第120話「奇妙で愉快な陰陽自W」
世界は核の炎に包まれた(リアル)。
という時代にあって、未だ環境保護とか言い出す人間はいない。
今日の生存の為に明日の事を考えている人間が極度に減ったのは普通の事だ。
そもそも人類の多くが死滅した現在。
核融合発電所とか持っていても、根本的に環境破壊上等で何とか生産力を上げなければ、人類全員が食える時代ではない。
そもそも15年前ですら食えない人間が10億人単位だったのだ。
人類が減ったって、農耕用の土地が共に減っては意味も無い。
生産効率を上げられる大規模穀倉地帯はもうオーストラリアくらいにしか存在しないのだ。
それとて年々の異常気象で厳しいという有様。
小麦、大豆、トウモロコシ。
三大穀物の大半が今は旧時代と呼ばれつつある頃の生産量に遠く及ばないのが現状である。
「ベルさん。はい……あ、あ~んして下さい」
「ぁ、あ~ん。もぐ」
「ベル。ほら、あ~んしろ」
「ぁ、ぁ~ん。もぐ」
要塞橋ベルズ・ブリッジ(仮)。
を完成させて数日が立っていた。
今日も緋祝邸は賑やかだ。
本日は昼時。
対魔騎師隊と善導騎士団の合同訓練終了後。
一足先に上がっていた明日輝が人数分の食事を用意していた為、ベルを筆頭に三姉妹とフィクシーとカズマとルカと片世が揃っている。
ハルティーナはHMCCの新型のデータ取りに演習場を現在も長距離運転中。
安治や八木とクローディオの大人な男達は基地内部でむさ苦しい男達と昼食という名の歓談中である。
この3週間近くを殆ど不眠不休で真面目に戦後処理に充てていた少年はようやく橋の落成と同時に後は日本政府と陰陽自衛隊に残った仕事を丸投げ。
善導騎士団の隷下部隊の一部。
施設管理者達の一団を派遣したのみだ。
後はあちらで勝手にどうぞという事になった。
陰陽自研からも設計者達が出向している為、然して問題は起こっておらず。
物理的に繋がった各島々に向かう巨大なトンネルの入り口付近には今や商売が解禁されたおかげで北海道北部の現地民を優先して出店を認めた露店やらが立ち並んでいたりする。
『遠出してみたけど、すげぇなぁ~人も一杯だ~』
『ね~ね~あっくん!! 中には入れないの?』
『ええと、2週間後に開通するってさ。それまでは一番上と入り口しか見れないみたいだな。桟橋から式典会場の漁港までの往復便があるらしい』
『いらっしゃい。いらっしゃい』
『おぉ~~もう入口で何かやってる……』
『上手いよ~~安いよ~~塩サバ定食弁当499円だ!!』
『しかも、定食売ってる……』
『善導騎士団の御一行様も買ってく弁当だよ~~塩辛とじゃがいもと焼きイカとマヨも付くよ~~これは実際安い!!』
『あ、買います(・ω・)』
基本的に内部が物凄く大量の耐水圧能力と地殻変動の圧力に耐える巨大な箱状の施設であるベルズ・ブリッジは殆ど縦長で深さのある地下都市に等しい。
深海域の高深度な場所までミッチリ詰まっている為、設計図と地図を渡されている行政従事者達すら道に迷いそうな程の広さがある。
更に地下に行けば行く程に重力が軽減される仕様である為、色々と低重力環境下で有用な実験や訓練を行う施設も政府と民間に委託して整備中であった。
『こちら大学探検隊。どうやら道に迷ったようだな諸君!!』
『教授~~そういう冗談は勘弁して下さいよ~~』
『なぁに大丈夫さ!! 此処はまだ深度200m!! 重力もフワッとしてるだけ!!』
『あの~~此処、最下層一歩手前ですよ……』
『え?』
『きょ、教授が道なりに進めばいいって言うから目的地過ぎちゃってます。1時間くらい前に』
『ちょ、何故言わない!?』
『だって!? た、探検隊だ~~って走って行っちゃうから~~!?』
『で、どの道を戻ればいいんだっけ? ええと、あれ? 標識が、な―――』
『まだ、高深度の階層は内装全然だって言ってたよーな?』
『ま、上を目指せば何とかなるなる!!』
『……防衛施設はみんなロックされてて、下手に誰もいない上部階層域の通路に入り込んだら人がいない通路を延々戻ったりしないとならないらしいですよ~』
『何で知ってるの? 君』
『だって、パンフレットにそう書いて……あ、後……まだ、上下水道設備が無い区画があるから、気を付けないとトイレの無い区画で彷徨う事にも……』
『教授……顔色悪くないですか?(T_T)』
『しょぉおおくん!! ダッシュで私をッ!! 私の尊厳を20分以内に守ってくれぇええぇ(×Д×)』
『うぁぁあぁああぁあ!!!?!(/ω\)』×研究室一同。
橋の天井は基本的にはZ化した海獣類との戦いに備える防衛設備が格納されていて、自動車や電車用の道が通るのは内部の階層毎にあるトンネル状の1ルートだけだ。
それ以外の徒歩用の道は強度と区画の気密性の関係からかなり入り組んでいる。
カラフルな色合いの通路が多く、同じような道に迷う者も続出というのも頷ける話であった。
『現場から横田がお伝えします。こちら要塞橋では本日、日米合同での開港記念式典が行われており、米海軍の艦艇がどうやら入って来たようです』
『この巨大要塞橋。通称ベルズ・ブリッジは海洋多機能基地としての能力を―――』
『見えますでしょうか!! 米海軍の艦艇が要塞橋第1フロートへと入っていきます』
『要塞橋の橋本さ~ん。そちらの様子はどうですか~~』
『は~~い。報道陣が多数詰め掛けた式典開催の様子をお伝えします~~』
『離反艦隊の衝撃から一転、新規の軍港としても運用されるベルズ・ブリッジの日米での共同使用は―――』
『あ、アレは!? あちらにいるのは善導騎士団NO.7と言われるアフィス・カルトゥナー氏と思われます。カルトゥナー氏は北米での教育農業部門長として尽力しているやり手騎士と噂されており、現在は東京本部と北米を行き来しているとの情報が―――』
『ウェエェェイ!!』
『ああ!? カルトゥナー氏が代名詞と言われる故郷の挨拶を行っています。う、ウェエエイ!!!』
実にベルズ・ブリッジは多機能だ。
潜水艦の乾ドックに通常整備用の海底ドック。
複数個の巨大桟橋と漁港。
船舶通航用の巨大海洋トンネル。
水産資源が通る為の魚群通過用トンネル。
軍港も橋の中央区画。
フロートのような形で出っ張りのように壁から突き出している。
