間章「姉妹」


「お姉ちゃん……」


 それは善導騎士団のイギリスでの拠点としてシェルター都市地下内部に儲けられた一角。


 普通の8LDKの一軒家くらいの広さがある場所での事。


 日本の基準で揃えられた家具家伝。


 それなりに広いリビングから通路を伝った先。


 姉妹の部屋はある。


 母が二人で一部屋なんて仲が良くて嬉しいとの話。


 父は姉さんと仲良くなと言っていた。


 魔術師として祖父と共に善導騎士団の建築部門の人員としてイギリス本土とシェルター都市を往復中の為、常に家にいるのは母だけだ。


 家事炊事に糧食部門の炊事班の1人として出ている為、ずっといるわけではないにしても。


「………」


 イギリス・アイルランドを巻き込んだ神の封印から一週間。


 スパルナ家はとして善導騎士団の社宅染みた場所に住まい。


 其々が其々の職場で働く事になっていた。


 シュルティはその才能が認められて善導騎士団のエリート部隊と称されるセブンオーダーズの見習いとして働いている……というである。


 両親と祖父はその日常を疑問に思わず。


 彼女は……とやらを毎日のように噛み締める事になっていた。


 夕方に帰ってくる祖父と父。

 いつも夕飯を作って待っていてくれる母。


 そして、唯一記憶を処置されずに神の侵食で記憶に不具合が出ていると家族に説明されている姉は療養中……という事になっている。


 実際にはもうすっかり良くなっているどころか。


 まったくの健康体。


 蘇った家族を前にして罪悪感を感じながらもシュルティはその最中で唯一自分と同じく記憶を保持したままに一週間を過ごした姉を気に掛けていた。


 此処に来てからというもの。

 避けられているのはしょうがないだろう。

 何故、姉にも記憶処置しないのか。

 そう訊ねた彼女に少年はこう答えた。


『必要無いからですよ。お姉さんは物分かりは悪いですが、本質が分かってる人とお見受けしました』


 物分かりが悪いと真顔で評された彼女は姉は聡明だと思わず言い返そうとしたが、その物分かりという言葉が何を指すのか理解して沈黙した。


 結局のところ姉もまた自分と同じ。

 心細い中で戦い続けていた1人。


 いや、自分とは違い善導騎士団なんて人々と出会う事もなく。


 1人でイギリスの安全を守っていたのだ。

 己の死すらも厭わず。


 妹が神に立ち向かう事を織り込み済みで敵からその肉体の一部を奪う術式を予め組み込んでおいた。


 そう……彼女を助ける為、人類を救う為、家族を蘇らせる為……その重責は正しくシュルティ・スパルナが負ってきたものとは比べ物にならない。


 だが、事実としてそんな事を彼女ルル・スパルナがする必要はあったのだろうかと考えれば、その物分かりの悪さは折り紙付きだろう。


 彼女は合理性を投げ捨てた。

 そもそもの話、あそこで逃げたって良かったのだ。


 二人で逃げられないなら、自分だけで行ったって良かった。


 その後に自分でシュルティの立ち位置を得て、上手くやれば善導騎士団すら出し抜けただろう。


 しかし、最後の最後まで故郷を見捨てられなかったからこそ。


 あの神に抗い死ぬ事になるとしても一人だけ妹を逃がしたに違いなく。


 哀しみも苦しみも一身に背負って妹には見せず。

 その圧し潰されそうな荷物を投げ出す事もせず。

 自らに課した使命に殉じたのだ。


 そして、ようやく蘇って……自分達のやろうとしてきた悲願を否定された。


 完全無欠の粉々にされた。

 その絶望を図り知る事は出来ない。


 ついでに自分へ魔術を教えてきた先達である両親と祖父は記憶を失って三流魔術師という偽の記憶の上で楽しそうに避難生活を送っている。


 これで魔術師として全てを諦めるなと言う方が無茶だろう。


「………お姉ちゃん」

「シュルティ。来ていたの?」


 姉はただ黒き箱を机の上に置いてずっと椅子に座ったまま見つめていた。


 勉強机の上にあるのはシュルティが造ったザ・ブラックだ。


「懐かしいですわね。小さな貴女がやってくる度にコレを弄りながら教えていた時の事……」


 力無くルルが微笑む。


「お姉ちゃんが初めて造り方を教えてくれた時、凄く嬉しかったの……今でも覚えてる」


「あの頃は……貴女を育てるのに精一杯でお父様から習っていた事をそのまま教えていただけですわ。いつの間にか私が覚えるよりも早く貴女は自分1人で造れるようになっていた……」


