第116話「昼時の戦闘」
数時間前、本島中央南部。
―――【一体、何が起っているというの?】
世界から霧が失せていく。
市街地に向かう移動する一点から広がった干渉。
それは結界が生み出す大量の霧を、迷いの霧を……全ての現代観測技術を狂わせ、上陸者を結界に誘って消し去るはずの罠そのものを、消し去っていく。
その半径は拡大し続けていた。
本島周辺の大気が魔力に震え。
巨大な結界達が幾重にも張られているというのに軋んでいる。
「大気層への干渉? しかし、雨乞いの類は地元の魔力に適応した者の中でも適合した巫女の類がいなければ、これ程には……まさか……ただ、魔力量だけで?」
本島市街地。
行政庁舎屋上。
細い銀の枝のような杖を持つ頭までフードを被った蒼紫色のローブ姿の女が一人。
周囲には数人の子供がいる。
擦り切れた衣服を身に纏う10歳以下と思われる子供達。
まるで戦禍に巻かれた浮浪児のようにも見える。
「
子供達の一人が女に訊ねる。
「分かりません。我らが主たるあの方ならば、まだしも……スヴァローグが未だに敵前線を蹂躙出来ていないという報告も受けています。
「陰陽自衛隊、善導騎士団……どうしますか?」
「我々の任務はこの地の結界の維持であって、外界の事を気にする事ではありません。内部への侵入者の件は既に通達されています。皆、陣地後方へ。避難民の方々に混ざっていて」
最後の言葉は僅かに優し気で子供達は女の言葉に頷いて庁舎屋上から階段で降りる際、頭を下げて消えていく。
「それにしても……先程の爆発は網に獲物が掛かったという事? 銃撃戦の様子も見受けられないなんて……」
その呟きの跡。
爆発したのが何であったかを思い。
彼女は沈鬱な表情で誰にも聞こえないよう呟く。
「(我々は地獄に落ちますね。確実に……)」
各地に潜ませた使い魔達を急行させ、敵を目視しようとしたが、後に残っていたのはコンテナの一部らしい爆破された残骸が2つのみ。
一応、探索させたものの。
内部は焼け焦げていて、残された手掛かりと言えば、敵が使っていたコンテナが異様な程に頑丈であった事くらいであった。
(侵入者の発見を最優先に。この地が落ちれば、大幅に計画は変更となる。
女が自分の位置が見付かるのを承知で周辺を探索する為に魔力波動を用いて本当内部を大規模に
「ッ―――アレは……」
市街地の入り口付近。
結界至近の商店などがちらほらとある地域から微かに目視で空に何か昇っていくのが見えた。
それは炎の噴射のようで彼女が自身の瞳に魔力式のレンズを複数枚展開して、視力を矯正する。
彼女の瞳の前のレンズ群が厚みを変えながらピントを調節し、ようやく彼女がその姿を捉えた時。
ソレは世界の遥か上を目指して飛んでいた。
「鎧!? あのスーツと装甲は情報に在った陰陽自衛隊のッ!! 空を単体で飛ぶと言うのですか!? でも、そんなこけおどしッ!! 我が大結界はあらゆる運動エネルギー、熱エネルギー、波動を奪い去る!! どんな攻撃手段も無意味です」
何処まで昇っていくものか。
世界の空の果てまで彼女の視力が上空5kmを超えて更に上昇していく敵に喉を干上がらせる。
「一体、何を……」
困惑。
それ程の超高高度でどうする気なのか。
そう彼女が思考した時。
その紅蓮の巨大な鎧を身に纏う何者かが片腕を掲げた。
現在地点は超音速以上で移動して一分地点。
その膨大な地表までの距離の中。
対空する鎧の手の上に何か白い光沢を放つ物を見て、彼女は首を傾げる。
だが、それが一点して直下に向けられ、ジリジリと近付いてくるに至り、視界内のソレが近付いてくるだけではない……実際に巨大化している事を彼女は理解する。
そして、ゾワリと鳥肌を立てた。
彼女の結界はあらゆる波動を奪い去る。
そう、奪い去るという事は奪い去られた力の行き先が存在するという事だ。
在るモノを無かった事にするのは難しい。
そして、彼女はまるで隕石のように大きく大きく育ち、その表面に炎の逆噴射らしき8つの炎の柱を纏って迫りくるソレの圧倒的な質量を前にして結界の強度を上げざるを得なかった。
「全魔力を結界に!!! 衝撃を地面に誘導ッ!!」
彼女の周囲に薄っすらと魔術方陣が煌めく。
それは市庁舎の真上で輝き。
