第10話 歴史に残っている名は




「では上月さんと料理との出会いについてお話しいただけますか?」


 進行役の女子アナウンサーが小気味良い調子で質問を投げかける。


「思えばわしは浮かれておったのだろうな。聞こえておるかのう、キミカよ……」


 上月源一郎は玄室げんしつの中、孫娘の遺体に向かって話しかけていた。


 上月源一郎と料理との出会い。それは60年前にさかのぼる。まだ戦争の傷跡もえぬ頃、学童疎開そかいとして数多くの子供たちがここ木崎湖のほとりに集められていた。

 当時はやはり食事の配給も十分ではなく、源一郎たち学徒も配給だけでは飢えをしのぐこともままならず、山に分け入っては食べられるものを探す毎日であった。


 ある日、源一郎はいつもよりも奥深い山の中を散策していたときに、それは突然おこった。ここ数日の大雨のためか地盤がゆるんおり、その結果源一郎の足下が崩れてがれきと共に流されてしまったのだ。

 気がつくと源一郎は両足を骨折しており、全く動くことができない。周囲を見渡してもここが岩で出来た部屋のような場所だということ以外はなにもわからない。何度も大声を出して助けを呼んでみたが、全く反応らしきものはなかった。


 それらのことが、彼を精神的に追い込んでいった。


 そんな中、源一郎は一人の少女と出会う。

 腰下まで伸ばした長い黒髪を下の方でひもで縛り、着物のような衣服を身にまとった少女だ。年の頃は13、14歳くらいか? 少なくとも当時の源一郎より年上ということはなさそうだった。


 その少女は動けない源一郎を介抱してくれていた。実際、彼女がいなければこんな場所で動けなくなった源一郎は数日と待たずに死んでいただろう。


 他には誰も来ない。

 誰もいない。

 助けもなにもない。

 もしかすると、気がついていて助けようとしていないのかもしれない。

 食いぶちが減れば、それだけ配給される一人分の食料も多くなる――だから自分は見殺しにされたのではないか?

 そんな思いも脳裏をよぎっていた。


 だがそんな考えも、少女が毎日運んでくれる食事、そして他愛のないほんのひとことふたことの会話とも言えない言葉の交流のおかげで消え去っていく。


 なにより元気づけられたのは食事。

 その食事の内容もかわっていた。今まで源一郎が食べたことのないものばかりだったのだ。どうも少女が山で採ってきたものを調理しているらしい。どれも薬草のようなものばかりだったにもかかわらず、その味は今まで食べてきたものとは比べるべくもないほどうまかった。自分のためだけに用意される食事、それがすべてだったのかもしれない。




 数日後のある日、源一郎は少女の名前を聞いてみた。

 少女は無口ではあったが、言葉を話せないわけではないことはこれまでの会話でわかっていた。

 ただ名前だけは、どうしても自分の名前をあかすことだけは出来ないという。


 源一郎は、少女に名前を付けた。


 少女と源一郎の奇妙な関係は、源一郎のケガが癒えるまで続いた。その間、少女の不思議な料理を源一郎は学び、少女は源一郎から世の中の出来事について学んだ。


 あれから何ヶ月たったのだろうか?

 源一郎は自分のケガの具合が良くなるほどに、外の世界へ戻ることを思うようになっていった。


 そして、完全に源一郎のケガが癒えたとき、それが別れの時となった。源一郎は少女に一緒に行こうと手をさしのべるが、少女はこの場所から離れることは出来ないと言う。ここから出て行くことは出来ないと、言う。


 源一郎はその少女の悲しげな瞳を見て自分もここに残ると言うが、これも少女は首を横に振るばかり。それはもう出来ないことなのだと言った。


 ついに別れの日が来た。

 少女は、寂しそうな瞳のまま無理矢理笑顔をつくるとこう言った。


「一つだけ約束してください、私とこの場所のことはけっして誰にも話さないって」


 源一郎は少女と――戦争で死んだ妹と同じ、キミカと名付けた少女と約束を交わした。


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