第7話「命の洗濯」
たった二日の拘留で部屋まで貰えたベル達であったが、食料が増えて何とか人とコンタクト出来た事を喜んでばかりもいられなかった。
食糧には今現在困っていないし、拠点となるべき街が出来たのである。
それだけで一気に彼らの選択肢は増えた。
今現在、ジドウフクシキョクとかいう公的機関のオバサンが去った室内は何もないが、シャワーとトイレが付いて5LDKという超優良物件。
彼らの大陸でも中央諸国なら珍しくない
内部は床板が張られ、色褪せた壁紙がそのままではあったが、寝泊まりするには申し分無い気密性も確保されており、3階というゾンビとの戦闘を考えても丁度良さそうな高さがある。
火を起す時は外で起して調理するようにというお達しだったが、それでも十分な話には違いなく。
ヒューリなどはこの世界でも教会がある事に感謝して、違う神を信奉する者だろうとも敬意を以て接したいと教会の前では一礼して祈っていた。
「さて、情報を軽く整理しよう」
フィクシーがテーブルの無い床に地図を広げて、現在位置であるロシェンジョロシェとその周辺に関する情報を全員で整理し始める。
朝方に開放されて連れてこられたのが昼前。
また、見知らぬ語句の掛かれた缶詰と飲料を横にしてベルとヒューリが地図を覗き込む。
2人は幾つかの白紙に情報を書き込んだものを用意していた。
「まず、あの子供の保護者とか言っていた女性などから得た資料からこの国の形が判明した。また、この世界の地図らしきものも」
パンフレットには世界地図が書かれており、その大半の領域が海の青と危険を示す赤と極僅かの黄色で締められている。
そして、その黄色には大きな海洋に面した海沿いの街。
彼らがいる場所も含まれている。
「この国の名前はユーエ↑スエ↓ーと言うらしい。そして、この街はロシェンジョロシェ……我々が来た場所は名前はロシュアリャモ……区画だったか? まぁ、いい。とにかく、この世界がアンデッドの脅威によって滅び掛けているのは間違いない」
「そうですね……
ヒューリがまだ取っておいた食料の袋を見つめる。
「殆どの大陸は占拠され、残っているのは島国ばかり。そこから察するに海を渡航する能力は無いだろう。まぁ、海辺で漁が出来なくなっているくらいは想像出来るが、水陸両用で襲ってくるゾンビはいないと思っていいはずだ」
「あの街に現れたのは別個体だと?」
ベルにフィクシーが頷く。
「その場合は別の疑問が湧くが後にしよう」
ペタリと航海能力無しという文言の紙が地図に貼られる。
「疑問が一つ。我々の来た地域がアンデッドの発生源に近いという事だ。この資料でも危険度が最大であるような記述があるのだな? ベル」
「は、はい」
「それにしては我々は3か月も生き延びた。そして、此処に辿り着いてすらいる。何らかの特別な理由があるか。あるいはあそこが危険な状態になる条件でも存在するのか。とにかく、疑問は持っておくに越したことはない。更に未だ明確な行動の指針が立てられていないのも問題だ」
「フィー。今までの生存と仲間の探索をそのまま指針してはダメなのですか?」
「ダメだ。前者はほぼ達成されたが、後者は期限が切れない。また、この世界に我々が跳んだ事が魔術による人為的なものである以上は誰かがあの一件で裏から糸を引いていたという事……私はそいつを追わなければならないとも思っている」
「誰か……」
ゴクリとベルが唾を呑み込む。
「それを見付ける事が出来るかどうかも分からないが、まずはそういった事実関係を明らかにしたい。その為には1にも2にも情報だ。ベル」
「は、はい。色々と現地の人達と会話したおかげで魔導での翻訳も進みそうなので……数日間、また誰かとお喋り出来れば、かなり精度の高い翻訳をリアルタイムで皆さんに聞かせたり、相手にも聞かせる事が出来るのではないかと」
「という事で、まずは街に繰り出す。此処に来るまでに我々の車両は街の役所のような場所に保管されている旨が通告されたのだったな?」
「え、ええ、あのおばさんが言ってました」