更に落下予測地点周囲に数十枚にも及ぶ方陣が多重展開された。
だが、それよりも圧倒的なのはその落下してくる質量だ。
加速度的に大きくなるソレは5km以上の空間を落ちていく最中。
数秒毎に10m規模で膨れ上がっていた。
落下速を殺す炎の逆噴射する柱から供給された熱量を吸収し、更に重く。
その重さを一秒でも遅延させる為に更に柱は太く。
そして、ソレが地表と残り400mを切った時、落ちて来るのは直径2㎞近い巨大な岩塊であった。
「馬鹿な―――」
白き光沢を放つ何かが彼女の喉は干上がらせ、その声は震えていた。
そして、柱が消えた。
いや、柱そのものが後方に移動して束ねられ、今度は400mの距離を加速に使ったのだ。
『パワーはメテオにってなぁぁあ!!!』
カズマの叫びと同時に突き出された拳の先。
隕石中核となっている血の1摘に混じる術式が主の命令によって熱量を急速に物質へと転換していく。
秒速200m程の加速が掛かった巨大岩塊が瞬時に膨れ上がりながら結界端に接触し、巨大な衝撃がその全体構造を襲う。
無論、次々に岩塊を端から塵にして衝撃を大地に逃がしてはいた。
だが、激震が本島全域を震わせ、砂粒となった岩塊が落下して尚、膨れ上がるのは止まらない。
結果、結界内部を白き瀑布が降り落ちる砂丘と化して埋めていく。
その巨大な津波は無人の市街地までも押し寄せた。
こうして、大質量の落下速が乗った衝撃を受け切れず。
「大結界がッ、割れる!!?」
完全に処理能力を飽和させた結界が端のみとはいえ、破壊される。
すぐに再生されていくが、岩の粒子をこれ以上侵入させてはマズイという事実を理解した彼女が内部への物体の侵入までも接触面から弾く仕様に変更した為、岩塊は砂丘の上から転がって結界のすぐ横に落着した形を取った。
成長の止まった岩塊の上。
カズマが結界の再生を確認してチラリと結界内部を見やる。
今や白い砂漠化した市街地までの南部から中央に掛けての一地域は完全に埋まっている。
だが、それでも第一段階は終了した。
「ルカ」
『結界。壊せちゃったね』
紅い少年の耳には驚きよりも何処か苦笑が強い言葉が響く。
「でも、再生されちゃあな。それに市街地を完全に埋めたら、まだ生きてるかもしれない人間まで巻き込む。準備は?」
『ああ、いつでもやれる』
「なら、いっちょやってやれ」
『ああ、分かった』
ルカが結界内の砂丘内部。
己の盾に充填されている魔力を用いて、神経に接続した接触式の網目状の方陣を地表から木の根のように次々と銀の輝きに煌めかせ、横に伸ばしていく。
その無数の細長い小さな陣に触れたカズマの岩塊の流砂がゆっくりと動き始めた。
そう、加速だ。
物体を加速させる程度の能力。
それは正しく文字通りの代物である。
だが、問題なのはどれだけのものをどれだけ加速させられるか、であった。
そして、ベルが計測した結果。
ルカの能力は加速させる物体の質量は問わない事。
また、触れた固体ならず、あらゆる物体を彼が認識する限りにおいて加速する事が確認された。
ただ、その加速には当人の意識の枷が働いており、本来の力が出せない。
今までソレが出力出来なかったのは自身を保護する為のリミッターが無意識下で掛かっていたから、という結論が出た。
結果的に元々の能力が開放されたルカの力は極めて汎用性が上がった。
触れているものが繋がっていなければ、大きな物体は動かせないが、物理的に結合されているのならば、それこそ巨大隕石だって動かせるという話だ。
触れてさえいるならば、如何なる物体をも加速可能だが、残念ながら人間の表面積など高が知れており、今のところ目に見えないものや液体や気体は加速に修練が必要であった。
だが、である故に解決手段は極めて単純でもある。
「おお、マジかよ。オレのもアレだけど。お前だってやっぱ、アレじゃねぇか!!」
ルカのいる地点から起こり始めた現象を前にしてカズマが唇の端を曲げる。
カズマと同じく。
能力使用時に能力を作用させる事象に関して自身の意識や感覚以外の限界が無いと判断されたルカは巨大な魔術方陣を用いて、触れたあらゆる物体を加速させていた。
ソレは大樹の中心にある魔力源たる盾の周囲で渦巻く流砂が次々に加速していく事によって形成される球体。
