第156話「交錯」


 少女にとって姉とは幸せの象徴であった。

 返って来る時はお土産が沢山。


 家にいる内は毎日のように何かを取り出しては驚くのを面白がるお茶目なところもあった。


 お姉ちゃん!!


 帰って来た姉の嬉しそうな笑顔が何よりも嬉しくて。

 世界中の誰よりも大切な人が待ち遠しくて。


 返って来ると連絡があれば、ウキウキしながら待っていた。


 思ってみれば……まるで彼女は自分が何も知らない子供であったと思う。


 いや、今もそれはきっと変わらないのだろうとすら思う。


 姉を失って尚、あの肉塊の何処かで姉が助けを求めているのではないかと。


 そう、思えるのだ。


「………」


 砕けた手足。

 止まらない吐血。

 貫かれた腹部。

 片方見えない目。

 満身創痍。

 彼女は悲鳴も上げられず。

 藻掻きのたうつ。

 だが、何故だろう。


 その涙と鼻水でグシャグシャな生きたいと思う彼女の前で同じ状態のはずの姉妹達が二人。


 抗うように噛み締めるように無力を嘆かず。


 ただ決意を燃やして、命を燃やして敵を見ていた。


 どうして、そこまで出来るのか。

 どうして、そこまで出来てしまうのか。

 特別な血統だから?

 そういう耐性があるから?

 精神的に強い体質だから?

 どれもありそうだ。

 けれど、どれも答えの一部でしかない。

 その人が積み上げ続けて来た結果は裏切らない。


 少なくとも彼女達は自分よりも余程に積み上げたのだろう。


 そう彼女は知る。

 最後の最後の最後まで戦う決意。

 蹂躙される体。

 砕かれていく心。

 朽ちていく絶望と諦観。


 その全てを積み上げて、積み上げて、積み上げて、戦う。


 何度死のうとも生きる為に戦い。

 何度生き返ろうとも何度でも死に向かう。

 背後にいる誰かを護りたい。

 大切な人や仲間達を護りたい。

 命を捧げているのではない。

 彼女達は心を捧げて戦う。


 その覚悟が、積み上げて来た祈りが、人を立ち上がらせる。


 本来、死は一度切りのものだ。


 その最後の最後の苦しみ抜く最後までも体験させてくれる演習。


 その地獄よりも地獄だろう心の擦り減る戦場で彼女達は積み上げた。


 技術も技能も決意も努力も全てを全て積み上げて、折れぬ刃は己自身だと。


 折れて尚相手を倒すのは己自身だと定めた。


 そう在ろうとした。

 だから、彼女達は強い。


 いつもは仲の良さげな姉妹はそれが好機とあらば、互いを信頼するからこそ、相手を護らず。


 それが自分達を滅ぼすとしても攻撃から身を挺して仲間を護った。


「……ッ」


 年上の自分がこのままではいけない。

 ただの少女ではいられない。

 決意と行動を以て心を鋼と為し。

 重ねた死と教訓によって剣と砥ぎ。

 戦える限りは戦わねばならない。


 騎士とはそういうものだと彼女は自分の前で戦い続ける人々を見て知る。


 技術も技量も普段磨くものだ。


 だから、最後の最後に磨くのは心だけだと彼女の前で戦う大人は言った。


 超越者と呼ばれる女性は両腕を吹き飛ばされて、臓器を零して尚、そう笑った。


 それを悍ましい決意と取るか。

 狂戦士の戯言と取るか。

 決まっている。

 彼女は魔術師で騎士団に協力すると決めたのだ。


 ならば、そこに必要なのは自分もまた肩を並べて歩く気概だ。


「………ッッ」


 立ち上がれ。

 起き上がれ。


 そう出来ないなら、何が出来るか考えろ。


 思考して行動に遷れ。


 彼女は涙と鼻水と唾液と胃液塗れなまま。


 きっと、本当の戦場なら1秒だって与えられない猶予を与えてくれる少年に感謝しながら、自分の最たる力を意識し、その力を全力で使う。


 仲間達の突撃の援護や回復。

 巨大な攻撃からの防御。

 必要なリソースの管理を行い。


 機械よりも機械的に行動を与えられた任務に対して性能を発揮し続ける。


 いつの間にか。


 彼女の顔には涙よりも唇を噛み締める表情が焼き付く。


 最後まで立ち上がる勇気は決して誰も教えてくれない。


 1人で掴み取るしかないものであった。


 幾多の先達を目の前にして倣う者はまた戦人である、とは大陸の諺だと仲の良い三姉妹の長女は彼女に言った。


 どうすればいいのか分かっているのならば、後は実行するだけだった。


 *


 人が人らしく在る事を羨ましいと思うのは暗愚に過ぎるだろう。


 彼はそう知っている。


 人が人らしく在るせいで生み出された彼らなればこそ。


 だが、それでも思うものは思うのだ。


 出来れば、幸せな時代でなくとも、幸せな家庭に生まれたかったと。


 父は厳格だが頼りになる学者で母は優しく温もりのある主婦。


 馬鹿馬鹿しい?

 そう、馬鹿馬鹿しい。


 それこそ、現代ですら中々お目に掛かれない家庭であろう。


 現代病理が如何に恐ろしきものであるかは人が遺した多くの書物やデータからも事実だ。


 幸せな家庭なんて手に入るのは極僅かだろう。


 けれど、それでも、兄弟姉妹達と共に思ったのだ。


 そんな家庭が築けたらいいな、と。


 生憎と父は狂人だったが、そんなものになれと彼らを作るくらいには人類の優しさや温かさを知っていた……知っていただけだったとしても、それは確かに彼らにとって唯一の福音であっただろう。


 強靭な肉体と精神。


 それ故にこれからも悩みの種として尽きない問題になるとしてもだ。


 戦闘訓練の類は受けさせられていたが、それは現代的な戦場での立ち回りや一般的な怪異への対処での話である。


 このような化け物の軍勢相手の大立ち回りなんて分からなかった彼にしてみれば、人類の装備の質も人員の質も善導騎士団という中核があるせいで思っていた以上のものであった。