海洋資源の採掘施設までも併せ持っている為、海洋研究系の大学は研究室単位で出向するところが続出しており、北方四島と本島の間を挟み込んだ湾内化されたエリアは完全に静かな海となっていて、巨大な生け簀とも言えた。
それを象徴するかのように北海道の漁業関係者にはあらゆる海産物の養殖事業が国から打診されており、さっそく善導騎士団には無償で機材を供与した関係から、新鮮な海の幸(Z化した頭部は取り除き済み)が送られ、本日の少年の胃袋にも収まっていりする。
「あ、アフィスさんいますね」
ヒューリがテレビに映ったアフィスを見て、もう少し適当な人材を出せなかったのだろうかと善導騎士団東京本部の人材不足を感じた。
「あいつもいるのか。今朝方の話では副団長の秘書の一人が行っているという事だったのだが……」
フィクシーが『何をやってるんだアイツは……』という顔でアフィスを画面越しに見る。
「でも、何か受けはいいみたいですね」
ベルの言葉に他の初見となる者達がノリの軽いにーちゃんとしか思えないアフィスに首を傾げた。
「なぁ、アレも騎士なのか? ベル」
カズマの問いに苦笑が返される。
「ええ、まぁ……はい」
「ベル君。騎士って結構人材の性格とか偏ってる?」
「そ、そういう事はないんじゃないかなぁ、と」
ルカの尤もな感想に少年は苦しい言葉で対応した。
「でも、何だか親しみ易そう。あのウェーイさん」
「そうですね。友達とかにぎやかしに1人欲しいタイプですね」
悠音と明日輝のざっくばらんな意見に『あはは……』としかベルは擁護出来なかった。
「ん~~精神以外は弱そう。以上(*´ω`*)」
片世は言う事は言ったらしく。
昼飯であるアジの塩焼きとアジフライのアジアジな昼食を突き、モリモリと白米を消費しつつ、漬物と生野菜に箸を付けていた。
「でも、凄く良い人なんですよ。ええ、見習いの子達からも慕われてますし、報告書だと教師役として極めて優秀だって話ですし」
「へぇ~~人って見掛けに寄らないんだな」
「だね」
対魔騎師隊の両翼の意見は一致していた。
そんな風にして昼時を今日は少しのんびり過ごそうか、と思っていた面々であったが、ガラッと扉が開いたのを見て、思わずそちらに視線を向ける。
「ん? ああ、そう言えば、今日はこちらで食事を摂ると言っておったな」
「?!」
思わずベルが赤くなった。
風呂上りらしいリスティアがショーツに胸元を蔽う薄いブラウス状の下着だけだったからだ。
頭にはタオルが巻かれており、さすが姫というくらいの艶やかさを醸し出した可憐なる実質年齢数百歳の幼女はホコホコしている。
「り、リスティア様!!? ダ、ダメですよ?! 女の子がそんな姿で人前に出ちゃ!?」
慌ててヒューリと明日輝が少女の身体を隠すように立ち上がって男性陣の視線から隠す。
それに思わずカズマとルカとベルが視線を逸らした。
「何かマズイのか? 異世界の仕来りとか礼儀とかか?」
「い、いや、女の子として男の人の前にそんな恰好で出るのがどうかという話なんですけど」
ヒューリが思わず首を傾げたリスティアに目元を抑えた。
「ん~~カズマはワシみたいな幼女に欲情するHENTAIなのか?」
「ブホッ!? ゲホッ!? ん、んなわけねぇ!? オ、オレは普通だ!?」
「では、ルカか? 実は女同士の禁断の愛とかに目覚めて……」
「ち、違うよ!? な、そんなわけ!? ゴホッ!?」
「では、問題無いな。ベルはワシの保護者兼後見人じゃ」
「そういう事じゃないんですけど……」
「?」
やはり、首を傾げるリスティアは何も分かってなさそうだった。
「明日輝。ワシの分はあるかや?」
「はい。有ります。有りますから、あっちでちょっと着替えて来ましょうね~~」
「むぅ」
無理やり居間から退場させられたリスティアが消えた後。
男性陣はちょっとホッとした息を吐くのだった。
「大変だな。男性陣も……」
フィクシーだけが、そんな様子を愉し気に見つめていて、片世はお代わり8杯目に突入するのだった。
*
米海軍の離反と北部でのゾンビ・テロ以降。
日本中に響いた善導騎士団の名は日米同盟を脇においても高まるばかりだった。
正式に日善軍事包括協定の調印式がフィクシーと首相との間で行われて公開。
フィクシーの姿も売れた。
陰陽自研の資料も一応は国会などに提出されるようになり、ベルズ・ブリッジの主要設計者達という肩書で有名にもなっただろう。
だが、何よりも変化したのは今の今まで騎士団に懐疑的な見方をしていた世論だ。
謎に包まれた超技術集団が真に超技術集団であり、それと軍事同盟を結んだという時点で国内での騎士団の強引な治安維持や諸々の活動が半ば黙認された形になったのである。
人間の精神にすら介入する技術力と高潔を絵に描いたような隷下部隊の活動や厳しい内規などが共に一定の範囲で公にされた為、逆にコレなら任せても良いだろうという判断が為されたのだ。
日々、増加する隷下部隊は現在4万数千人。
大企業か何かというような数となっており、未だ一週間に数百人から千人ペースで後発となる部隊が増え続けていた。
彼らの教育はクローディオの設置した教導隊が請け負っており、その一部は既に復興中の北海道北部の支部や本島に置かれる支部へと赴任しつつある。
彼らの活動地域はベルズ・ブリッジ周囲と北海道全域だ。
ゾンビ蔓延後に吹き荒れた巨大な死の魔力を用いた嵐によってあちこちで関東圏と同じような状況が起こり始めていた。
これを善導騎士団は変異覚醒するだろう生物、動植物、無機物への対処と合わせて支部の規模を拡大。
今は2000人からなる人員が出向しており、増員も見込まれている。
「騎士ベルディクト。容体は安定しているので面会は可能です」
「ハルティーナさんとクローディオさんだけ付いて来て下さい」
「分かりました。ベル様」
「あいよ」
「私はいいのか?」
「さすがにフィー隊長は後ろの方が。何かあった時に対処は出来るでしょうが、トップを危険に晒すのも憚られるので」
「そうか。では、ガラス越しに見ている事にしようか」
「はい」
「気を付けて下さいね。ベルさん」
「大丈夫ですよ」
善導騎士団東京本部。
昼時を過ぎた頃合い。
少年とクローディオとフィクシー、ヒューリとハルティーナは地下最下層付近にある捕虜隔離用の区画内に来ていた。
白い壁で構成された周囲は特定の術式を身体に奔らせていなければ、魔力という魔力を吸い尽くす仕様だ。
