第121話「正義の天秤」


 日本の自衛隊が変質した、と言えるのは何も善導騎士団が来てからの事ではない。


 大量の難民移民の受け入れ後。


 その1割以上を占めた軍人や軍属の類が陸自に7割、海自に2割、空自に1割という程度の人数流入したからだ。


『わ~~此処がオジサンが言ってた陰陽自衛隊の基地かぁ』


『あ、東欧の亡命政権の子達が団体で来てるみたい』


『あっちは中東?』

『うん。あ、中央アジア系もいるね』


 日本国籍保有者ではない者もまたゾンビ戦時特例と呼ばれる諸法案によって再編されて、陸自内の一部部隊は完全に外国人部隊化している。


 その際たるモノが陰陽自衛隊の前身部隊の訓練を行っていた師団だったわけだが、15歳の幼い陸自隊員達のほぼ壊滅という事実を以て、事実上はその採用が停滞していた。


 まぁ、関東圏や関西圏、北海道圏の争乱のせいで、というのが実情ではあったが、世間が陸自ではなく善導騎士団と陰陽自衛隊に注目し、一気に経産省と防衛相と予算編成の本丸たる財務省が彼らに太鼓判を押しまくった挙句にペコペコし始めた辺りで流れが変わった。


『広いねぇ~。富士近くの樹海基地って聞いてたけど、何処ら辺に樹海があるんだろ?』


『パンフレットだと樹海の殆どが今や消えたって書いてあるけど』


『え?』


『つまり、元々このすっごく広い基地が樹海だった、らしいよ?』


『あはは、嘘だぁ~~』

『ホントホント』


 1人の少年の錬金術。


 それこそ無限の魔力と無限のディミスリルを大量投下され始めた日本市場で経産省がまず何よりも先にその有用性と金の生る木たる騎士団の実態に気付いて、即時官僚を随時派遣状態であらゆる企業との橋渡しを行い、防衛省は正しくおんぶにだっこの言葉通りの兵器と戦術の一式を輸入共同開発教導まで行う運命共同体に……最後に日本の国家予算を1000年分くらい持ってくれそうな少年の超技術に投資しようという財務省が腰を折った。


 結果、日本中の自衛隊内で何が起ったか、と言えば。


 人材確保の必要性に駆られた。


 需要が供給を大幅に上回る状態となったのだから、当然だ。


 理由など言う必要も無い。


 世界中の祖国を取り戻したい亡命政権と大陸から来て日本国内で半ば腐っていた外人部隊と揶揄される元海外軍人崩れ達が祖国の生き残りに号令を掛けた。


 折しもテロ時の暴露で《落第点》を取った亡命政権のお取潰しと揶揄される同化政策が表沙汰になったのも大きく状況を後押しした。


 此処で日本相手にごねても意味はない。


 落第しそうな学生が何か功績を残して単位を貰おうとか、単位の未取得免除してもらおうというのと同じようなノリでお粗末な運営をしていたところは必死。


 そうでないところも諸々の事情から数少ない同胞の若者をゾンビ・テロなどで一定数は失わない層として保持しておきたいお思惑から、大量に自衛隊へと送り出す事がこの短期間で決定されていた。


『そういや、あんたは何で自衛隊に?』


『お、陰陽自って缶詰食じゃないんだって!!』


『アンタは美食家か何かなの? はぁ……』


『いいじゃんいいじゃん。欲望一杯夢一杯の方がさ』


『それにしても一杯いるね。て、言うか多過ぎじゃない?』


『何でも1日に十万人くらい受け入れてるそうですわよ』


『うえ?! 多過ぎ?!!』


 勝てる。

 戦える。


 そう近頃の状況を冷静に分析した自衛隊内部の外国人部隊の者達が祖国の上層部に報告した事も大きいだろう。


 陰陽自衛隊がゾンビ相手に、あの黙示録の四騎士相手に、莫大なゾンビの物量に、一部とはいえ競り勝った様子は世界中に報道されている。


 であるならば、祖国の後押しをしつつ、甥っ子姪っ子娘までも自衛隊で働かないかと猛プッシュする者が多かったのも頷ける話だ。


 集まりは然して良くも悪くも無かったが、それでも来年春には卒業という14歳や高校進学済みの多くの学生達が次々に自衛隊の門戸を叩く事になった。


『そういや、パンフレットには陰陽自の隊員の月収は普通だけど、福利厚生が山程豪華って書いてあったっけ? 本当かなぁ?』


『通常食無料食べ放題。あらゆる自己の個人教育に関する費用を全額扶助。全隊員個室。日本最高の医療設備と医療技術の無償利用。土日祝日は緊急時でなければ、ローテーションで保証。女性隊員は子育て支援でガッチリ。男性女性問わず善導騎士団との間に出会いも提供してくれる、らしいわ』


『マジで?』


 まぁ、物騒な御時世である。


 ゾンビ・テロの発生や超常の存在を認識するに至り、多くの国民も危機意識には目覚めた。


 それで子供達に危険と隣り合わせだとしても戦う術を学ばせて、少しでも生き残らせようという親や親代わりはそれなりに大量であったのだ。


 と、言う事で自衛隊には今や志願者の列が並び。


 その数はこの数か月という短期間で100万人近い人数になっていた。


 無論、子供だけではない。


 適齢の男女が14歳以上でも実に半数近く混じっている。


『あ、号令だよ。見学会の始まり始まり~~』

『あ、先生方がペコペコしてる?』

『陰陽自衛隊のお偉いさん達みたいだね』

『へぇ~~逞しそうなおじ様ばっかりですわね』


『アレ? でも、みんなもう行っちゃった……忙しいのかな』


『何か男の子が一人いるよ? あの服装は……善導騎士団の子かな? 剣持ってる』


 ただ、自衛隊に人をやろうという亡命政権の殆どには一つ日本政府側への注文が付いた。


 陰陽自衛隊と御近づきになれる上でその教導や兵器を使える部署に入れて欲しい。

 そういう親心というか。


 現実的な要望であった。


『あ、先生達はもう帰るみたいね』

『他の学校の先生もみたい』

『あの男の子の傍に隊員の人が一杯付いてる』

『あ、何か言うみたい』


 折しもベルズ・ブリッジの威容が日本中に伝わった後に彼らの一時的な見学予定は組まれていた。


 各亡命政権と日本中からの陰陽自衛隊への入隊希望者に対して、当組織は善導騎士団との協議の結果。


 体験入隊による1次審査。

 適性と資質を見る2次審査。


 最後に普通ならば1次でやるような書類審査を3次審査とする事を条件にこれを許可。

 他の省庁からの断れない頼み事でもあったし、実際に人手も欲しかった為、彼ら入隊希望者達はそんな事も露知らず。


 ドナドナと団体旅行客みたいに大型バスで秘密の基地内部にご案内され、さっそく基地の全観測能力で精神状況まで丸裸にされて、全てのバイタル、ライフデータの類を収集されていた。


『ええと、皆さ~~ん。陰陽自衛隊に入りたいですか~~?』


『は~~い』×一杯。


『はい。入りたいとの言葉をさっそく頂きました。ですが、陰陽自衛隊は魔術師適正のある人や超常の力と呼ばれる能力を発現出来る人しか入れないのが現状なので皆さんにはまず適正があるかどうかを―――』