 これならば、確かに神にすら勝てるかもしれない。


 そう思えればこそ。


 彼はその彼らを利用しての生き残りを図らねばなるまいと思う。


 これから生まれて来る同胞達の為に、我が子の為に、彼女の為に。


 愛なんて口が裂けても言えないが、彼にとってソレは自明であった。


 そう在れと望まれた中で一番自分に合っているものがソレだったのだから。


 だから、戦う事なんて苦にはならない。

 死は畏れるが、死を前にして怯みはしない。


 背後の触手がこれ程に今頼もしい事も無いだろうと彼は限界を超えた負傷を追いながら、再生も追い付かない程の傷を受けながら、戦いつつ思う。


 例え、世界が滅んでも生き残る。


 その為にこそ生まれた彼と彼らの同胞を護らねばと思う。


 忌むべきモノと人類には言われるかもしれないが、それでもまだ父には感謝すべきなのだろうとも思う。


 如何な理由であれ、存在とは産み出されなければ自我を持ち得ないのだから。


 少しだけ彼が弱気になるとすれば、それは我が子の顔も見れずに抱き上げる事も叶わず死んでいく事だけだ。


 戦いは続く。

 最後の演習へと向けて加速していく。


 世界の全てを敵に回しても譲れない思いだけが彼にとっての真実であった。


 それを人は何と表現するのか。

 彼の辞書にはまだ無い。


 *


 砕けた世界の内側で滅びる地球の外側で女は戦い続けた自分の末路を見ていた。


 そう、世界が滅びてすら彼女は高確率で生き残るだろう。


 それこそ黙示録の四騎士がイレギュラーとするべき存在は彼女だ。


 人類の形をした超越者。


 大陸において超越者とは異種と呼ばれる人類ではない別の生き物。


 何十億の年月を生きた神の如き。


 否、神を超える生物達から血統として流れて来た能力を通常よりも色濃く持つ者であったのだという。


 本来の意味はやがて変質し、力ある者の総称となった。


 という話を近頃初めて聞いた女は『へ~~』くらいの感想を抱いた。


 ならば、自分の内側からする声。

 いや、己の渇望。

 戦う事で得られる高揚にも説明が付く気がしたからだ。

 彼女は本当に満足のいく戦いをした事が一度も無い。

 だが、それに近い戦いをすると。


 何処か相手に親近感や安堵や連帯感のようなものを感じる事がある。


 それはきっと孤独な生物が初めて自分と同等のモノを見付けた時のような心地。


 彼女は孤独感や疎外感とか感じない方なのだが、大陸からの知識が輸入された事で大きく内心で自身に対する理解が進んだ。


 今までの自分の生理的な反応に納得がいった。

 そう、彼女は超越者なのだ。


 人類の形をした別の何かであり、自分の仲間を本能的に欲していたのだ。


 それは純粋な力や能力という事であり、分類的な同類という話ではない。


 強さが基準になったのはきっと彼女が陸自に入ったからだろう。


 人は訓練だけでこれほどに強くなれる。

 自分が訓練すれば、更に強くなれる。

 自分にしかない力でもっと強くなれる。


 それが生きていく上で役に立ち、生きていく上で人々との関わりの接点になる。

 彼女とて人間らしい部分はあり、社会が無くても生きていけるが、社会があった方がより幸せに生きていけると理解していた。


 仕事の後のビールを誰が用意するのか。


 眠る快適な場所は?

 美味しいおつまみは?

 自分に肉薄する好敵手は?


 全て彼女が自分で造ろうとしても上手くいくものばかりではないだろう。


 だから、彼女は社会を、基盤を護る。


 彼女にとって良きモノを生きている限りは護り続ける。


 それが仕事で誰かに褒められ。


 ついでに評判を聞き付けて彼女と戦える誰かがやってくれば、尚良い。


 日本を護るだとか。

 祖国を護るだとか。

 そんなのは表向きの話。


 彼女も一応留意するが、その本質は決して郷土愛や祖国愛とかではない。


 一応、家族もいるが、家族愛が強いかと言われれば、首を傾げざるを得ない。


 結構、ドライな家庭だったのだから。


 人類が滅んでも家族を数人喰わせるくらいなら彼女にも出来るだろう。


 問題は彼女の生きている内に愉しみが減る事だ。


 今、彼女の傍には彼女に辿り着けそうな人々がいる。


 神の本体と戦えば、彼女は死ぬだろうが、ワクワクはするだろう。


 けれど、生きて長く楽しむコツは妥協する事である。


 だから、彼女は幸せな職場に生きている限り、彼らの側に付き、彼らを護るだろう。


 やがて、が彼女にとっての福音となるように先導しながら。


 黙示録の四騎士。


 彼ら全員を前にして未だ3彼女は……幸せな戦場と幸せな職場の中で幸福に包まれて戦い続ける。


 世界なんて二の次に相手と戦える喜びを噛み締めながら。


 四肢が無ければ、歯を使えばいいと偽物の神を喰い千切りながら。


(あ、案外美味しい? 本物のタコ焼きにしていいか、聞いてみようかしら?)


 それで取り込んだ魔力で四肢すら再生させながら、神を喰らい永遠に戦い続けられそうな彼女の演習は続いていた。


 *


 三姉妹の長女。


 いや、四姉妹かもしれない長女(譲れない一線)として。


 彼女は今や騎士という職に付いて良かったと思う。


 それが例え復讐染みた決意の結果だとしても。


 今、此処にいる妹達を護れるのは彼女だけ。


 ならば、戦えるよう鍛えて来た事には意味がある。


 仲間も一杯出来たし、護りたい同僚や民間人にも出会った。


 世界が滅び掛けているとしても、彼女にとって諦める理由は一欠けらも無い。


 あの日、騎士団への襲撃で死に場所を見付けたような気分で戦った。


 砂漠に放り出されて何とかフィクシーと共に生き残った。


 そして、彼と出会った。

 妹達に出会った。

 父と語り合えないとしても再会した。

 運命なんて言葉にはならない。

 それは必然だった。


 騎士でなければ、彼女はきっと魔術災害に巻き込まれた時、死んでいた。


 騎士でなければ、少年と出会わずにフィクシーとも出会わなかった。


 妹達と会する事もなく。

 父に会える事もなく。


 真実を知る入り口にすら到達していなかった。


 だから、彼女は騎士になって良かったと思う。


 結果論だろうが、それは確かに事実であった。


 支えてくれる誰かがいて、護りたくなる誰かがいる。


 その喜びをこれ程に感じられるようになった。


 母が死んで家族がバラバラになった後、色褪せた景色に再び彩が戻った。


 まだ知らぬ事は幾らもあるだろう。


 残酷な真実が幾らでも押し寄せて来るだろう。


 でも、受け入れて前に進むしかないと。


 そう思えるようになった。


(だから、死ねない……私が幸せになって幸せになって最後に看取ってくれると言う人がいる。未来を信じて支えてくれる人がいる。私は……こんなところで立ち止まれない)


