最終章 葛城 佑紀乃という女

招かれざる客

 気温もいよいよ下がり始め、コートを身に纏った姿も増えてきた。

 メガネちゃんは、寒いですね〜と言いながら佑紀乃に体をすりすりとなすりつける。

 カンナは相変わらずどこの国かわからないステップを踏んでいた、長袖ではあるが、プリントTシャツのみを羽織って。


「ねえ、カンナちゃん。前から気になってたんだけど、その踊りどこの国? アフリカ系?」


 カンナは腰を振りながら寄って来た。


「これ? どこっていうか、特にないけど。敢えて言えばオリジナル? みたいな?」


——この娘、つねにフィーリングで生きてたんだ、忘れてた。


 張本先生が、ニコニコ笑顔を浮かべ、そのリズムに合わせて不器用なステップを踏んでいた。時々革靴の足がもつれそうになる。


——変なとこで共鳴してるわ、この人達。


「はーい、ニコマートとうちゃっく〜」


 そうこうしているうちに一同はニコマートに着いた。

 メガネちゃんが具材を集め、カンナはカウンターにある激辛チキンバーを購入。ついでに今週から入荷したおでんも買っていた。


 パーマンはというと、鼻血にテンションが下がったためか、店の前でしゃがみこんでいた。


——鼻血ごときで、この人ほんとに医者になれるのかしら。


 そんなことを考えながら、ふと雑誌コーナーに目をやった佑紀乃。


——あっ!


 思わず、心臓をぎゅっと絞られたその声が漏れそうになった。


——嘘でしょ、何であの人が。こんなところにいるはずがないのに。


 佑紀乃の鼓動が速くなる。その男が雑誌を1ページめくる毎に、胸がえぐられるような感触がした。思わず視線をそらす。


「ゆきりーん、いくよ!」


 カンナの声にびくっとなると、佑紀乃はそのままそそくさとニコマートの出口を抜けた。男の視線を感じた、だがそちらの方を確認する勇気がない。


 早くいきたい、ここから消えなくちゃ、そう思った瞬間。


「あれ? もしかして、葛城さんじゃないですか〜?」


 男の声に佑紀乃はぴくりとも動けなくなった。


「ゆきりん、この人知り合い?」

「え? あの、まあなんというか、まあその……わかりやすく言えば、弟なんだけど」

「ゆきりんさん弟さんがいたんですかぁ」


 男がその場のメンバーをじろりと舐めるように見回す。


「あ、あの今日私パス。みんなで行ってて、弟の世話しないといけないから、そんじゃ」


 そう一方的に告げて、佑紀乃は男の肩をひっぱり、闇の中に消えて行った。

 それを一同しばらく見つめていた。


「へえ、ゆきりん弟いたんだ、ぜんっぜん似てなかったけど。まあいいや、今日は先生もいるし、早くいこっ!」


 そう行ってカンナはパーマン宅へとステップを踏み始めた。


「ゆきりんさんがお父さん似で、弟さんがお母さん似なんですかね。もう一人兄弟いたらどっちに似るんでしょうか」


 そう呟きながら、メガネちゃんも後を追った。


「……」


 パーマンだけは鼻につまった血のついたティッシュをいじりつつ、誰もいなくなったその空間に立っていた。そして佑紀乃の消えた先をにらむ。一つ首をかしげるとやがて自分の家へと足を向けた。



 一同がパーマン宅に着いていた頃、佑紀乃と男はピアットにいた。

 男はソファにもたれかかりながら、店員にえびとズワイガニのドリアを注文した。そのまま視線を佑紀乃に戻す。


「水くさいじゃんかよ、なんでいきなりいなくなっちゃったわけ? せめて連絡くらいくれてもいいじゃん」


 男の口元はニヤリと笑いながらも目は笑っていない。

 佑紀乃はただうつむいたままだ。


「それにどうして弟なんて嘘ついちゃったの? 素直に言ってくれればよかったのに。彼氏ですって」


 男は窓ガラス越しに、日の落ちた高羽根駅前を眺めた。


「へえ、この街。なかなかいいね、うるさ過ぎないし、都心からも電車ですぐだし」


 佑紀乃の表情から血の気が引いていた。正直食事どころではない。


「佑紀乃は注文しないの? せっかくだからここは俺がおごるよ? 最近目が良くなってきてさ、スロットでだいぶ稼いだから」


 そう言いながら胸からタバコを取り出し、火を付ける。

 ぷはー、という煙の匂いが佑紀乃の鼻腔に届くと、思わず佑紀乃は吐き気をもよおした。その匂いのせいというより、それの関連する沢山の押し込めていた記憶が呼び覚まされたせいだ。


「私はいいや、お腹空いてないから」


 あ、そう? せっかく奢ってやるって言ってんのに。そう呟いてから男はまた冷たい表情に戻った。


 その後運ばれてきた料理を平らげ、満足した様子を見せてから男は身を乗り出した。


「佑紀乃。連絡先教えてくんない? たまには声聞きたいからさ」

「あの……ごめんユウジ、私たちってもう——」


 男の目が尖った。


「まさか忘れた訳じゃないよな? お前が俺にしたこと。そう簡単には無かったことにはならないぜ」


 しばらくうつむきながら黙っていた佑紀乃だったが、やがて自分のスマホを差し出した。

 男はニヤリと口をへの字に曲げると、そのスマホから自分の番号を打って、ワン切りした。


「助かる。そう冷たくすんなって、俺だって悪人なわけじゃないんだからさ」


 そう言って、伝票を持って立ち上がると、財布を取り出した。そして中身を見て声を出す。


「あ、わりい。今日持ち合わせが無かったわ、今回は貸しといて。今度絶対返すから。わるいね」


 そう言って、去って行った。

 そのままがしゃん、とピアットのドアが閉まる。


 残された伝票より何より、佑紀乃の頭はこんがらがった鉄くずのようなものでいっぱいだった。


 最も恐れていたことが起きてしまった。

 この為に住んでいた場所を変え、スマホの電話番号も変え、全てを断ち切って来たのに。

 そのままテーブルの上に頭をかかえると、佑紀乃はそのまましばらく動けなかった。

 


 




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