加速の方向、加速の速度、それらは全て想像力次第。
そして、それを操るのはルカの神経と繋がった方陣。
触れる物体を自在に変形させる程の能力はルカ自身には無いが、能力そのものをサポートする方陣が繋がった肉体の一部として術式で本来無い機能を幾つか付けたし、演算するのである。
自動化されたソレは魔導による複雑な処理工程を行っているに過ぎず。
本質的には触れる感触を術者に伝え、予め用意されていたルーチンに従って周辺物体に的確に触れ続ける事を機能とする。
ルカのイメージ通りに物体へ触れ続けるソレを媒介して発生する事象は限りなくイメージを補強してくれる張りぼての骨組みと言ったところだろう。
「術式駆動最大……【|幻録体《》】稼働開始!!!」
巨大な砂丘に現れたボールが100m程までも拡大し、移動し始めた。
市街地付近から数十体から数百体のゾンビ達が建物から這い出そうとしていたが、それらは次々にボールの周囲の粒子の一部が弾丸のように飛んでマシンガンを掃射されたような威力に身体毎消し飛んだ。
途中、次々に新たな多重結界が粒子を阻んだり、灼熱させたり、氷漬けにしたり、電撃を浴びせたり、溶かしたりしたものの。
だから、どうしたというのか。
100mの間接装甲に等しいボールは小規模な結界ならば全域を呑み込む程であったし、巨大な結界であったとしても、その効果範囲を見極めたルカはその上や横を通って周囲から粒子を再補給すれば良いだけなのだ。
侵攻を開始したボールの移動ルートは正しくそのまま市街地を蔽う大結界内部の安全地帯を示していた。
「侵入を許したッ!! 許してしまったッ!!? あの球体ッ!! どうにかしなければ……ッ」
市庁舎屋上。
ゆっくりと安全なルートを見極めて進み始めた白き身体に白銀の根を絡ませた巨大怪球。
その威容を前にして女は唇を噛む。
「
「
女の背後。
小さな少年がいた。
まだ、7、8歳くらいだろうか。
スラブ系の顔立ちをしていたが、奇妙な程に肉体が捻子くれていた。
背骨は左側に。
顔は右向きに。
両足は外側に。
だが、その瞳の光には理知の色が深く。
児童用の小さな緑黄のスーツを着込み。
焼けたような色褪せた金髪の少年は女に微笑む。
背丈と比べれば、3分の2程しかないにも関わらず。
それでも彼はまるで兄が妹に向けるような瞳をしていた。
「分かっております。ですが、このままでは計画に支障が出ます。今、
「……
「お言い付け下さい。私はその為におります」
「年上の貴方にそんな事言えません……お願いです。どうか無事で……これ以上、同輩が消えていくのは見たくありません」
「畏まりました。では、しばしのお別れです」
彼女の背後でペキペキと肉体の筋肉と骨が歪むような音と共に声の主が消えていく。
市庁舎の上でローブの女は息を吐く。
「これが人の命を弄んだ我々への鉄槌だと言うのなら、甘んじて受け堪え切るのみ……ネストル」
『何ですか? ぼくらの敵よ』
背後から独特の弦楽の音色が響く。
ロシアの民族楽器バラライカ。
それを片手に陽気な音を奏でている者が一人。
ダウンジャケットと全身防寒着を着た3m程の巨体を寝そべるようにして女を見つめていた。
その瞳は濁っている。
いや、腐っているというべきか。
実際、その手もまた手袋などはしておらず。
腐肉が透けて見えていた。
顔は二枚目の灰色の短髪。
だが、決定的に人型にしては無粋だろうパーツが頭部には付いている。
角と言うべきだろうか。
それは金属質で暗い臙脂色の……とある空飛ぶ潜水艦の中央に備え付けられている金属と不思議な程に似通った質感をしている。
「……お母様が貴方達と停戦協定を結んだのはこのような時の為です。分かっていますね?」
声帯が腐り掛けているのか。
くぐもった笑いが響く。
『こっちは良い迷惑なんですがね。人を滅ぼそうとしておいて、一旦共同の敵を前に棚上げとか』
「貴方達とて困るでしょう? 人類が彼らに殲滅されれば、貴方達は正しく次の標的。そして、此処で貴方達が死ねば、人類には希望すら残らない」
『いやぁ、希望扱いされるとは……随分と持ち上げてくれますね』