 満身創痍の身体と心。


 それでもまだ四肢は千切れていないし、妹達よりもマシな状態。


 だから、彼女は自分に出来る限りの事をする。


「人の身体に間借りしてるんです。ちょっとは働いて下さい。妹三号!!」


 その言葉にブワリと彼女の肉体が黒く黒く染まっていく。


 白い羊毛の如く髪の毛が変色し、モコモコしながら編み上げられていく。


 金の装具が彼女の全身の素肌を煌びやかに飾り。

 角まで生えてきてしまう。


『誰が妹三号ですって?』


 彼女の唇からそう言葉が漏れる。


「私はお姉ちゃんですから。姉より後に生まれてくる予定の姉なんて認めません。論外です」


『良い度胸してるわ。貴女』


「さ、生きますよ。妹三号ちゃん!!」


『誰が三号ちゃんよ!! ちゃんとした名前くらい……考えてよ……』


「分かりました。後で募集しておきましょう。ベルさんならきっと喜々としてイベントを取り仕切ってくれるでしょうし」


『そんなにアレが好きならさっさとくっ付けばいいものを……』


「ベルさんとは清く正しいお付き合いなので!!」


『演習とはいえ、神の前で死に掛けながらする話じゃないわね』


「いいんです!! 人間卑近な事を考えてる方が案外上手く行きますから!!」


 一人芝居にボヤく彼女の瞳が左が黄金、右が虹色へと変貌していく。


 神を前にして彼女達は立ち向かう。

 演習の最中、彼女達は確かに二人となった。


 戦う意志を持つ高位魔族がどれだけ恐ろしいものか。


 仲間達もまた知る事になるだろう。


 神すら滅ぼす事もある魔族達の世界において、本当の頂点に君臨する者達は惑星の一つや二つケロリと破壊してしまえる能力を持つのだ。


 超越者が人類の中の異質であるなら、人型魔族の高位者はそれと同等以上の存在である。


 人社会の中にあってはイレギュラーを越えた世界を滅ぼせる何かだ。


「あ、後ですね!?  人の身体をちょっとアレな感じに高ぶらせたりしないで下さい!!? 我慢するのすっごく疲れるんですよ!? 精神的に!! この姿の時、ベルさんを抱き締めたり、触れたりしてるだけで死んじゃいそうなくらい幸せになっちゃうんですよ!! つ、月のものも来ないし、ベルさんを見ると身体が~~~~と、とにかく!! どうにかして下さい!?」


『え? 何ソレ(´Д`)(ドン引き)』


「え?」


『好きな時に子供が孕めるようになったんじゃないの。良かったわね……でも、脳内の環境で個人に対する評価や幸福感とかが変化したりしてないはずよ』


「?!!!」


 彼女は初めて理解する。

 それは自分の問題なのだろうと。


 身体が変質し、より鋭敏によりダイレクトに少年を感じるようになった故の弊害なのだろうと。


 それは恥ずかしいどころの話ではなかった。


「~~~ッッッ、そ、それじゃ、あ、アレはわ、私がそういう人だって事なんですか?!!」


『あ、ハイ。としか言いようが無いわね( ´Д`)フゥ……』


「~~~~~~~~!!!!!!」


 演習中の少女の八つ当たりによって神の触手が次々に引き千切られ、手刀で叩き切られていく。


 如何に世界が滅び掛けていようとも少女達の活力があれば、そんなのは吹き飛んでしまう程度のものなのかもしれず。


 コイバナと実に生臭い少女達の悩みは演習中の神の触手をタコ焼きの具とするくらいには強力な兵器なのかもしれなかった。


 *


 生存闘争と戦争は別物。

 とは、誰の言葉だったか。


 戦争は政治の一形態であって、経済的もしくは集団の利益の確保の為に為される行為だ。


 しかし、生存闘争は絶滅と隣り合わせであり、正しく自然界と変わらぬ食い殺されるか食い殺すかというところに行き付く。


 その意味で彼女は黙示録の四騎士との戦いを戦争。


 今の神との対抗を生存闘争と位置付ける。


「どうしてこんな数奇な運命に巻き込まれるやら」


 大陸中央諸国。

 その本当の中心点たる文化勃興の地。


 アルヴィッツ。


 彼の国は元々が旧い時代から教会と呼ばれる組織と共に人類の生存闘争の為に戦って来た、と伝わっている。


 嘗て、数千年前。


 大陸は人類が住まうには人が治めていようとも極めて不自由な世界だった。


 異種と呼ばれる種族は跋扈し、魔族達の住む酷界と呼ばれる領域から流れ込む魔力によって変貌する土地をあちこちに抱え、亜人と呼ばれる人類よりも更に異種との混血率が高い種族との間に紛争を抱えて……殺し殺される弱肉強食の世界であった。


 魔術や技術革新によって力が強くなっていき。


 人類が力を更に付けて多種族を圧倒して尚、今度は人類同士、国家同士の戦争が絶えず。


 最も豊かな土地である大陸中央は正しく人類跋扈の激戦地。


 他の地域よりも満ち足りていたという理由から戦乱は少なかったとはいえ、その規模は豊であるからこそ、逆に大きく。


 結果として兵器と魔術が数世代以上他地域よりも先行するようになった。


 アルヴィッツはそれでも人々の信仰の中心地である教会を用い良く人々を治め。


 力を削がれた斜陽の時代にも中興の祖となる女王の働きによって立て直し、世界最大の国力を保有する、と大陸では信じられていた。


 無論、各地方の巨大な国家はそれと同程度程の能力を有していたかもしれないが、実際に大陸中央諸国が同盟を組んで固まり始めた頃にはその優位性は表向き確固としたものであった。


 彼女にとって、祖国とは愛すべきではあるが、護る程に弱い代物ではなく。


 逆に国家という生き物に個人として食い殺されぬよう強かに生きねばならないというのが本音のところでの気持ちであった。


 無力で善良な両親と悪漢ではないが、陰謀が好きな王家周辺の家臣団。


 国家の危機となれば、自分がいなくてもどうにでもなる。


 それが事実であって、魔族とバレてしまった以上は歴史の上から退場する事なんて別に気にする程でもない出来事。


 命さえ永らえるならば、市井に混じって愉しく何でも屋稼業でもしていればいいというのも実際のところであり、彼女にはその実力もあった。


 が、自分を逃がしてくれようとした祖父は既に無く。


 見知らぬ世界で自分は自分が歩んだ末に死んで生き返った欠片だ。


 なんて言われて、彼女も大いに悩んだ。

 まぁ、数日の出来事である。

 何にしても現実は一つも変わらないのだ。


 彼女が祖父と作ろうとした国はちゃんと残っていたし、祖国と家の血筋も残っていた。


 色々あって、大陸は不安定なようだが、それでも人々が苦しみの中でも抗い生き抜いていたという話を聞けば、自分も歴史の一部として貢献はしたのだろうと思えた。


 そして、そのおまけである自分自身は……何をするかも分からぬ宙ぶらりんの状態ではあったが、善き隣人に恵まれたのだ。


 遠い縁戚とはいえ。


 子孫達は美しく可憐な気の良い奴らで騎士団も気に入っている。


 異世界の人々とも愉しく交流出来ている。

 その文化にも目を見張るものがある。

 だから、彼女は戦う。


 生存闘争だろうと戦争だろうと彼女の周囲が大切になり始めてしまったのだから。


「やれやれ……こんな情に流される子供だったかのう」


 昔はもっと根本的に醒めていた気がするのに今はそんな自分を思い出せない。

 それでもいいと。


 だとしてもいいと。

 今が幸せだからこそ、彼女は思う。

 帰る場所はいつの間にか其処にあるのだと。

 元々根無し草になる予定だった身。


 ならば、お気に入りの人々の傍でゾンビを相手に大立ち回りしながら暮らすのも乙なものだろう。


(さて、神を殺す方法か。御伽噺に御爺様が言っておったな。神を真に殺す方法を考えるより、神をどうやって無力にするかを考えた方が早いと……どうすべきかのう(T_T))


