第1話 暗闇での目覚め

 地鳴りと振動。そのいかにも乱暴な目覚ましにより、ケイゴは意識を取り戻す。覚醒には程遠い虚ろな瞳が最初に映し出したのは、等間隔に光る白色光だけであった。


(……ここは?)


 身を起こしながら、これまでの経緯について振り返る。意識の底に沈む記憶の断片を撹拌(かくはん)させるかのように。しかし、掌を床についたところで関節が悲鳴をあげ、思考回路は切断されてしまう。


「痛ッ!?」


 薄明かりの中で両手を見る。特に出血は無い。骨にも異常は見られず、それは全身をまさぐってみても同じだった。ただし左手首に打撲のような跡が残されており、それが痛みの元なのだと理解した。


 不可思議なアザを眺めている間にも、記憶の回路はゆっくりと回り始める。人気の無い通路にホーム、ヒナタの笑顔、唐突すぎた超常現象。そこまで思い至ると、ケイゴは弾かれたように辺りを見回した。


「ヒナタ! 無事か、ヒナタ!」


 返事は無い。ただ自身の声が暗がりに鳴り響くだけだ。焦燥感を覚えながら、懸命に目を凝らしつつ辺りを探る。やがて眼は慣れ始め、いくらか離れた所に人影を見つけた。ヒナタである。


 しかし胸を撫で下ろすにはまだ早い。彼女は四肢を投げ出し、身動ぎひとつしていないのだ。乱れた髪が顔全体を覆う姿からも、何か不吉な印象を受ける。しかし、ケイゴは沸き起こる不安をひとまず脇に置き、ヒナタの傍へと駆け寄った。


「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」


 呼び掛けには反応を示さず、瞳も閉じられたままだ。呼吸と脈に問題がない事を確かめてから、頬を軽く叩いてみる。すると、ゆっくりとだがヒナタは意識を取り戻した。


「け、ケイゴ君……?」


「良かった。気がついたんだな」


「何が、あったの?」


「それはオレも知りたい」


 ヒナタはケイゴの手を借りて立ち上がった。意識を朦朧とさせながらも、怪我をしているような仕草を見せてはいない。あれだけの異常現象に巻き込まれたにも関わらず、被害がケイゴの打撲ひとつで済んだことは、不幸中の幸いと言えるかもしれない。


「ヒナタ、歩けるか? 今すぐここから出たいんだが」


「大丈夫、たぶん。でも……」


「おい。まさかとは思うが、この期に及んでイベントに行きたいなんて言うつもりか?」


「違う違う! そうじゃないの」


「だったら何だよ」


「地震警報があったでしょ。だから無闇に動いたら危ないかなって」


「警報? そんなものあったか?」


「私もハッキリとは覚えてないけど、鳴ってたと思う」


「列車のブレーキ音っぽいのは聞こえた気がする」


「それもあった。同じくらいのタイミングで警報も鳴ってたよ」


 ケイゴはスマホを取り出すと、その言葉の正しさを知った。午前5時12分の通知。強い揺れを告げる警報が、未チェックのままでホーム画面に残されている。


「マジだ。地震なんて起きてたのかよ」


「でしょでしょ? だから外に出るより、地下に居た方が安全じゃないかなと思って」


「確かにそうかもしれないけどさ、こんな所に籠っててもしょうがないだろ。地上の様子を伺いつつ、危なくなったら地下へ逃げ込む事にしないか?」


「うん。そうしようか。アタシもここでジッとしてるなんて、ちょっと嫌だったんだ。言っといて何だけど」


 互いの意見を一致させると、最寄りの出口を目指して歩き始めた。今朝に通ったルートとは反対方向である。ホーム端の階段を昇り、道なりにある改札を抜ければ、地上口も目前となる。ただしそれは、従来通りであるならばの話だ。


「うわ! なんだこれ!?」


「もしかして、土砂?」


「どうしてこんな事になってんだよ……!」


「地震のせい、かな。たぶん」


 文字通り蟻の這い出る隙間もない。階段とエスカレーターの双方が、建材や土砂で完全に埋め尽くされてしまったのだ。一応は助けを呼んでみたものの、虚しくホーム側の空間を響かせるばかりである。


「反対側だ、反対側の出口に行こう」


「うん。わかった」


 状況は思いの外に悪い。そう認識を改めると自然に足は早まる。鼓動も早鐘を打ち、体内の古い血を一新させようとした。それは生存本能による警鐘であり、平和に慣れ親しんだ体には痛いほど響く。


 急かされるままにホームの半分も歩いた頃だ。左手に、地上と地下を結ぶエレベーターを見つけた。進路を変えてそちらへと足を向ける。しかし、あらゆるボタンを押しても反応を示さないのを見て、一層に絶望感を強めてしまう。


「もしかして停電してるのか?」


「そうかもね。だって、自動販売機だって全部真っ暗じゃない」


「言われてみれば……。じゃあ天井の明かりは非常用の電源って事か」


「たぶんね。確信までは持てないけど」


 辺りを見渡してみても光源は天井だけで、他は完全な闇である。自販機が稼働中であれば、ディスプレイや商品ボタンが光るはずなのだ。故障か、あるいは電気の供給が止められているかのいずれかだ。