「ですが、事実でしょう。人間を食い殺すとはいえ……それでも完璧に近い個体はこの世界に貴方達しかいないのですから。お母様が此処で倒れれば、貴方達とて目的のモノが手に入らず詰みでしょう」
『……あの階梯の敵……ぼくらの方が滅ぼされるかもしれませんが?』
「どの口が……我々の同胞を数十人食い殺したZの言葉とも思えませんね」
『いやいや、貴方達が弱過ぎただけで普通ですよ普通。それにあの女相手では滅ぼせもしなければ、こちらの損害が積み上がるばかり……だが、あちらとて見る限り、かなりの水準だ。切り札一つで滅ぼされる可能性も否定出来ない』
「戦わないと?」
『戦いましょうとも。だが、まずは様子見でしょう。そちらの方がこっちとしてもそっちとしても都合が良い、でしょう?』
「悪趣味な……」
女の視線が鋭くなる。
『魔力源として死を使う頚城同士。しばしの共闘とゆきましょう。何事も多い事に越したことはない。この力の支配の多寡こそが能力の差なのだから』
男がゆっくりと身を起こした。
と思われた次の刹那には虚空に浮いて起きている。
フワリと融け消えるようにして移動したバラライカを爪弾く巨大なゾンビは陽気な音色を少し不気味にも思えるものと変えて、掻き鳴らす。
『ああ、来たれ。ぼくらの呪海航路よ。おお、来るべき日に至る同胞よ。共に謡おう。共に踊ろう。この世に頚城が尽きるまで。この世に人が尽きるまで。それこそがぼくらの此岸なれば♪』
膨大な魔力が吹き上がる。
それは転化光を伴って幽玄なる緑黄の色合いを称えて。
方陣すらもなく。
その男の周囲に地表から天までも吹き伸びていく。
『紛い物よ。この手に来たれ。全てを滅ぼせし、騎士の軍勢よ♪』
男は至極楽しそうだ。
そして、同時に女は渋い顔だった。
「……奴らの力を借りねばならないとは……」
『あちら側で養殖中の生け簀に穴を開けた程度。制限付きでは時間稼ぎが精々でしょうとも。だが、まぁ……便利なのは認めます。おや?』
男の魔力の光が急激に弱まる。
それと同時に市庁舎の周囲の地面からゆっくりと黒い滲むようなコールタールのような染みが広がり、内部から輝く何かがヌルリと闇を落としながら出て来る。
『おお? あちらはもうかなりのところまで進んでいるようだ。これはこれは……ご大層なものを……』
「ッ―――コレは!?」
『フフ、近頃大人しいと思えば、あちらでこんなとんでもないモノを製造していたとは……一体、どれだけ揃えているやら……ククク、まったくぼくらはこんなのを相手に勝てるのか』
「解析はしてもよろしいですね?」
『無論、あなた達とぼくらの最終目標は人類の存続と繁栄。そして、その方法論の違いに過ぎない。どちらが滅びたとしても、どちらかが残れば、それで奴ら相手には事足りる。最後まで到達出来れば、という但し書き付きですがね』
「解析が完了次第、投入を」
『ええ……それにしても綺麗な顔だ……やはり、本来の頚城とはこういうものなのか……』
「お人形を愛でるのは8歳で辞めました。貴方はそちらの趣味がお有りでしたね。そう言えば……狂人はさっさとご退場願いたいものです」
『はは、さて、どうだったか。腐った身体では思い出せませんが、アレは要求された水準を合理的に突き詰めただけなのですよ? ぼくらは別に人間を苦しめるのは本意でありませんし』
「あれだけの子供達を消費しておいて、よくも……」
『だから、ああして補充しているではありませんか。ぼくらは人類の味方ですとも。人類とてやがては機械で同じことをし始めるでしょう。そういうのは新聞でも聞きますしね。ちょっと魔術で先取りしているだけですよ。ええ』
「吐き気がする偽善どうもありがとう」
『いえいえ、どう致しまして♪』
球体がゆっくりと市街地へと近づいている。
だが、彼らは気付かない。
己が待ちに徹する限り、守勢に回る限り、常に不利である事を。
如何にも強大な力を持つ者にありがちな油断こそが、彼らにとって最大の致命傷である事を。
どれだけ力があろうが、どれだけ強かろうが、最終的に人の叡智が歴史の中で紡ぎ上げてきた戦訓こそが全ての戦いでパラダイムを引き起こしてきた。
いつか、剣が弓に負けたように。
騎馬が方陣に負けたように。
投石にこん棒が負けたように。
銃に刃が負けたように。
