第37話「前夜」
「坊主。これでいいかな?」
「あ、はーい。これでお願いします」
スイートホームの各アジト周辺での動きが活発になり三日。
残り六日で亡命先の艦隊の一部と合流せねばならない脱出側は明日の脱出本番に向けて各地で態勢を整えるべく。
あちこちでコソコソと物資や人員の移動を行っていた。
各地で次々に必要な準備が完了した旨をアンドレは報告されながら、都市中を回って一息吐いた少年が缶詰を食している横に腰掛ける。
「ここでオレの特別な一本はどうかな? 魔法使いさん。いや、錬金術師と呼ぶべきか」
コトリとアンドレがテーブルの上に置いたのは紅い液体だった。
「ぼ、僕、来た国では一応未成年なので……」
「はは、そうだな。子供にアルコールを進めるのは良くない。だが、コイツはあの子とクリスマスに呑む為に取っといた葡萄果汁5%だ」
「の、残りは?」
「砂糖とハチミチと炭酸。氷に溶かして呑むといいぞ。あの子も血筋か。大好物だが、虫歯にさせたくなくてな」
男はトクトクと氷の入ったタンブラーに赤い液体を注いでいく。
「その、ジェシカさんと一緒に呑まなくていいですか?」
「あの子にはもっと上等なものを贈れそうだからな」
「……一緒に逃げないんですか?」
「昔は考えた事もある。だが、今は出来ない。オレは技術者で兵士だ。この場所に必要な人材だ。次の決戦で負けるにしろ。勝つにしろ。オレがいなくなって困る連中が多過ぎる。だから、死ねないし、あの子には……出来る限りの事をしてやりたいと思っていた」
「なら、僕なんかより……」
「かもしれない。だが、親心って奴だ。血は繋がってなくても、あの子の前途の為に出来る事はやっておきたい。そのやっておきたい事を君が殆どやってくれた……だから、いいんだ。あの子とはちゃんと話してある。その時が来ても、オレが生きている限りはまた会いに来れる。20歳になったら戻ってくる。そういう約束だ」
「強いんですね。ジェシカさんもアンドレさんも……」
弱いさ。
そう男は言った。
そして、弱いからこそ強く振る舞うんだ、とも。
「明日は君達の戦いが全てだ。スイートホームは何処が負けてもいいが、君達が負けたらお終いだ。勝て、などと君達へ気軽に背負わせたくはないし、そのつもりもない。ただ、それでも一言だけ……死ぬな」
「は、はい!!」
「よろしい。子供は元気なのが一番だ。あいつもそれは分かってるだろうに……どうして、ああなっちまったんだ……アンヌが死んでなきゃ、また違ったのか……」
「アンヌ?」
「途中で死んだエヴァの恋人だ。あいつは死体を見たくないと埋葬には立ち会わなかった。どんな死に方でもゾンビ予防の観点から頭を吹き飛ばしてから埋葬する事になってたんでな」
「そんな……」
「この街から最後の便が出る時、本当ならオレ達はその便をジャックして、今の亡命国に逃げ込むはずだった。だが、あいつは本来の行き先の末路を予測してから、この都市に残る案を切り出した。決裂したオレ達はその後ずっとこの都市の表と裏であれやこれやとやってる。あの頃はお互い、こんな立場になるとは思っても無かった……」
「エヴァさんはアンドレさんにとって今も……」
「親友だとも。殺すのも殺されるのも奴ならば、納得だってしよう。こんな滅び掛けたゾンビだらけの世界で内紛してるんだ。オレ達以上に罪深い兄弟もいないだろうよ」
チャリッと小さな十字架の付いたペンダントが少年の首に掛けられる。
「御守りだ。娘にはオレの愛用の銃を渡したからな」
「が、頑張りますッ!!」
「ああ、君のガールフレンドが何か言いたそうに待ってるぞ。行ってやれ」
少年が横を見たら、テーブルの先の通路の端で少年に声を掛けようとしてお話中だからと躊躇っている少女がいた。
「ガ、ガールフレンドじゃありません!?」
「はははは、避妊はしっかりしろよ。いや、このご時世……君程の甲斐性があるなら、産めよ増やせよ地に満ちてってお題目の方がいいか」
「う、ぅぅ……」
顔を真っ赤にした少年を横にアンドレは仕事があるからとその場を去った。
それを見てヒューリがイソイソとやってくる。
「何をアンドレさんとお話してたんですか?」
「な、何でもありません。御守りをくれるって」
「良かったですね。ベルさん」
「はい」
「フィーはまだ戻ってきてませんけど、恐らくアンドレさんの言葉を信じるなら明日の何処かの転換点で開放されるでしょう。でも、出来るならその前に全力で助け出しましょう。アンドレさんもタワー内部じゃないかって言ってましたし」
「はいッ」
2人が遣り取りしているのをアフィスがもう亡霊みたいな顔で通路の先からこっそり覗いていた。
この数日、彼に構ってくれる人間はおらず。
各アジトの女性にちょっかいを出そうとする度にジェシカとシャンクが白い目で見て、退場させていたせいだ。
女性に長らく触れていない禁断症状からか。
彼の瞳はもう完全に少年に対して妬ましいモードで充血していた。
「ど、どどどど、どうしてぇ!? うぅ!? アレか!? 今はショタがトレンドなのか!? く、だが、オレにだって最後の切り札が!! もしもとなれば、魔術大学出の我が才知を以て!! 肉体をショタにするくれぇ!!」
「シャンク~~何かキモイ事言ってるこのスラッカーに正しい軍事教練しといて~~」
「了解」
「ぁ゛~~~ダメェ!? 首筋はぁあ!!? よわひの゛~~~ッ!?」
ズルズルとアフィスがシャンクに引きずられていく。
ジェシカが遠目にも仲の良い二人を応援していた。
彼女はこう見えて性には寛容なのだ。
自由の国のフリーセックス、フリージェンダーは嗜みである。
女性と女性が愛し合ってもカワイイならいいじゃないというのがこのご時世に育てられた彼女の心情であった。
そして、実は普通に秀才なナンパ野郎が彼らの言語を何の魔術も使わずに今や喋っている事は誰の目にも留まらなかった。
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