胸騒ぎ

 その日は裕だけではなく、笑里も一緒にレイナを迎えに来た。


 車から出たとたん、ゴミ捨て場で作業をするトラックとショベルカーの騒音が響き渡り、笑里は思わず耳を覆った。昨夜は日曜日だったから、静かだったのだ。


「――こんなところに、レイナちゃんは住んでるの?」


 笑里の声は裕には届かない。裕は何十回も来ているので、さすがに慣れていた。


「おはようございます!」

 レイナは笑顔で二人に手を振る。

「今日は笑里さんも来てくれたんだ」

 レイナは小さなリュックサックを背負っている。


「ええ。これからディズニーランドに直行よ。楽しみぃ。ミッキーと遊ぼうねえ」

 笑里はおどけてみせる。

 レイナが車に乗り込むと、裕と笑里は「それでは、これで」とミハルに頭を下げた。


「本当に、いいんですか?」

 笑里の言葉に、ミハルは「あの子を、よろしくお願いします」と頭を下げた。


「ママ、行ってくるねえ」

 窓を開けて、レイナが身を乗り出す。

「お二人の言うことを、ちゃんと聞くのよ」

 ミハルはレイナの手を握りしめた。


「レイナ、あなたなら世界に行ける。世界が、あなたの歌声を待っているからね」

「何、急にどうしたの?」

 ミハルが真剣な目をしているのに気づき、レイナは急に不安になった。


「どうしたの? ママ」

「なんでもない。ママは、いつでもレイナの味方だからね。いつもレイナを見守っているから」

 ミハルはますます手を強く握る。その目には、うっすらと涙が浮かんでいる。


「ママ、具合悪いの? 行くのやめようか?」

「ううん、大丈夫。ちょっと、目にゴミが入っただけ」

 ミハルは指先で涙を拭う。


「気をつけてね」

「うん、分かった……」

「それじゃ、お願いします」

 ミハルは体を離した。

 レイナは胸騒ぎがして、車から降りようとした。


 すると、「よかった、間に合った! レイナぁ、おみやげ、よろしくう」とトムが駆け寄って来た。アミも「あーあー」と、レイナに手を伸ばす。

「わかった。待っててね」

 レイナはアミの手を握る。

 車が走り出す。

 レイナは窓から身を乗り出して、三人に手を振った。三人も大きく手を振り返してくれる。


 ミハルは悲しそうな笑みを浮かべていた。

 その表情を見て、レイナは一瞬、車を止めてもらおうかと思った。しかし、三人の姿はあっという間に視界から消えた。


 シートに座りなおすと、隣で笑里がハンカチで目を拭っている。

「私も、目にゴミが入っちゃって。今日は風が強いから」


 今日は、風はほとんど吹いていない。レイナはいっそう不安がムクムクと膨らんできた。

「ねえ、ディズニーランドで、どこから見たい?」

 笑里は場の空気を変えるために、明るく聞いた。


********


 その日の夕方、ゴミ捨て場の近くの川で、男性の死体が見つかった。

 散歩をしていた老夫婦が、川に死体らしきものが浮かんでいるのに気づいて、通報したのだ。その死体の太ももには銃痕があったという。


*********


 それからの5日間、レイナはディズニーランドとディズニーシーでたっぷりと遊んだ。

 まさか5日もいられるとは思っていなかったが、笑里に「もう一日、遊んで行く?」と言われて、「いいの?」とずるずると延ばしたのだ。


 帰りたくなくなるぐらい、まさに夢の世界がそこにはあった。エレクトリカルパレードは、何度見ても興奮する。曲に合わせて、レイナは歌って踊った。


「でも、ママが心配するかも」

「ミハルさんには、森口さんが伝えに行ってくれるから、大丈夫」

「じゃあ、お土産を楽しみにしててねって、ママに伝えておいてね」

「分かった」

 笑里は複雑そうな笑みを浮かべる。


 裕と笑里はレイナになんでも買ってくれようとするし、どこにでもつきあってくれる。レイナがビッグサンダー・マウンテンを気に入ると、何度も一緒に乗ってくれた。


 笑里から「ここにいるときだけでも着てみて」と新しい洋服ももらった。

 ただ、何から何まで買ってもらうのも申し訳ないので、みんなのお土産だけ買ってもらうことにした。

 笑里が「レイナちゃんの欲しいものは?」と聞いても、レイナは首を振るばかりだ。


「ミハルさんが、相当しっかりしつけてるらしいな。自分のものより、まわりの人のものを優先するなんて。まだ子供なのに、感心するよ」


 裕がレイナの寝顔を見ながら言った。

 笑里が強引に買ってあげたクマのプーさんのぬいぐるみを抱きしめながら、レイナはスヤスヤと眠っている。


「ホントに。このぬいぐるみだって、欲しそうに見てるから、『買ってあげようか?』って言っても、拒むんだもの。あんな境遇で生きてきたら、何でも欲しがりそうなものなのに」


 笑里はベッドに腰掛けて、寝ているレイナの頭を優しくなでる。


「どうやら、人間の卑しさは、境遇で決まるわけではなさそうだな。金持ちでも卑しい人間は大勢いるし」

「そうよお。そういうのにウンザリしてるから、音楽界でもあまり偉い人とは交流を持たないようにしてるんだし」

「こんな純粋な子が、芸能界でやっていけるんだろうか」


 裕の言葉に、「私たちがついてるから、大丈夫よ」と笑里はキッパリと言った。

 笑里はいつの間にか、すっかり母親の顔になっている、と裕は思った。


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