 ケイゴはすぐ傍の自販機に視線を移した。しかし至近距離に立つことで、ようやく知る事が出来たのだ。常識はずれの光景が眼前で繰り広げられているという事に。


「何だこれ!? 暗くて分からなかったが、おかしいだろ!」


「本当だ、こっちに背中の方を向けちゃってるよ!」


「それから置き場所もだ、普通は線路側じゃなくて壁側にくっつけてあるはずだろ!」


「こんな重たいもの、一体どうやって……」


 ケイゴはそこで、全身に粟が出来るのを感じた。先刻に見舞われた異常現象と繋がったからである。抗いようが無い程の凄まじい力。それは自分達だけでなく、こんな巨大な代物ですら追いやられてしまったのだ。


(これは、とんでもない事が起きたらしい!)


 前代未聞の事態。それは当事者の焦燥感を焚き付け、同時に冷静さを奪い去った。ケイゴはヒナタの手をひっ掴むと、焦れる心が急かすままに、再び出口を求めて駆け始めた。すぐに息が荒くなる。恐怖が胸を圧迫し、呼吸を激しく乱すのだ。更に額からは大量の冷や汗が溢れだし、まるで雨にでも降られたように顔だけを濡らした。


 息を切らしながらも、ホームの反対側へと辿り着いた。その先には階段があり、昇りきったところで改札と駅員室が見える。ここもやはり最低限度に電灯が光るだけで、人の気配は微塵も感じられなかった。


「駅員さんは居ないのかな!?」


「わかんねぇ、それよりも外だ!」


 息を整える時間すら惜しんだ。開いたままの自動改札を素通りし、昇り階段を大股で駆け上がって行く。胸の内は不安と焦りで塗りつぶされ、泣き言にも似た祈りを捧げ続けた。頼む、頼むと何度も繰り返して。


 踊り場は90度に折れ曲がり、そのすぐ先は地上口だ。そこでは待望の青空が、真夏の街を熱く焦がす太陽と共に拝めるはずだった。先に進む事さえ出来たなら。


「チクショウ! こっちもか!」


「そんな、他に出口なんか……」


 こちらは土砂ではなく、地上から転がってきただろう大型機械によって塞がれてしまっていた。コインロッカーや証明写真の撮影機、自動販売機などが、投げ込まれたようにして乱雑に積み上がっているのだ。


 外の光が差し込まないほど幾重にも重なった障害物の山だ。素手でどうにか出来るものではなく、重機や人手が必要だ。実際に2人がかりで懸命に動かそうとするも、まるでビクともしなかった。


「やべぇぞ。完全に生き埋めじゃねぇか!」


「ねぇケイゴ君。スマホ! 警察か救急車を呼べば助かるんじゃない?」


「そうだった! つい気が動転して……」


 それぞれがポケットをまさぐり、最後の望みを託す。しかし、結果は無情だ。ケイゴは『圏外』の文字を画面に見てしまったのである。ヒナタもスマホを耳に当てたまま震えだした。そして互いの視線が重なると、どちらの顔もたちまち恐怖に染まり、悲鳴同然の声があがりだす。


「誰か! 誰か助けてくれ!」


「ここに人がいます! 助けてくださーい!」


「閉じ込められてるんだ! このままじゃ死んじまう!」


「お願いします! ここから出してください!」


 生存の可能性を求め、2人は懸命に叫んだ。喉が掠れ、痛みを伴っても、片時すら休もうとはしなかった。終いには目の前を塞ぐロッカーを殴り、物音で外に知らせようと試みた。拳や掌が赤く腫れ上がるまで、ただただ助かりたい一心で。


 どれだけ虚しい悲鳴をあげただろう。いくら音を立てようとも、誰一人として返事をする者は現れなかった。やがて気力は萎え、体力も使い果たし、その場に弱々しく座りこんでしまう。


「どうすりゃ良いんだよ、これ……」


「もしかして、朝早いから人が居ないんじゃないかな? お昼くらいになったらさ、誰かが異変に気づいてくれるかも」


「そんな事ないって。ほら」


 ヒナタの希望的観測は簡単に打ち砕かれた。11:43と表示される液晶画面によって。つまりは活動時間内であるにも関わらず、外の人間とコンタクトが取れなかったという事になる。こちらの存在を知らせる術は余りに乏しく、生還する為には救助隊に探しだしてもらう以外に考えられない。


 やがて体力が戻ってくると、絶望に取り憑かれた足取りでその場を後にした。彼らに行ける場所など限られている。フラフラとさ迷いながら、地下2階のホームへと戻ってきた。そして、どちらからでもなくベンチに腰を落ち着け、背中を壁に預けた。


(どうすりゃ良いんだ、この状況……)


 不安、憔悴、死への恐怖が2人の口を塞ぐ。善後策から軽口に至るまで、一切の会話は無い。重みを増した静寂が、視界の闇を一層に色濃く染め上げるようだった。それでも何かをしようという気にはなれず、暗がりに頼り無く浮かぶ白色光を、ただボンヤリと眺める時間だけが過ぎていった。

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