『あ、喋り出したよ。やっぱり、あの子って偉いみたい』


『そうですわね。というか、他の大人の方達は黙ったままですわ』


『適正が無い方は一時間後に来る。陸自、空自、海自のバスに引き渡す事になってますので~~まずはあの滑走路を1周走って来て下さ~い』


『やっぱ、体力試験あるんだ!? っていうか!? え!? この滑走路長過ぎない?!!』


『合格者の方は1日体験入隊資格有りと見なして~隊員用のM電池とMHペンダントを記念に進呈します~』


『マジで!? アレって純正品は関東圏以外じゃ出回ってないし、ペンダントって数万円したよね!?』


『う、うぉおお!? まさか10万人に配る気なのか!?』


『そ、それよりは少ないはずですけれど、それにしたって……ご、剛毅ですわね』


『では、よ~~いドンで出発ですよ~~。順位は関係ありませんからご自分のペースでどうぞ~~』


 少年が無限に生成可能な魔術具程度、お土産としては十把一絡げであった。


 陰陽自衛隊の訓練施設の高所などでは隊員達が哀れな子供達を前にして……「また、愉快で奇妙な陰陽自とやらの実態が晒されてしまうのか」と肩を竦めていた。


 この体験入隊試験は今日で2日目。


 前日、10万人で体験入隊を果たしたのはたった200人ちょっとであった。


 実に500倍の超難関である。


 そうして、【魔導騎士ナイト・オブ・クラフト】の体験入隊用の振るい落としですらない検査が始まる事となった。


 *


 ―――1時間後。


『な、長いぃぃ……(´Д`)』

『この滑走路長過ぎぃぃ……(;´Д`)』

『もう無理(´Д`)』


 ハァハァ、ヒィヒィ、少年少女の極めて現実的な脱落は既存に半数に及んでいた。


 それはそうだろう。


 全長で数km。


 いや、先日のシエラの緊急離陸時の破壊後は滑走路が改修され、更に延長と樹海基地の改造が同時進行している為、元々の差は2倍では効かない距離となっている。


 だが、その長距離にも関わらず。


 まだ喰い付いている体育会系の生徒達もいた。


 が、既に脱落者達が次々に陰陽自側の用意した適正のある自衛隊へ直行するバスで回収を始めており、バッテバテかどうかは問題にされず、まだ走れている者も例外なく適正無しの烙印を押されていたりもした。


 だが、逆に滑走路で大の字になっている生徒がバスに回収されずに残されたりもしており、珍しい事にその日は一部の学校の生徒が数名、適正有りと判断されて、そのまま残されていたりもして。


『え? え? 何か、バスに皆入るように言われてんですけど』


『そ、そうです、わね……カフッ……』

『ああ、もう限界……うぅ……』


『すげ~走ってた奴も回収されちゃってるっぽいなぁ』


『適正が無いと走れてもダメみたい』


 本日残ったのは900名弱。

 昨日に比べれば数倍多かった。


『皆さんお疲れ様でした。では、バスに回収されなかった人達は近くの隊員のところでお土産を受け取って下さい。陰陽自の部隊が皆さんを回収し、体験入隊を始めます』


『バスかなぁ?』

『あ、アレ!? アレ見て!?』


『え? あ、あれって!? この間、週刊誌やテレビに映っていた奴!! 空飛ぶバイクとか!? それに戦車だ!? コンテナ引っ張ってるよ!?』


『アレに乗れるなんて、凄いですわね』

『うん!! 凄い凄い!!?』


 黒武と黒翔が総出でのお出迎えだった。


 先日の北海道戦線でのデータがさっそくフィードバックされたVer02がこの数日でロールアウトしており、その台数は凡そ7割程増えている。


 次々に載せられた学生達にたっぷり空飛ぶ車両を堪能させつつ、少し基地を遠回りする形で基地機能の中核となる中心棟群へと入った場所で降車した。


 全員がその場でやっぱり騎士団の正装で待っていた少年に連れられて、半地下の倉庫群の一角から内部へとゾロゾロ通路を進んでいく様子はレミングの群れにも似ているかもしれない。


 彼らが誘導された先は大きな体育館倉庫のようなだだっ広い試作兵器の起動試験場の一角であった。


 大量のディミスリル合金の中でも魔力吸収と耐久性と腐食性、耐衝撃性能などに優れた装甲が何重にも張り巡らされた内部は何が在っても大抵は基地内部で処理出来る密室でもある。


『皆さん。皆さんにはこれから―――』


 その時、少年の肉体が爆裂した。


『―――え』


 唖然とする少年少女達の前で少年の他にも現場にいた大人達が大量の魔術らしき火球や氷、雷などの大量の攻撃魔術に撃ち抜かれ、腹や頭部を破壊されて、臓物や脳漿をブチ撒けながら倒れ伏し、その攻撃に呆然としながらも逃げ出そうとする者達の前で試験場のシャッターが閉まっていく。


 それと同時にそのシャッターの先から猛烈な打撃音のようなものが連続し、学生達が赤く染まったレッドアラートの鳴り響く状況の最中。


 今まで喋って、生きていたはずの大人達のホカホカの死体から上がる臭いと血の湯気を前に後退り、絶叫した。


 男女の別も無い。


 だが、シャッターの先から次々に音や衝撃が響いてくる為、彼らは中央に固まるようにして全周の壁から距離を取るようにして密集した。


『いやぁあああああぁああ!?』

『どういう事だよぉおおおぉお!!?』

『何が起ったの!?』

『し、死んでるよ!? 皆、死んでるッ!!?』


 彼らの前にある死体は今も血を流し、臓物を垂れ流し、事切れた人間だったモノが血溜まりを大量に生産して、紅い室内を更に赤く鉄錆びの臭いと共に染める。


『現在、黙示録の四騎士の強襲を受け、騎士団と陰陽自衛隊が交戦中!! 敵主力の一部が内部に侵入した模様!! 各ゲート、各隔壁を閉鎖!! これより当基地はも―――』


 パチュッという果実を握り潰したような音。

 まるで水風船を割ったような液体の弾ける音色。

 それと同時にザリッとノイズ混じりに館内に声が響く。


『―――陰陽自衛隊。貴様らは遣り過ぎた……さぁ、我らが前に屈せよ。その罪深き、力無き腕を投げ出し、我らに許しを請うがいい!!』


 その泰然とした蔑む声。

 そして、響く生々しい憎悪の言葉。


 それに生徒達は自分達が最悪の状況下に置かれた事を理解する。


『ほう? 子供もいるのか。ならば、優先的に叩かねばな。恐怖せよ。涙せよ。貴様らはこれより貴様ら人類の罪深さ故に絶望しながら、喰らわれ、死者の列に加わるのだ。無力なる大人を憎悪し、己らの無力に諦め、卑しく惨めに死んで行け。くくくくく』


 ブツリと声が途切れる。

 それと同時に涙を零して叫ぶ者。

 頭を抱えて蹲る者。


 他にも多くの者達が迫りくる死を前に実感も無く。


 いや、ジワジワと死の前に実感を感じ始めた様子でガチガチと歯を鳴らし、頭を抱える。


 だが、その中でも3割程の者達はまだ脂汗を浮かべながらも未だ何とか理性を保っていた。


『こ―――ら、おん―――たい!! 聞こえますか!! 実験場にいる学生はよく聞いて下さい』


 その声に思わず神の助けかと全ての者が声を良く聞こうと反射的に顔を上げる。


『皆さんにお知らせします。今現在、基地がゾンビの大軍団による大規模攻勢を受けており、内外で大量のゾンビとの戦闘が発生しています。ですが、我が基地にはもしもの時の脱出用の通路が存在しており、その場所にもその通路があります』


