第7話 急転

――プルルルル!プルルルル!

 着信音があたりに響き渡る。


 平城山室長は自分のポケットから『』を取り出して、話しはじめた。


「『ミカゲ』か?ああ。……そうか、わかった。ってちょっと待て!」


 そう言って、いったん電話を顔からはなして、室長は綾乃さんの方を振り向き叫んだ。


「綾乃! 今は月齢何日だ!」

「14.3日です!」


 即答する綾乃さん。さっきの会話の『銀の月』と月齢。そんな言葉が結びつく。その返事を聞いた室長は険の入った顔で、携帯電話に向かって声をかける。


「ちっ! こっちの予定より半日以上早かったか……まずいな。おいミカゲ、場所は学園のどこだ?!……学食棟、生徒会執行部? なんでまたそんなところに? ああわかった。今から行く! とりあえず結界と避難、それと関係者の記憶封鎖を忘れるな!」


 僕はその会話の内容を聞いた瞬間にこの部屋を飛び出していた。後ろのほうから僕を呼ぶ声が聞こえた気がするが、今の僕を止めることは出来ない。


――学園の生徒会室!


『あたし締め切りが今日までの生徒会から頼まれた仕事があったの忘れてた!』


 そう言っていた彼女――大城戸あゆの言葉が鮮明に思い出されていた。僕の中の『日下部』が彼女を守れと命令する。僕にはそれが何なのかはわからなかったが、ただ『彼女を守りたい』という衝動に突き動かされて学園に向けて走っていた。



 夕方6時40分、学園正門前。不思議なことにこの辺りには人の気配がしない。いくらなんでもこの時間なら、部活動の帰りの学生ぐらいは歩いていそうなものなのに。さすがにあたりは暗く、頭上に輝く月が唯一の光を投げかけていた。


 頭上に輝く銀の月。空を覆い尽くさんばかりの、ただ一つの夜の支配者であるそれがいた。僕はしばらくただ呆然とそれを見上げる。


「銀の……月?」


 僕の中の『日下部』が吼える、急げ、と。僕はその声に応えるように学食棟へと走り出した。



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 中庭を抜け、学食棟の前にたどり着く。生徒会室は確かこの建物の3階にあったはずだ。僕は階段へと駆け寄ろうとした……ちょうどその時!


―――ドンッ!

 爆発音にも似た振動が僕の身体を揺らす。その音が聞こえた方向は?!


「裏手?! そこって――今日あゆと別れた場所!」


 爆発音がした方に向けて全速力で走り出す! ものの数秒で、僕は一番出会いたかった人と、出会いたくなかった光景を目にすることになった。


 焼け折れた木、その木の下で座り込み、正面の白衣を着ている男を驚愕のまなざしで見つめている少女、その上着は強い力で引き裂かれたように破かれていた。左手でその胸元を何とか隠している。


 そして、その少女と白衣の男の間には男を睨みつけている子猫……そんな光景。目の前の男は僕がここにいることに気がついていないように、少女に歩み寄っていく。その少女はあゆだ。


仁科にしな先生! もうやめてください、こんなことをしてどうなるっていうんですか!」

「ドウナルッテ? うひひひ! お前たちがワルインダよ。そんなにミジカイスカートで、妖しいヒトミでボクを見つめるから。キミも望んでるんだろう、ボクにこうされることをさ。人はキタナイんだ…だからボクがキレイニシテアゲルヨ!」


 白衣の男の右手が赤く包まれていく、僕にはそれが炎の弾となってあゆを包み込むのが『え』た!


「やめろぉぉぉぉ!!」


 僕は叫び声を上げながら、その男に向かって体当たりをしていた。その衝撃で男の手元が狂い、あゆを包むはずだった炎はぎりぎりのところでそれていった。


――ドドンっ!!

 耳をつんざくような轟音があたりに響き渡る。男は僕の渾身こんしんの体当たりにも関わらず、少し体勢を崩しただけで倒れることはなかった。僕はこの男の腕の一振りで弾き飛ばされる。運良く飛ばされた方向はあゆと子猫の方だった。


「くっ!」

「透くん! どうしてここに!?」

「そんなことより、早く逃げろ!」


 僕は自分の上着を脱いで、彼女に渡す。その間も視線は目の前の男からはずさない。


「フーーーッ!」


 僕たちの前にいる黒い子猫『ちび』が目の前の白衣の男を威嚇する。男はその右手に新たな炎を宿してゆっくりと僕たちの方へと近づいてくる。辺りはその男の赤い炎に揺らめいて、ひどく不安定な世界に見える。それでも僕は大城戸あゆを守るために、ふらつく視界を無視して立ち上がる。そして、自分自身の恐怖をごまかすように目の前の『人だったモノ』に話しかけた。


「あんたのその『力』……これが『魔』っていうものなのか。確かにこれじゃ物語の中の悪魔、そのものだ」

「ヒヒヒなんだガキ? ボクが悪魔なんじゃなくって世の中の女すべてがアクマなんだよ! だからボクがキレイ、ニシテアゲルノサ! 男には用は、ナイ目障りだ、キエロ!」


 男の右手が横に振られる。でも僕の目には特に次のヴィジョンは『視え』ていない。つまり、今はまだあの炎がこちらに飛んでくることはないってことだ。僕はゆっくりと横に動いて相手と僕の軸線上からあゆをはずさせることに神経を使う。


 とにかく、今は彼女を逃がすことを考えるしかない。僕一人ならあの炎をよけることも可能だろうけど、彼女が一緒だとそれも出来ない。さらに残念なことに僕にはこの男の行動を抑えることが出来ない。それはさっきの渾身の体当たりで立証されてしまっている。せめて相手がまっとうな人間であったならば、組みついて動きを止めることくらいは出来たかもしれなかったが、あの炎をまとった手で触れられただけで終わりだということは想像にがたくない。だからそれは最後の手段だ。


 幸い、相手は気が昂ぶっているためか僕の行動の意味を正しくは理解していないようだった。もう少しで奴の視界からあゆの姿が消える――そう思った瞬間、さっき軌道をそらせた炎で焼かれていた木が派手な音を立てて崩れ落ちる。


―――まずいっ!

