Scène 5 de l'acte 1

 ルーシーの言葉を聞き届け、男が小さく両目を見開いたとき、ルーシーは目の前の男が案外愛想の良さそうな顔つきをしているのに気がついた。男はしばしルーシーの顔を見つめていたが、それからぐらっとよろめき横の壁に手をつくと、妙に芝居掛かった風情で大きくため息を吐いた。

「あの……」

 と戸惑うルーシーに向かって目を上げた男は、拗ねたような顔で

「はあ、奥へどうぞ」

 と、気の抜けた声を出し、彼女を先導し始めた。

 ペンドルトンの言う通り、「セイラムから来た」と言うだけで話が通じたことに驚いたルーシーは、赤らんだ電灯に照らされた娼館の廊下を進みつつ、男のぼやくような声を聞いていた。

「セイラムってーのは、アメリカの、東海岸にある街なんだろ?」

 急に振られた故郷の話に

「よくご存知ですね」

 とルーシーは目を丸くするが、

「ああ? 調べたんだよ。さっきね」

 と頭をばりばり掻きながら話している。男の妙な物言いに首を傾げながら、ルーシーは神妙な面持ちで

「あの、私が今日、ここに来ることをご存知だったんですか……?」

 とおずおずとした調子で尋ねると、男はぐいっと振り返る。

「そらぁ御宅の台詞だろ? 最初からここに来るつもりだった」

 と、言い放って男はルーシーの顔を忌々しそうに見つめるが、ルーシーは眉をハの字にして、

「……どういうことですか?」

 とむしろ困惑する。ルーシーの表情が真実らしく見えたのか、男はきょとんと目を見開き、うーんと唸りつつ、

「まあ、いいさ。こっちには『証拠』があるんだ。動かぬ……いや、一日中あっちこっち好き勝手動き回って、こっちがくたびれちまってどうしようもねえ、証拠が……」

 ぶつぶつそう言う男に続いてルーシーも通路を右に折れ、それからドアの開け放たれた戸口をくぐったとき、男は

「おい、お前のねーちゃんを連れてきたぞ」

 と、部屋の中の何者かに向かって叫んだ。男はそこで横に避けてルーシーに道を開け、

「あんた、あれを迎えに来たんだろ?」

 と部屋の中を顎でしゃくった。ルーシーが中を覗き込むと、肘掛け椅子が並べられた部屋のあちらこちらに、オリガミで作られたツルや紙風船の類が散らばっている。さらに覗き込むと、部屋の奥にあるカウチに長い黒髪の女がいるのと、その横のソファにいる赤い髪の男がルーシーの顔を見ているのに気がついた。そして、カウチにいる女の膝上で、毛布をかけられて小さな子供が寝ているのだった。ルーシーは瞼を下ろしてすやすやと寝息を立てるその子供を目にするや、

「しのちゃん!」

 と声を出す。思わず部屋の奥へと進んでいくルーシーに、名前を呼ばれて目を覚ましたと思えるその少女は、女の膝の上でむくりと起き上がり、ルーシーの顔をまじまじと覗き込む。

「んぁ? きょうじゅ……」

 「しのちゃん」は、しばらく眠気まなこでカウチの上で足を崩していたが、とうとう目が冴えたと見えて、うわぁ、と声を上げながらルーシーの腰元に抱きついた。

「うぉぉお! お迎えが遅いですよ!」

 そうして、うああ、とか、うおお、とか声を上げつつルーシーの腹のあたりに頭をぐりぐりと押し付けるので、ルーシーはそれをなだめながら頭を撫でる。

「やっぱりあんた、こいつを迎えに来たんじゃねえか。揃って『セイラムから来た』なんて言うからさ。そんなの知り合いに決まってるもんな」

 と、ルーシーを部屋まで案内した男がしたり顔をする。カウチに腰掛けた女とソファに座っていた赤い髪の男はこの娼館の住人らしく、ふたりして立ち上がると、部屋を出て行こうとする。

「俺たちも仕事に戻るか。お姉さんが来てくれたんなら安心だな」

 と男は小さく伸びをし、女の方も何かうんざりした顔をしながら

「ねえ、その悪ガキ、ちゃんと見ときなさいよ」

 とルーシーを睨みつける。

「しのちゃん悪ガキじゃないです!」

 と反論する「しのちゃん」に、女は整った顔立ちを崩し、いーっと口を横に開いてから「しのちゃん」の頭を小突き、キモノのようなドレスを引きずるようにして、赤髪の男の後を追い、部屋から出て行った。