 助かるのかと誰かが呟く。


 その声が語るのは今の彼らにとっては正しく天の声に等しい。


『ですが、通路にゾンビが入り込んでいる可能性もあり、絶対に安全ではありません!! 内部の状況は把握しています!! 大人達の装備を着込むか、すぐに装備して、今から開く通路から脱出して下さい!! 遠隔操作で銃器の安全装置を解除します!!』


 声がそう言うと同時に次々に死んだ隊員達の重火器の一部から漏れていた紅いランプの光が緑色に塗り替わっていく。


『ゾンビ相手に銃を向けて撃つ係と盾などで防御する係を分担して下さい。スーツは予備がどの階層にも多数格納された緊急時のボックスが置かれています。実験場のボックスは中央の床に格納されていて、丁度1000人分です。恥ずかしいでしょうが、すぐに下着以外は着替えてゾンビの迎撃態勢を!!』


 その指示に彼らが自分達のいた中心の床の上に突起を見付けて、指示通りに回すと次々に床から円筒形のボックスが回転しながらせり上がり、すぐにスーツをパパパッと横に回転しながら僅かに膨らませて、ハンガーに掛かった1000着を確かに展開させた。


『ゴホゴホッ?! ぐ……皆さん!! 全員が着替え終わったら、すぐに銃器を使える人と使えない人を選別して下さい。撃てない人は盾や円筒形のペンダント型の魔術具。撃てると思う人は銃器を。すぐにこの通信設備も抑えられます。どうか早く』


 ゼエゼェ、ヒューヒューと少しずつ苦し気になっていく通信の主の声に彼らは悟ってしまう。


 もうその相手の命が長くはないのだと。


『終わりましたか? 着替え終わったら、ゾンビとの戦い方を―――フルオートはまずなるべく避けて1発ずつ。それが無理なら3点バーストを使用して下さい。手動での切り替えはサブマシンガンの横のツマミで操作して下さい。真ん中が3点バースト、上が単発、下がフルオートです』


 少しずつ、その声の主の背後に戦闘音が近付いてくるのが彼らにも解った。


『通路は広くありません。確実にゾンビの頭部だけを破壊すれば、相手は無力化出来ますから、撃つ時は落ち着いて通路先から走って来るゾンビを撃ち倒して下さい。横3列で行軍し、肩膝を折って狙う者、上で立ったまま射撃する者が3人ずつ、前衛を造って下さい』


 遂に悲鳴が声の主の後ろで響き始める。


『これで単発でも十分に弾薬の消費を抑えて戦えます。その銃器に入っている弾丸はスーツを着込んでいる人間以外には頭部にほぼ必ず当たる銃弾です。一発ずつ敵が出て来たら撃って相手を撃ち倒したら、慌てず騒がず前進。これを繰り返して緊急時の脱出用の列車が置いてある場所へと向かって下さい』


 列車。


 その言葉に彼らはようやく助かるかもしれないという希望を僅かに見る。


 泣いている女子や男子もいはしたが、他の者達に促されて、何とかスーツを着込む事は出来ており、蹲る者は幸いにしていなかった。


『兵員輸送用に置かれたもので付近の市街地に出ます。全員が載り込んだら非常ボタンを押せば、そのまま輸送してくれるはずです。どうやら、此処までのようですね……皆さんが生き残る事を願います。どうか、無事でい―――』


 最後の言葉が最後まで呟かれる事は無く。

 猛烈な音の嵐に通信が途切れた。

 それにビクリと涙目になる者は多数。

 だが、生き残る為にはどうすればいいのか。


 それは少なくとも避難訓練というにはあまりにも過酷だが、示されてはいたのだ。


 すぐに彼らの前で壁の一部がスライドして、まだ赤い非常灯の付いていない通路が普通の光を怯えて現れる。


『とにかく、銃を持った奴!! 撃てない奴は撃てると思う奴に預けろ!! 持った奴は6人ずつ集まって隊列を組むぞ!! 他の奴らも並べ!! 早くしないと通路の先に進めなくなるかもしれない!?』


 こんな時だからこそリーダーシップを取ろうとする者も出て来る。


 次々にそういった者達が編成した者達が無様に動揺しつつも何とか避難訓練の要領で並び、3列が並ぶのがギリギリの通路へと向かう。


『い、行くぞ!! 駆け足じゃなくて速足だ!! 倒れるな!! 動けない奴はいないよな!? じゃ、じゃあ、通路に向かうぞぉ!!』


 動揺もあったが、泣いている者もいたが、座り込もうとする者達もいたが、周囲の者に引き摺られるやら、促されるやら、平手で気付けされるやらして、銃を持つ先頭集団が速足に歩き出すのに何とか付いていく。


 それを急かすようにドンドンと再び通常の入り口に展開された隔壁が大量の打撃音を鳴らし始め、殆ど恐慌状態で彼らは速足よりは小走りに近く通路へ殺到した。


 だが、それでも通路の先に向かう先頭に追い付くまでには時間が掛かる。


 倒れ込む者はいなかったが、肩をぶつける者はいた。


 1分、2分、3分。


 人が通路に掃けていくが、後方の者達は自分達の番が来るまでの焦りで入り口の集団に速くしろと悲鳴のように急かした。


 そして、最後の集団がようやく通路に掃入れる寸前。


 ドガァアアッと激音と共に隔壁が罅割れて突破され。


 その先からゾンビらしき腕が大量に溢れるのを見て、悲鳴を上げた男女問わない者達が怖気を奔らせながら、涙目で通路の先へと走る。


 全員が脱出通路に入った時点で隔壁が下り始めた事に一応の安堵を感じた後方の者達は大量だったが、自分達が重火器を持っていない事の不備に今更気付いて喉を干上がらせた。


 殿にも武器は必要なのだと彼らは人生で初めて知ったのである。


 そして、前方からは銃撃の音とマズル・フラッシュの雨。


 恐怖からの撃ち過ぎが頻発してはいたが、何とか彼らはゾンビを撃ち倒しつつ、現地へと向かうのだった。


 *


 生徒達が次々に叫びながら必死に生きようと戦う姿は無論のようにモニタリングされていた。


 演習監視用の基地内のシステムは全て感度良好だ。


 ついでに全ての審査対象の映像を任意に今日は非常勤以外は非番になった兵隊達が私室やトレーニングルーム、各レクリエーション現場で魔術具化された端末を用い、虚空に映像を呼び出して、評価点を減点式で点けていく。


 評価基準は明確だ。

 期待出来そうな奴。

 共に戦いたい奴。

 前線と後方どちらに欲しいか。


 そういった完全に現実に肩を並べて戦えるかどうかである。


 能力も見られはするが、そういった基本的な要素以外で最終的に見られるのは人格だ。

 新兵科にとって、魔術師、覚醒者適正のある人間というのがそもそも人材として揃えるのは難しい人種なのであり、それを既にクリアーしているなら、基本的に全て採用というのが陰陽自衛隊の基礎的な方針である。


