第16話:腐れし泥のベルフラット

 そして、家の前。

 今はまだ何もない場所で、フェルフェトゥとベルフラットは対峙していた。

 フェルフェトゥの背後には雄太。出てくるなと言われたものの、隠れているなど出来なくて出てきてしまっている。

 そんな雄太が更に気に入ったのだろう、ベルフラットは病んだ笑みを浮かべてみせる。


「……男の子なのね。いいわ、とってもいい。フェルフェトゥにはもったいないわ」

「うう……なんか嬉しくない」

「どうでもいい戯言よ、ユータ。それに……どうせ、すぐ終わるわ」


 ベルフラットに負けないくらいに邪悪な笑顔を浮かべるフェルフェトゥに、ベルフラットは病んだ笑顔のまま首を傾げてみせる。


「凄い自信、ね。神官の前だからって強がってるの?」

「純然たる事実よ。貴方が此処で私に勝てる要素はないわ」


 そうフェルフェトゥが返せば、ベルフラットの瞳がきゅうっと細められる。


「……そう。この腐れし泥のベルフラットに、よくもそんな台詞を吐けたわ。なら貴女も、あたしの泥の中で腐れていくといいわ……!」


 そう言うと同時に、ベルフラットを中心に地面がドロドロにぬかるんでいく。

 あれ程までに乾いていた地面が、まるでたっぷりの雨が降った後の地面か何かのようになっているのだ。


「ど、泥……!? 文字通りなのかよ!」

「そうね。あの女が司るのは土と水、生と死。たっぷりと死の詰まった泥を操る墓場女よ」


 それは言わば、死後に土に還る事象の体現。

 腐れし泥とは、そういうモノを指している。


「よくも人の事を言えたわねフェルフェトゥ……貴女とて、あたしより陰湿な死の権能を持っているでしょうに」

「そうね? でも、そればかりでもないつもりよ。貴方みたいに優雅でない戦いはしないわ」


 余裕の笑顔で返すフェルフェトゥに返ってくるのは、大きなベルフラットの舌打ち。


「……そう。なら、精々優雅に死ぬといいわ。さあ、さあ。目覚めなさい! この地に眠りし子等よ! あたしの呼びかけに答え、腐れし泥の肉を纏い蘇りなさい!」

「蘇り……ゾンビか!?」


 シャベルを構えフェルフェトゥを庇うように立つ雄太にフェルフェトゥが少し驚いたような顔になり……「心配ないわよ」と苦笑する。


 唱えた呪文は、この地で死んだ生き物を手駒として一時的に蘇らせる力。

 腐れし泥のベルフラットが邪神の中でも特に悪神寄りとされる、そんな呪われた権能。

 されど……いつまでたっても、ボコボコと沸き立つ泥の中からは何も生まれては来ない。


「……あら?」

「え? どうなったんだ?」


 あっけにとられたようなベルフラットと雄太。

 一人だけクスクスと笑っていたフェルフェトゥは、楽しそうに口元を手で覆う。


「バカね、ベルフラット。此処を何処だと思っているの?」

「何を……此処は聖域化されていないはずよ。あたしの権能だって」

「そうよ? 貴方の権能も通じるわ。だからもう一度聞くわ。此処を何処だと思ってるの? その死者を呼び出す権能で、一体この地から何を呼び出すというの?」


 そう聞いて、雄太は「あっ」と声をあげる。


「まさか……此処って、誰もっていうか……何も死んでない土地だったり、するのか?」

「そうよ、賢いわねユータ。この地はヴァルヘイムの中でも特に不毛な場所。何者も此処では生きられず、故に何者も寄り付かない。始まりから乾いた土地故に、最も死の穢れからは遠いわ」


 そう言うと、フェルフェトゥは口元にあてていた手をすっとベルフラットへと向けていく。

 

「そ、そんな……嘘よ! だって……!」


「何も、無いのよ。『此処』にはね」


 フェルフェトゥの指先がベルフラットを指し、浮かべた笑みが強くなる。


「どーん」


 そんな言葉と同時に、井戸から大量の水が飛び出しベルフラットに叩き付けられる。


「きゃ、きゃあああああ!?」

「ほんっと、バカね。井戸が私の武器になることくらい想像がつくでしょうに」


 無限かと思われるほどに井戸から溢れ出る水はそのまま渦巻き、ベルフラットを巻き上げ空へと放り出す。


「あ、ああああああああ……」

「うわっ!? や、やりすぎだろ!」


 悲鳴を上げながら落ちてくるベルフラットを見て、慌てて雄太は走り出す。

 落下してくるベルフラットを見上げながら、ウロウロとその下を歩き回り……やがて、落ちてきたベルフラットを見事にキャッチする。


「あうっ」

「う、ぐうおっ……!?」


 ベルフラットが意外に重かったのか、落下の衝撃というものがヘビーだったのか。

 雄太の腰は凄まじい打撃を受け、腰にビリッという電気のような衝撃が走る。

 やべえ、と。そう雄太が思ったのは束の間。

 何か致命的なものが来てしまった気がしつつも、雄太はそのまま固まる。

 動くと本気でどうしようもなくなる気がしたのだ。


「別に放っておいても平気なのに……ユータも意外に馬鹿よねえ。まあ、好ましい馬鹿ではあるけれど」


 そんなフェルフェトゥの言葉に「もう少し早く言え」という言葉が出そうではあったが、同じ事が起これば同じ事をしそうなので、文句は口から出てこない。

 というよりも、雄太の頭の中は「やべえ」という警告音で一杯である。


「……」


 だが、そんな雄太の事情も知らないベルフラットの顔は赤く染まり……一見するとキリッとして見える雄太をじっと見つめていた。


「助けて、くれたのね。あたしを……」


 フェルフェトゥの言う通り、地面に叩き付けられたくらいでベルフラットは死にはしない。

 怪我をするかも怪しいところだが、それでも助けてくれたという事実が嬉しい。

 自分の権能を知れば人間は皆離れていくのに、むしろ近づいてきたのだ。

 神として、そんな嬉しい事があるだろうか?


「……嬉しい」


 そう呟き雄太に抱き着くが、その動きが雄太の腰に僅かな動きを強要した。

 そして。異世界に来てから初めてのぎっくり腰の痛みが、雄太に悲痛な悲鳴をあげさせたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る