「ならば、保管は問題あるまい。幸いにして我々の最大の荷物を持っているのはベル当人だ。この街で活動するならば、ベルと共に情報を集めがてら、もしもの時に備えてあちこちを見て回るのがいいだろう」
「フィー。一ついいですか?」
「何だ?」
「その……この街の人達をその……」
僅かに葛藤する少女を見て、フィクシーが肩を竦める。
本質的に彼らはその世界の住人ではなく。
ガリオスの騎士はガリオスの民を護る為に命を掛けている。
導き出される答えは無視しておけというのが、この異世界に異邦人としてやってきた彼らの合理的な判断というものだろう。
しかし、そう分かってはいても感情を抑え付けたところでどうにもなりはしない。
フィクシーはただ彼女の現在の上官として静かに答えを出す。
「安全な後方地帯だ。此処の人々に我々の力を貸す程度ならば、本格的な交渉をする前でも構わない。それをどうやってやるかにもよるがな」
「……その、教会の方を見た時、子供達が遊んでいたのですが、お腹に手を当てている子が結構いて……」
「食料は遠出すれば、自活出来るだろう。我々がもしもの分も備えておくにしても限度がある。さすがに後方拠点があるのに数か月も遠出はせん」
「あ、は、はい!!」
ヒューリの顔が明るくなる。
「ベル。済まないが、匿名で隣の教会に夜になったら寄付してきてくれ。子供達への食料ならば、さすがに公的機関も取り上げはすまい」
「分かりました!!」
「さっそく街に繰り出そう。“だウんタうん”とか言う区画だったか?」
「そこが一番活気があるそうです。市場とか露店があるんじゃないかと」
「分かった。では、出発だ」
「「はい!!」」
2人の部下。
否、仲間を伴ってフィクシーが外に……出る前にクルリと振り返った。
「水があるのだ。この数日間の事もある。行く前に身を清めよう」
そう言って、シャワー室を指差した。
*
彼らにとっては数日ぶりの行水に違いなかった。
1つだけ昔と三人が違っていた事があるとすれば、それはお湯を張ったタライを用いた事だろうか。
三人が三人ともシャワーとなれば、それなりの水が必要である。
マンション内のシャワーは基本的に自分達で水を天井付近にあるタンクへ送り込んで使う方式の為、お湯にするのも手間が掛かる。
魔術やら魔導による魔力転化による熱量変換は基本的な仕様であるが、だからと言って、ふんだんにお湯を使うのも憚られた彼らは魔導による最も効率的な熱量変換でタライに必要な分だけ水を入れて沸かした。
タライ自体は児童福祉局のおばさんが支給したものだ。
洗濯にも衣類以外を洗う事にも使用出来るし、水の配給も受けられるとの事で必須アイテムなのだとか。
こうしてお湯を用意する事を迫られたベルは女性陣に簡易の小さな湯舟を用意してからもちょっと温度を高くしてくれ、低くしてくれという要望に応えるべく。
すぐ傍のカーテン一つ越しに体育座りで待つ事になっていた。
「沸かしてくれ」
「は、ハイ。ただいま!!」
少年とて今年で大陸の半数以上の国家で成人と認められる元服の歳である。
頬を朱くして下を俯く姿はまるで乙女であったが、だからと言って心も乙女かと言えば、そうとも言えない。
(ぅぅ……こんな事になるなんて……)
支給されたゴワゴワのタオルで水と一緒に旅の垢と汗を擦り流したフィクシーがその常に大剣を背負っているとは思えない華奢な肢体で己の肉体に異変が無いかと目視で確認する。
大陸の多くの国家において騎士団はあらゆる局面において……嘗てならば、最高の戦力であった。
国軍と同一視される国家も多く。
ガリオスはその例に漏れない騎士と兵が同一視されるお国柄であった為、自覚症状が無い呪いや魔術で命を落とさない為、自らの体はある程度、己で確認するのが習わしだ。
「ベル。少しこちらを向いてくれ」
「は、はい!! ただいま、まぁあ!?」
ビクッとした少年が思わず顔を両手で覆った。
カーテンがいつの間にか引かれており、タライに胡坐を掻いて座る年上のフィクシーの裸体が……その一糸まとわぬ背中が晒されていたからだ。
傷一つ無い肉体。
しかしながら、その背筋だけは普通の女性よりも発達していると分かる。
