小噺『三途の川 渡し賃 値上がりしました』

「……えっ?」

「だから、渡し賃は税抜30,000円、税込で33,000円だ」

「此岸から彼岸まで、だよ。六文銭って300円くらいの価値じゃないのか」

「最近、六文銭が高騰してね。大河ドラマで真田家をやった頃からだったか」

「……まあ、それは百歩譲って。税込32,400円じゃなくて?」

「あんた、あの張り紙が見えないのかい」

 受付の男が指差す方を見ると、確かにこう書いてあった。


<三途の川 渡し賃 値上がりしました(消費税分)>


「あんたちょっと遅かったねぇ。今、何時かわかるかい」

 男が言うので私は腕時計を見ようと視線を下げる。

 しかし、あの世に時計は持ち込めないらしい。


「今は10月1日の午前零時二分だ。残念ながら、軽減税率対象外で10%の消費税がかかるのさ」

 苦虫を噛み潰したような顔をしている私をあざ笑うかのように、やけに演技がかった調子で言った。


「ちょっとくらい良いだろう。たった二分じゃないか」

「いんや駄目だ。そしたら次の客も、そのまた次の客も、いつまで経ってもサービスし続けなきゃいけなくなる。お役所仕事と思って諦めな」

「そんなぁ。あの世でも金がかかるって聞いたから節約したいのに」

「9月30日までに買っておいたら良かったのにな。そしたら8%の消費税で乗れたぜ」

「いやいや、そりゃ無理だろ」

「もしくは回数券でも8%のまま、追加料金は無しだ」

「何回あの世とこの世を彷徨さまよう気だよ」

「あとは年間パスもそのままで使えるな」

「年パス使って三途の川渡るのかよ。もはや顔パスじゃねぇか」


「じゃあやっぱり諦めな」

「はあ、は急に止まれないってもんだからな」

「車? なんだいあんた交通事故で死んだのかい」

「いやいや、病魔に侵されたのさ。早いね、あっという間さ」

 私はため息をついた。

 落ち着いたら、怒りがふつふつと湧いてきた。

「死の淵で聞かされたよ、増税するから厳しいですねって。保険適用外診療は消費税かかるからさ。なんだよそれ。じゃあもういいよ、こっちから死んでやるって」

「相変わらず現世は世知辛いねぇ」

「まったくだ。ああもういいよ、増税でも何でも良いよ、払ってやらぁ!」

「お客さん、活きがいいね。死ぬのが勿体ないくらいだ」


 渡し賃を払い、船を待つ。

 しばらくしてやたら大きな船が停泊する。

「おいおい、ちょっと待て。乗り合い船かよ」

 最近は大繁盛らしく、船頭の数が追いつかないかため大船が主流らしい。


 乗るための列に並ぼうと近づいてみると、何やら騒がしい。

 どうやらトラブルのようだ。

 クレーマーというのはどこにでも存在するらしい。


「おいおい、俺ぁ一週間前からチケットを買ったんだよ。その自由席を指定席にすると消費税が10%って、なんでだよ! 9月中に買ったんだから8%だろうがよ!」

「いいや駄目です。乗車賃そのものは8%のままで良い。だが変更は新税率が適応されるんです!」

 乗客がやいのやいのと揉めている。

 乗務員は毅然とした態度で対応しているが、それが余計に気に食わないのだろう。

 さらにバトルはヒートアップしていき、とても出発できる雰囲気ではない。


 一週間前からか。

 本当にいるんだな、そんな物好き。


「ねぇ、指定席を自由席に替えたときの差額は10%なのかしら?」

 若い女性が会話に割って入る。

「いえ、それは旧税率が適用されるので8%です」

「ああ? なんだよテメエさっきから都合のいいことばっか言いやがって」

「そう言われても、法律で決まってますから」


 なんてことだ、まだまだ出発できそうにない。

 時間つぶしに周辺を散歩することにした。


「こちらキ○スク三途の川出張所でーす。もうすぐキ○スクじゃなくなりまーす」

 気だるげな声を出し、やる気のない店員による客引きの声が聞こえる。

 ほぼ全ての店舗が地獄より恐ろしい某コンビニチェーンになる予定だったか。

 こんなところまで出張営業とは、同情する。


「そこの人、おっと『元』人間さん、食事はいかが?」

 店の前を通ると売り子に声をかけられた。

「元は余計だ。確かに小腹は空いてるな」


 商品を軽く物色する。

 ディスプレイに並べられた商品は光に照らされ、何でも美味しそうに見えた。

「これをもらおうか」

「はーい。ここで食べます?」

 店員が視線を向けた先には店名の書かれたイスが並べられていた。

「そうだな、ここで食べようか」

「まいどありー。じゃあ税込550円でーす」