 此処で弾かれるのは他者を省みなかったり、連帯行動が出来なかったり、他人を侮ったりするような人格的に矯正が必要な相手。


 要は変異覚醒者になれば、処分や封印されるような行動を行う者だ。


『退けぇ!! オレが撃ち倒してやる!!』


『止めろ!! 無駄弾を撃つなって言われただろ!?』


『ゾンビはまだどれだけいるか分からないんだぞ!?』


『何だッ!? ゾンビは殺しただろ!! オレに意見するな!!?』


『邪魔なんだよッ!? ボッと突っ立っつな!! そんな立てない奴捨ててけ!!』


『大丈夫? 痛くない? 一緒に絶対助かろう!! ね?』


『あ、ありがとう……ごめんなさい。ごめんなさいッ!! ごめ―――』


 精神的な弱さは克服出来る。

 気が弱い。

 勇気が無い。

 それらも問題とはならない。

 だが、他者とのコミュニケーション能力。


 精神的な共感能力や連帯する資質だけは生来のものと教育や環境が大きく。


 それに手を加えるのは時間がいる。


 本当に問題なのは精神的な部分で最後まで隊伍を組んで戦えるかどうか。


 信頼に足る相手かどうかなのだ。


『後方が遅れてる!! 誰か!! 火器持ちを何人か後ろへ!!』


『後ろから狙われたらマズイよなそりゃ……一定の各列に火器持ちを配置しないと何処かで途中襲われた時、対処出来ないぞ!! 最前列は多めでもいいが、中央と後方にも人を!!』


『チクショーッ!! なんでオレ達がいる時なんだよぉおおおおおおお!!!』


『クソッ!? 死なない!! オレは絶対に死なないからなぁ!!!』


『静かに!!! ゾンビに気付かれたいの!! 声は出さないように徹底させて!! 何処で相手が聞いてるのか分からないのよ!!』


 信頼に満たない相手など、どれだけ優秀だろうが一考の余地に値しない。


 そもそもが巨大な黙示録の四騎士級の敵を数で圧し潰す為の兵科、逆に少人数で数千倍の数の敵を狩る兵科として陰陽自衛隊は期待されているのだ。


 規格化される兵器類や戦術、戦略が肝であって、魔術師、覚醒者としての適正さえあれば、その能力の優劣は殆ど重視されない。


 理由は単純明快。


 この世界の人類が大陸の人類とは違って資質がどれだけ高かろうとその力は高が知れており、そういった普通の魔術師などを戦えるようにするのが陰陽自衛隊の基礎的な戦略だからだ。


 その基幹部隊となる対魔騎師隊に選ばれたルカとカズマこそが異常な程に使えるだけであって、普通の術師は彼らに対ゾンビ戦闘で遠く及ばない。


 カズマの無限熱量を生じさせる能力【炎棄神】。


 無限の熱量を吸収して物質化する【白火血神木】。


 このような破格の力を持つ存在は今のところ陰陽自衛隊にもMU団体の管理下で公的に出されたリストにも存在していない。


 基本スペックの高いルカのような人材ならば、それなりのまとまった数が存在してこそいるが、多くは適齢ではなく。


 その上で何よりも現代戦を理解していない。


 理解していても、それを自身の魔術で補強するには限度があり、柔軟な対応や適応する事も出来ていない。


 その全てを限界無く質的な部分で底上げするのがベルが目指したものだ。


 騎士と名乗っていても、今の善導騎士団の戦い方は現代戦が重要とするものを全て満たした上で超常的な質で強化する事を主題とし、従来の騎士団の戦術、戦略は踏襲こそしているが、殆ど別物なのであり、陰陽自衛隊もそれに倣う


「AからKまでのゴーレム群集団壊滅。弾薬の消費は想定圏内。これより演習部隊はシーケンス3に移行して下さい」


 HQからの命令を即座に実行する大規模演習用の部隊が次々に施設内でゴーレムを培養した牛肉などを元にして術式で展開し、ゾンビを模倣した本物にしか見えないソレを操り、生徒達を追い詰めていく。


 途中に後方からもゾンビが出現。

 更に列の途中の壁が開いてゾンビが侵入。

 混乱を助長させつつ、人格の暴露を誘発させる。

 人の本性は訓練程度で本当に変わるものではない。

 いや、変えられるとしても短時間では不可能だ。


『う、うぁああぁあ!!?』

『に、逃げるな!? た、戦えぇ!!?』

『クソッ?! 銃持ちは盾持ちの影に隠れろぉ!!』


 だが、今のところ陰陽自衛隊が必要とするのは隊伍を組めて最後まで戦える者であって、能力もあって仕事は出来るが、途中で逃げ出したり、裏切ったりするようなのはNG。


 次々に減点されていく点数が0を下回った生徒は採用範囲外として通常の自衛隊にも推薦するリストから外される。


 900名程いた中でも明らかにダメと烙印を押された者が34名。


 魔力や能力が完全に出ないよう封印しての放逐となる事が決まった。


 こうしてドナドナ連れて来られた学生達が何とか四苦八苦しながらも地下にある列車まで辿り着いた時、彼らに本当の選別する為の脅威が襲い掛かる。


『大丈夫かぁ!! 怪我人はぁ!!』

『列車だよ!! 私達、助かったんだよ!!?』

『帰れるッ!! これで帰れるぞオレ達!!!』


 その時、列車がある地下トンネル内で生徒達が殺到しようとする最中、最後方の1両目の車両が粉々に破壊されて真上から下に潰れ、付近にいた生徒達が衝撃波に思わず下がる。


 トンネルの頭上の装甲を弾けさせて降って来た相手を見て、明らかに格が違う事を誰もが理解するだろう。


 圧倒的な魔力が転化光として立ち昇り、その気配と殺気の巨大さに彼らの中には思わず吐いた者達もいた。


 だが、それでも呆然とするより先に誰かが列車の最前列に乗り込めと叫び。


 重火器を持っていた生徒達が次々にその白き全身鎧の装甲に次々、銃弾をフルオートで浴びせ掛ける。


 無論、銃弾は空しく弾けるのみで一切相手を傷付ける事は無い。


「死ぬがいい。罪深き者達よ……」


 ユラッと白い騎士鎧のソレが剣を腰から引き抜いて、その場で振り抜いた。

 それだけで空気の乱流が暴れ回り、次々に重火器を持つ生徒達を吹き飛ばして床に転がした。

 だが、900名からなる人数が一斉に乗り込むまでには未だ時間が掛かる。


 転ぶ者も踏み付けられる者も我先に乗り込む者もいたが、非常ボタンが半数が乗り込むまでに押し込まれ、残った者達が車両を叩くもすぐに列車が発進していく。


 その背後を追い掛けようとする者多数。


 が、トンネルの隔壁はすぐに列車を追うようにして封鎖され、彼らは駅構内に閉じ込められた。


 今まで来た道に再び戻ろうとする者もいたが、ゾンビ達が次々に雪崩れ込んできて、白兵戦となってしまう。


 無論、そんな事をした事など無い者達がスーツの腰に供えられたナイフ一本で同型ゾンビと同程度の相手を殺す事など出来るはずもなく。


 吹き飛ばされて気を失う者が多数。


 重火器で未だ白い騎士鎧を抑えていた者達も銃弾が尽きた瞬間に絶望の表情に彩られ、ナイフを抜いて相手に震える手で突き付ける事しか出来なかった。


 此処までか。


 そう、彼らが演習の終了を言い渡そうとした時。


『帰るんですわ。私達、帰るのッ!!!』

『そうだよ!!? 帰るんだ!!』


 そう声を上げてゾンビ達を数人掛りでナイフで滅多刺しにして未だ歯を剥く者が声を上げ、それに破れかぶれだとしてもゾンビ相手に突撃していく者も多数。


『うあああああああああああああああああああああああああ―――』


 慣れぬ刃。

 慣れぬ戦闘。

 慣れぬ命掛けの撤退戦。


 生徒達が確かに発露させた闘争本能と生きる為の意志を前にして白い鎧を着込んだ彼女は平和な国だろうと関係なく戦士となれる者はいるのだな、と仮面内部で微笑んだ。


 ―――【状況終了。全ゴーレムを動作停止。列車の回収も開始します】


 思わず響いたアナウンスに彼らが固まる。


 だが、その目の前で次々にゴーレム達が動きを止めて、今まで来た道から次々に陰陽自衛隊の完全武装の隊員達がやってきて、テキパキと彼らの前でゾンビだったモノを調理台の上に寝かせて術式を解いて、単なる牛豚の生肉へと戻して皿に盛っていく。


