お迎えが来るまで

大島周防

モモ

第1話 1

パシャッ!


タライから顔に水を跳ね上げ、起き抜けの寝ぼけた頭に喝を入れた。屈んでいた腰を伸ばすと、雑巾になる寸前のタオルで顔を拭き、この家に唯一ある鏡に映り込む自分の顔を眺める。


相も変わらずの老け顔で、ほうれい線がくっきり。おまけに落ちている頬のせいか顔がなんとなく四角に見える。こめかみの白髪が目立つ髪は、艶のない栗色。ジェイコブが「曇りのない」と褒めてくれた琥珀色の目が、鏡から見返している。


私の後ろを通り過ぎたモモが、鏡を覗く私に向かって、


「何度見たって同じでしょうに。100年も200年もおんなじ物を見て、よく飽きないね。」


と、声をかけた。


嫌味ではない。本当に私はこの同じ顔を、もうかれこれ300年も見続けているから。毎日、毎年、変わることのないこの老け顔を。


まあ、要するに、不老不死というやつ。


歳も取らなければ、死にもしない。ダイエットをしても贅肉は落ちないし、やけ食いしても太らない。いいかげん食べることにうんざりして、何度か飢え死にを試してみたけれど、お腹が減って苦しくなっただけで、やっぱり死ななかった。4人も子供を産んでたるんだお腹はそのまんま。お尻は四角く、プルプルの二の腕も細くなることはなかったし。絶食は、刺すような胃の痛みとひび割れた唇から流れる血を味わっておしまい。飢えの 苦しさに負けて、また食べ始めざるを得なかった。


なんの変わり映えがないとはいえ、鏡を見る習慣はなかなかやめられない。いつかシワの一本でも増えて、歳をとりはじめられるのではないかという希望が捨てきれないから。


だけど、それは今日ではなさそうだ。


振り向くと、モモが朝食の支度をしながら、もう何度となく聞いたセリフを、ワザとらしいため息とともに吐いてる。


「どうせ不老になるのなら、もうちょっと若ければよかったのにねぇ。」


「聞き飽きたわ、そのセリフ。」


皮肉屋のモモに返事をすると、モモも


「私も言い飽きた。」


と言って、ニヤッとする。


二人でさっさとテーブルについて、お腹を満たすだけの朝ごはんを食べはじめた。


野菜スープと木の実をすりつぶして焼いた固パン。この森の奥でひっそりと自給自足で暮らす私たちにはまあまあのご馳走。


私たちの住むここは、魔の森と周辺の農村では恐れられていて、めったに人が足を踏み入れることもない。収穫の競争相手がいないので、思いの外食べられる植物に恵まれている。食べられるかどうかは、我が身を持って試し済み。毒に当てられ、おかげさまで何度も死ぬ思いをしたけれど。


死にはしないけれど、苦しい思いはする。怪我すりゃ痛いし、熱も出る。病気になれば立ち上がれないし、毒に当てられて吐く時は、涙が止まらない。そんな経験を通して培った、食用植物スープ。


もちろんモモには試食させない。モモは毒で普通に死んじゃうし、幼い頃に出会ってからちゃんと成長し続けている。


モモは普通の女の子なのだ。


モモがテーブルから立ち上がって、追加のお茶を取りに行く。竃にかかっている冷めかけたヤカンに手を当てると、気に入らないのか、ちょっと眉を顰めて、パチン、と指を鳴らし、竃に火を起こす。


ポッ。青白く揺れる火の上で、ヤカンがシュンシュンと音を立てる。頃合いを見て、ニンマリしたモモがお茶のポットにお湯を注ぐ。


「いる?」


「お願い。」


ポットのお茶を自分と私のカップにそれぞれ注ぐと、またテーブルについて、黙々とスープを飲んでいる。


「竃の火は落としといてよ、危ないから。」


私がお願いすると、モモは後ろを振り向きもせずまた、パチン、と指を鳴らす。私が首を伸ばして竃を確認すると、火元は綺麗に消えていた。


ほぼ、ほぼ普通なんだけどね。まあ、魔力があるってとこだけが普通の人との違いかな。


モモが私のところに送り込まれたのは随分昔、まだあの子はよちよち歩きの頃。私は年を数えるのをやめてしまったし、出会った時に詳しい話が聞けなかったので正確なことはわからないけれど、モモはもう18の成人を越えているはずだ。


モモの爆発したようなカールの多い黒い髪は、目に落ちてくるのを防ぐというだけの目的で、自由にあちこちでピンで止められている。長く黒いまつ毛に縁取られた瞳と、細い鼻、微笑んでいるような薄い唇は、結構可愛いと思うけれど、この奇妙奇天烈な髪型のせいで、随分損してる。


毎日森の中を歩き回るせいか、ほっそりとして健康的だし、スタイルだって捨てたもんじゃない。とはいえ、生地と仕立ての良いドレスから、手足がにょっきり出ていて、お世辞にも似合ってるとはいえない。元のドレスの持ち主よりもかなり背が高いのだろうけれど、仕立て直しをすることなど、時間の無駄らしい。モモは着るものに厭わないから。


まあ、二人きりの生活、つまり私以外に誰も見せる人もいないので、年頃とはいえ、格好にはまったく無頓着な女の子が出来上がってしまった。


「今日の予定は?」


紅茶を飲み終わって、手早く食器を片付け始めたモモに、声を掛ける。


「特にない。南の藪のあたりでパンの実を収穫がてら練習するつもり。」


「そう。あんまり南に下がらないようにね。この間、コカトリスの糞を見かけたから。」


「うん。」


コカトリスはこの魔の森最強の存在だ。龍に似た翼と、鋭い嘴を持つ二本足の魔物。3階建ての建物の大きさはある。空を飛んでいるのは見たことがないから、飛べないんだろうとは思うけれど、いきなり目から放つ光線は恐ろしいもので、私もうっかりやられてしまったことがある。


どうやら森に住む魔物や動物を主食にしているようで、人間を食べることはないけれど、ナワバリ意識が強いのか、間違ってコカトリスのテリトリーに踏み込むと、喧嘩を売ったと思われて、狂ったように追いかけてくる。ほんと凶暴な奴だ。テリトリーに踏み込まなきゃいいのだろうけれど、奴はしょっちゅう狩場を移動するので、うっかり近づかないように、糞や気配には気を配っている。


『糞より中に入ってはいけない。』口を酸っぱくしてモモには教えてきた。


モモは、本棚から2冊ほど本を引き抜くと、それを小脇に抱えて家から出ていった。残った私は、天気がよさそうなので、洗濯に精を出すことにした。


モモのいう練習とは、魔術の練習。どうやらこの家の先住人は、魔女だったらしく、魔術に関する書物が結構ある。魔力のない私には、(悔しいことに指を鳴らすことさえできない)まったく関心のないものだが、モモは読み書きを覚えると、(私が教えた)すぐにこの書物に取り組み、全ての書籍を網羅している。


本を片手に毎日飽きもせず、呪文を唱えたり、印を切ったりしている。


しかし残念ながら、モモの魔法は火以外、成功率はかなり低い。長い呪文の後、椅子がわずかに動いた時は、


「運んだ方が早いんじゃない?」


と、言ってふくれられた。雨乞いも、超局地的なものしか出来ず、私だけが2時間も雨雲に追いかけられるハメになった。落雷の術を使えば、家のあちこちで静電気に襲われ、以来、家の近くでの練習を禁止した。


ただもう炎だけは、自由自在だ。これは生まれつきのものだろうな。


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