常人には問題ないが、術師を大抵は封じられる特性の牢獄といったところだろう。
少年を筆頭にして看守役の隷下部隊の者達がすぐに扉の前から退いた。
エアロック並みに分厚い隔壁がガシュンと油圧式で開き。
幾つかのディミスリル製の頑丈な分厚い板が左右上下にゆっくりと重なっていた扉の横へと消えていく。
厚さ3mの対魔族想定の独房内。
潜った先にいたのは少年があの戦争の最終盤に確保したテロ首謀者達であった。
3つの独房が其々に10m間隔で3重の隔壁の先に一つずつ置かれており、独房内にはトイレと寝台が置かれているだけだ。
その内の一つに少年が背後に2人を残して入る。
すると、内部ではMHペンダントを掛けられて寝ていた女が起き上がった。
スラブ系と思われる褐色の肌の主。
009と呼ばれていた存在である。
「ミシェルさん。今日も来ましたよ」
「騎士ベルディクト」
「ええ」
「こんな抜け殻に何か御用ですか?」
女は今、白いレース地のシンプルなワンピース姿であった。
下着も着込んでいるし、薄汚れてもいない。
素足を冷たくも熱くも無い床に付いて寝台に腰掛けている。
妙に笑みが艶めかしいのは虜囚になって尚、輝く意志の強そうな瞳故か。
「釈放が決まりました」
「?」
だが、その余裕な瞳も胡乱なものとなる。
そう、少年とこの数週間、会話してきたからこそ、その程度で済んでいるが……それにしても敵だった女を釈放という話に当人は困惑を通り越して、どういう意図があるのかと訝しんでいた。
「どういう事でしょうか?」
「聞きたい事は聞けました。孤児やストリート・チルドレン、少年兵や捨てられた現地民の子供を魔術師的な素養がある者……適合した子供達……
少年がミシェルの隣に座る。
「彼らに限って収容していた【誘いの孤児院】と呼ばれる戦線都市由来の技術を用いたユーラシアの保護施設」
自分を見る女の瞳を少年が見返す。
「それを導いた教師役だった魔術師。一部からは母親と慕われていた名前の不明な女。そして、貴方達や使い魔に施された頚城と呼ばれる術式」
少年が外套から紅茶入りのカップと皿を取り出して、ミシェルに渡す。
「その頚城の完成が黙示録の四騎士を消滅させられる程の力となる、との話。そして、頚城の術式を持つ者は死から魔力を取り出す事が出来るという情報。また、完全な頚城は広大な領域内の死の純度を高めねば、完成させられないとの制約」
紅茶を一口したミシェルは今日も違った茶葉を自分に振舞う奇特で奇妙な尋問を前に目の前の弟達のような年齢の少年を前に静かに瞳を細める。
「
その次々に語られる言葉は全て彼女が少年に聞かせたものだ。
この地の奥底で密やかに重症から回復する過程で実験も拷問もされず。
ただ教えて欲しいと言われて、語った彼女の物語だ。
「00の名は死ねば、引き継がれ、今は欠番が出ているとの話」
皿にココナッツ・フレーバーのクッキーが二枚副えられる。
パキッとそれを齧ったミシェルはホッとするような味に僅か笑んだ。
「貴方が逃がした001、002、005、100の事。共に掴まった003、008の事。ルカさんが撃破した12の事」
全ては過去の事だ。
これから彼女は例えどんな実験で切り刻まれようと。
どんな拷問で悲惨な死に目に合おうと。
決して後悔はしないと誓った。
だから、彼女は抜け殻なのだ。
人らしくある事を止めようと魂に刻んだ。
それを実行に移し、重要な記憶を全て魂魄の焼却で焼き尽くした。
「意志あるゾンビ。ネストル・ラブレンチーとの一時停戦。彼が造っていた人間を用いて創り出した赤子を製造する肉の塔。その実験に消費された子供達。また、彼が政府を抱き込む為に家庭に恵まれない子供達の脳を政府高官と入れ替えていた事実」
確保されて1週間目は危篤状態。
身体が治っても魂と記憶に欠損を負った彼女はまともに話せる状態では無かった。
「頚城の術式は精度と確度が落ちるか。または適合しなければ、ゾンビのような状態になる事。それを死ぬ前の肉体に注入する事で死亡直後にゾンビ化させられる事。そして、より完全な頚城からの命令でゾンビを幾らか操れる事」
最後まで紅茶を飲み干した彼女がコトリとカップを膝の上の皿に置く。
「FCを率いていた女魔術師の最終目標が完全な頚城を量産し、黙示録の四騎士を打ち倒しての人類の救済であった事。その為には頚城の術式の出所たるユーラシアで完全な術式を手に入れる為、遺跡に到達せねばならなかった事」
少年が大きく息を吐いた。
「米国が発掘されたオリジナルの頚城である黙示録の四騎士の鎧の他にも未だに幾つか頚城を何処かに隠し持っているとの話。それを誘い出す為、善導騎士団の干渉を諸島から排除する為の北海道への侵攻開始」
カップをジッと見つめるミシェルは今までの自分達の行動を振り返って、地獄にも入れなさそうだと少し唇を歪めた。
「失われた記憶は女と00達の名前と年齢と声と顔。更に女と親しかった者は女の全情報。此処まで語られた情報は事情を知ってる誰かが辻褄合わせをすれば、想像が付く範囲。ただ、現実的に顔と年齢と名前が分からなければ、不意に出会っても見分けようがない、と」
「………」
「聞きたい事はやっぱり聞けました。なので、釈放です」
「いいのかしら?」
「勿論、身柄はこちらで預かりますし、行動に対しての制約も受ければ、監視もされます」
「当然でしょう」
「それと同時に罪を償っても頂きます。日本国内ではなく。我々、善導騎士団流の刑罰ですけど」
「妥当なところです」
「じゃあ、さっそく。これをどうぞ」
少年がカップと皿を外套内に回収し、同時に黒とモスグリーンの斑模様なスーツと陰陽自に卸しているトレンチコートを取り出した。
「……何のつもり?」
「敵兵器の鹵獲と再利用と研究は戦争では良識の範囲だと思いますけど?」
「……戦えと?」
「はい。勿論、拒否権はありません」
「分かりました。術式で精神も縛られる、と」
「理解が早くて助かります。今は余ってる陸自の品ですが、すぐに善導騎士団用のものを支給しますので、今日はこれで」
少年の言葉にミシェルがその場で脱ぎ出そうとしたので、さすがに少年が背後を向いた。
その合間にもシュルシュルと衣擦れの音。
しかし、全裸でスーツを手にしたミシェルがその片手を少年の首筋を掴む。