 目の前の男の意識が、再びあゆの方へと向き直ってしまった。こうなってしまったらもう他に手段はない、僕は再び渾身の力で奴に向かって体当たりをする。ヴィジョンを『視て』いる余裕なんてなかった。それと同時にあゆに向かって叫ぶ!


「早く逃げろ! おまえがいたら邪魔なんだ! 早く!」

「でも――っ」

「うるさいガキダ!」

「ぐ――っ! うぁぁぁぁぁーっ!!」


―――ジュっ!

 奴の右手が僕の左肩を焼く!そして僕の身体は奴の右腕一本で宙に吊り上げられていた。そんな僕はその炎に焼かれていく左肩のあまりの痛さに目をつぶってしまう。これではヴィジョンも何もあったもんじゃないな、なんて冷静になっていく自分を不思議に思う。

 でもそんな時間は長くは続かなかった。


「透を放しなさいよっ! この変態教師!!」


 僕が苦痛に耐え、なんとかうすく目を見開いて声のする方へ視線をむけると、そこにはあゆがこの男の右腕にしがみついているという光景が飛び込んできた。


「なんで……逃げないんだよ、馬鹿女」

「そんなことできるわけないじゃない! あんたを置いて逃げるなんて!」

「ううっ、誰のためにこんなことをしたのか、これじゃあ僕まで馬鹿みたいじゃないか」

「そのトオリダな、この世界の為にも排除するべきタイショウブツダナ馬鹿ドモは!」


 そう言って、奴は僕をつかんだ右腕を力いっぱいさっきの木の下へと振り下ろす!その衝撃で僕と奴の腕をつかんでいたあゆは一緒にその木の下に転がることになった。僕たちの下にいたらしい子猫はあゆの方へと駆け寄っていく。


 結局、フリダシに戻ってしまっただけだった。いや、僕はもうさっきまでのような動きが出来ない分、状況は悪くなっただけか。それでもまだ、僕はこの後ろの彼女の盾くらいにはなれるという変な確信があった。そんな僕の考えを無視するかのように、彼女は僕の前へと進み出る。


「あゆ、何を……するんだよ。お前だけならまだなんとか逃げられるだろ?!」

「あんた何を言ってるのよ! あたしの為にけがをした人を置いていけるほど腐ってないわよ、あたしは!」

「やっぱり……変な奴だなって」


 そんなことを口では言いながら、僕はきっと笑っていたんだと思う。この生きるか死ぬかの切羽詰った状態のときに、こんなことを考えるなんて僕も相当変な奴に違いない。そして、この状況であゆを守れる手段を思いつかなくなってあきらめかけたその時、僕たちの右横の方から不意に女性の声が響いてきた。


「あきらめるのか、日下部……お前の父親はその程度であきらめるような男ではなかったぞ」


 赤い炎に揺らめき、照らし出されたのは制服姿の女子生徒、その右手には木刀が握り締められていた。僕が言葉にするより早く、僕の盾になっている彼女が声を上げた。


「九条……先輩? だめです、逃げてください!」


 そう、その女子生徒の名前は『九条 御影くじょう みかげ』。この学園の生徒会副会長だ。彼女は右手の木刀を下段に構えて元教師を睨みつける。


「仁科先生……あなたの講義は個人的には嫌いではなかった。だがこうなってしまったのはあなたのその『弱い心』が原因だ。同情はしない」

「なんだ九条、オマエマデボクを非難スルノカ? 結局お前も他のオンナドモトオナジク下衆なソンザイダッタッテコトダナならば――シネっ!」


 僕の目には『視え』る。この男の炎なんて最初からないかのごとくに避ける九条御影の姿が。そのときになって、はじめて『ミカゲ』という名前に考えが及んだ。確か平城山室長が携帯電話で話していた相手の名前が『ミカゲ』ではなかっただろうか、と。

 そして僕が『視た』通り、九条御影は炎をあっさり避けるとその切れ長の瞳に殺気を宿してこの男を睨みつけ、言葉を放つ。


「古都管理室、九条御影。いざ、参るっ!」


 その動きはあまりにも圧倒的だった。僕の目の予知を超えていると言ってもいい、そんな彼女の動き。『視て』から動いたのでは間違いなく間に合わない、そんな光景が目の前で展開されていた。

 僕もあゆも、自分たちの状況をかんがみることすら忘れてその光景に魅入ってしまっていた。そんな僕たちに九条先輩は言葉を投げかける。


「お前たち、何をしている。さっさと逃げろ!」


 その言葉に僕たちは我に返って立ち上がる。あゆは立ち上がるときに子猫の『ちび』をその胸に抱き上げることを忘れなかった。


「九条先輩なら大丈夫だ……逃げよう!」

「……うん」


 力なくそう言う彼女の手を引いて、僕たちはこの場を走り去った。

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