 懐かしそうな声。

 それはきっと姉にとって。


 否、本当は母にとって妹との想い出ではなく。


 愛娘との想い出なのかもしれず。


「物覚えが良くなかったわたくしはいつもお父様に呆れられていました。でも、貴女は私よりも随分と早く全てを学び取った」


「……お姉ちゃん。あの……あのね……」


「いいのよ。気を使わなくても……わたくしの才能なんて貴女に比べれば、微々たるもの。お父様もそれは分かっていた。だから、わたくしは普通の学校に居られたんですもの」


 本来、魔術の研鑽には子供の頃から大量の学習を必要とする。


 少なくとも通常の学校に通わせるという選択肢を取る術師の親は多くないに違いなかった。


 そして、姉が普通の学校に通っている間、教育されていたのは間違いなく彼女だ。


 父親にそれこそ大量の書物を解説されながら学び。

 製造の為に必要な各種の魔術も習得していた。


 これは長女として才能が無いならば、一般人としての顔も持って生きる事も視野に入れておけと父親から暗に言われていた事になる。


「お姉ちゃんが本当は私のお母さん、なんだよね?」


「ええ、そうですわ。お父様との間に儲けた子……私はお母様と御爺様の子なの……」


「……昔ね。お姉ちゃんの事、お母さんて間違って呼んじゃった時、お姉ちゃんが笑って何も言わなかった事、有ったよね?」


「有ったかしら。そんな事……」


「うん。有ったよ……私、その時はお姉ちゃんがお母さんならいいのになって思ってた……そうしたら、お母さんがいないって近所の悪ガキに言われたりしないのにって……」


「初耳ね……その悪ガキ、とっちめてやりたかったわ。ウチの可愛いシュルティに何を吹き込んでるんだって」


 もういない悪ガキとご近所は彼女達の心の中にしかいない。


「……私ね。これからも善導騎士団にお世話になる事に決めたの」


「そう……」


「愉しい人ばかりなんだよ。アステルちゃんはお料理が上手くってお菓子作るのもすっごく上手いの。いつも料理してた私よりも。ユウネちゃんはシェルターの子達に大人気でいつも遊んであげてるの。凄く優しくて綺麗でちょっとだけお姉ちゃんみたいだと思ってる」


「……妬けちゃうわね」


「陰陽自衛隊のカズマさんはお見舞いに行ったら、お前以外みんな大丈夫だろって言って最初に来てから誰も来ないって嘆いてたけど……うん。強い人だった。あの人があの大きな白い封印をずっと別の空間で造ってたんだって……何十日もずっとずっと……同じ何かを作る人として尊敬してもいいと思う」


「そう……あの人がアレを……」


「アステルちゃんとユウネちゃんのお姉さんのヒューリアさんは凄く頑張り屋さんだと思う。毎日毎日、色々なところを回って大人の人達に混じって会議したり、問題を解決して回ってるんだって。出来る女の人って思ってたけど、色んな辛い事や哀しい事があったって他の人達に聞いたんだ。それでも前を向いて笑ってお仕事をしてた。あんな風に強く生きられたらって思う」


「羨ましいわね……」


「ハルティーナさんは黙示録の四騎士を倒しちゃった凄い子なんだよ。でも、私と同年代なんだ。自分の流派を使って人々を護るのが仕事で凄いマーシャルアーツが使えるのに戦車や装甲車だって運転出来るの。でも、それを言うと全て自分を助けてくれた人達と救ってくれた人のおかげだって……どんなに敵を倒せても後ろの人を守れなかった自分は半人前以下だって……少し悲しそうな顔になるんだ。あんな人がきっと誰よりも強くなれるんだと思ってる」


