこには月星丸を迎えにきた男二人が、隅に控えていた。


「月星丸さま! お探しいたしておりました」


男たちは深々と頭を下げた。


月星丸は一瞬丸く大きく見開いた目を、すぐに元の大きさに戻す。


「……そうか……、ご苦労であった」


裾の短いボロのくせに、長年のくせなのか長い振り袖を払うような仕草をしてから、座布団の上に腰を下ろす。


「苦しゅうない。帰宅する」


迎えに来た男は、もう一度丁寧に頭を下げた。


頑として帰ることを拒んでいた家の迎えを、毅然とした態度で申し受ける。


それを見た男たちは、安堵のため息をついた。


「万屋、そなたの評判には間違いがなかったようだな」


「ありがたきお言葉にございます」


萬平がひれ伏すから、俺も頭を下げておく。


「我々は、方々に手を尽くして、それはもう、月星丸さまを、お探しいたしておりました」


男たちは月星丸を振り返った。


月星丸はどこか遠いところを見ているようだ。迎えの二人は立ち上がる。


「では、月星丸さま、こちらへ」


能面のように、月星丸の表情が固まっている。


あれほどにぎやかでやかましかった月星丸が、まるでからくり人形のようだ。


動かす手足の幅さえも訓練され厳しくしつけられたたように、ぴったりと正確に動かした。


万屋の下女に案内されて、迎えの者と共に部屋を出て行く。


俺がじっと見つめているにも関わらず、月星丸は一度も目を合わそうとしない。


三人を見送ってから、萬平はやっと息を吐き出した。


「まったく、千之介さまにはいつも驚かされます。おかげで荷の重い仕事の依頼が、すぐに片付きました」


「それほど荷が重かったのか?」


「そうですよ。過分に圧力をかけられていましてね」


「どこの名家だ」


「聞いておりませんよ。それは尋ねる方が野暮というものです」


萬平は茶をすすった。


「よほど大切なお方だったのでしょうね」


そのわりには、あっさりしすぎているような気がする。


感謝の言葉も、感動の再会も何にもなしか。


騙すようにつれてきて、散々駄々をこねて暴れるかと思っていたのに。


俺は、刀の柄に手を置いて立ち上がった。


「おやおや、どこへ行かれるのですか?」


「それを確かめぬことには、納得がいかぬ」


俺はすっかり日の落ちた町の中で、月星丸を乗せた籠の後をつけ始めた。


あのケチな万屋に依頼してくるような連中だ。


相当な金を積んでいることは間違いない。


迎えもきちんとした使者をよこしている。


あいつがあれほど帰るのを拒んだ家とは、どんな家だ。


静かな夜の闇の中を、月星丸を乗せた籠がゆっくりと動いていく。


護衛は三人。


籠は案の定、大名たちの上屋敷が並ぶ町の方向へと向かっていた。


途中、籠の担ぎ手が変わる。


万屋で挨拶を交わした男たちは、そこで別の護衛二人と入れ替わった。


籠の行き先が変わる。


中に乗る月星丸に、行く先が分からなくなるよう、ぐるぐると無駄に路地を迂回しながら進む。


これでは、帰宅に向かっているのではなく、どこか別の場所へ誘拐しているようだ。


籠はついに、人里から離れた大きな川のほとりにやって来た。


担ぎ手と護衛の踏みしめる砂利の音が闇夜に響く。


籠はそこへ下ろされた。


供の者が担ぎ手に金を渡すと、彼らは逃げるように走り去る。


籠から出された月星丸は、むき出しの石の上に両膝をついて座らされた。


静かな夜だ。


抜かれた二本の刀が、鈍い光を放つ。


そのうちの一本が、月星丸の頭上に掲げられる。


振り下ろされるその瞬間、凶刃はカチンと小石に火花を散らした。


「何者!」


俺はすらりと刀を抜いた。


「どこの坊ちゃんかと思っていたら、随分な扱いだな。大金を積んで探しあてたわりには、もったいねぇことするじゃねぇか」


「今すぐここを立ち去れ!」


男が斬りかかってくる。


コイツらは途中で入れ替わった雇われのやくざ者どもだ。


一人目をバッサリと斬り捨てると、俺はすぐにもう一人を振り返った。


「今すぐここを立ち去るのならば、命だけは助けてやろう。ただし、この坊ちゃんは俺がもらい受ける」


男は俺との間合いを見計らっている。


そう簡単に引く気もなさそうだ。


「なに、望み通りこの坊ちゃんは、ここで斬り殺したことにすればいい。あんたらに迷惑はかけねぇ。俺はコイツを連れてすぐに江戸を出る。二度とあんたらの依頼主とコイツが顔を合わすことはねぇよ」


刃先を突き合わせて、にじり寄る。


とたん、月星丸が砂利を蹴って走り出した。


一目散に町の方へ向かって逃げ出す。


「おいコラ待て!」


俺とにらみ合っていた男は、すぐに月星丸を追いかけた。


俺が斬りつけた男も立ち上がり、ふらふらとその後を追う。


「くっそ、あの野郎!」


助けてやろうと思って出てきたのを、あいつにはそれが伝わらなかったのか? 


俺が本気であいつを売ったとでも思ったか。


刀を鞘に収めると、俺も逃げた月星丸の後を追った。

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