 それと同時に重火器が改修され、薬莢なども術式で起こした風ですぐに回収。


 運び込まれていた看板が車両基地内の設備から取り出され、搭乗口付近の壁に掛けられた。


 また、降ろされていたトンネルの隔壁が上がって、内部から車両が戻って来て、呆然とする生徒達の前で扉を開く。


 そうして、隊員達に促されるままに列車から出た生徒達は一纏めにされてから、医療部隊に掠り傷などが無いかなどを確認された。


 気を失った者はすぐに気付けされて起こされ、抱き合ったり、助かったと安堵して座り込む者も続出している。


 最中、破壊された天井から少年が動魔術で降りて来る。


 それを視た者達が最初に死んだはずの少年の姿にようやく自分達が試されていた事を理解した。


「ようこそ。陰陽自衛隊と善導騎士団の合同歓迎パーティーへ。皆さんには本演習のゲストとして本日の考査の結果として62点を進呈させて貰います」


 少年が呆然自失となる彼らの持つ魔術具を内部の術式を起動させて光らせ、フワリと浮かばせて彼らの目の前に見せる。


「皆さん。貴方達は此処が対ゾンビ、対覚醒者、対魔術師の最前線である陰陽自衛隊である事を身を以て知りました。我々はこのような世界に暮らしてします。今、皆さんの中にある恐怖、憤り、怒り、悲しみ、安堵……それは掛け替えの無いものだと思って下さい。何故か? この演習の大本となったのは北海道対ゾンビ・テロの戦役で普通の人々が味わったものだからです」


 ―――『!!?』


 彼らが未だ戦闘の余韻に硬直する中。

 少年は語る。


「多くの人達の情報を回収しましたが、これは逃げる人々が味わった僅かな一瞬を区切ったものでしかありません。その時、その人達の手には必ず頭部に当たる弾丸や貴方達でも使えるような軽量で頑丈な重火器は無かった。傷を受けても治せたり、肉体や精神の力を増強する道具も無かった。ある者は包丁で、ある者は木の枝で、ある者は娘や息子を庇いながら素手で……ゾンビ相手に命掛けで立ち向かった。その結果として多くが命を落としました」


 少年は静かに続ける。


 もう、こんな目に合わせた相手への怒りというものは誰の顔にも浮いてはいなかった。


 怒らないわけではない。


 だが、それを味わった者だからこそ、理解出来る事もあるというだけの事だ。


「今、皆さんが知った状況よりも過酷な環境で多くの人が死んでいった。多くの人達が断末魔を上げて涙しながら消えていった。そして……それよりも更に過酷な戦場に僕らは向かう事が確定している。よく考えて……大人達や社会からの要請ではなく。己の判断としてどうしたいかを考えて下さい。今まではどうか知りませんが、陰陽自衛隊に入りたい者は他者の為に命を賭して、あらゆる任務をこなさねばならない」


 隊員達がコンロと網を大量に運び込み。

 次々に炭を入れて火を付けていく。


「ゾンビに生きながら食われる覚悟をしろ、と言っても出来るわけないのは分かってます。ですが、それが現実です……そして、日本にも世界にも時間は残されていない。やがて、大きな嵐が来ます。その嵐の中で日本ではなく。自分の家族や仲間を護るというのも大きな任務。いえ、人間としての使命と言えるでしょう。最後の瞬間を自分の好きな人と迎えられる事は決して不幸ではない。例え、生き残ったとしても、自分の家族や仲間が死んだ後に家へ帰らねばならないかもしれない」


 網が温まると野菜も次々に運び込まれ、串焼きにされてテキパキとバーベキューの準備が整えられ、飲み物も準備万端。


 陰陽自畑産の野菜と養殖肉の群れは今や立派な食事に化けていた。


「陰陽自衛隊は普通の自衛隊とは違います。取り繕いもしません。滅びが追い掛けて来るなら、全力で立ち向かい、結果として仲間の死を目にする事もあるでしょう」


 少年がトングで肉を一枚、網の上に載せる。


 ジュゥッと音を立てて焼けていく肉の音とまだ少し荒い学生達の呼気だけが地下に響く。


「数日後に適正有りかどうかの合否を通達させて貰います。此処での飲食は全て善導騎士団持ちです。今、食べられないという方は後で家にご家族分も一緒にお送りしますので自己申告を」


 少年が言いたい事は言ったと、焦げる前に肉を引き上げて皿に盛り、箸で摘まんで口に放り込み、モグモグする。


「今日、皆さんが使った道具、重火器、スーツ。この基地そのものは僕とこの日本の人々が共に創り出した代物です。皆さんを襲ったゾンビもこの通り、魔術で動かしていただけの牛肉豚肉のゴーレム。単なる食糧に過ぎません。それでも皆さんは理解したはずです。それですら人の命は奪えるくらいの力になる……これが魔術、魔力の力です」


 実に脂身と赤身のバランスが良い程よく塩を振られた肉はよく流動して繊維を解され、柔らかくなっていた。


「これからゾンビだけではない。変異覚醒者や更にそれよりも力ある存在とも相対しなければならなくなる……善導騎士団と陰陽自衛隊は死地を潜る事になるでしょう。負けるつもりはありませんが、扉を共に潜ろうと望む者は死ぬ覚悟と生きる覚悟を共に携えてきて下さい。その決意を僕らが本物になるまで鍛え上げましょう。以上でパーティーへの祝辞にさせて貰います。あ、野菜も」


 少年が既に肉より先に焼かれた串焼きを皿に載せて、カレー粉を胡椒のように軽く振ってから食べ始める。


「良さそうですね。では、後は隊員の方達と歓談して下さい。夜になる前に浴場やシャワールームに案内しますので回収された衣服もクリーニング済みでその時にお渡しします。あ、今からの歓談は是非、ウチの部隊に来て欲しいという純粋に勧誘したい方達に対する隊員の本音ですが、強制力などはありません。来てくれたら、鍛えるし、新人として支えたいという隊員個人の今日の皆さんへの評価の一つです。最後に僕の名はベルディクト・バーン。陰陽自衛隊でちょっと道具作りをしている者です。こちらは―――」


 少年が横に来た白い鎧。


 白滅の騎士の鎧を模倣した模擬ターゲット用の全身鎧フルプレートに身を包んだ相手を見やると、メットが取られる。


「私はフィクシー。フィクシー・サンクレットだ。善導騎士団副団長代行を務めている。最後まで私を前にして戦い諦めなかった者には賞賛を送らせてもらう。絶望を前にして戦い抜ける者は戦士だ。例え、死が待っていようとも諦めぬ事は力となる。戦う者になるかどうかは関係なく。例え、民間人として生きていくとしても君達は大きな事を為せるだろう」