今日もまた変わらず。
相手より早く、相手より緻密に、相手よりも必死に、相手よりも高みに、相手を倒す為に技術と技能と積み上げてきた精粋の全てを用いて敵に相対する者が有利であった。
*
『ネストル・ラブレンチー。彼の魔女はどうやら人体実験をしていた、とこちらは踏んでいる』
黒武が破壊される少し前。
礼貞はそう彼らに語った。
『何を実験していたのかまでは分からない。ただ、当人は極めて巨漢で常に防寒着姿だったとの話だ。裏付けも取れた。その相手が出入りする市庁舎のある一角に人が消えていくと噂になっていた』
その言葉に何処か言い辛そうな気配があった。
それが誰に向けられていたのかは僧侶が彼女達を見れば一目瞭然。
『10歳以下の子供達がこの10年以上で合計300人程。何らかの施設に入った切り戻らず。しかし、入って数日後に施設から搬出されたモノが海に撒かれた事は確認されている』
僧侶の言葉に口を開いたのはフィクシーだった。
『親は?』
『……話を聞く限り、食料や本土への優秀人材枠での出稼ぎの権利を受け取るのと引き換えに孤児院に捨てたという話だった。その孤児院自体は存在しているが、当人が入った形跡が無い。そして、書類上は病死した事になっている』
『子供達が何らかの実験に使われたのは分かった。そのネストルという輩は一体どういう経緯で行政付きの魔術師に?』
『もう確証の無い話だが……日本国内のロシア系の魔術師からの話だと旧ソ連……嘗てのユーラシアの大国が崩壊した頃、ユーラシア中央の国々での誘拐婚を手引きしていたいう話を聞いている』
『誘拐婚? ああ、大陸では拉致婚姻と言うが、意味は分かった』
『魔女と言っても男の身体や女の身体を使い分ける程度には熟達していた術師だったらしい。それで行政庁舎のお偉方の何人かは旧ソ連衛星国の実力者で占められているのだが、一部は過去に誘拐婚で伴侶を得ていたという噂がある』
『……奴隷商人も真っ青な人身売買か』
『誘拐婚で伴侶となった者との接触は不可能だった。殆どが死んでいるか。もしくは精神病院行きで子供などはいるようだが、子供も母親の顔は知らないという事だった』
『確かに胸糞の悪い話だ』
その言葉で済ませられない事はその場の誰もが分かっていた。
だから、姉妹達は何も言わずに全てを聞いていた。
最悪を想像するならば、普通に子供達は死んでいて、ゴミのように海に捨てられた。
それを成した魔術師は子供を誘拐して売る最悪の商人。
とても、許せるものではない。
そうは思っても、彼女達はそれを顔に出す事は自制した。
いや、辛うじて出来たと言うべきだろう。
心は熱く。
しかし、頭は冷たく。
冷静さを失う事は死に直結する。
そう言われ、僅かなりとも叩き込まれた騎士精神はちゃんと彼女達を唯の憤る子供から、僅かなりとも戦士に近付けてくれた。
憤怒するよりも、もうその被害が出ぬよう戦う事。
それが何よりも彼女達の為すべき事だと二人は心に誓ったのだ。
「お姉様。来たわ」
「ええ、設置は完了しました。後は数を減らして、市街地での行動を邪魔されないようにするだけです」
「お二人とも準備は良いですか?」
「「はい!!」」
「結構。ベル様とアザミ殿は結界の内部工作へ向かいました。此処には我々のみですが、まずはあのゾンビを片付けましょう。目標南部から総勢3万弱。ですが、銃弾は今のところ完全に転移式での補給が間に合います。砲身が焼け付くまで―――」
「撃ちっ放しでいくわ!!」
「ええ、その時間が来るより先にきっと皆さんの動きの方が早いでしょうけど」
MBTの上に2人。
タンクデサント状態で砲塔の上に立つ姉妹は両手にサブマシンガンを持つ。
また、砲塔上部にはゴムと金属塊とギアで構成されたマシンアーム操作のマシンガンが二挺、左右に向けられていた。
前方からは大量のゾンビの集団が走って来ている。
しかし、ハルティーナも含めて、誰一人臆する者は無かった。
自前の魔術も魔力もまだ本格的に使うべき時ではない。
膂力と体力をただブーストするだけで三人の少女は前に銃口を向け。
「射撃開始ですッ!!」
「動体誘導弾!! 行くわ!!」
「ごめんなさい。守りに来るのが遅くて……」
三者三様。