「そうなりたいの?」

「うん……」

「そう………」


「リスティアさんはヒューリアさん達の親戚なの。近頃は毎日、痛滅者……あの空飛ぶ鎧で周辺を見回って危険な生物を倒したり隔離して回ってるんだって。他にも大人の人達にその使い方を学ばせる教官役もしてるって……でも、もう家族に会えない境遇なんだって、昨日聞いたの……悩んでるなら相談に乗るって。余計なお世話かもしれないけど、力になれればって……」


「素敵な仲間、ね」


「そうよ。他の大人の人達も優しかった。私の一族がした事も一部の人達は知ってる。でも、誰も私を責めたりしなかった。そんな事する必要も無いって……子供は勉強してメシ喰ってテレビでも見て好きなヤツや好きな事を話せる友達と馬鹿話してりゃいいんだって……本当はオレ達みたいな事をさせるなんてオレ達の力不足だって……何でか謝られちゃった……」


 少女は姉を前に真っすぐな視線を向ける。


 未だ、黒き箱を見つめたままの相手に振り向く事すら要求しないで。


「お姉ちゃんは人類が救いたかったの? それともお母さん達を蘇らせたかったの?」


「どっちもよ」


 即答。


「じゃあ、今はどうしたいの?」


「……正直、分からないわ。だって、わたくしの力はこのザ・ブラックの力。それを貴女が受け継ぎ、その力ではない。あの善導騎士団と彼の……いえ、その後ろにいる大勢の人達の力で世界を救うと、救えると証明したんだもの……」


 ルル・スパルナは初めて黒き箱から視線を逸らして天井を見上げた。


「お父様もお母様も御爺様も此処にはいる。記憶を失っているとしても家族としては何も変わっているわけじゃないわ」


 それはシュルティも理解していた。

 少年の記憶処置は完璧だ。


 その上で人格に手を加えるような事はされていない。


 純粋にザ・ブラックという柵が存在しないだけの魔術師の家系。


 そう誰もが自分達の境遇を思い込んでいるだけで性格も昔のままだった。


 それは家族内で相手に違和感を覚えるような事が今のところない事からも明らかだ。


「魔術も程々に修める三流の家……でも、こっちの方がみんな幸せに見える。お父様も御爺様もお母様も……わたくしも……取り繕う事無く……人類の再生なんて思う事もなく……今を家族の為に一生懸命に生きてる……」


「今の生活は嫌 ?」


「嫌なわけ……嫌なわけないじゃない……ずっとお母様と会いたかった。お父様や御爺様にあの時守って貰ってありがとうって言いたかった。けれど、私達スパルナ家の魔術師としての願いはこの世界ではもう叶わない。あの時の事を御爺様とお父様は覚えていない。でも……」


「でも?」


「これが罰、なのでしょうね。わたくし達のした事に対する……人には人を殺すよりも殺されるよりも辛い事がある。彼はソレを知っていた……」


「お父様と御爺様、お母様の記憶を元に戻して欲しいの?」


「記憶を元に戻しても全員が不幸になると知っていて? 出来ないわ……そんな残酷な事……スパルナ家の全てが無為であったと、無駄であったと知ったら……自ら命を絶ってしまうかもしれない……」


「無駄じゃないよ……」


「その本懐が遂げられるものではなく。今の時代に必要にもされていないと示されて尚、無駄ではないと言えるの?」


「だって、生きてるもの。お姉ちゃんもお爺ちゃんもお父さんもお母さんも……生きてる……全部、私が亡くしちゃったもの……もう戻らないと思ってたもの……全部、この箱は取り戻してくれた」


 少女は無き層な顔で姉の前から箱を取って胸に抱き締める。


「シュルティ……」


「人類を再生なんかしなくたっていいじゃない。人類を救えなくたって、この箱がまたお姉ちゃんに会わせてくれた……この箱は……ザ・ブラックは……昔から変わらない。私にとっては……わたしの願いを叶えてくれる……魔法の箱だよ?」