 フィクシーは微笑んでから自衛隊員達が用意していた壁際の椅子に座る。


 その横にはヒューリがやって来ていた。


「では、本日の一日体験入隊を後は気楽に楽しんでいって下さい。アナウンスは私、ヒューリアでした。あ、ベルさん。今日のお肉は私が味付けしたんですよ」


 その声に誰もが聞き覚えがあった事だろう。


 自分達に戦い方をレクチャーしてくれた相手だ。


 善導騎士団の中核メンバー。


 フィクシーの顔は知られていたが、それにしても自分達と歳もそう変わらないような彼らが一目を憚らず歓談する様子にようやく力が抜けた者達は多かった。


 次々に肉が焼かれ始めたのを見て、グゥと腹が鳴るのを抑えられない者も多数。

 生肉は今の時代、御馳走だ。


 それも網に溢れる程となれば、本来は数万から数十万という事すら在り得る。


 それが自分達を襲ってきたゾンビだと思えば、限りなく複雑な心境ではあっただろう。


『ほら~~食え食え~~ゾンビを喰ってやるという気概がある隊員は大歓迎だぜ~~』


 しかし、普通に隊員達が食い始めたのを見て、ポツポツと学生達の中から、その輪に加わるなり、並ぶなりする者が出始め、その勢いはすぐに大河となって、腹を空かせた成長期の子供達は今まで食った事が無いような上等な肉のステーキやら焼肉やら、稀少な部位やモツ、他にも今では缶詰でしか出回らない肉に明らかにオカシな甘さの野菜を喰って目を丸くしていく。


 未だ衝撃が抜け切らない一部の生徒達もいたが、話し掛けて来る隊員達の優し気な笑顔などに感化されてか。


 普通に会話し始めた。


 こんな光景が陰陽自衛隊で繰り広げられて10日後、全ての今期受け入れ対象の人数を確定。


 総計で2万人程が陰陽自衛隊に入隊する運びとなった。


 その数割を占める学生達は中学を卒業していない者は来年度の4月。


 それ以外はすぐに陰陽自衛隊基地内部で新規部隊として大量に編成、教導隊の下で善導騎士団の隷下部隊と合同で教練される事となった。


 学生達も入るまでにある程度は鍛えておく事が推奨され、自衛隊が置く各地の学校などでの訓練への支援金が支給され、自主的に鍛えられる場が整えられる事になり、週末や放課後などには演習への自主的な参加が許された。


 こうして揃っていく人員によって陰陽自衛隊富士樹海基地の人口密度は加速度的に賑やかとなっていく。


「そろそろ後片付けに行きましょうか」


 まぁ、それはそれとしてバーベキューが始まって地下で申し訳程度に食事をしたベル達が基地の屋上に出ると周囲には夥しい数のゾンビが転がっていた。


 通常の人を屍としたタイプ。

 それもかなりの量。


 3万程にもなるだろう遺体が弾痕と脳漿を基地一面に飛び散らせている。


「ハルティーナさん」


 少年の声にサブマシンガンを撃ち尽くした碧い少女が平然とした顔で三人の下へと駆け足で寄って来る。


「どうでしたか?」

「はい。被害はありませんでした」

「済みません。一人でやらせてしまって」

「いえ、待機中でしたから」

「それにしても凄い数……遺体の収容と掃除は……」


 ヒューリがちょっと困った顔をした。


 遺体に戻ったゾンビ達を魔術で十把一絡げに掃除するというわけにも行かないが、少年少女達の帰りまでに跡を全て消すのも難しいと感じたからだ。


「あ、それなら、掃除はすぐですから問題ありません。此処は魔術具化されてますし、転移そのものはこの中なら導線が要りませんから」


「そ、そうなんですか?」


 ヒューリが思わず目をパチクリさせる。


「はい。ご遺体も丁寧に収容先へ移せます。データを取った後、もしもの為にすぐに焼却しなきゃなりませんが……ご家族への連絡も可能だと思います」


「そうですか……」


 ヒューリが哀し気にゾンビにされていた者達を前に片手を胸に当てて黙祷する。


 その間にも転移方陣が次々に基地のあちこちに浮かび上がり、日本政府が公式にゾンビ化後の遺体の収容と火葬を目的に整備した大規模施設。


 東京の奥多摩付近に設置したドーム内部へと消していく。


「それにしても基地を大襲撃とは……幸いにして周辺地域には被害報告も無いし、今向かわせている部隊からも発見の報告は無いがどういう事なのだろうな」


「恐らく。北海道で倒した女魔術師の遺産じゃないかと―――」


 少年がそう説明し始めた時、高速で彼らの下へ一台の軍用車が走って来た。


 中から出て来たのは明神とミシェル。


 日本政府からのお目付け役兼秘書と少年の魔術師的な方の秘書であった。


「あ、明神さん。ミシェルさん。早かったですね」


 その呑気な挨拶に明神がドッと安堵の息を吐き、ミシェルは『この状況で平然としているなんて……』と自分の養父の肝の太さというか。


 微妙な精神性の違いにちょっと顔(´Д`)を引き攣らせた。


「良かった。ご無事ですね。騎士ベルディクト」


「あ、はい。ご心配お掛けしました。でも、子供達も無事ですし、遺体は奥多摩の施設に転移で輸送しましたので」


「そ、そうですか。襲撃という報に驚いて飛んできたのですが、杞憂だったようですね……」


 明神が肩を撫で下ろす。


「はい。普通のゾンビでしたし」


「普通の……そう言われるだけで色々とこちらとしては反応に困るのですが、部隊の展開は?」


「全部隊に半径200km圏内の捜索遊撃任務を。今は基地の後詰の部隊に学生さん達を護衛して貰ってます」


「この事は既に日本政府へ?」


「ええ、日本政府にはゾンビが、出現したのですぐに殲滅。残敵を部隊に捜索させていると」


「―――そ、そうですか。個人で撃破可能……」


「実際にハルティーナさんに任せて、後の部隊は全て襲撃時に周辺探索へ出しましたから、嘘は言ってませんよ?」


 その少年の言葉にヒューリとフィクシーは苦笑し、呆れたミシェルは溜息を吐いた。


「それでなんですが。ミシェルさんは何か知りませんか?」


「誤解を恐れずに言わせて貰えるなら、恐らく00が事前に仕掛けていた罠の類です」


「そうなんですか?」


「ええ、005……あの子の能力は生物を眠らせるものでした。従来の魔術師的にはほぼ有視界戦闘に限り、生物限定ではありますが、最強の部類でした。ゾンビを死体のように眠らせてスリーパーとして休眠状態にして輸送する事は関東圏での頚城の製造過程では必須でしたし、彼女が005に幾つか指示していた作戦の一つが何かの条件を満たして起動したと考えるのが妥当です」


 明神が微妙に眼鏡の下の瞳を細めて、横の自分と同じような文官タイプな女を見つめる。


「ああ、そういう使い方も出来るんですね。という事は恐らく戦力の大規模集中。人間の人口密度辺りが条件かもしれませんね。昨日に引き続き、人間が大量に基地には流入しましたから」


「なる程……後方に兵力が集中した時に一気に叩いて火力や体力を消耗させて時間稼ぎ。ゾンビなら懐も痛まない、か」


 フィクシーがこれからも更に何か仕掛けられていた罠が発動する可能性も考慮しておくべきだろうと内心で納得する。


「ですが、恐らく。今回の事でゾンビは打ち止めでしょう。先に話していた通り、日本国内の遺体の持ち去りの数には限界がありました。3万弱なら前回の関西圏の襲撃と合わせて、ゾンビはほぼ使い切ったと考えるべきです。それにこのゾンビ達にはゾンビを生成する術式の類は付いていないはずですから……」