「随分と不用心ではないかしら。騎士ベルディクト」
「ええと、着替えは出来れば、早くお願いしたいなぁ……と」
「ふざけているのですか?」
「ふざけてませんけど」
「例え、魔力が無くても、この至近距離ならば、超常の力……貴方達はそう呼ぶそうですが、私の力で貴方の首は飛びます」
「そうなんですか?」
「………今の私には貴方を脅す力すら無いのですね」
少年が振り返る。
すると、何一つ隠す事なく。
全裸のまま。
ミシェルは少年を見つめていた。
「私はあの子達を絶対に傷付けない……だから、もし強制すると言うのなら、此処で殺しなさい。小さな騎士……そうでなければ、私はまた多くの人間を殺してでも、自らの命の限りに抗います」
その決意を前に少年は少し見惚れる。
大罪人と呼べば、呼べてしまう人物だろう。
今の言葉も全て本心だろう。
そして、そう出来たならば、そうするだろう。
それこそ、己の魂を焼却してでも。
だが、その姿は美しい。
それが人間だからだ。
身勝手で我がままで時に人を虫けらのように殺しながら人を己の命の限りに護ろうともする。
それが一人の人間に同居する信条である事は矛盾しない。
「じゃあ、そうならないように気を付ける事にします」
「話を聞いていたのか怪しいですね」
「人の話はちゃんと聞くタイプって家族には言われてましたけど」
「……私がそう出来るはずはないと高を括っているのならば、それは侮っていると忠告しますよ」
「侮っているつもりはありませんし、今言ったように気を付ければいい事です」
「そんなの―――」
「どうして、出来ないと思うんですか?」
「それは……」
「僕はあんまり名乗りたくはありませんが、魔術師です。だから、どんなに人が悪辣になれるものか知ってます。どんなに人間が醜くて残酷なのか知ってます。世界が人に優しくない事も、社会が人を虐げ追い詰める事もです。ですが、だから、言えます。想定して対策しましょう」
「想定して……対策?」
「ええ、僕が魔導を用いるようになってずっと心掛けて来た事です。この世界に来て、戦うようになって思ってきた事です。僕の力はその為にあります」
少年が片手でふくよかなミシェルの胸元に触れた。
それを彼女は止めず。
胸元から瞬時に奔り抜けた魔導方陣の白い輝きが肉体を埋め尽くし、フッと消える。
「はい。お終いです。着替えたら、一緒にここを出て、それからは僕の監督下で僕の秘書役をして下さい。それからユーラシア大陸中央の探索に出掛けるまでに訓練して戦えるようになりましょう。ええと、結界方陣に関してはかなり期待してます。術式の開発とかも一緒にお願いしますね」
「―――貴方は……」
彼女は僅かに顔を強張らせる。
全てがもう決まったというような強引な予定表。
だが、それを少年は決定事項として扱う。
「貴方達に仲間と戦う事は例え出来ても強制したりしません。例え、僕らが貴方達の仲間に殺されたとしても、日本が滅んでも、貴方はそうしなくていい。でも、貴方の背後にもしも僕ら以外の民間人がいれば、貴方はそれを護る義務に駆られます。それが償いであり、騎士団が下す強制と罰です」
少年が再び後ろを向く。
「ミシェルさん。貴方には監督役として他の子と同様にこちらの人員の養子になってもらう事が決まりました。対外的には僕の娘という形になります。北米のロス・シスコの共同国籍は取得しておいたので誰かと結婚する時は言って下さい。後、住む場所は緋祝邸ってところになります。今、女の子が3人住んでますが、まだ部屋は余ってるので他の子の面倒も一緒によろしくお願いしますね」
「他の子……」
それ以上は何も言わず。
少年は待っている。
それに唇を戦慄かせて、これ以上は無駄なのだろうとミシェルが静々と着替えた。
「じゃあ、出ましょうか」
少年が外に出て、彼女も同行し、扉を潜ると。
「お、ええと009か? いやぁ、名前も顔も声も分かんねぇとさすがに実感湧かないな」
「その物言い。005ですか?」
犬歯を覗かせて笑う野良犬のような少年がニカッと手を上げて、彼女と同じスーツを身に纏って手を振っていた。
その背後にはクローディオが付いている。
「そうそう。オレだよオレ。あ、いや、こーゆーのって詐欺師の常套句だっけか? ええと、オレの名前はラグ。名前くらいは焼かなくて良かった気もすんな。面倒過ぎんだろ」
「私は009。ミシェルです」
「姉さん役だったもんな。アンタ……姉が美人で得した気分だぜ?」
ニカッと笑い。
少年が肩を竦める。
「貴方も?」
「って事はアンタもか。オレはこのディオの兄さんの養子になる事になった。ま、対FC戦以外でユーラシアへの揚陸戦力になって戦う事が解放の条件だったけど」
「同じなのですね」
「ま、いいんじゃね? 人類救うのにゾンビに頼るのアレだったし。あのババア、オレは008みたいに好きになれなかったしな」
「そうですか……」
そうして、最後の独房の扉がガコンと開いた。
すると、ハルティーナが出て来る。
だが、その背後に何やら彼らと同じスーツにコートを着た人間がくっ付いて、後ろから彼らを覗いていた。
「うわ、出て来たよ。008……あんなのだったのか? つーか、あの性格の悪さでよく釈放の条件呑んだな。というか、本当に呑んだのか?」
ミシェルもまたラグと同意見だった。
008は魔術師を母親と慕う者の中で側近中の側近だった。
そして、何よりもその為ならば、人間などゴミのように使い捨て、殺しまくれるサイコパスな面もあり、仲間内でも嫌われていたくらいなのだ。
二人の視線を受けて、思わずハルティーナの後ろの少年がブルブルと震えた様子で背中に隠れてしまった。
「ん?」
「え?」
ミシェルとラグが固まる間にもハルティーナが振り返って、ヨシヨシと灰色の髪の線の細い17くらいだろう少年……だが、実際の所作はどう見ても更に幼いようにも思える相手の頭を撫でる。
「大丈夫です。ヴァネットは強い子ですよ」
「ぅ、ぅん……は、初めまして。008です。ごめんなさい……」
「は?」
「ッ―――これはまさか」
少年が指を弾いて、ハルティーナ側からは声が聞こえないように遮断する。
魔力を使えないというのはこの施設を掌握する限り、少年には当て嵌まらない事であるのは言うまでもない。
少年が掌握するディミスリル塊そのものに等しいのだ。