 魔術師技能で痛みをカットしながら、彼女はボロボロの身体のまま立ち上がる。


 其処には何ら命の心配など無かった。

 彼女は知らない。

 自分が案外尽くす方であるという事を。


 それはきっとお人好しな少年や友人となった縁戚の姉妹達。


 あるいは自分を受け入れてくれた騎士団という居場所への感情に違いなかった。


 *


 20m級の物体が凡そライフル弾以上の速度で機動した時。


 その周囲に吹き荒れる衝撃波は自然界において人間ではどうにもならない。


 通常の拳銃弾の初速よりも速いのだ。

 攻撃が当たらないのはまだ良い。


 が、地表の大気は攪拌され、大地は吹き荒れる嵐に巻き上がる。


 岩も土砂も次々に吹き飛ぶ為、凡そ銃弾のような弾体では突破するのは不可能。


 質量差で負ける以上、ソレを捉えるには接近しての攻撃しかない。


 黒翔と黒武の連携による観測と砲撃の雨で釘付けにしてもいいが、根本的に大威力の攻撃は避けられるせいで決定打に欠ける。


 だが、個人携行の武器では20mの物体を削り切れない。


 脚を殺すのは真っ先に試されたが、脚部への攻撃を執拗に触手がガードしてしまう為、上手くいっておらず。


 それどころか戦闘が継続し続ける程に相手からの精神侵食や物理侵食の継続ダメージで精神や鎧が表面をジワジワと蝕まれていた。


 血液、血肉は元より、相手が吐き出した瘴気にまでも含まれる物理的な細胞による浸食は今まで九十九がバンクに登録してきたあらゆる生物細胞を遥かに超える何かであった。


 そもそも物理法則で動いていない可能性が大きく。


 実際に生物に作用する系統の毒やらアイランド・クリーチャーに使われたBC兵器も使われた。


 が、一切効果が無いどころか。


 取り込まれたソレが即座に生成されて周辺にばら撒かれるという有様。


 もし戦う者達の鎧が外部からの完全密閉式で空気すらも浄化循環させられる代物でなければ、あっという間に全滅していたに違いない。


 時にドローンを盾にして攻撃を防ぎ。


 時に魔力充盾による戦列で敵の突進を防ぎ切って見せても、決定的な攻撃力の不足が彼らを致命的に消耗させていた。


 相手は恐らく神から魔力を供給されている為、実質の動力は無限。


 ついでに一度使った攻撃方法はすぐに学習されてしまった為、それからは防御方法や牽制攻撃の単純な組み合わせを無限に九十九に生成して貰いながらの遅滞戦闘となった。


 敢て単調な攻撃を折り合わせて対処する事でまだ相手に使えそうな手札を温存するという方針は長期的には極めて合理性の高い判断だったが、同時に現場の隷下部隊の寿命を確実に縮めていた。


『また攻撃が重く?!』

『ローテーションを崩すな!!』

『ダメージを受けた者は後方へ!!』

『精神汚染の酷い者は一時離脱しろ!!』


『クソがぁ?! こいつの攻撃ッ、盾を貫通しそうになったぞ!?』


 少しずつ魔力的に増強されていく相手は緑の夜の下、正しく残像すら残さずに移動して攻撃の刹那に僅か減速するだけの影だ。


 触手もそれと同じく。


 次々に盾は凹み、装甲は傷付き、侵食された部位がアメーバ状の細胞片の増殖で覆われていくのである。


 一瞬でも気を抜けば、刺し貫かれるだろう触手の群れは今や細く細くなり、砲撃を受ける時のみ太くなるという変質を遂げていた。


 錐の雨を盾で凌ぎながら掻い潜り、侵食される装甲を内部から魔力の転化で焼いて散らし、何とか現状維持を行う部隊員達も魔力電池の消耗と同時にMHペンダントの精神保護機能が弱まり始めた事で限界域まで高めた集中力を持続させる事が難しくなっていた。


 包囲網はもう何処か綻びてもおかしくない。


 そもそもの話として一般隷下部隊は常人を素体として隊員としての最低限度の能力を引き出した存在だ。


 通常の人間の分解能。


 つまり、脳が認識出来る1シーンは0.25秒程と言われている。


 これが人類の限界であり、その間隙以下の攻防を人は認知出来ない。


 人類と化け物の差は大きい。


 超音速越えの戦闘というものの大半は認知機能に頼らないのが通例だ。


 相手を予測し、攻防の結果を見て、更に行動を先読みして行う。


 基本はこの繰り返し。


 結論として知覚よりも先読みと反射と思考の確度がモノを言う。


 だが、生憎と化け物はその限界を軽く超えてしまう。


 認知機能が人類よりも優秀ならば、大抵人類には思考不能な速度域でも何食わぬ顔で反射して思考して戦えてしまう。


 それは黙示録の四騎士などにも言える事であり、物理法則下に無い認知機能による超高速戦闘に耐える為、少年は機械を用い常人が戦う方法を編み出した。


 九十九による行動の予測などの情報支援システムC4IXは最たるものだ。


 敵行動の予測演算結果に合わせ対処する部隊員達は機械の言いなりという事ではなく。


 機械の指定して来た未来の幾つかの選択を選り合わせる運命の糸の紡ぎ手だ。


 7つある選択肢を3つに絞って1つを行う間に2つの選択肢の支援を行う。


 このような行動の積み重ねを部隊単位で行う事で戦うというよりは相手との速度や認知機能の差を可能性の差、選べる選択肢、道の多さでカバーするのだ。


 時には己の死すらも選択肢には入る。

 全て彼らも了承している事だ。


 化け物一体と相打ちでは絶対的に不利である人類がその数と質に食らい付く為に少年が用意した力は敵よりも多い選択肢を常に最速で相手よりも早く選び実行する代物。


 十秒後の為の布石を数十人で打ち続ける事で一つの結果を導き出すのである。


『弾丸初速調整甘いぞ!!』

『使い分けてますよ!? それより盾遅いですよ!!』


『クソッ、処理能力の限界が近い!! 今、何時間経過した!?』


『聞かない方がいいです!! 後、それ五回目!!』

『まだいけるッ!! いけるさ!! 術式展開!!』


 まだ敵のいない場所に攻撃を仕掛け、誰もいない場所に援護用の盾を投げ、まだ負傷していない人物の為に救護用の術式を起動し、背後に現れる敵に一撃を見舞う為に味方のすぐ横を撃つ。