剣を振るのは腕力ではなく肉体全体での動作だが、あれだけの巨大で重量もあるフィクシーの相棒による各種の振り回しや受けの動作には腕力よりも背中の背筋を持ちいるのだ。
そもそも騎士は受けに回る剣術の方が得意な者が多い。
正しく彼女の躰はその為の最低限以上の力を女性と言えど備えている。
それが如実に現れた肢体は正しく剣士の背中であった。
背筋が大の男のように隆起している様子は女性らしいとは言い難いかもしれない。
「見苦しいかもしれないが、異常が無いか確認して欲しい」
「あ、う、えぅ、ぁ~~~フィー隊長!! そ、そういうのはヒューリさんに頼んで下さい!!?」
そう精一杯言い募るものの。
「今、あの子は子供達を隣の窓から観察中だ。上司の背中を見る程度の用で自分が護りたいと思う者を見ている部下を連れて来るのは忍びない。頼めるか?」
それは疑問形でありながら、命令だった。
有無を言わさぬ物言いが堂に入っているのはさすが若くして隊長職を受け持つ女傑だからと言える。
「は、はぃ……分かりました。うぅ……で、では、失礼しまして……」
顔を覆う両手を下げて、その項から腰元の背筋まで続くしなやかな背骨までも曝け出した後姿に少年が更に頬を朱くしつつも聖遺物でも見る信者の如く全体を恐々と見やった。
「は、はい。お、お綺麗な肌です。傷一つ無くて……その……」
「傷一つ無い、か。騎士としては複雑なところだ。傷の1つもあった方が箔も付くし武勇伝にもなるのだろうが、傷を受けない立場と思われるか、傷すら受けない技量と思われるかでも中々に悩ましい」
苦笑した彼女が項まで手で上げていた髪を下げる。
「ありがとう。終わったら、ええと温風も出せるのだったか?」
「は、はぃ。チューブは数があるので1つ温風用にして」
「何から何まで済まない。洗濯も魔導で染み抜きから乾燥までさせた……君には頭が上がらないな。ベル」
「い、いえ!! そんな事は!!?」
と言いながらも無骨な色褪せた二人の下着を洗ってしまった事を思い出して、脳裏は沸騰している。
「もしもの時の隊長は君で決まりだ。ふふ」
「も、もしもなんて言わないで下さい!! 僕らの隊長はフィー隊長だけです!!」
「あぁ、ありがとう。では、そろそろ着替えるから外から温風を頼む」
「はい!!」
カーテンが引かれて、少年は心の何処かで少し残念に思う自分に顔を左右にブルブルと振るいながら外に出て外套からチューブを出して室内に温風を送り始めた。
そうして水音がしてから体を拭いている様子が外からは伝わって来て、頭から湯気が出そうになるも、そのまま着替えは続行。
予め乾かしておいておいた装甲以外の衣服を全て着込んだフィクシーが出て来た数分後。
すっかり湯当たりしたような顔のベルを見て、クスクスと女傑は微笑んだ。
「ヒューリ!! 交代だ!!」
『は、はい!!』
部下の背中に自分で見るので温風だけ頼むと言われた少年はいそいそとその場から退室し、マンションの三階の窓を開けて海沿いの湿気を含んだ風を受けながら外を見つめる。
(騎士団に入ってから何か調子狂っちゃったな……僕がこんなに幸せでいいんだろうか……故郷から逃げ出して来た僕が……)
少年は今も滅び掛けている街を人が行き交う様子に複雑な表情を見せた。
世界が変わっても少年自身が変わったわけではない。
魔導も彼の力というには自動化され過ぎており、少年よりも高位の術者なんて中央諸国には一山幾らもいる。
だからこそ、この状況下で己の価値を示せなくなる事が少年は何よりも怖かった。
(あのアンデッド達……魔力を一欠けらも感じなかった……魔力形質が違って感じられないだけの可能性もあるけど……でも、奇妙な感覚がしてた……アレがもしも……僕の考えてる通りなら……)
まだ確証もない事を考えながら、少年はまだ道行く頑丈そうな衣装を着込んだ人々を横目に魔導を展開しようとし―――。
『ベル!! 温風を頼む』
「は、はーい。ただいまー」
そうして、三人が湯浴みを終えて身なりを整え出発する頃には一時間が経っていたのだった。
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