笑止千万 -異聞招来-「掃き溜め発セイラム行」

曲瀬樹

Prologue

Prologue


 パトライトが散らつく夕暮れの住宅街に、人間が群れていた。互いに言葉を交わし不安げに揺らめく彼らが見上げるのは、何の変哲も無いアパルトマン。この「帝都」にはよくある代物だ。


 刑事たちの足音がエントランスから上階へ息を切らして駆け上がり、でっぷりと太った大家の慌ただしい手の動きに合わせて鍵束がじゃらじゃらと音を立てる。大家が焦りながらやっと目当ての鍵を探し当てた頃、彼の後ろにいた二人の刑事は袖口で自らの口元をきつく覆っていた。

 彼らが顔をしかめるその「臭い」は、彼らにとって職務上「嗅ぎ慣れた」ものだった。ようやく目の前のドアが開くと、刑事たちは大家を横に押しのけて下がらせ、どっと押し寄せる異臭の空気に怯んだが、それを無理に切り開くようにして中へと踏み込んでいった。真っ直ぐ伸びる薄暗い廊下の先に、微かながら一条の光が差している。それが閉じられたカーテンの隙間から伸びる陽光であることはすぐにわかった。二人の目が釘付けになったのは差し込むその光自体というよりは、その薄い陽光によって輪郭を浮かばせる、部屋中に置かれた「何か」だった。

 二人の耳元に気味の悪い蝿の羽音が押しては寄せ、湿った空気がべたりと張り付くように思われて、吐き気を催させたが、二人はその嫌悪感ごと床を踏みつけ、押し殺すようにして更に奥へと入っていく。刑事の一人が床を埋め尽くす「何か」を避けて奥の窓まで行くと、一気にカーテンを引き開け、部屋中に陽光が満ちた。その時、闇の中に潜んでいたものの全てが暴かれたのだ。部屋中を占拠する「それら」が、彼の目に露わになる。彼がその光景にぎょっと目を見開いた時、もう一人の刑事の声がくぐもって彼の後ろから張り上げられた。彼はすぐさま振り返って廊下を戻り、もうひとりの刑事が待つ風呂場へと足を踏み入れた──が、その時、玄関で立ちすくんだままだった大家は、廊下の先に広がるその光景を見てしまった。人間の乱雑な暮らしの中に居座っている「それら」は、どう見ても異物であって、その部屋の中に詰め込まれるにはどうにも不釣り合いであり、あってはならない物にさえ見えた。


 ぶんぶんと鳴り止まない羽音と、鼻をつく異臭、陽光に暴かれた狭いワンルームの、中身。大家がその目に見たと思ったのは、足の踏み場もないほど部屋中に溢れたガラス器具の群れだった。その透明な壁の中に目を凝らした大家は、不確かな視界の中で、けれど思わず口元を覆い、一瞬後にその身体はバランスを失ってぐらりと後ろに崩れ落ちた。大家が脂汗の滲んだその顔の中、両目で確かに捉えたおぞましい光景。そこにある大量のガラス器具の中には、ひとつの漏れもなく、何やら赤黒い「肉」が詰め込まれていたのだった。

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