「どうも……」

 というルーシーの言葉が届かないうちに、部屋はルーシーと「しのちゃん」と、戸口に立ったままのあの男の三人になった。

「あの……」

 とおずおず声をかけるルーシーに男は

「あんたの事情は知らねえけどさあ、こんな街に子供を置き去りにするなんて……」

 と話し始め、それから

「ここには旅行で来たわけ?」

 と尋ねるので、ルーシーは面食らってしまう。それから少し考えた後、男の顔を見つめ、

「私の話、聞いてもらってもいいですか?」

 と、落ち着いた声音で言った。


「て、ことは……」

 ルーシーの話を聞き終わった男は、んー、と声を出しながら唸って、

「あんたは人の頼みで帝都まで『ひとりで』やってきて、そんでその、同じ人の頼みでこの華屋まで、やってきた。そしたらたまたま、知り合いの子供がここに居た、ってこと?」

「……そうなります」

 ルーシーがそう答えると、彼女の横に腰掛けた「しのちゃん」、もとい、普段ルーシーと同じアメリカの東海岸「セイラム」の街に住んでいる「東雲」という名の少女も、ボブカットのふわふわした髪の毛を揺らし、

「そうなります!」

 と繰り返す。

「お前絶対わかってないだろ」

 という男の言葉を意にも介さず、東雲はどこから持ってきたのか大きなクマのぬいぐるみを膝に抱え、真面目くさった表情でそこに座っている。

「んで」

 とルーシーの方に目を戻した男は、

「まあ一旦、あんたの話を信じることにするけど……」

 と言ってから困ったような顔で頭を掻き、

「じゃあまあ、俺の話も聞いてもらうかな」

 とルーシーの顔を見るので、ルーシーはこくりと頷く。

「こいつはな」

 と東雲を顎で指し、男は続ける。

「今日の昼ごろ、この街がまだ外に開いてない頃、もう街の中にいたんだ。そう、午後一時くらいだったのかもしれない。俺が街の中を歩いてたら、下から叩くような音がして、その音を辿ってマンホールを開けたら、その中にこいつが居た」

 東雲はルーシーの横でじっとしていられないような様子で身体を揺らしながら、ぬいぐるみを抱きしめている。

「こいつを穴の中から引っ張り上げて、それから、あんたみたいな迎えの人間がいないかいろんな奴らを当たったり、気づいたらいなくなってるこいつを探して駆け回ったり、こいつが戸棚をひっくり返しそうになるのを止めたり、おんぶしたら俺の髪の毛を引っ張ってくるのを叱ったり……もう……」

 と言っているうちに男の顔がますますぐったりしていくのを見て、ルーシーはついつい

「お世話になりました……」

 と声を出す。

「いや、まあいい、そのことは……うちの連中も小さい子供を珍しがって散々こいつと遊んだしな。まあ、いい、いいんだ。いいことにしよう」

 と男は顔を覆うので、ルーシーは気まずい表情で口をつぐむ。

「こいつは、あんたの街にある『日本人街』? かなんかの住人で、あんたの知り合いってことなんだろうけど、でもあんたは、こいつと一緒に帝都まで来たわけじゃないって言う」

 男はいらいらとした様子で革靴を履いた足を揺らしている。

「そうなると、残った問題はざっくり言って二つだな」

 ふたつ? と首を傾げるルーシーの横で、東雲はとうとうカウチを立ち上がり、クマのぬいぐるみを抱えたまま床に落ちているオリガミを拾った。先ほど部屋にいた男女のどちらかが折ったのだろうか、それは精巧な馬の形をしている。

「ひとつは、こいつが一体どうやってこの街まで来たのか」

 男はルーシーに見えるように指をもう一本立て、それから、ともう一本指を立てる。娼館の妖しい明かりに照らされた部屋の中、どこか滑稽な「Vサイン」をする男に妙な可笑しみを覚えながら、ルーシーは男の言葉を聞いていた。

「もうひとつは、どうしてこいつがこの街から出られないか、だ」

 ルーシーは男の言葉を聞きながら、疲れた頭で話の内容をうまく理解し損ね、

「え」

 と声を漏らしながら、手近のランプにオリガミを掲げる東雲に目をやり、小さなシルエットがぼうっと黒く浮かび上がっていくのに、小さく息を飲んだ。

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