命の灯

@rui_cat

第1話

雪比奈蓮が所属する“東雲”というサークルは読書家の集まりである。主な活動と言えば文化祭での古本市ぐらいのもので、大学から割り当てられた一室は東雲のメンバー六人の溜まり場のようになっている。現在室内にいるのは雪比奈と月見里理人の二人だけ。金曜の午後となれば普段はもう少し集まっているのだが、今日は月見里の機嫌が悪い。普段穏やかな人間の機嫌が悪い時というのはどうにも怖いものだ。すでに二人がぴりぴりとした雰囲気に耐えきれず足早に退室した。雪比奈は自他ともに認める図太い男であるので、月見里の正面に居座って今日購入したばかりのミステリー小説を読んでいる。

「雪比奈」

 高飛車な探偵が助手と刑事に謎解きを披露しようと口を開いたその時、月見里が雪比奈を呼んだ。返事をせずにこのまま文字を追っていたい。しかし雪比奈には月見里が口を開いたら訊こうと思っていたことが一つある。

「月見里、君の話を聞く前に一つ確認しておきたいのだが」

 雪比奈は文庫本から顔を上げる。すっと右手を上にあげ、物語の中の探偵が犯人を示すような仕草で月見里の後ろを指さした。月見里の目が指の先を追う。しかし何を見つけることもできずゆらりと彷徨った。

「そこでぷかぷか浮いているのは君の知り合いかなにかかい?」

 月見里の頭のあたりで胡坐をかいていた幽霊が驚いたように雪比奈を見つめる。幽霊は茶色い髪を一つに纏めた、どちらかと言えばイケメンの部類に入る男だ。見えるだけで左耳にピアスが四つ。人となりはともかく、見た目だけでいえばかなりチャラい。恋人の親に挨拶に行ったらあの子はやめときなさいと言われるタイプだ。

「……お前ほんとに視えるのか」

「視える」

 雪比奈が幽霊を視るというのは雪比奈を知る人間ならば誰でも知っていることだ。それを信じているかどうかは別として、だが。額に手を当てて俯いてしまった月見里は信じていなかった部類の人間らしい。ただし何かがあって、雪比奈の“妄言”を信じざるを得なくなってしまったのだろう。

「俺には視えないんだけど、それはあれか、俺と同い年ぐらいの、竹内柳都とかいう男?」

 ついと幽霊に目を向ける。幽霊はにっこりと笑って頷いた。

「そのようだな」

 月見里がはあぁぁ、とため息をつく。やっぱあれ夢じゃねぇんだ、などとぶつぶつ呟いてから顔を上げた。

「そいつは死神に俺と間違えられて死ぬはめになったらしい」

「ほう」

 雪比奈の相槌は自分でもわかるほど適当だった。だってそうだろう、月見里とこの幽霊は似ても似つかない。チャラチャラッとした軽い雰囲気の幽霊と比べ月見里は堅実な男だ。落ち着いた見た目は大学の講師だけでなく近所の主婦たちにも人気があるし、講義の時にだけ見られる眼鏡姿は色っぽいと女子にもっぱらの噂である。

「信じてないだろ」

「君だって僕の幽霊が見えるという話を今日まで信じていなかっただろう」

 恨めし気に見つめてくる月見里にさらりと返す。月見里はぐっとと喉の奥を鳴らした。

「あー。なんか蝋燭の形が似てたとかで」

「蝋燭?」

 雪比奈は指を挟んだままにしていた読みかけのページにしおりを挟むことにした。黒猫の絵柄のしおりを挟み、文庫本をテーブルの端に置く。

「人には一本ずつ自分の命の象徴となる蝋燭があるんだと。それぞれに形が違って、死神はその日死ぬ予定の人間の蝋燭の火を消すことが仕事なんだそうだ」

「命の灯火か。面白いな」

 三流のファンタジー小説のような話だが、月見里がいうのなら本当なのだろう。相談相手に雪比奈を選んだのも正しい。他の人間にこんな話をしていれば精神科を紹介されることになっていたはずだ。普段真面目な月見里だからなおさら。

「面白いわけあるか……」

「何をそんなに苛立っているんだい?死神殿のミスのおかげで君は死ななくて済んだんだ。ラッキー、と喜んでおけばいいだろう?」

 俺の前ではっきりいうな、と幽霊が苦笑する。今のは怒って殴りかかられても文句は言えない所だと思う。しかし彼は雪比奈の意見に賛同すらしているようだった。むしろ怒っているのは月見里である。切れ長の瞳がぎろりとこちらを睨み付けている。

「…三日」

 月見里がずっしりとした思い声音で呟いた。

「三日のうちに決めろって言われた」

「何をだい?」

 ふいに幽霊の表情が曇った。月見里はテーブルの上に乗せていた右手をぐっと握り込む。

「火をこのままにしておくか、ついているはずのところに戻すか」

 どうすればいいと思う?

縋るようにそう尋ねられ、雪比奈は一瞬息を詰まらせた。死神とやらは自分人が悪い。ちらりと幽霊をみる。彼は随分と複雑な場所に居るらしい。

「君が死ねば僕は泣くだろうな」

 雪比奈の言葉に、月見里は酷く驚いたようだった。

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