 人類の社会、集団としての強さは数だ。


 そして、それを生かす分業制こそが社会を高度化させた。


 これを戦闘で極論して実行すれば、可能性を機械で提示し続け、相手よりも多岐に渡る手札を維持し、上回り続ける事で最終的には相手の可能性を潰す事が出来る……正しく彼らの戦いは名実共に未来を護るものであった。


 必ず辿り着くモノは辿り着く。


 それまでのプロセスを完遂する隷下部隊の隊員達は個としては人類止まりだ。


 どんなに強化しても最初から人類種と呼ばれる大陸人や異種や化け物、神には敵わないだろう。


 だが、可能性の紡ぎ手としてならば、その歯車としての力。


 組織と集団と社会への貢献は神すら砕き得る。


 それが超音速を越える相手との戦いが一方的な遅れを取らない理由であった。


 が、それでは通信が遮断されると問題になる事も多い。


 だから、少年は毎日のように滅びの30日を彼らに試行させた。


 経験は学習を上回る。

 同時に学習も経験を上回る。

 その両輪が陰陽自研と隷下部隊なのだ。


 どちらも疎かにしなかった少年が鍛え上げた数か月前なら一般人な人々は今、人類の叡智と己の経験によって神の欠片を前にしても戦えていた。


 経験則に基づいた行動基準は決してシステムに負けるものではない。


 複雑な状況の処理を一瞬で行える人類の選択する力こそは少年が生み出してきたシステムにも劣らない。


 何処でどんな風に動けば、仲間を救えるのか。

 相手を牽制出来るのか。


 相手の行動を予測して常に相手の先回りをする兵隊が数十人。


 これだけで随分と敵との戦い方は変わる。


 命を賭ける献身と命を預ける挺身があればこそ成り立つ戦闘方法は神の欠片を前にして未だ不破の盾であった。


『03後退!! 08を前に!!』

『もう盾が持ちません!!?』

『包囲を広げろ!! まだソレで持つ!!』


『威力減衰率93%!! マズイですよ!! オレらの身体は9割下回ると即死です!!』


『クソ、このゆるキャラがぁああああああ!!!』

『一時、牽制して後退!!』


 1人の限界が即座に集団に波及する。

 脱落者1名。

 左足を触手によって絡め取られて粉砕骨折。

 脱落者2名。


 両手を触手に貫かれそうになり、盾で凌ぐも踏ん張りが効かずに戦闘領域圏外に弾き出されて戻るまでに20秒。


 少しずつ削られていく戦力とその度に消えていく可能性。


 手が回らなくなれば、加速度的に破綻するのは目に見えている戦い方。


 それが彼らの弱点でもある。

 個人でも強くは成って来た。


 だが、それはあくまで単なる人類相手の場合であって、神の欠片には到底及ばないのは言うまでもない。


 集団の弱さも体現する彼らは正しく数の減少によってまた次々に盾を砕かれそうになり、防御も包囲も瓦解していった。


 だが、敵は狡猾だ。

 満足に動けない相手にトドメを刺す事すらない。

 敵は一路。

 シェルター都市に向かう。


 最初の速度を軽く数十倍にしたソレは包囲の一角が崩れた瞬間を見逃さず。


 影のままに地平の彼方へとすっ飛んでいき。


 要塞線を飛び越えようとして3000m程真逆に弾け飛んだ。


 防御方陣。


 常時展開型の敵を遮断する壁が小さな円環の集まりによって形成されていた。


 第一層に向けて地面に倒れ伏した人型が触手を無数に放つ。


 敢え無く方陣が貫通すると同時に要塞線の表面装甲に到達した触手は侵食・貫通出来ない様子で爆弾でも連鎖したかのような音を立てて静止したが、すぐに装甲表面を伝って次の壁へと樹木の根のように伸び始めた。


 しかし、此処でまた壁の機能が発揮される。

 根の如く伸びた触手が次々に燃え上がり始めた。


 隷下部隊が行っていたのと同じ装甲表面を焼いているのだ。


 細くなっていた触手が次々にボロボロ崩れて焼け焦げていく。


 だが、ならばと触手が今度は魔力を大量に漲らせて太くなろうとし―――魔力そのものを要塞線に吸収されて萎れていく。


 ―――【!】


 一定以上の魔力を吸収するディミスリルを用いた機能だ。


 触手が次々に要塞線から剥がされ、立ち上がった高速型が自身の脚を太く太くしながら力を込めて跳躍した。


 その選択は正しい。


 確かに魔力が有限である以上、方陣防御の領域展開には限界がある。


 が、シェルター都市外縁と基地から砲弾が猛烈な火線となって相手に打ち込まれる。


 ―――【!!】


 幾ら機動力が優れていようとも飛んだ直後を狙い撃たれては鴨打ちである。


 数百発以上の砲弾が直撃した肉体は千切れ飛んでこそいないが、魔力を吸収された様子で干乾びつつ、焼かれて地表へと落ちていく。


 その合間にも回復した敵は考えあぐねるかと思えば、最も合理的な手を使う。


 20mの巨体に魔力が再び充溢して漲っていく。

 そうだ。


 突破する威力を劇的に増加させればよいという単純明快な回答であった。


 腕が太く肥大化し、まるで杭のように凶悪な指先と爪が揃えられた。


 ―――【!!】


 地表に落下した瞬間に突撃。


 そして、方陣防御が呆気なく突破され、一層目の壁に激震が奔ったかと思うと周辺に超高周波を響かせて罅割れながら破砕された。


 敵の一撃を受け切れなかったのだ。

 分厚い壁が腕の一撃で以て正面突破された。


 その間を悠々と通り過ぎる図体がもう片方の腕もまた同じように杭として形成。


 二倍になれば、二倍楽だと言わんばかりに走り出したソレが短い助走でトップスピードまで加速しながら両腕を要塞線第二層に突き刺し、軽々と崩壊させて己が通れる道を貫通させた。


 震える巨大な鋼の壁が亀裂を受けて次々に振動していく。

 この調子では最終層まであっという間だろう。


 他の要塞防衛機構が破壊されるまでの予想時間は約10分。


 それまでに何をするべきか。

 それを考えるのがHQの人員の仕事だった。


『彼らの演習終了までの予想時刻は?』

『残り23分です』

『つまり、13分の遅滞戦闘か』

『はい……』


『ならば、やる事は決まった。フィクシー・サンクレット副団長代行』


 機龍メインCIC内部。


 今まで状況を全て見ていた少女が八木の言葉を待っていたかのように見つめる。


『状況は理解している。八木一佐』


『助かります。これより機龍をぶつけます。総員の退艦に伴ってシェルター都市の防備に痛滅者の派遣を要請したい』


『……一佐。相手に学習させずに時間稼ぎするとなれば、兵装は使えないと分かっての発言だろうか?』


『こいつをぶつけて力比べですよ。さすがにどうにかなるでしょう。九十九はシェルター都市の方にあります。こちらの百式や機器一式も機能が侵食される前に爆破すれば問題はありません。そのように造られていますから』