それだけの事でラグとミシェルは横にいる小さな少年を前にして相手の強大さが理解出来た。
「全人格の8割近くが焼却された事が魂魄の計測から分かりました。殆ど死に掛けていたんですが、何とか回復させたのが彼です。名前がヴァネット、という事しか分かりませんでした」
「オイオイ。あのババア……殆ど洗脳に近い事してたからか? 子供の頃からあの女の側近にする為に育てられてたようなところはあったが……オレ達と同じ術式使ってるのにあれだけ被害が違うとか……マジで入り立ての頃くらいの人格までしか残らないとか」
ラグがげっそりした。
また、ミシェルも僅かに沈鬱な表情で顔を伏せる。
「北海道戦線のテロ主犯ですが、人格が魂魄単位で消滅して、その魔術師の事や施設での事の殆ど全てを失っていたので普通の子供に対するものと同じようにハルティーナさんに接して貰いました」
「あんたら、それでいいのか?」
「犯人捜しに犯人を罰する事が騎士団の目的じゃありません。赦す事も騎士団の仕事の範囲外です。僕らは自分達と人々を護るのに最良の選択をしようと努力するだけですから」
「「………」」
「悪い事をした事、大人の自分が死んだ事、色々と混乱していたようですが、術式や能力はちゃんと機能が確認されたのでハルティーナさんの養子という事にして、ウチで教育し直す事になったと報告させて貰いますね」
「オレらも一歩間違えば、ああなってた、と」
ラグが溜息を吐く。
「殆ど別人なので気楽に弟として接してあげて下さい。彼はユーラシア遠征に連れて行きませんし、善導騎士団で人格が年齢相応になったら、騎士にしてみようかという事になりました」
「……よくそんな事を考え付きますね」
「無論、制限は掛けますが、人格的に死んだ後の抜け殻なのはあちらの方と言えます。だからこそ、罪は帳消しにこそなりませんが、殺す程でもないという事と考えて下さい」
「騎士ベルディクト。アンタ、やっぱり怖い奴だな」
「?」
「いや、いいさ。負け犬の遠吠えだ。ディオの兄さんにしばらく師事して第二の人生が受けられるって言うんなら、それもいいさ。あのチェルノボーグを屠れるような相手に逆らう理由も無い。長いもんには巻かれておくぜ。じゃ、また時間が在れば、会おうぜ。これからこっちで数日講習受けるからさ。姉さん」
今まで黙って待っていたクローディオが少年に何やら小声で話し掛けながら、外に向かう。
「……裏切りの可能性を考えても普通ここまで自由にさせるのは組織として、どうなのですか?」
「トップであるフィー隊長とクローディオさんと副団長が許可した事ですから」
ミシェルにそう言って、少年が再びを指を弾くと。
ハルティーナが背後のヴァネットを何やら諭していた。
「男だから後ろに隠れるなとは言いませんが、初対面の方達に良い印象を持って貰う為にも、頑張って頭を下げたり、挨拶くらいは出来るようになるべきです。ヴァネット」
「は、はい。騎士ハルティーナ!!」
何やら少女に言われると嬉し気な様子の彼はすっかり姉に心酔する子供の顔だ。
どうやら随分と懐いているらしく。
撫でられると尻尾を振る子犬ように目をキラキラさせていた。
その様子は尻尾を振る気弱な血統書付きの犬を撫でる少女の図。
というものに見えなくもない。
「では、ベル様。この子を此処の隷下部隊の騎士団候補生クラスに入学させてから合流します」
「はい。よろしくお願いしますね」
二人が出ていき。
独房前の通路に残ったのはベルとミシェルだけとなった。
「どうしますか?」
「……ラグの言った通り、貴方は怖い人ですね。騎士ベルディクト」
「??」
本当に何を言われているのか良く分からないという顔の少年は気付かない。
人間は人間との繋がりの中でこそ自分を保てる。
掛け替えのない家族を与えて、それを失う恐怖をも間接的に与えているというのは別に少年が意図した事ではない。
単純に少年の善意的な厚意がそういう一面もあると理解する意思決定者達によって妥当な刑罰として用いられたというだけの事だ。
「分かりました。貴方の秘書役、務めさせて頂きます。お父様……」
「あ、別にベルでいいですけど」
「いいえ、そうはいきません。仮初の養子とはいえ、貴方が私の養父というのならば、従いましょう。それが家族というものです……私はミシェル・バーンなのですよね?」
「はい。ええ、まぁ……」
そのまま独房を二人で出れば、フィクシーとヒューリが待っていた。
「ちゃんと説得出来たようだな。ベル」
「甘過ぎると思いますけど、ベルさんが決めた事なら尊重します。ただ」
フィクシーは軽く済ませたが、ヒューリはそうではないらしく。
真面目な、冷たくも思える輝きを帯びた瞳でミシェルを見た。
「ベルさんを裏切ったら、許しません。どう許さないかはご想像にお任せします。私はヒューリア……騎士ヒューリアです」
「当然の事です。その時はどうぞ背中から撃つなり、斬るなり、お好きにどうぞ。私はミシェル……彼の養子として今後はミシェル・バーンと名乗る事になります。どうぞ、お見知りおきを。騎士ヒューリア……」
懇切丁寧にミシェルが頭を下げた。
「はい。その時は躊躇しません。でも、それまでは仲間として迎えましょう。よろしくお願いします。ミシェルさん」
ヒューリが手を差し出し、それに少し意外そうな顔となってから、ミシェルも手を出して握手が二人の間で為される。
「ふむ。私はフィクシー。フィクシー・サンクレットだ。フィクシーでいい。私の事は知っているな? ミシェルとやら。今後はベルと共に過ごす以上、幾らか会う事にもなるだろう。機密の類も幾らか見せるが、口外出来ないのは勿論、色々と注意事項もある。そちらは後で書面に纏めておく。見たら燃やしておくように……」
「分かりました。副団長代行」
ミシェルが頷く。
「では、今日は陰陽自でさっそく一日のカリキュラムをこなして貰おうか。戦闘訓練だ。その後は寝室となる緋祝邸に案内する。今日から其処がお前の部屋となる。ミシェル……期待させて貰おう」
「御期待に沿えるかは分かりませんが、鋭意努力する事はお約束します。では、行きましょうか。お父様」
「ハッ?!」
ヒューリが今気付いたと言わんばかりに驚愕の表情を浮かべる。
「お、お父様?! そ、そう呼ぶんですか?」
