歌って、レイナ

 日が昇る前に、川辺に二人の遺体を運んだ。


 マサじいさんがどこで覚えたのか、お経をあげる。みんなは合掌して聞いている。

 あちこちですすり泣く声がした。ルミでさえ、涙を拭っている。


「レイナ、いつか、ここを抜け出そう」

 あの夜、約束をしたタクマの声が蘇る。


 ――なんで? なんで? なんでよ。私たち、何かした? 何もしてないじゃない。なんで、こんな目に。なんで?


「お兄ちゃん」

 レイナはしゃがんで、もう一度、タクマの頬に触れた。昨日以上に冷たく感じる。

 レイナは頬をなでた。その髪には、タクマからもらったバレッタが輝いている。


「レイナ、もうお別れしよ」

 ミハルが涙声でレイナの背中をさする。

 レイナは首を横に振る。

 ――ウソだ。お兄ちゃんは、こんなことで死んだりしない。私を置いていったりしない。

 レイナは頬をさすり続けた。そうしていれば、体温が伝わって、タクマは息を吹き返すかもしれない。


「レイナ」

「レイナ、もうやめてあげて」

 あちこちから声がかかるが、レイナはやめない。

「レイナ。もうやめよう、ね?」

 ミハルがレイナの腕をつかんだ。レイナはミハルの手を振り払う。

 ――まだだ。まだ足りない。もっと温めなきゃ、もっと、もっと。


 ジンが強引にレイナを抱き上げ、タクマから離した。

「すまん、レイナ。もう、二人を逝かせてあげよう」

 ジンが優しく言い聞かせる。


 マサじいさんが、ポリタンクに入っている灯油を二人の遺体にかけた。その手は震え、目は真っ赤だ。


「やーーーーーー!」

 レイナは絶叫する。

 ――焼かないで、燃やさないで。

「お兄ちゃん、お兄ちゃあん!」

 ジンの腕の中で、レイナは激しく暴れる。


「レイナ、レイナ。落ち着け、落ち着け」

「レイナ」

 ミハルがレイナの両腕をつかんで、優しく語りかける。

「タクマ君が天国に行くのを見送ろう。ね?」

 レイナの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

 ――お兄ちゃんが、天国に、行く。


 ジンが下ろすと、レイナはへなへなと座り込んだ。声を上げて泣き出すと、ミハルはギュッと抱きしめた。


 アミも泣きながらレイナに抱きつく。トムもジンの足にしがみついて大泣きしている。そんな子供たちの姿を見て、大人も涙を止められない。


「レイナ、歌って」

 ミハルは涙に濡れた目で、レイナの瞳を見据えた。

「タクマ君に、歌を歌ってあげて。レイナの歌声を聞かせてあげて」

 レイナの両頬を手で挟む。レイナは激しく嗚咽を漏らす。


「歌って、レイナ。タクマ君に届くように。タクマ君は、あなたのそばからいなくなるなんてことは、絶対にないから。絶対に、あなたのそばにいるから。これからもずっと見守ってくれているから。だから、歌って、レイナ。声を聞かせてあげて。ね?」


 ――レイナ、歌って。

 ふいに、タクマの声が蘇った。

 ――もっと、大きな声で。


 あの優しい瞳。あの手のぬくもり。あの囁くような声。手をつないで歩いたときに見た背中。振り返るときは、いつも笑顔だった。

 もう、戻らない。もう、二度と、戻らない。

 レイナはミハルの胸に顔を埋めた。苦しい。息がまともにできない。


「通報される前に、焼かないと」

 誰かが言うと、ジンが革ジャンからライターを出し、静かに毛布に近づけた。


 ライターをつけようとして、ジンはしばらくためらう。そして、毛布を引っ張り上げて二人の顔を覆った。

 ライターをカチカチと鳴らすが、その手は震えて、なかなか火をつけられない。見ると、ジンの目からも、とめどなく涙があふれている。


 ようやくライターに火がついて、毛布に近づけると、あっという間に炎は燃え広がった。タクマとマヤは炎に包まれた。


 そのとき、背後から一筋の光が差した。

 振り返ると、群青の空の端っこから太陽がのぼってきている。夜明けだ。

 燃え上がる二体の遺体に、朝陽が降り注ぐ。まるで、天国に導く光のように。


「君に一つの花をあげよう……」

 レイナは歌いだした。涙声で、まともに歌えない。

 炎に包まれているタクマの姿を見ていられない。目をギュッと閉じると、タクマが笑顔で囁いた。

 

 ――歌って、レイナ。

 レイナは深呼吸して、息を整えた。

 タクマが弾いてくれたピアノのメロディーを思い出す。あの、繊細で優しいピアノの音。

 ――お兄ちゃん。私、歌うね。

 

君に一つの花をあげよう

それは勇気という名の花で

君の胸の奥で

決して枯れることなく

咲き続けていくだろう


君と一つの山を越えよう

高く険しく

果てしなく見える山だけど

君と一緒なら

乗り越えることができるんだ


君に一つの声を聞かせよう

たった今 

僕の胸の中に生まれた声を

君に伝えるために

僕はここにいるのだと思うんだ


 ――歌おう。天国に行く、お兄ちゃんに届くように。

 レイナは空に向かって、声を張り上げた。

 

 ――お兄ちゃん、私、お兄ちゃんと出会えて、一緒にいられて、幸せだったよ。この幸せが、ずっとずっと続くと思ったのに。ずっと、一緒にいられると思ったのに。

 もう一度、歌を最初から繰り返す。何度も、何度も。


 いつの間にか、すっかり陽はのぼり、河原はやわらかな日差しに包まれていた。

 スズメの鳴き声が響き渡る。

 まるで、二人が天国に迎えられるのを、祝福しているかのように。

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