『ウチのベルにそういうところは似なくてもいいと思うのだが?』


『ははは、光栄な話だ』


『でも、どうやら……その配慮は杞憂であるようだ』


『杞憂?』


 八木が艦長席に入って来る映像の一つに人の集団を見付けた。


 彼らは隷下部隊の後方向けの装甲に身を包み。

 全員が片手に刃を片手に盾を。


 そして、未だ基地上空の機龍に敬礼すると壁まで走って、そのまま跳躍し、次々に壁の上から20m級に向かっていく。


『英国のレベル創薬の被験者達が自発的に協力すると』


『だが、まだ彼らは……』


『防御系統の技能の習熟は終わっていると報告がありました。攻撃はからきしでしょうが、一般隷下部隊の防御陣並みの力はある』


『―――政府から命令が下ったわけではないだろうに』


 八木が本来ならば、万全の態勢で臨ませなければならない自分達の不備だと拳を握る。


『今、シェルター都市を護り切れねば、どの道その国には未来が無い。装備はこちらから北米の備蓄分を回しました。今、沿岸部での激戦は局地戦。装備が足りなくなる事も無いでしょう』


『分かりました。これより、部隊の情報支援を開始する』


 八木が即座に支援体制を敷いた。

 前線から急行中の部隊も続々と集まって来ている。

 再びの包囲遅延戦闘再開まで残り12分。

 それまでにどれだけの被害が出るものか。


 祈らず。


 彼と部下達の奮闘は始まる。

 隊伍を組む者達の力が壁となった時。


 それは確かに如何な不破の壁をも超える固い結束であるに違いなかった。


 *


 米軍にとって英国の危機というのは自らの危機であると同時に各地の米国政府における発言力の向上の機会でもあった。


 今、ようやく彼らの出番が回ってくる。

 そう、善導騎士団や強大化した空自ではなく。

 彼ら米軍の出番が、である。

 子細詰められていたのはもしもの時の計画。


 北海道・東北に居を置く米軍の総司令部は今や局地戦になりつつある北米の沿岸部の激戦やら英国本土やアイルランドでの戦いを世界の何処の組織よりも明確に確認しつつ、その時を待っていた。


 何を今更待つ必要があるのか?

 無論、善導騎士団と陰陽自衛隊、空自の限界である。

 しゃしゃり出て行っても顰蹙を買うだけ。


 ならば、どうにもならなくなった時点で相手の助けに入るというのが最も合理的な地位の向上に資する戦い方だ。


 どの道、神を相手に限界を迎えつつあるのは見れば、誰の目にも解った。


 英国内の米国も英軍の支援という形で防御陣地に構えていたが、今は部隊をシェルター内に下げて休息中であり、次の作戦の発動を待つばかりであった。


「……解りました。では、作戦の発動の承認は確かに」


 カチャリと紅い有線の受話器が置かれる。

 三沢の地下2㎞地点。


 分厚い隔壁と何層にも及ぶ対爆対衝撃防御用の建材に阻まれた司令部の中枢。


 ハンプティ・ダンプティ。


 あるいは卵おじさんと日本ではそれなりに人気の高いマーク・コーウェン准将は逸早く大統領からの作戦の承認を取り付けて、発動までの時間を待っていた。


 周囲は薄暗く。


 まるで潜水艦のCICを思わせて左右には大量の情報機器を操るオペレーター達が詰めている。


 最新の3D式投影方式の映像が虚空には垂れ流されており、英国の窮地は善導騎士団ですら全て把握し切れていないというのに丸見えであった。


 その情報を伝えている機器が一体何処にあるのか。


 英国が完全に蹂躙されているのに無事な観測機器が野外に置かれているわけがないだろう、などの疑問がまだ其処に入る事が許されるようになって日の浅い若手将校達の脳裏には消えなかった。


 が、何分この数年以上その場所の主として君臨する男の手前。


 何も訊ねる気にもなれなかったのは彼らも分かっていたからだ。


 彼らの小さな将軍が内心は不機嫌だと。


「善導騎士団は上手く現状の誘導を行ってくれた。ダークシェードの第三段階にこれより移行する」


 情報機器が今までのグリーンの輝きから一転して黄昏色。


 琥珀のような色合いに染まっていく。


 それと同時に格納されていたと思われる更なる情報機器が大量天井や床からもせり上がって来た。


 それは何処か第二次大戦期の戦艦の艦橋を思わせるような古めかしいメタリックな代物ばかりで現代のディスプレイが全てを映し出す戦場の情報共有には不似合いなメーターや伝声管のようなものが付属している。


「これは……」


 メーターや虚空に映し出される数値にはMの文字が多用され始めた。


「新人将校たる君達は初めてだったな。此処が米軍の最前線だ。未だ十数年前の機器を使わざるを得なくてね。戦線都市やあのマッドが調整したものを未だに使っている。このご時世に懐古趣味な改造を施しよってからに……直すだけでは済まんのが如何にもあのマッドの仕事だな」


 何処か古めかしくも感じるガジェット感。

 旧き良き艦の内部を想像させるような機器の数々。


 それにとある考古学者の顔を思い浮かべ、忌々しそうな顔となる准将が自分の座席の前に出て来た幾つかのレバーを押し込んだ。


 途端に通電したらしき機器の輝きが更に増して、最後には虚空から全方位に宇宙のような星々にも見える世界が広がり、誰もが無重力の空間に浮かんでいるような錯覚を受ける。


 いつの間にか。

 彼らは其処にいた。


「これは……」


 十数年前、戦線都市が米軍に齎した技術は未だ追い付けない程の格差のある代物だった。


 そして、しっかりと納入されもすれば、普通に使用可能な状況でもある。


 嘗て、ハワイにまで持って来た大量の代えの無い機器を持ち運ぶのに潜水艦が用いられるはずであったが、当時の状況的に頓挫。


 結局、航空機による分散輸送で日本政府の目が届き難い本州の基地の中で米国までの距離が最も近い三沢に運び込まれたのだ。


「戦線都市の置き土産だ。まだ此処まで再現するのに10年以上掛かる代物で未だに現役。それでも近いだけの技術は既に我々米軍も持ち合わせている」


 准将が自らの周囲にちゃんとある機器の一つのスイッチを弾く。


 それと同時に立ち上がったのは地球を俯瞰する視線の上に書き上げられるリアルタイムのタイムライン形式で流れる情報の羅列であった。


「戦線都市が開発した幾つもの革新的な技術の一つ。世界中のあらゆるデータを受信するシステムだよ。原理的には地球を魔術的な観測機器で見て、特殊な情報源である因果律とやらを数値化しているのだとか。まぁ、我々の既存技術ではソレが物理的にどういうものなのかは未だ分からないが……」