姉妹達は初めて人間だったモノに向けて命を狩る為の兵器を撃ち放ち。
碧い少女もまたソレがボタン二つの事だとしても決して死が軽くならぬよう目に焼き付けるようにして、その集団へと銃撃を見舞い始めた。
連射速射掃射。
どんな呼び方でも良いだろう。
激発する銃口のマズル・フラッシュ。
その輝きが姉妹とMBTの装甲を昼間だというのに染め上げ。
霧が未だ掛かる地域から次々に現れる屍達を撃ち倒していく。
距離3000m圏内に入った屍達から頭部を撃ち抜かれ倒れ伏していった。
無駄一つ無い弾丸の雨はあらゆる軌道を描いて、決して狙いを違わない。
爆ぜ散る脳漿。
咽返るような血臭。
溢れる硝煙。
土埃一つ上がらぬ戦場が其処に出現すれば、更に大量のゾンビ達が音と光に曳かれて、島中から集まってくる。
中には結界から出られないモノもいたようだが、それにしても結界と砂丘を背にしての180°全てが敵という情景は正しく普通ならば死に際に見るべき光景だろう。
だが、銃弾は尽きない。
砲身も銃身も焼け付かない。
それがベルディクト・バーン。
【
そう呼ばれ始めている事を当人は知りもしないが、それは彼女達が少年にそんな二つ名を教えずにいるからだ。
きっと、いつも通り。
自分はそんな大そうなものじゃないと笑う少年が分かっているから。
終わりなく続くようにも思える殆ど反動も無い重火器を敵に撃ち放つ姉妹達はようやく戦場の現実を知って思う。
きっと、自分達を護ろうとして死んだ少年はこれよりも、もっともっと怖いものと相対したのだと。
いや、それを想う暇もなく死んだのかもしれないと。
ならば、自分達が行幸である事など言うまでも無かった。
自分達の先を行く姉と少年の背中が自分達を台風のような風から護ってくれているのだから。
そんな甘やかされた自分達が可能なはずの任務一つ出来なければ、それは無能と同義。
出来ると言われた以上。
(やるんだッ!! みんなが今までそうしてくれてたんだから!!)
(戦わなきゃ……私達を今まで護ってくれていた人達の背中をッ!!)
秒間数十発の銃弾の嵐を前にただのゾンビは近付く事すら出来るはずも無く。
絶対数がまるで足りていなかった。
数秒で何百発も撃ち切る重火器が全て必中。
頭部を粉砕し続けるのだ。
それこそ北米において顕現した百万単位の瀑布の如きゾンビの群れでなければ、彼女達を呑み込める確率は0だろう。
こうして、北海道戦線においてゾンビを嗾けていた者達はまた本島内部でも初めて敵の脅威を目の当たりにする。
現代兵器の恐ろしさ。
魔術との融合において発揮される理不尽なる暴力。
例え、RPGのように伝説の武器があったとて、2個師団弱の兵隊を一時間もせずに掃討する事など余程に強力な設定でもなければ、不可能だろう。
霧の中での行動を前提にただ走るだけの設定を為されたゾンビがどれだけ束になったとて、敵うはずもなかったのである。
*
使い魔からの映像が
ルカは砂丘内の行く手に人型を見付けて、その動きを停止していた。
子供だ。
そう見えるスーツ姿。
しかし、明らかに捻子くれた人体の様子は普通ならば、ゾンビかと疑うべきところだったが、そういう病気なのかもしれず。
更に付けているバイザーからの観測情報では生体反応が出ていた為、ルカが話し掛けずに先制攻撃するという事も出来なかった。
無論、彼は陰陽自衛隊であり、民間人を護る義務があるのだ。
結界内部のスキャニングをある程度行えていたからこそ、カズマも無茶苦茶な攻撃方法が取れたし、ルカとて大規模な魔術を使えたのだ。
民間人を不用意に傷付けるような攻撃は出来ないし、国民かもしれない人間に幾ら怪しいからと何も聞かずに攻撃は出来ない。
『こちら陰陽自衛隊です。今現在、本島における作戦を遂行中であり、民間人を保護しております。進路上の方は希望するなら―――』
声が途中で遮られた。
理由は純粋だ。
緑黄のスーツが輝き出したかと思えば、捻子くれた男の子がゆっくりと浮かび上がったからである。
それと同時に次々と周囲に同じ輝きの物体が発生していく。
(魔力形質推定不能。魔術師もしくは覚醒者と断定。半変異中と推定。周辺に発生した物体の光学観測開始……アーカイヴ参照……カナダ産の光るゾンビに酷似? 精神汚染系!?)