「何か問題でも? 養父という事ならば、男性ですから、お父様と呼ぶのが妥当なはずです。義父だとしても、日本語での呼び方は変わりませんし」
「……うぅ、何か私の知らない間にベルさんがドンドン新たな称号を~~?!!」
何かこう敗北したような気分でヒューリ(≧Д≦)が悶えた。
「知らない内にベルさんに大きい子供が出来たような気分……」
何とも言えぬ複雑そうな元お姫様の表情にフィクシーが苦笑した。
「なら、お前が母親役だな」
「そ、そうですよね!!」
「そして、私がベルの恋人役だ」
「もう!! フィーったら!?」
二人の会話する様子にミシェルはやはり意外そうな顔になるのだった。
*
―――陰陽自衛隊富士樹海基地15:03。
世界中から善導騎士団にコンタクトが入っている昨今。
陰陽自衛隊はその陰に隠れるような形で静かに戦力増強に勤しんでいる。
今日も彼らは非常識な訓練に明け暮れ、絶望と悲鳴の怨嗟を上げながら、夕暮れ時には缶詰食から解放された食堂の香りにケロッとした顔で白米を山盛りお代わりするだろう。
そんな日常が近頃、過酷さを増した事は誰もが感じていた。
『ヒギィイイイイイイイイイ!!?』
『く、蜘蛛はッ!? 蜘蛛だけは勘弁してぇぇえぇ!!?』
『やぁああめぇえてぇええ?!!?』
『芋虫はぁあぁ、あれだけはらめぇえぇえぇえ!!?』
『わ~~い。芋虫が一匹、二匹、三匹(死んだ魚の目)』
『く、来るわよ!? 総員!! 全周警戒!!』
『あ、た、大変!? E班の隊員が孤立してる。助けなきゃ!? あの子、大の蟲嫌いなの!?』
『カワイイムシサンタノシイナー(*´ω`*)』
『でも、何か恍惚としてるみたいだけど?』
『た、魂が死んでる!? もうあの子は限界よ!!?』
『ぁ゛あァ゛あぁ゛アぁあ゛ぁ―――(ノД`)』
『もう卵を産み付けないでぇぇええぇええ(;´Д`)』
女性隊員達が心底に絶叫するのは密林や廃墟群での戦闘訓練中であった。
キシャァアとか。
ギジャアァアとか。
シャーァアアアとか。
そういう声的なものがあちこちから聞こえて来る。
巨大蟻、巨大蜘蛛、巨大芋虫、巨大蛾、巨大百足、巨大蛭、巨大蛆etc。
取り敢えず、グロい昆虫総結集。
特定の性癖の男性ならば、(*´Д`)してしまいそうなシチュエーションで女性自衛官達のメンタルは蟲さんとのダンスでズタボロの有様であった。
頭上から襲い来る昆虫達や地下で密集、蠢く巣での胎動。
更に落とし穴の先に密集していたり、逃げ遅れたら一撃死(精神的に)するような蟲の軍団が屯する地下迷宮での激突。
もはや、彼女達の気持ちは死ぬか生きるか二つに一つの波乱万丈さだ。
もし、この訓練で失格するような状況に陥ったならば、正しくトラウマ級の悍ましさが彼女達の脳裏に刻み付けられる事は間違いない。
別に本物と違って死ぬ事はない。
ただ、やけにリアルな感触が身体の上をゾリュゾリュするだけだが、男とて蟲嫌いなら発狂しそうな内容である。
絶叫の7割は女性だが、後の3割は男性。
というところでその訓練の過酷さが分かろうというものだろう。
「―――」
そして、その現場に叩き込まれる事が既に決定しているミシェルはドン引きな様子でプルプルしていた。
「あ、皆さん。ちゃんとやってるみたいで良かったです。ユーラシアで想定される巨大昆虫系の大群を想定した訓練なんですよ。凄く好評であの訓練を潜り抜けられたら、絶対に人間を止められるって部隊の隊長さんが褒めてくれたくらいで」
少年はニコニコだ。
廃墟群の一番上。
崩れたビルの上からほぼ真下に見える穴の中の死闘(精神的にはガチ)を楽しげに見ている。
(拝啓、顔も覚えていない兄弟姉妹達へ。私はどうやらとんでもないところに身を投げ込んでしまったようです)
辞世の句とか読みそうな感じにミシェルの顔は青い。
ちなみにヒューリは自分の訓練が決まるまでは絶対近付きませんという宣言と共に何処かへ消えてしまった為、彼女と一緒に少年に付いてきたのはもう内部に突入して訓練し始めたフィクシーだけである。
蟲を単なる素材としか思わない彼女は後方勤務で落ちた技の冴えやら戦闘勘を取り戻す為にこの数週間、ずっと陰陽自衛隊の訓練に参加して、そこで隊員達を横目に最高得点近い成績を叩き出し続けているのだ。
「今日はお試しという事でまずは此処でサバイバル訓練を」
「サ、サバイバル?」
「はい。ちょっと、魔術や超常の力が無効なだけです。この迷宮で蟲に失格の烙印を押されたら」
チラッと少年が目を横にやると。
廃墟群の横。
地下からトンネルらしい場所を抜けて、巨大な蟻さんやその他の巨大昆虫系ゴーレム達が次々に其々の口や背中や脚に失格者達を掴んでペイッと砂場に彼らを投げ込んでいた。
「―――ッ」
思わずミシェルが口元を片手で蔽う。
粘液塗れの者。
スーツの上とはいえ、体中に何かを産み付けられたような跡がある者。
巨大な昆虫の噛み傷(致命傷マーキング用の紅い線)を持つ者。
誰も彼もが瞳の光を失っており、明らかに正気が減った様子でグッタリし、しばらく放心した後。
ノソノソと鼻水や涙や唾液塗れの顔でヨタヨタと近場の滝。
諸々を洗い流す用に造成されたシャワー代わりの簡易洗浄用設備に入っていく。
「あ、実は今日から夜間訓練も開始で、音が出ない仕様のゴーレムも出るんですよ。皆さんが良い訓練になるって言ってたので難易度を少しあげて、蟲が連携攻撃を仕掛けて来るようにしたんです!! 訓練想定時間往復12時間のサバイバル訓練で罠も満載です!!」
何処か誇らしげに良い仕事したぜという顔のベルを前にミシェルの額には脂汗が浮いていた。
「ええと、私は……」
「あ、ミシェルさん用の訓練計画です。ハイどうぞ」
ペラっと少年が気安く紙を一枚、差し出す。
それを見た彼女の背筋が凍った。
拳銃1つと魔術無しで2時間の低階層の蟲の巣を攻略。
蟲は事前に分かっているだけで8種類。
数は不明。
中にいる民間人の人形を担いで生還してね。
あ、民間人が蟲に襲われて死亡したら、蟲の大群が押し寄せて来て、全身を切り刻まれてから強制ゲームオーバーだよ(ニッコリ)。
要はそういうのが事務的に書かれてあった。
「では、僕は次の訓練の準備があるので。夕方になったらお伺いしますね。ご飯を食べたら、一緒に訓練する仲間をご紹介します。入口は此処から飛び降りてどうぞ。スーツと装甲を纏ってますから、7mくらいなら余裕で飛び降りられますから」
