第2話 2
パン、パン。
家の裏でシーツを干しながら、ふと目をやった先に、焼け焦げたクヌギの大木がある。モモの仕業だ。いつの間にか私はモモと出会った頃を思い返していた。
当時の私は誰にも、何にも会いたくないという拒絶とそれに相反する、焼け付くような孤独を感じていた。そして私の人生を通り過ぎていく人たちに募る思いと、そんな人たちを増やしたくないという意地が、私を森の奥に閉じ込めていた。
そんな矛盾に苛まれていた時に私の元にやってきたモモ。
+ + +
モモは、息も絶え絶えの母親に抱きかかえられて、この家にたどり着いた。まだ日も上がりきらない早朝に、うるさく騒ぎ立てる鳥の声を不思議に思った私が家の外を覗くと、薄暗がりの中、大木の下にうずくまる物の姿が目についた。
この家に人が訪れることなど全く予期していなかったので、その黒い塊りが人だと認識できるまで、しばらくかかった。塊の周りで様子を伺うハゲワシを追い払うように動く手を見て、私はそれが人間だと理解した。
箒を掴むと、外に飛び出して、ハゲワシを追い払った。
「シッ!シッ!お行き!」
ハゲワシが飛びのいて、ようやく、その塊が女性であること、側に、黒い布をかぶって、膝を抱えてうずくまる子供がいることに気がついた。
子供は目を丸くしてひたすら母親を見ている。急いでこの子たちを家に引っ張りこまないと、魔物か捕食者の餌食になるだろう。
母親の背にそっと手を置くと、 べったり手に血が付いた。
驚きのあまり声も出なかったが、放っておくことも出来ない。肩に手をかけて軽く揺すぶると、女性の目が開く。子供にそっくりの黒い瞳だ。
しかし、その瞳からは、急速に生気が抜けていく。ああ、何度も目撃した、死の瞬間が近づいて来る。
母親の唇が嫌そうに歪んだかと思うと、まるで最後の息を吐き出すように声が出た。
「・・・モモをお願い・・・」
それっきり母親の瞳は虚ろになった。呆気ないものね。
子供は母親に手を伸ばすと、その頬をペシペシと叩いている。
「ママ。」
ギャー、という鳴き声とともに、ハゲワシが戻って来た。母親を狙う鳥の姿を子供に見せるには忍びない。母親の遺体は後で引っ張りこめばよいだろう、まずは子供を家の中へ、と、箒を捨てて、子供を抱きかかえた。
母親が呼んだ、モモという名前は、この子のものだろう。
「ママは後で連れてくるから、とにかくお家に入ろう?」
私は、モモを抱き上げると、急ぎ足で家に向かった。モモは私の肩越しに、母親から目を離さない。
「ママ!」
目の前にいきなり炎が巻き起こった。
アチ!アチ!あっつい!
モモをしっかり掴んで、炎から顔を背けると、背後にも青白い炎が上がっている。
ヒェー!囲まれた!逃げ道を探してあたりを見回すと、母親の周りにも火の手が上がり、火のついたハゲワシが転げ回っているのが目についた。
「ママ!」
抱えているモモが身を捩り、私の腕の中から逃れようとする。伸ばした両手の方向から、今度は真っ赤な炎が上がる。クヌギの木に留まって様子を見ていたハゲワシに、木の枝ごと火がついた。
この子が?この子がやっているの?
「ママー!」
モモを必死に抱きかかえる。取り囲む炎の熱で、自分の髪の毛が焦げる嫌な匂いがした。
どう考えてもこの火はこの子が起こしてるよね。
とはいえ、モモが火傷をしないという保証はない。モモを抱え直し、胸の中に抱き込んだ。モモが落ち着くまでこうしてる他ないだろう。しかし火の手は母親の遺体に迫っている。
いつになったら終わるんだ!
「モモちゃん!やめなさい!ママが燃えちゃうわ!」
泣き叫ぶモモに、私の声はなかなか届かなかった。漂う煙にむせながら、それでも必死に説得を続ける。
「モモちゃん!ママがイタイ、イタイって。やめようね?」
モモが濡れた目で私を見上げるのに、随分時間がかかったような気がする。それでも母親の遺体に火が燃え移る前に、炎が収まったのは幸いだった。
+ + +
パン!パン!
洗濯物のシワを伸ばしながら、再びモモのことを考える。
炎のコントロールがうまくできるようになったモモ。そろそろこの二人暮らしをやめて、モモを普通の生活に戻してやるべきかしら。私はこの人目を避ける生活をやめられないけれど、モモはうまくやれるかも。彼女の母親だって、こんな森の奥で、私しか触れ合う人間のいない、こそこそした人生をモモに送らせるために命を張ったわけではないだろう。さて、どうするか。
考えごとをしていると、いきなり空に細い火柱が上がった。
バッシューン!
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