「分かりました。では、明神さんには政府の方へ今回の顛末に付いて報告を」


 そのベルの言葉に眼鏡女子たる明神が頷く。


「分かりました。ですが、騎士ベルディクト。お一つだけ良いですか?」


「はい。何でしょうか」


「この横にいる彼女を私は信じられません。いえ、情報やその他の善導騎士団から報告を受けた情報は信じますが、人間として信用や信頼には値しないと思えます」


「根拠は何でしょうか?」

「過去の罪だけでは足りませんか?」


 それは極真っ当な憤りであった。

 実際に明神の瞳にあるのは正義感と理知足りた光。


 何よりも被害をその目で見ているからこその一般論と一般常識的な何一つ恥じるところの無い正論に違いなく。


 そして、ミシェルはそれに瞳を閉じて、黙って周囲の言葉を待つ。


「そうですね。信頼や信用という面では被害者の人達にしてみれば、こうして彼女が普通に生きて何食わぬ顔でお仕事をしているのは噴飯ものでしょうね」


「それが分かっていて何故……今回の事は日本政府もさすがに閣内で意見が割れていた事はご報告した通りなのですが……」


「じゃあ、彼女を火炙りにしましょう」

「え?」


 少年の言葉にフィクシーもヒューリも何も言わなかった。


 彼ら00の事に関しては養子とする者が全責任を持つという事で団内では決着が付いていたからだ。


「火炙り……」


「それから大々的に日本国民に諸悪の根源として喧伝し、大々的に教科書にも載せるように日本政府へ働き掛けましょう。勿論、生放送でミシェルさんが焼けて苦しみながら死んでいくところを放送し、日本中の空に善導騎士団の技術力を以て、その光景と絶叫を映し出しましょう。それからミシェルさんに懺悔と苦痛の声を録音。最後の苦悶の表情をデスマスクにして大々的に魔女の一味の一人は死んだ。我々の勝利だと―――」


「騎士ベルディクト!!!」


 さすがに明神が声を荒げた。


 そして、その後に少年の瞳を見て、ゾッとする程に澄んだ瞳を前にして、それ以上の声を呑み込む。


「明神さん。今言った事は大陸の魔術師なら大抵知っている、そう古くも無い史実の一節なんですよ」


「史実……」


「ええ、誇張はありません。それを全て実行した国家が存在しました。今は悪手を打った国の筆頭として上げられる大国です。今はもう民族毎消滅しましたが」


 ゴクリと明神が唾を呑み込む。


「何故、その国が亡くなったのか分かりますか?」


「いえ」


「間接的には国民が滅ぼしたようなものですね。その国で処刑された魔女の娘が滅ぼしたんです。彼女は超越者級の人材でした。その上で魔女の検挙にも尽力した。ですが、自分の母親はただの犯罪者として処刑される。最初は思っていたそうです」


「復讐、ですか?」


「いいえ、とんでもない。彼女は愛国者でした。その魔女の娘は喜々として母親が働いた大罪を償っていましたし、多くの国民にも慕われていたそうです」


「なら、何故?」

「分かりませんか?」

「はい……」


「簡単ですよ。彼女は罪に対して罰を与え続けた。公正明大……本当にその国の法律とその国の先例に倣って、一切の躊躇も呵責も無く。法律に違反する事なく。その国の倫理の範囲内で他国なら苛烈と呼べる程の断罪を実行し続けた。結果、どうなったと思います?」


「分かりません……」


「国民が選んだ最も重い刑罰を国民のほぼ全てに科す事になったんですよ」


「え……?」


「その時の法律に書いてあったんです。先例に倣って、判例に倣って、処罰せよ。そして、彼女の母親を殺した全ての人間にも罪があった。彼女は心が読める人でした。母が罰されるに値する人である事も知っていた。そして、国家の上層部に腐敗した人がいて、それを全て処断した。法律に則って……でも、反感を買いました」


「それは……そうでしょうね……」


「そして、反感を買ったから、汚い手段で殺されそうになり、それを行った人間を一族郎党処断して、また反感を買い、同じように殺されそうになって、また一族郎党を処断し、粛々と最高刑を最高刑として執行し続けた」


 明神が思う。

 まるで寓話だと。


「ですが、それは別に良かったんですよ。汚い政治家や王族が消えて、国家はより栄えたそうです。ですが、国民はより過激になってしまった」


「過激?」


「ええ、正義と善の執行。それが究極的に行き着くのはあらゆる人種に平等な報いを受けさせるところに行き付きます。国内の他国人にも同じ所業をして、宣戦布告を受け、この戦争に勝って併合した国内で戦争主導者とその一族、実行者達とその家族を犯罪者として全て処断。更に自国民を殺した一般人も全て一族郎党処断。更に奴隷化したその国の人間で従順では無かった者も同じように取り扱った」


「それで……どうなったのですか?」


「これに多民族が含まれていた為、大量の国に攻め込まれて劣勢になり、非国民的な裏切り者をまた処断。更に恐怖から逃げ出そうと思う者を先例に乗っ取り処断。降伏しようとする裏切り者を処断。反感を買って、更に彼女を殺そうとした者達を処断。最後まで付き従っていた者達は悪魔の手先として他国に処断され……最後に残った民族である彼女は降伏を受け入れず。殺されるまでに自国の法の正しさと執行の為に……自分を殺そうとした兵を自国民の総数の数倍分くらい殺してその他国の民族のほぼ全てを地表から消滅させてから消滅させられました」


 少年が今日の天気は晴れだと言いたげに明神に軽く言う。


「無駄に非合理だと思いますか? 殺し続けた彼女の事を」


「ええ、そんなの……それに此処にいる彼女がそういう存在だとも思えませんが」


「それ以降の時代。悪魔と呼ばれた彼女ですが、同時に正しさの象徴として多くの国家において最も正しく愚かしき人として、天秤の象形に用いられました」


「何故、そのような人間を……」


「簡単ですよ。彼女は一辺足りとも……本当に一辺足りとも自己の為に戦わなかった。彼女の心を読んだ敵対者はその数百万以上の人間を殺して尚清らかな法と善の執行者たる心に戦慄したそうです。曇りなく……彼女はだったんですよ。壊れてすらいなかった」


「―――」


「断言しますが、この滅び掛けた世界において悪魔を亡ぼす誘惑は国をも滅ぼしますよ」


「悪魔を亡ぼす誘惑?」


「初めて大多数の人類に憎まれる象徴的な人物を公的に処分してみる、なんて事をすれば……その人物の背後にいる人間までも排撃する方向に向かうのは確定的でしょう。この時代に彼女の処罰は劇毒の類です」


「MU人材、ですか……」


「はい。正しさは時に薬ではないですし、正しいからこそ有害なんです。悪が良いと言っているわけじゃないんですよ? 要は時と場合と加減が大事って事です。ですが、この極限環境にある人類にを断ち、を撥ね退ける精神力がありますか?」


「………」


「日本の皆さんはかなり大陸中央諸国の価値観に近いものを持っていますが、耐えられますか? 悪魔を亡ぼす誘惑に……それに熱狂を感じず、それを正しいと思わず、ミシェルさんの先に続く人々を過剰に罰さないと断言出来ますか?」


「それ……は……」


「もし断言出来るのなら、此処でミシェルさんの人生を受け持つ僕が日本国政府に対して彼女を送り出す事は可能です」


 明神は何ら、何一つとして笑みも無く。


 自分の魂までも覗き込みそうな瞳を見て、ようやく理解する。


 ああ、試されているのは今自分であって、自分ではない。


 その後ろの日本人までもが試されているのだと。


「我々は……」


「明神さん。何事も正しさよりは人間の質の問題です」


「質……」


「例え、悪を働いていても良い人間はいる。例え、善や正義を働いていても悪い人間はいる。不正をする官僚のように。人を救う独裁者のように。だから、僕はミシェルさんの人格を見込んで、自分の養子にすると決めました」