 座って食事していると、次々と客が訪れる。


「ここで食べます? お持ち帰り?」

「持ち帰りで」

「あいよー。じゃあ税込540円でーす」


「ここで食べます? お持ち帰り?」

「持ち帰りで」

「あいよー。じゃあ税込540円でーす」


「ここで食べます? お持ち帰り?」

「持ち帰りで」

「あいよー。じゃあ税込540円でーす」


 そして次々と向かいのベンチに腰掛けて食事を始める。

「おいおいちょっと待てよ。なんで同じ商品を買ってるのに消費税が違うんだ!」

 私は憤りを覚えて店員に文句を言う。


「え、だってお客さんここで食べてくって言ったじゃないですかー。店内飲食は10%、持ち帰りは8%ですよー」

「でも、みんなイスに座って食べてるだろう」

「そのイスはウチの店が用意したもの、向こうのベンチは勝手に置いてあるもの。だからどこで食事しようと客の勝手ですよね。それどころか、持ち帰るつもりで買った商品を気が変わってその場で食べるってなっても、ウチの店としては感知しません」

「ほとんど詐欺じゃねえか!」

「たまたまです。たまたまそこにベンチがあっただけ」

「換金所の言い訳じゃないんだからさ……」


「じゃあ持ち帰るからさっきの差額返せよ!」

「購入時の意思なので後から変更は無理ですねー」

「くそっ! 怒鳴ったら喉がカラカラだ……」

「じゃあお飲み物はいかがですかー。ここで飲みます?」

「持ち帰りだよ!」


 まだまだ船が出発する様子はない。

「なんだよ、全然じゃねえか。おい、新聞くれ新聞」

 私は再びキ○スクに戻ってきた。


「えーっと、税抜150円だから……税込165円でーす」

「ん? 新聞は軽減税率適用じゃなかったか」

「定期購読じゃない場合は10%になっちゃいますねー」

「またそのパターンかよ。ああいいよ払うさ」

「毎度ありー」

「まったく……へー、あの監督今シーズン限りか、やっぱりな」


 私が新聞記事を眺めていると、遠くで騒ぐ声が聞こえてきた。

「お、おいっ! 誰か倒れたぞ!」

「急な発作だ。誰か薬をっ!」


「やれやれ、三途の川で死なれちゃ困りますね。ちょっと行きますか」

 店員が気だるげに言う。

 ここで死んだらどうなるのか、ちょっとだけ気になる。

 しかしこれからともに船に乗る仲間だ、死なれちゃ寝覚めが悪い。


「わ、わしゃあいつも持病の発作が出たときに飲む市販薬があるんじゃが……」

「なに、そこの店で売ってるかもしれんぞ!」

「薬あるよー。大体ほとんど10%だよー」

「ろ、ローヤルゼリーはあるかえ」

「第三類医薬品なら10%だけど、それなら清涼飲料水扱いで8%ですねー。はい」

「いやぁ、いつもこの薬を飲んだら気分が良くなるんだ」

 薬じゃないけどな、それ。

 あんた騙されてるよ。

 ……だからここに居るのか。納得。


 まだまだ船は出発しそうにない。

 待ちぼうけの私に胡散臭い男が近寄る。

「まったく世知辛い世の中だ、こんなところに居ても幸せが逃げちまうぜ」

 死して尚幸福を求めることの意義は見出だせないが、それには同感だった。


「見たところ、最近はカンカン照りで水嵩も低い。三途の川を歩いて渡っちまっても構わないんじゃないか?」

 男の言葉に改めて三途の川を見ると、なるほど今年は梅雨が短かったせいで今にななっても水位は回復していない。

 こいつは盲点だ。


 水面を眺めていると、一人の老人が何かを察したのか近づいてくる。

「おいおいあんたら、どちらに行きなさる」

 ぎょっとした顔をすると、その老人は言葉を続ける。


「三途の川はガンジス川だ。つまり、直接この川を渡ったら、その先はインドってわけだ。悪いことは言わない、やめときな」

「なんだい爺さん、あんたはこちらから悔しそうに眺めてなよ」

「いいのかい。インドは『物品・サービス税(Good and Services Tax:GST)』ってのが消費税の代わりに存在するんだ。5%、12%、18%、28%の軽減税率が適用されていて、一般的なサービスは大方18%だ。川を渡って、インドの税率が適用されるぞ」


「……まだ日本は恵まれている方かもな」

「ああ。このまま日本の法のもとで裁かれる方が良さそうだ」

 すんでの所で老人の言葉に助けられた。


「それにな。もっと深刻な問題がある」

「なんだい」

「ガンジス川の水なんて飲んだら、腹を壊すぞ」

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