ルカが攻撃防止の観点から牽制攻撃を行う。
粒子が複数。
数十も現れていた光る球状の物体へと射出された。
だが、その粒子が通り抜けてもソレは破壊されなかった。
(非実体? 魔力や力の場のようなものと推定。つまり、これを止めるにはあの子を落とすしかないわけか。非殺傷兵器の使用を解禁。ディミスリル弱装弾を装填)
ルカが手際よく。
己の外套から取り出したロングマガジンをぶら下げていたサブマシンガンに装填。
更に現場での威力調整用の術式を展開し、即座に人体に当たっても小さな痣が出来る程度にまで威力を落として一斉射した。
弾丸の軌道上から粒子が退けられ、即座に視線誘導弾化した弾頭が狙い違わず少年の下半身や脚に当たろうとした時。
高速で動いた光の塊がその弾丸の前に立ち塞がり、数発の弾丸を受け切ると消滅した。
(弾丸を受けて消滅? 魔力塊に近い? ならば)
ルカが今の弾丸の設定をそのままに本部に送信。
チャンバー内の転移術式が稼働すると同時に撃ちっ放しにした。
次々に襲い来る弾丸を群がる光の球体が受け止めては消滅していく。
だが、それで状態が膠着した。
光る球体は次々に湧き出して来て、ルカの放つ弾丸を受け止めているが、魔力を用いる以上、いつかは個人の力ならば、尽きるのが先だ。
数百発。
数千発。
しかし、三十秒以上撃ち続けても一向に光が湧きだす速度は落ちなかった。
(魔力が無限? もしくは魔力が桁違いに多いか。魔術の効率が極端に良いか。あるいは莫大な魔力源が何処かに存在するか。どれだとしてもこれ以上は遅延させられない)
攻撃してくる者を殺さずに無力化するのはいつでも難しい。
だが、ルカにとっては教範を理解すれば、何とかなる程度の事でもある。
敵の気を逸らす銃撃は続行。
更に粒子の球体を一部開放して、目晦ましとして嵐の如く吹き荒れさせ、それに紛れて方陣の一部を広範囲に展開。
そして、彼の外套内に仕舞い込まれたディミスリル製の杭が1ダース。
広がる方陣に載ってあちこちに運ばれ、銃弾を防ぐのに一杯一杯の光の球体に囲われている少年に向けて狙いを定め、本命が当たるかどうかを確認する為、全方位からの粒子の一斉攻撃が開始された。
瞬時に対応してみせた球体が少年を全方位から護る。
それは光のドームのようにも見える程の密集だった。
だが、永続的に襲ってくる粒子を受け切る球体が湧き出した先から消費され、その粒子の打ち出される速度が上がるとゆっくりとだが、光の薄い場所が出来始める。
(ベル君の指導のおかげだ。幾ら魔力が多くても無限だろうともその運用速度には限界がある。永続的に無限の出力が可能である事と一度の出力上限が無限である事は同義じゃない!!)
ルカが感覚的に球体の防御に穴が開く瞬間を狙い澄まして杭を打ち込んだ。
その一瞬の出来事は正しく針の穴に糸を通すような作業。
僅かなすぐに塞がれてしまうだろう穴から狙い違わず杭が撃ち込まれて、少年の太ももに突き刺さった途端、方陣を展開。
魔力消費式の強固な拘束用結界を展開する。
どれだけ強い魔術師だろうが、どれだけ魔力を持った存在だろうが、無駄に魔力消費の重い術式を常に身体へ奔らされて、強制的に魔力を自分の肉体と精神を縛り付ける力に変換されては一溜まりも無かった。
瞬時に光の球体が止まる。
同時に攻撃が止められ、倒れ伏した少年は小さな半透明の棺桶上の結界内部に捉えられて、意識レベルまでもがゆっくりと落とされていく。
聞きたい事はあるが、そんな時間は今のところない。
陽動で引っ張ってきた戦力がこれだけというのも考えられない。
である以上、更なる強敵を見据えて、ルカは進まねばならなかった。
運良くカズマの攻撃で結界が割れた為、その先へとベルと僧侶の男も入り込めたのだ。
二人の存在を気付かせない為にも囮となった自分の役割は更に重大となった。
その事をルカとて自覚していた。
「自己魔力消費型の封結陣……さすがにコレは防げない、か」
ルカのピンポイント攻撃能力があればこその芸当。
普通の魔術師は防御方陣を何枚か重ね掛けしているし、中々にして本体へ攻撃を当てるのは至難の業だ。
身体能力が高い相手ならば、掠りもしない事もあるだろう。
