第二話 常連のお客様

──チリンチリン


ドアの鈴が鳴る。


「いらっしゃいませ。ようこそ幸福屋へ」

「やあ、久しぶり。元気?」


 顔を覗かせたのは、常連の客だ。


「お久しぶりです、齋藤様。どうぞこちらへ」


 店主は心做しか嬉しそうに客を赤いソファへ案内した。


「本日は何をお求めでしょうか。いつものとおり、ハッピーエンドの小説ですか?」


 しかし、男性は首を振る。


「今日は少し別のハッピーエンドが欲しくてね」


 それは失礼致しました、と店主は頭を下げる。


「では、お話を聞かせていただけますか?」


 男性はゆっくりと話し始めた。


「本題に入るまえにちょっと昔話をしようか。君には話したことがなかったね。この店がまだ君のお父さんの店だった頃の話だよ」



 あれは、君のお父さん──俺は親父さんと呼んでたがね──がこの店を畳むと言ったときのことだよ。


『齋藤さん、僕そろそろこの店を閉じようかと思ってるんだよ』


『そりゃないよ親父さん。俺がここのハッピーエンド小説が好きなの知ってるでしょう』


『贔屓にしてくれるのはありがたいんだけどね、最近身体の調子が良くないんだ。息子も小学生になるしそろそろ良い機会かと思ってさ』


 親父さん笑ってたけどね、相当悩んだんだろうな。俺なんかは小説が読みたくて店に通ってたけど、ここが唯一の心の支えだった人もいたからさ。当時は特にそんな人が多かったよ。親父さん優しいからかなり無理して続けてたみたいだった。それでも辞めるっていうんだから、まあかなりきつかったんだろうなぁ。


『そうか……寂しくなるな』


『まあ、もしかしたらいつか息子が店を継ぐかもしれない。良い時が来ればこの稼業について話すつもりだよ。万一そうなったらまたご贔屓に、ね』


『ああ、もちろんだ』


『最後にさ、齋藤さんにだけ教えたいことがあるんだ。もう消えてしまうかもしれないこの店の役目、ここで提供する3つのハッピーエンドについて。僕の自己満足だけどさ、誰かに知っておいて欲しいんだよね。

 まずはハッピーエンドの本。これは齋藤さんのいつものやつだね。お客様の心に平穏をお届けする。次に出来事の幸福な結末。いつも必要とは限らないし、どうしようもないこともあるけどさ。そして最後が──』



「これが俺が君に伝えたかったこと。万一こんなときが来たら君に伝えてって言ってたが……本当に来るんだね」


 ハハッ、と笑い飛ばす男性に店主は言葉が出ない。


「ってわけでさ、俺に三つ目のハッピーエンドを授けてくれないかな? やり方はいつも通りでいいらしいから」

「……っ、それは、その、どうしても差し上げなければならないのでしょうか」

「当たり前だ。君は店主で俺は客。店主は客に商品を売るための存在だろ? それに、きっとこういうのは抗うべきじゃないんだ」


 店主は涙をこらえながら立ち上がった。


「……少々、お待ちください」


 ああ、と男性は優しく笑う。


 しばらくして、店主は小さな本を持ってきた。


「お待たせしました。……不思議と分かるものですね。こちらをお持ちになったらよろしいようです」


 震える手で差し出す。


「うん、ありがとう」


 男性はペラリと頁を捲った。そこには小さな文字でお経のようなものがびっしり書き込まれていた。


「なるほど、こうなってるのか」男性は呟く。


「じゃあ、そろそろ行くよ。にとびきりのハッピーエンドをありがとうな」

「……本当に、ありがとうございました。長年のご愛顧に深く、深く感謝いたします」


 店主はきっちりと腰を折った。足元にポタリと水滴が落ちる。男性はひらひらと手を振ると、幸福なを抱えて帰っていった。


 店主は、第二の父であった彼が見えなくなっても頭を下げ続けた。



──チリンチリン


 幸福屋、本日はこれにて閉店です。

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