 北海道におけるFCの起こしたゾンビ襲撃事件。


 彼らが用いる情報機器とまったく同じようなものを使っていた女がいた事を彼らは知らない。


 本拠地は丸ごとゴア・バスタ―や片世の攻撃で砕け散ってしまった為、回収したところで分かりもしなかったのだろうが、その光景は正しく今現在の原因の多くが戦線都市という場所に集約されている事を物語っていた。


「使えるものは使う。それが今の我々の現状だ」


「……准将。ダークシェードの段階を引き上げると言っておられましたが、アレは英国のZ化した海獣類の撃滅作戦なのでは?」


「ああ、表向きはな。善導騎士団には知られているかもしれないが、アレは英国内の米派からの提案だ。その本筋は神の隔離にある」


「神の、隔離?」


「大西洋だぞ? 英国を今襲っている敵を我々米国が知らないままに放置していたとでも?」


「それでは!?」


「英国には大変な負担を背負わせてしまったが、元々は人類絶滅期……後数年後に発動される予定だった人類生存計画の一貫だよ。だが、彼らが来るまで我々には英国を救う手立てなど無かった。此処まで言えば解るか?」


 新人将校の顔が蒼褪めていく。


「つまり……助けられないのならば、情報を共有してわざわざ人類内で内輪揉めをする必要も無い、と」


「そういう事だ。あちらにいる米国政府の上層部も知っている事だ。だが、此処に来て善導騎士団というイレギュラーが我々に出来ない事をしてくれた。本来ならば、第一波の時点で壊滅しているはずの英国を救ってくれた。故に……」


 准将が英国の大都市に迫る最初の巨人が5kmの地点に到達した時点で善導騎士団も限界に達しただろうと判断。


 小さなスイッチを弾く。


 すると大西洋沿岸部に近い幾つもの基地が赤い点で光り出した。


「我々はこれでようやく大西洋と太平洋を人類の手に取り戻す事が出来る」


「一体、何を?」


「嘗て、米国政府は1800年代初頭から大西洋の神の情報に付いては一部理解、解析までしていた」


「そんな事が……」


「米国にも魔術師が当時はいたらしくてね。時代が流れても情報は有ったんだ。それを戦線都市が解析。どうやって永続的に封じ込めるかを模索した」


「そういったシステムを構築出来たのですか?」


「ああ、要は相手の強大な力をただ封じるのではなく。弱めて封じるのだ」


 米国本土とカリブや大西洋に浮かぶ島々、アフリカ北部、更に何も無さそうな海洋の複数点が線で結ばれていく。


 すると、まるで万華鏡のような多角形を形成した。


「これは……」


「【七星神喰方陣セプタ・グラッジ・ワークス】」


「セプ? 何でしょうか?」


「……戦線都市が嘗て米国に齎した力の一つだ。コレは大西洋の神を中心として発動する。神の力の急速吸収と封印……同時に魔力と呼ばれる力を資源化する無限のエネルギー供給網だ」


「神の力を逆に利用するのですか?」


「ああ……もしゾンビの動きより我々の対応が早ければ……北米はこの力で護り切れていたかもしれない」


「そんなものが……」


「国防計画の一つだった。神を弱体化させると同時に吸収された魔力は各基地にエネルギーとして供給され、それを用いて無限に兵士を生産する手筈だった」


「無限に兵士を……一体どうやって? 魔力はよく聞くようになりましたが、ドローンの燃料にでもするのですか?」


「いいや、文字通りだよ」


 各地点。


 今やゾンビに呑まれた世界の各地に残る大量の廃墟。


 米軍基地やその関連設備の未だ生き残っている場所の内部が次々にオンラインで稼働し始め、薄暗い室内に輝きが灯っていく。


「こ、これは……人造胎盤……という事はまさか!?」


「そうだ」


 准将が次々に浮かび上がるカプセルとその底に付いている胎盤状の生体部品を見つめて頷く。


「コレは人類絶滅時に発動する予定だった新人類の揺りかごであり、人類が生き残っている内に発動出来れば、ほぼ数百億人以上の人間を継続的に製造出来る兵士の量産設備だ」


「―――神よ」


「はは、止めておきたまえ。形式的には神をのだから」


 一般的に日本国内どころか世界中で人口減少に喘ぐ国家は機械での人類の製造を大々的に議論してきた。


 製造と言えば、聞こえは悪いが、人工授精後に人の子宮や胎盤を使わずに機械に組み込んだ生体部品で胎児の育成を代替する代物だ。


 もう殆ど技術的には完成しており、何処の国も動かすのに法案審議が終われば、秒読み段階という代物であった。


「善導騎士団も苦戦している。あの巨大な肉塊が動き出せば、どの道……英国も護り切れまい」


「それは普通の兵士でも同じなのではありませんか?」


「だろうな。だが、神の力を半減させれば、時間稼ぎになる。時間が稼げれば、連中も持ち直すだろう。今、アニメ顔負けに人型機動兵器の最終調整をしているそうだからな」


「……その……兵士を製造と仰いましたが、どのように?」


「製造された兵士達は脳へ情報をダイレクトにインストールする」


 准将が新顔の前に映像を立ち上げる。


 其処には脳幹に直接射し込む形の機器が置かれていた。


「SFだろう? だが、本物だ……当時、善導騎士団のように大陸と呼ばれる世界から流れ着いた複数の人員から接収した技術を解析した代物だ」


「こんなものが十数年も前に……」


「大陸中央諸国と呼ばれる国々。いや、七教会というらしい世界最大の宗教軍事組織のものだったらしいが、我々には出所はどうでもいい。とにかく使えるのだ。使わない理由も無い」


 また、人間の脳幹に首筋からダイレクトに連結する機器の説明文もダラダラと垂れ流され始めた。


「十数年前のポンコツだが、未だ機器は生きている。魔力の転換と濾過用の設備も万全だ。神が活性化して魔力を大量に彼らのエネルギー網に流し込んでいる今ならば、オーバーロードして爆散という事もあるまい。施設は稼働するだろう」


「ほ、本当に発動するのですか?」


「ああ。勿論だ。嘗て、手を拱いたお偉方は死んだよ。あの祖国の大地でな。生憎と我々は生き残らなければならない。大西洋沿岸を奪還出来れば、再び人類は戦えるようになる。まぁ、施設のエネルギー効率は魔力無しには劣悪だがね」


「では、大統領からの命令も受諾した。これより本当のダークシェードを開始しよう」


 准将が躊躇いなく自分の前にあるキーボードを操作して、Y/Nの選択肢を……Yをエンターした。


 それと同時に次々と施設が稼働を開始していくのが誰の目にも解った。


 ゴボゴボ無数のカプセルが泡立ち始め、次々にその下にある機器のディスプレイに文字列が吐き出されていく。


 同時に衛星からのデータが周囲に表示された。


 各地の施設と基地の周囲に魔術方陣らしきものが浮かび上がると白い線を次々に奔らせながら、各地の大地を海底を横断したラインを引いて行き。


 数十秒で大西洋が囲まれていく。


 そして、大西洋……北米と英国の中間地点より更に幾らか下辺りから巨大な青黒い光の柱が立ち昇ったかと思うと次々施設のある地点にその輝きが伝播して巨大な大陸規模の方陣自体が明滅してフッと途絶えた。