「それが多くを殺した大罪人でも?」


「はい。これから彼女が例え人類を何人救っても罪が消えるという事もありませんし、恨まれる事も変わりません。ですが、その正しい憎悪が人を曇らせ、人を愚かにしてしまう。正しさ故に善であるが故に……それはこの世界を亡ぼせると僕が断言出来てしまう以上、お勧めしません。そう僕は言ってます」


「随分と……大げさな話ですね」


「僕にこの話をしてくれたお爺ちゃんはその話の後、言ってましたよ。人間の正しさが人を亡ぼし、人の善き行いが人を殺す事もあると。それは僕らの大陸でこの数十年起こっていた事……多くの魔術師と地方諸国が直面した現実です」


「どういう事ですか?」


「大陸の大半の国家が現代において最強の軍隊と政治力を保有した七教会に降って人々の多くは幸せになりましたし、多くの国家において飢えや犯罪が劇的に低減した事は真に喜ぶべき事でしょう」


「それは……そうでしょうね」


「そのおかげで大陸の女子供が過去の何万倍もマシな人生を送れているのも事実ですが、その事実と引き換えに……また正しさの犠牲となった人々もいた」


「正しいのにですか?」


「はい。その筆頭が魔術師でした。犯罪者だって、犯罪を犯したくて犯している者は多くない。それが犯罪になるのも国家や地域の事情だったりする事もある」


 明神とて理解はしている。


 社会が違えば、その法で裁かれる理由も違うのだ。


 正義と悪の線引きは社会そのものに規定される。


「行き場の無い人間だって大勢出ました。七教会はそれすら救い、救おうともしましたが、それを良しとしない人も大勢いた。彼らは例え救われなくても地獄で生きる道を選んだ」


「……救いを拒否したと?」


「ええ。だからこそ、時に正しさは災厄や禍となる事もあり得ると誰もが知っている。そして、今はそれがこの世界でも現実に為ると断言出来る」


「我々は魔女狩り。この世界での愚かな歴史を繰り返そうとしている。そう言いたいのですか?」


「少し違いますね。こちらの話は知っています。ですが、今この日本は理知足りた世界でしょう。僕が予測し、起こり得ると考える事は合理性や善行の罠という類の代物です。それは嘗てよりも更に頑迷となる可能性を秘めた愚行です。何せ、なんですから」


 少年は断言する。


「……色々と言われていますが、結局……貴方はそこの彼女の事を信じているのですね」


「はい。彼女は僕が信じるに足ると感じた人間です。そして、黙示録の四騎士とは違って、話せば分かりますし、使い方を間違えなければ、人類すら救う力の一つでしょう」


「………っ」


 ミシェルが今まで呆然と聞いていたにも関わらず。


 その言葉に僅か震えた。


「形振り構わず。滅亡を回避するのならば、是非とも手元に置いておきたい逸材であり、大きな切り札です」


「分かりました……はぁ」


 明神が溜息を吐いた。


「子供っぽいところもあるのですね。騎士ベルディクトにも……」


「?」


 首を傾げる少年に明神は『自覚が無いのも騎士ベルディクトらしい』と内心で未だ燻るミシェルや他の00への不信は押し殺しておく事とした。


「ミシェル・バーン。感謝なさい。心底に……今、其処にいる我が国の救い主が居る限り、日本政府は貴方達に何もする事は無いでしょう」


 事の成り行きを見守っていたミシェルが明神の言葉に複雑なような、泣き出しそうな、何とも言えない表情で瞳を伏せた。


「さて、私は報告をしにこれで……」


「はい。何事も無ければ、今後も受け入れは続行します。警戒レベルは最大まで引き上げておきますね。結城陰陽将からはこちらに丸投げな感じに命令を受けてますので」


「それは思ってても言わないで下さい。彼に付いては我々の中でも複雑で意見も割れますので」


「ああ、確かにそうかもしれません。あの人、数百年生きてるような大魔術師に精神構造がそっくりですし」


「そうなのですか?」


「ええ、それも俗物系じゃない。国家に尽くす方の狂信者系で、尚且つご自分の正義の欠陥とかに気付いててもケロッと小国を亡ぼせる感じの……」


「―――それもやっぱり黙ってておいて下さい。我が国が更に複雑とならないように」


 明神は溜息を吐いて疲れた顔で額を揉み解してから車両で基地の外へと向かって行った。


「………」


 フィクシーとヒューリは何も言わず。

 少年の前で少し肩身が狭いというか。

 縮こまったようにも思えるミシェルを見つめる。


「ええと、此処に来たって事はミシェルさんの方は何かあったんですか?」


「……はい。陰陽自研でルサールカ・グセフを襲ったアレについてのデータをより詳しく解析していたのはご存じの通りですが、それで初期解析の報告をしようと思っていたところにあのアラートが……」


「ああ、そうだったんですか。それで何か分かりましたか?」


 色々と言われていたが、結局のところ。

 少年の子供っぽい本音に触れて。


 そう、馬鹿馬鹿しいくらいに普通ではないとやらに触れて。


 泣いていいやら、怒っていいやら。


 しかし、彼女は初めての気持ちもまた内心に押し殺して、仲間達以外の誰かに庇われ、必要とされ、信頼されている、なんて御伽噺染みた今に目を閉じて、静かに彼らへ向かい合う。


「……概念域側で貯蔵されていると思われる同型ゾンビ達の個体数。具体的にはネストル・ラブレンチーが連れて行ったアレの個体数が判明しました。当時の時点でのものですが」


「何体くらいだったんですか?」

「………約、10万体前後、です」


 その言葉にさすがのフィクシーとヒューリも僅かに眉間を険しくした。


「騎士クラスが10万体……増やし方にもよるが、かなりマズイようだな」


「そうですね。ルカさんの戦闘記録から察するに今の陰陽自衛隊と善導騎士団じゃ……」


 二人の言葉に少年も同意する。


「分かりました。あちらは大人しいようですが、順調に人類を滅ぼす準備を整えているようですし、今日は後片付けが終わったら、一旦集まって対策を練りましょう」


 ミシェルはそれをサラッと言ったのけた少年を凝視した。


「?」


「絶望的な数字だと思いませんか? お父様」


「いえ、別に。いつもこんなものでしょう。僕らはいつだって追い詰められてる方でしたし、北米のロスやシスコにいた時も四騎士の出現にビクビクしながら戦ってました。今も日本を四体で襲撃されたら、半数も護れないのは自明。なら、絶望してる暇とか無いですよ」


 少年はそう笑みを浮かべる。


「ふっ……そうだな。我々はいつでも護る側、劣勢、命掛け……なら、10万だろうが100万だろうが1000万だろうが戦う準備をせねばならないな」


「そうですね。絶望してる暇とか無いですよね……戦う準備をさっそく始めましょう。何も昨日と違いはしません。やる事はいつも同じです」


 少年と少女達の笑みにミシェルは思う。


 この異世界からの来訪者達を前に喧嘩を売った事こそが自分達の間違いだったのだろうと。


(勝てないわけです……心底に……)


 夜闇が落ちた基地の最中。


 ハルティーナがようやく難しい話は終わったのだろうかとベルの護衛に戻り、全員で後始末の書類仕事へと取り掛かる事となった。


 彼らの背中には悲壮感の欠片も漂ってはいない。


 例え、闇の中の真実がどれだけ残酷で絶望的だとしても、それに脚を止める事無き者達がいる限り、世界には今日も明日がやってくる。


 それだけが今の日本では確かな事に違いなかった。

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