「ッ―――」


 咄嗟にその箱へ手を伸ばし、妹から取り上げて、床に投げ付けようとした手は……いつまで経っても振り下ろされる事は無かった。


 震える手に手が優しく添えられる。


 姉妹の間で箱がゆっくりと力を露わにし、宙へと浮いていく。


「それに人類を再生しなくたって、この箱が多くの人を救ってくれた。この箱があったから、あの神に勝てて多くの人達を護れた。そう……騎士ベルディクト……ベルディクトさんが言ってくれたの」


「………そう」


「もっと多くの人の役に立てよう? それはきっと単純な事だって私は思う」


「単純?」


「重いものを運ぶのに困ってる人を助けてあげるとか。道案内してあげるとか。色々な人に愉しい内容を見せてみるとか」


「ふふ、奇跡のバーゲンセールね」

「ベルディクトさんがコレ……」


 少女が自分の懐から小さな小冊子を取り出した。


「正しい奇跡の箱の使い方?」


 手作り感満載。


 プリンターでコピーした拙いPCで造られたと思われる栞的なものだった。


 それをルルが開いて思わず凝視する。


 中に書かれてあったのは黒い箱を用いた少女が魔法を使って人々に感謝されるストーリーだ。


 重い荷物を持っていたお婆さんを助けたり、道の分からない迷子を母親と会わせてあげたり、何もない場所に暮らす人々に大きな花火を見せたり、もういない人々の幻影と今を生きる人々に最後のお別れをさせてあげたり、それは馬鹿げたくらいに万能の箱の無駄遣いを煮詰めたような内容だった。


 それを見た彼女は、ルル・スパルナは思わず。

 本当に思わず心の底から笑ってしまった。

 大笑いしてしまった。


「お、お姉ちゃん?」


「ふ、くく、あはは……そうか……そうなのね……わたくし達に足りなかったのは……」


「お姉ちゃん?」


 困惑する妹を前に目頭から涙を拭った姉が微笑む。


「いいですわよ。ベルディクト・バーン……貴方がそう言うのならば、証明して見せましょう」


「?」


「ずっと……奇跡奇跡と奉ってきた箱はただの箱に過ぎない。それを使う者こそが奇跡を起こす。他の人々からすれば、それが奇跡だろうと技術だろうと誰かからの善意だろうと現象が違っても結果は何も変わらない……そういう事なのですわ」


「ええと、ちょっと難しいよ?」


「彼は……こう言っているのよ。今目の前にある問題を解決してくれるなら、それは奇跡の箱じゃなくても構わない。けれど、奇跡の箱でも構わない。だから、まずはソレが人々を蘇らせるに相応しい力なのか証明してみせろと」


 シュルティが思い出す。


 そう、少年が怒っていたのは勝手にそんな事を人々にちゃんと問題が無いか調べもせずに行う魔術師としての軽率さと傲慢さだった。


 蘇らせる事自体は問題にしていなかった。


「シュルティ。一つ頼まれてくれるかしら」

「何? お姉ちゃん」


「……あの死霊術師殿に明日でいいから取り次いで頂戴。善導騎士団とやらに協力したい一般人がいると」


「ッ、う、うん!!」


 ようやく姉らしい笑みを見た気がして、少女は涙を浮かべながら大きく頷く。


「それと……ごめんなさい……貴女を1人にして……沢山のものを背負わせて……その苦しさをわたくしは知っていたはずなのにね……」


 抱き締められて。

 ああと彼女は思う

 シュルティ・スパルナは思う。

 姉だろうと母だろうと変わらない。


 そう、目の前の人がいなければ、自分はきっと今の自分には成れなかった。


 幸せな日々は送れなかった。

 だから。


「私、お姉ちゃんの傍にいられて幸せだったよ。ううん……今だって……」


 姉妹のあるいは母娘の影が夕暮れ時に重なる。

 時に神との決戦から8日目の朝。

 善導騎士団にはまた新たなる協力者が入る事となった。


 彼女達が遠くない未来に名物姉妹として明日輝と悠音、ヒューリに続く事になるが、それはまた別の話である。

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