「成功だ。魔力の伝達ラインが形成された。これで……」


 カプセル内部に次々と下部から胎児の原型だろう物体が浮き上がり、胎盤から伸びたへその緒もそのままに丸まって、その時を待つ。


「一次ロットは200万人。この子達は数日で10歳くらいまでになるだろう。各地に遺した備蓄分で食糧も問題ない。2週間後には各地で反抗作戦を開始出来る。米国はこれで―――」


「准将!!?」

「何だ? どうした」


「一部の生体データに問題があるとシステム側からの通知です!!」


「何ぃ!? そんなはずは!? 整備と点検もこの厳しい時代に行い続けて来たんだぞ!?」


「そ、それが……映像が!!」

「映像? 回せ!!」


 男が怒鳴ったと同時に彼らの前に英国内で死んだ男の笑みが映し出された。


『やぁ、米軍司令部の皆さん。私の事をお忘れだろうか? いや、一部の者は知らないかもしれない。此処は自己紹介しよう……私の名は【微笑む者ザ・スマイル】」


「?!!」


「顔を見た事がある人間には遺跡発掘調査隊主任会計士。あるいは兼業の考古学遺伝学者アールス・ノイマンと言った方が解り易いかな?』


「ッ―――貴様は死んだはずだ!!」


『はは、きっとお宅の准将が私は死んだはずだ、なんて言っている事だろう。ああ、死んだとも。君達の悪辣なる迫害で今の私は英国のカルト宗教の教祖様だが、君達……もしくはBFC辺りに滅ぼされているだろうな』


「死人が生者を謀るだと?!」


『だが、ただで死ぬと思うなよ?』


 男の笑みが禍々しいまでに歪んでいく。


『君達の計画の一部を掴んだ私は子供達を用いて大西洋沿岸部で片っ端から施設に細工させて貰った。なぁに、何も問題はない。此処で製造される子供達が私の子供達になるだけだ』


「准将!! 偽装されていました!! 遺伝データが書き換えられています!? 受精前の精子や卵子に付いて異常が―――」


「ッッ、まさか、狙っていたのか?! 我々が施設を稼働させるこの時を!!?」


『これより君達の施設を流用させて貰おう。私が生み出した種族が今後の新人類となる。ああ、施設の爆破や破壊も無駄だよ? 自爆設備は破壊したからな。君達が保有している兵器で攻撃する分には構わないとも、だが、生憎とこの子達は君達が思うよりも素早いんだ』


「准将!!? 胎児のせ、成長率が異常な数値を示しています!!」


 彼らの目の前で胎児の背筋に触手らしきものが生えていく。


「これは―――ヤツが生み出したと英国から連絡があった化け物。いや、新人類とやらか!?」


『間に合いはしないよ。少なくとも1次ロット分の200万人はな。それに君達にとってもそう悪い話じゃないだろう? 圧倒的に優良なる人類の遺伝成果を集めた私のコレクションの総決算だ。ついでにあの神に耐性を持ち、兵士としては肉体的にも精神的にも特優。魔術的な部分でもだ』


「貴様ぁッッッ?!!」


 准将が茹蛸。


 いや、湯で卵になりそうな調子で思わず怒りで青筋を額に浮き上がらせる。


 戦力確保に一部でも基地周辺で戦線を構築出来れば、今後の米軍の動きは極めてスムーズだったはずなのだ。


 それが一瞬でご破算になった瞬間だった。


『くくく、使わざるを得ないだろう? 生産せざるを得ないだろう? ああ、そうとも、君達には後がない!!』


 アルカイック・スマイルな男がまるで司令部の誰もを見下すような瞳で視下げる。


『生憎と君達の命令には一切従わないがね。だが、私が生み出した最初期の子達を頂点として新しい社会が築かれるだろう。無論、君達の社会にも共同体が築かれるはずだ。君達が受け入れればの話だが』


 男は肩を竦める。


『融和したまえ。化け物と謗ったところで意味はないのだ。是非、私の子供達を末永く頼むよ。あの子達が将来、君達の上に立ち、大統領になっている姿を想像するだけで溜飲も下がるというものさ。はははははは』


 准将が歯軋りしながらも何とか己の拳で機械に八つ当たりする事を思い止まり、映像を今にも殺しそうな勢いで睨む。


『今、見ているか分からないが、ハンプティ・ダンプティ。君に一つ良い事を教えよう』


「―――どいつもこいつもッ、あの調査隊を組んだのがそもそもの間違いだったのだ!!」


 諸々を知っている卵男が米軍を邪魔する過去の亡霊を前にして拳を握る。


『黙示録の四騎士を斃す一番簡単な方法だ。謝って融和したまえ……ロスアラモスのゲートを奪還するより確実だとだけ言っておこう』


「これで勝ったつもりか!? だが、我々は生きている!!? お前は勝ったのではない!! 負けたのだ!!」


『では、米軍の諸君。また、死の彼方で合おう。君達が人類を護れる事を願っている』


 プツリと映像が途切れた。


 その合間にも胎児達が次々に大きくなって赤子程までも成長しているのを横目にして准将が大きな溜息を呑み込んだ様子で次々に施設内部の状況の把握に指示を飛ばしていく。


「この分だと後、2時間後には排出されるかと」

「そうか……弾道弾も間に合わないか?」


「はい。あの地域に打ち込めるものは残っておらず……輸送するにも時間が……遠隔で発射可能な基地そのものがあの計画に流用されておりましたので……」


「完全に裏を掻かれた形か。施設の制御は?」


「はい。残念ながら部隊を送って再調整するしか直す方法は無いかと」


「……まぁ、いい。1次ロット分の奴の個体が掃けたところで強襲し、再調整を施すという事で一時的にこの件は凍結する。強襲計画の策定を急げ。それとあの施設で製造された個体に付いては不干渉で構わん」


「よろしいのですか?」


「現状、敵に回す理由が無い。後は……善導騎士団がどうにかするだろう。戦力の確保には失敗したが、致し方ない。二次ロットさえ可能ならば、遅延の身で済む。ユーラシア遠征の方を急がせる事としよう」


 彼らはそうしてまた一つ己の業故に切り札を失い。

 しかし、それでもまだ何を諦める事なく。

 自らの軍務に従事すべく。

 その場を後にしていくのだった。

 アイルランド北部海神討伐戦。


 後にそう呼ばれる戦いの行く末を見守る者は一部の者のみだ。


 勝つにしても負けるにしても彼らは頓着しない。

 勝てば、次の遠征が楽になる。

 負ければ、英国が滅ぶ。


 だが、どうなっても彼らの仕事は何一つ変わらないのであった。

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