ママの声

 興奮が冷めやらぬなか、レイナは楽屋に戻って着替えていた。みんなは楽屋の外で待っている。


 ふいに、誰かがノックをした。

「はーい」

 答えると、ドアが小さく開いた。


「レイナさんに電話がかかって来てます。そこの電話に出てもらえますか?」

 スタッフが鏡の前にある電話を指した。

「え? 私に?」

 ドアはすぐに閉まる。レイナは戸惑いながら、白い電話の受話器を取り、耳にあてた。


「もしもし?」

 ややあって、「……レイナ?」と聞き慣れた声がした。

 一日たりとも、忘れたことのない声。そして、ずっと聞きたいと思っていた声。


「ママ!?」

「レイナ、コンサートをテレビで観てたの。よかった。すっごくよかった。ママ、あなたの声を聞いて……」

 ミハルは涙声になって、声を詰まらせた。


「ママ、今、どこにいるの? どこ!?」

「ごめんね、それは言えないの」

「それじゃ、いつ帰って来てくれるの?」

「ごめんね、すぐには帰れなさそう」

「そんな、そんな」


 レイナも涙声になる。

「ママ、帰って来て、すぐに」

「ごめん、ごめんね。いきなりいなくなって。私もレイナに会いたいの。今すぐにでも会いたい。でも、やらなきゃいけないことがあるの。それが終わるまで、帰れないの」


「そんな。ママ、嫌だよ、そんなの」

「分かってる。私だって、レイナのことを毎日想ってる。毎日声を聴きたいし、一緒に眠りたい。抱きしめたい……! でも、今は、帰れないの」

「ママぁ」


 レイナはそれ以上何も言えず、受話器に向かって泣きじゃくるだけだ。


「忘れないで。ママは、いつでもどこでも、あなたのことを想ってる。あなたの歌を、どこかで必ず聞いてる。だから、歌って、レイナ。ママのために歌って」

「ママ、ママ」


「ごめんね、もう切らなきゃ」

「やだ、ちょっと待って、ママ!」

「西園寺先生と笑里さんによろしく伝えて。レイナ、愛してる。愛してる、レイナ」

「ママ、ママ、待って、待って!」


 レイナは受話器に向かって叫んだが、無情にも電話は切れた。

 発信音がツーツーと鳴る。

 裕が異変に気づいて楽屋に入ったとき、レイナは受話器を握りしめたまましゃがみこみ、泣き伏していた。




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