反響

 レイナはピアノの椅子に座っていた。

 ピアノの持ち主はもうこの世にいない。どんなに待っても、あの音色は聞こえてこない。


 つたないけれども、やわらかなピアノの音。あの音を聞いているだけで、どんなに幸せな気分になれたことか――。


 ――一緒にここを出ようって約束したのに。タクマお兄ちゃん、一人でいなくなっちゃうなんて、ひどいよ。

 

 タクマがこの世を去って二週間が経つ。

 レイナは何をする気にもなれず、何を食べる気にもなれず、ミハルを随分心配させている。


 ――何の色も、何の音もない世界にいるみたい……。

 レイナはピアノの蓋にうつぶせになった。


 ――神様、お願い。私、もう何も欲しがらないから。ここから出られなくていいから。お願いだから、お兄ちゃんを返して。お兄ちゃんさえいれば、もう何もいらないから。


 そんな祈りを、もう何回したか分からない。毎晩眠る前も、100回ぐらい祈っている。それなのに、目が覚めると何も変わらない日常があるだけだ。

 

 そのとき、何やら騒がしいことに気づいた。


「ちょっとちょっと、中に入らないで下さいよ!」

「危ないから、そっちに行ったら!」

「あの子はどこにいるんですか?」

「知りませんよ、そんなこと!」


 大人たちの怒号が、トラックの音に混じって聞こえてくる。

 レイナは顔を上げ、しばらく聞き耳を立てたが、すぐに蓋に突っ伏した。

 もう、何が起きようと、自分には関係ない。


*******

 トムはいきなり何台ものテレビカメラを向けられて、目を白黒させた。

「な、なんだよ、あんたたち」

「僕たちはテレビ局の人間なんだ。テ・レ・ビ。分かるかな?」

「テレビぐらい、知ってるよ」

 トムはムッとした。


「この動画の子、歌っている女の子、ここにいるのかな?」

 マイクを持った人が、スマフォで動画を見せた。スマフォからレイナの歌声が聞こえてくる。


「なんだ、レイナのこと? レイナはここにいるよ」

 トムが答えると、「どこ? どこにいるの?」「その子に会えるかな」「案内してくれる?」と口々に言われる。


 その背後から、作業員たちが「早くどいてくださいよ。こんなところまで入って来たら、危ないじゃないですか」と文句を言っている。


 テレビ局の人たちは意に介せず、トムが「こっちだよ」と手招きした方向にゾロゾロとついていく。

「ちょっとお!」と作業員が制したが、誰も振り返らない。


「レイナ!」

 トムに声をかけられて、レイナはゆっくり顔を上げる。

「なんかね、テレビの人が、レイナに会いたいって」

「え?」


 とたんに、テレビカメラを持った人たちがレイナのまわりを囲んだ。

「あなたがレイナちゃん?」

「この動画の声、あなた?」


 スマフォを目の前に差し出される。そこに映っているのは、タクマを火葬している光景だ。レイナは小さく叫び声をあげ、顔を覆った。


「レイナ? どうしたの?」

 畑仕事をしていたミハルは、異変に気づいて飛んで来た。


 テレビカメラがレイナを囲んでいるのを見て、ミハルは息を呑んだ。カメラが自分に向けられ、ミハルはとっさに顔を伏せて背を向けた。


「てめえら。何してんだよ!」

 坊主頭で片肘を脱いだ格好の、目つきの鋭い男がミハルの横に立つ。

「その子に何をした?」


 ジンは睨みつけながらゆっくりと近寄ってくる。その背中から腕にかけて見事な龍の刺青があるのを見て、みんなは顔を見合わせ、一目散に逃げ出した。


「えー? レイナに話したいことがあるんじゃないの?」

 トムが声をかけても、誰も戻ってこなかった。


 ミハルはようやく「大丈夫? レイナ」と駆け寄った。

「……お兄ちゃんの、お兄ちゃんのお葬式の時の動画だった」

 レイナの言葉に、ジンはトムを睨んだ。


「おいっ、何てものを見せるんだよ!」

「ごめん、レイナに見せると思わなくて」

 トムはうなだれた。


「とにかく、帰りましょ」

 ミハルが腕をとると、レイナは力なく立ち上がった。


 ミハルに支えられながら小屋に帰る姿を見て、「レイナ、どうやったら元気が出るのかな」とトムは言った。


「ムリだろ。大好きな人を失ったんだぞ? あいつがタクマの後を追ったりしないか、それだけが心配だよ」

 ジンの言葉に、トムは「後を追うって?」と尋ねた。ジンは何も返さなかった。

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