少年が動魔術で廃墟の上から降りていく。
そして、少しだけ躊躇した彼女は……絶望した様子になりながらも、叫びながら地獄の地下迷宮へと飛び込んでいくのだった。
*
―――陰陽自衛隊富士樹海基地19:23。
この世の地獄と絶望の全てを味わった……ような顔で瞳からハイライトが消えたミシェルが夕暮れ時に少年の手で回収され、野戦用のレーション(陰陽自衛隊印の缶詰)を味も分からぬまま、モクモクと食べて小休憩を挟んで数十分。
ようやくまともに受け答え出来るようになった彼女はとっぷりと陽が暮れた訓練場の一角で訓練仲間と出会う事になっていた。
「ん? ベル。それが新しいそちの家族かや?」
「あ、はい。リスティさん。こちらはミシェルさんです。ユーラシア遠征に向かう仲間ですよ」
「おお、そうかそうか。では、挨拶を……ワシはリスティア。よろしくな」
細い身体に野戦用の装備。
厚めの肩に盾が付いた装甲と外套の下に大量の重火器と長い弾倉をぶら下げたお姫様みたいな少女。
否、元お姫様リスティアが髪を後ろで団子状にして纏めた姿でミシェルを出迎えた。
「は、はい。私はミシェル、です」
何とか気力を振り絞って答えた彼女だったが、本音を言えば、これから数日間は部屋の寝台の中で引き籠り生活をしたい衝動に駆られていた。
だが、それも許さない立場であると自覚すればこそ、精神力だけでその場に立っていると言っても過言ではないだろう。
「むぅ。顔が青いぞ?」
「蟲さん迷宮に行って来たんですけど、どうやら負けちゃったらしくて」
「ああ、あそこか。普通の乙女には辛かろう」
「リスティさんは平気でしたよね?」
「ん? ああ、昔に同じような訓練は御爺様がしてくれたからな。折れぬ心と鋼の精神力が無いと王族は務まらんとか言って。今では食える蟲かどうかも判別出来る程じゃぞ?」
「………そ、そう、ですか」
ヤバイ。
済む世界が違う。
そう思ったミシェルは内心を飲み下す。
目の前にいる幼女は確実に彼女の半分も生きていなさそうだ。
だが、ケロッとした顔で装備を着こなしている風格である。
「それで次の相手は?」
その時、演習場で実弾のマズル・フラッシュが大量に瞬いた。
それと同時に何処かで聞き慣れたような生物の声が大量に上がる。
「あの声……」
「あ、始まったみたいですね。僕らも参戦しましょう」
そう言って、少年が演習場の中央区画へと二人の女性陣を伴って歩き出す。
彼女達が森や林や廃墟や沼地のあちこちで見たのは―――。
「な?!! アレは!? 騎士達のZではないですか!?」
そう叫ぶミシェルが視たのは通常ゾンビではない。
同型ゾンビの群れ。
【アーム】【シャウト】【アヴェンジャー】を筆頭として、近頃命名された光るゾンビ【ライト】、更にはその強化個体である触手付きの巨大化機能を持つ【コア・ライト】の姿であった。
まったく同じように見える外見のソレらが大量に何処からか湧き出して、実弾を放つ部隊と激戦を繰り広げていた。
「いえ、ゴーレムでそれっぽく再現しただけの偽物です。耐久度とかは同じくらいに高めてあるので物理攻撃は本物に近いかと。基本的に演習が終わるまで無限湧きにしたので同じように訓練中も体力は削れます」
「―――」
思わずミシェルは唇を戦慄かせていた。
どう見ても本物としか見えない。
実際、その攻撃はちゃんと一部の隊員などに当たると吹き飛ばしたり、あるいはダメージを受けている様子もあった。
「弾薬消耗下での白兵戦もあります。能力もスーツの方の術式を弄ってダメージは再現出来るので、かなり現実に近いはずです。実戦形式の大規模戦闘訓練ですよ」
開いた口が塞がらないミシェルは思う。
それこそ実弾を用いている訓練。
これでは本当にゾンビと戦ってるのと変わらない。
死なない程度に手加減されているとしても、その訓練中の隊員達の顔は僅かな瞬く明かりの中でも確かに必死で実に訓練とは思えないような顔付であった。
「今日は消耗戦想定の日なので明日の朝までやります。ゾンビの数は無制限で一秒間に10体湧きな感じです。後方のシャウトを叩けば、一秒間に4体に減りますけど、基本的に全滅するまで戦って貰います」
「―――こんな、こんな訓練に何の意味が?」
「日本がゾンビに呑まれた場合、最悪の想定での民間シェルターを保護する訓練です。無論、皆さんの訓練で死ぬまでの時間が長ければ長い程に民間人の生存時間も伸びます」
「………」
「僕らが生きている世界はこういう場所ですよね?」
その言葉に二の句を接げなくなったミシェルは隊員達の顔を見つめる事しか出来なかった。
「レーダー無し。明かりは全部途中魔力が途絶した想定で無し。連絡は繋がらない。互いの部隊の位置は最初期の部分しか分からない。全周からの同時波状攻撃。相手の数は無限。弾薬を全て使い果たした後は肉弾戦ですが、相手の能力は下がらないですし、逆に強化される仕様にしました。体力が尽きて撃破判定された隊員はその場で術式で死亡扱いで小型結界で凍結。戦場には干渉出来ず、残った仲間達が倒れ伏していく様子を見ている事しか出来ません」
「………」
少年がこの訓練を導入した時に幹部達から、この訓練の意図は分かったが、現実にこの想定の訓練をして覚悟させるのは精神的に隊員の士気に関わるのでは、と指摘された。
だが、導入後に士気そのものは下がらなかった。
雰囲気が悪くなったりもせず。
それをどうしてだろうと考えた少年が訓練後の隊員に訊ねた時。
その隊員はこう笑った。
『良い訓練じゃないですか。この悔しさが、仲間達を救えなかったこの胸の気持ちが、絶対に助けたいという思いを、オレ達に与えてくれます』
(………負けるわけです)
ミシェルが隊員達の形相と戦いぶりを前に視線を俯けた。
人類を救う。
その為に彼ら00は己の犠牲も厭わず。
自分達の羊飼いである魔術師の号令の下。
多くの人間を死に至らしめても戦って来た。
ユーラシアから脱出する際には殆どの同志達をゾンビのみならず、人間との抗争でも失った。
その後、北方諸島で出来た100と呼ばれる同志達は残った00メンバー程の精度も出ない半ゾンビのような状態となり、それでも彼らを仲間として扱い、共にまた多くの人間を殺した。
(そう……私の、私達の手は血で汚れている……)