だからこそ、それを超えて敵を一撃で行動不能にする切り札はルカこそが持っているべきだとベルは断言した。
いつでも最もリソースの消費が低い能力でソレを連射出来る事はルカを戦術的に最強のオールラウンダーに仕立て上げる事となる。
大げさな魔術や能力など無くてもいい。
いつでも安定した性能を発揮する兵器と同じように彼の能力が用いられるならば、その加速する物体の使い道は無限大だ。
死に掛けた刹那にすら逆転の芽がある。
カズマの能力のような派手さや威力が無くてもいいのだ。
敵を致命傷にまで持っていける道具さえあるなら、ルカ以上に制圧能力の高い人材は陰陽自衛隊にいないのである。
周囲の粒子を補給しながら、ルカが更に近付いてきていた市街地へと進み始める。
もう、少年には目もくれない。
完全に術者の意識レベルが0になった事を杭の観測装置がバイザーに示していた。
バイタルは安定しており、死ぬ危険性も無い。
となれば、後は放っておいても構わない。
「ようやく……」
そのまま市街地の繁華街らしき雑居ビルの密集する区画内に入った時だった。
不意打ちとは言うまい。
ルカの操る粒子の球体。
【
100mもの装甲を身に纏うに等しいソレを突き抜けようとすれば、それはルカの触覚を刺激する事になる。
掌の先にある物体を感じるようなものだ。
これに即座反応すれば、ほぼ反射であらゆる物体を弾く事が出来る。
もしもソレが方陣に触れれば、別方向へと受け流す事も可能だろう。
だから、その市街地のあちこちから撃ち込まれた弾丸にもまるでルカは動じる必要も無かった。
弾丸はまず粒子の海によって流され、方陣に接触して更に別方向へと向けて加速されて抜けていく。
チラリとその場所をすぐにバイザー越しに確認したルカは未だ生きているCP機能区画の解析結果を下にして敵のいる建物を粒子で攻撃。
敵がいる窓際を崩すようにして姿を剥き出しにした。
やはり、ゾンビによる狙撃。
北海道でのゾンビによるゲリラ戦からゾンビ兵による戦術行動は予期して然るべきであったし、本島突入時には気を付けるよう言われていた為、驚きは無い。
動く死体相手ならば、問答無用。
速射された粒子のショットガンを遥かに超える威力に雑居ビルの一角が次々に崩され、狙撃手達が200~400m間の間に次々と沈黙していく。
球体はその合間にも動き続け、繁華街をようやく半分。
それなりにピンク色が目に付くLED製の看板が目立つ中央付近まで来れば、もはや全ての狙撃手は沈黙していた。
だが、ルカのこのまま行政庁舎付近まで迎えるかという淡い期待は裏切られる事になる。
何故ならば、ゆっくりとルカの球体から視覚になるビルの陰で次々に緑黄色の輝きが蠢いて、触手が見えたからだ。
しかも、一体何をしているやら、と思う必要すらなく。
血飛沫が舞い。
呻くゾンビの声が折り重なっていく。
(光るゾンビの大型……黙示録の四騎士がこの件に関わっている? いや、断定するにはまだ早い。ベル君の話じゃ、貸し与える事も可能って話……なら、盗んだり、培養したり、そういうのは在り得る)
ビルを盾にして周囲の雑居ビルの四方八方から無数の触手が湧き出した。
学習したのか。
あるいはそういう戦術なのか。
どちらにしてもコアとなるゾンビさえいれば、屍さえ周囲に在る限り、再生は容易。
さすがに無限に再生するわけではない事は分かっていたが、それにしても人体の細胞が粉微塵にならなければ、大抵は幾らでも繋げて再生。
粉々になっても時間さえあれば、栄養分として吸収して再生。
つまり、切りが無い。
「ざっと20体。ビルを盾にするなら……」
ルカは次々に杭を己の外套から落とし、己の目の前の盾から吹き伸びる方陣に乗せていく。
粒子はまだ十分周囲に存在する。
此処からは相手の分厚い肉の装甲を掻き分け、コアとなる個体を撃ち抜く事が最優先。
「時間稼ぎはこっちも同じッ。行くぞ!!」
粒子が弾け、次々に周囲のビルを嵐の如く削っていく。
沖天の陽の下、戦いはまだ始まったばかりであった。
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