霧の最中。
子供を捨てた親や身勝手な振る舞いが目立つ人間を標的にして。
あるいは北海道で多くの行政従事者達をゾンビの誘導で屠ったし、それに殺すよう指示すら出した。
(人類を救う為、誰も信じていたわけじゃない。008すら心の底では分かっていた。自分達の価値と生きる意味を示せる行為が、それしかなかった。ただ、それだけなのだと)
元々、彼らと同志と呼んだ多くの子供達は捨てられた身だ。
親から捨てられ、行政から捨てられ、世界から捨てられ、最後の最後の最後の最後にユーラシアのあの施設に拾われた。
囲われた子供達の数は膨大だったが、それに誰も何も言わなかった。
ある役人は金の前に沈黙し、ある政治家は脱出の片道切符を前に全てを黙認し、ある大人達はどうせ捨てられた子供だと蔑み、ある悪人達は死ぬ前にお愉しみ用に取っておいた玩具だと、虫けらのように子供達を弄んだ。
破滅する世界の中。
誰も彼らを救わなかった。
誰も彼らに価値を見出さなかった。
誰も彼らへ優しくしなかった。
誰もが彼らを見捨てた。
そう、あの女以外は……それすらきっと自分の利益の為、目的の為だっただろう。
だが、それでも彼らは良かったのだ。
全てに捨てられたならば、何も失うものなど無かったのだから。
最年長たる彼女は覚えている。
世界が理不尽なくらいに彼らに優しくなかった事を。
多くの大人達が子供を食い物にした事を。
そして、彼女自身もまた食い物にされた事を。
(でも、この人達は……)
あの日、あの時、あの場所で、彼女を救う人が、目の前の彼らのような人間だったなら、彼女は変わっていただろうか。
今のように人を虐げ、殺す……自分を虐げ、殺したような人間と同じ屑に成り下がってはいなかっただろうか。
「………」
始めて、少年は彼女の瞳に涙を見た。
リスティアはそれを知らない素振りでサブマシンガンの確認をし始める。
「ミシェルさん。僕ら善導騎士団と陰陽自衛隊には世界の命運なんて背負えませんし、そんなつもりも無いんです」
「え?」
「僕らは所詮、単なる兵隊です。世界なんて救えません。現実に世界を救い得るのは僕らの背後にいる人々……民間人、一般人、そう言われてる人達なんですよ」
「ゾンビを駆逐し得るのは貴方達だけですよ……公になる限りの組織では今のところ……」
「そうですね。ゾンビを駆逐するのは僕らの仕事です。でも、それは世界を救った事にはならない」
「……どうしてですか?」
「僕らに文化財や家電が修理出来ますか?」
「文化財……家電?」
「僕らに子供達へ教育して、将来の夢を持たせる事が出来ますか?」
「それは……」
「働く人間は幾多います。その多くの手が無ければ、社会は成り立たない。省力化、機械化が進んですら、やはり人間には人間の手が必要です。それも温かい手が……続く多くの人々に世界が素晴らしいものだと教えてくれる手が、美しいもの、綺麗な街並み、誰かを待つ間に読む本、テレビとかでやってるアニメや番組、可愛い小物や夢中になれるゲーム……この国は多種多様な娯楽があって、とても楽しいですし、多くの飲食業の人達が提供する食事も美味しい。けど、どれ一つとして僕らは生み出せないでしょう」
「………」
「僕らの手は多くの中の一つに過ぎない。ただ、それを護る手なんです。だから、この訓練に参加する誰もが必死なんですよ。自分達の背後にある素晴らしいものがきっと世界を救うから、それを明確には理解していなくても……自分の家族や友人を想う時、それは彼らが生み出す世界を想うのと同義じゃないでしょうか」
彼女は己の手をギュッと握り締める。
「ミシェルさん。僕は貴女に反省しろとか。後悔しろとか。償えとか。そういう事を言うつもりはありませんし、奪ったモノに付いてとやかく言えるような立場でもありません。ただ、その手を血に染めるなら、せめて……気分良く死ねる未来を目指しませんか?」
今も隊員達は叫びながら戦い続けている。
まるで本当に背後へ誰かを護っているかのような気迫で。
時には涙すら振り切るように痛みを押し殺して。
「……生きろとすら言わないのですね。貴方は……」
「僕が他者に言える事はいつもそういう事だけです。僕の瞳が死を見る限り……」
「ッ―――そうですか。ようやく分かりました」
「?」
「彼女は関東圏で頚城が造れないと言った。死が次々に消えているからと。この超少子高齢化の日本でこそ頚城は生まれ得る。土台は十分なはずだった。あの騒ぎならば、それが可能だと思っていた……けれど、そうはならなかった」
「ああ、そういう事ですか」
少年が苦笑する。
「貴方が死を消していたのですね。死を魔力化する事が頚城には出来ます。ですが、死を魔力化すれば、それは死が縮小する事を意味する。私達には分かりませんでしたが、死を観測出来る彼女やネストル・ラブレンチーは……死を消費すると魔力の抽出時、表現していた」
「それは死の空白を魔力を引き出す事で埋めたからです。関東圏でずっと魔力を励起し続けてましたから。魔力の無尽蔵の貯蔵が可能になってから、死が無い場所でも活動しなきゃならなかった関係で……頚城の仕様を聞けば、納得です」
「我々FCの最大の敵は貴方だったようですね。ベルディクト・バーン」
「今も敵ですか?」
ミシェルが涙の跡を拭った。
「……貴方にこの命、預けましょう。お父様」
応えずに決意だけを述べて。
「あの、済みませんが、お父様はやっぱりちょっと……」
「分かりました。では、お父さんかパパでいいですか?」
彼女はそう微笑む。
「……やっぱり、お父様で」
「カカカ、やり込められておるのう。さ、そろそろ行くぞ。ミシェルとやら。我々はもしも絶望的な消耗戦に援軍が来たら、という想定の増援役じゃ」
「増援役……」
リスティアがサブマシンガンを二挺持って、ニヤリとする。
「いつの世も戦には希望が、人には報いが必要じゃ。それがどんな類のものであれ、な」
それに頷いたミシェルがリスティアに色々と走りながら聞きつつ、戦場へと駆けていく。
その戦いぶりは多くの隊員の目に刻まれただろう。
いつも助けてくれる金色の幼女姫には今日お供が付いていた。
とは、翌日の訓練明け部隊の言であった。
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