第3話 猫はかわいい


「そういえば透くんの家ってどこにあるんだっけ? 確か日下部くさかべの家って分家筋に当たるから、普通なら国鉄寄りの駅周辺なんだけど。あ、透くんって自転車通学とかじゃないわよね? バスとか電車なら車で送っていくけど」


 よくしゃべるなこいつ。そんなことを思っていると、少し前を歩いている彼女がくるりとこちらに振り向き、口元に右手を添えてから小声でささやく。


「透くんってさ、ひょっとして……ネクラ?」

「は? なんだよそれ! あんたが底抜けに明るいだけじゃないのか」

「……」


 無言で僕を見つめる彼女……、……、……、……、……だめだ、耐えられない。


「あゆ『さん』! あなたが底抜けに明るいだけじゃないんですか! これでいいだろ」

「はい、よく出来ました!ってこのやり取りもマンネリかもね~♪」


 そう言って、上機嫌で前を歩いていくあゆ。今にもスキップで走り出しそうな勢いだ。


「はぁ……僕はなにをしてるんだろうな」


 そんなことを口にしながらも、このなんでもないやり取りをしているだけのひとときに心地よさを感じていた。納得はいってないけど。



 その後しばらくの間、僕たちは何を話すでもなく並んで歩いた。保健室があった学食棟を抜けて中庭へと続く石畳の道、周囲には部活へと急ぐ男子生徒やベンチで会話に夢中の女子生徒。10月の終わり、秋の陽射しというにはあまりにもまぶしい光が目に飛び込んできて、そのまぶしさに思わず足を止めると、隣を歩いていた彼女も一緒に立ち止まった。


「ちょっと寄り道したいんだけど、いいよね?」

「別にここまででもいいんだけど。送ってもらう必要もないし」


 本心ではもう少しだけ、この昨日までの僕の印象とは違う彼女と一緒にいたかったが、それを言うとなんだか自分の負けを認めるようで。

 だから口からついて出たのはそんな言葉だった。


「まぁまぁ、そんなイジワルなこと言わないで。紹介したい友達もいるし」

「なんだよ、その紹介したい友達って」

「いいからいいから♪」


 そう言って、彼女は強引に僕の腕を引っ張って再び学食棟の方へと歩き出した。自分でも驚いてるけど、ほっとした。今日の僕は変なのかも知れない。本当にこれは頭の打ち所でも悪かったんじゃないかって自分でも心配になるくらいだ。

 本当に僕はどうかしてしまったんだろうか。



 彼女に連れられて到着した場所は、学食棟横の林だった。建物の陰になっていて陽射しもここまではあまり届いてこないせいか、少し肌寒く感じる。もちろんあたりに人の気配なんてものはまったくない。いったい何の用があって彼女はこんなところに僕を連れてきたんだろうか。彼女に当然の疑問を投げかけてみた。


「こんなところにそのっているのか? あゆ……さん」

「ギリギリセーフってとこね」


 もちろん今のは『さん』付けで呼ぶことに対しての言葉だろう。僕の疑問に対してはどうやら無視らしい。そんな僕の考えには関係なく、彼女は何かに呼びかけた。


「ちび、ちびちゃ~ん。ゴハンもって来たわよ~♪」


 その、まさに『猫なで声』で建物の下のブロックにあいた穴から呼び出されてきたのは一匹の黒い子猫だった。その猫はいつのまにか彼女の手のひらに置かれていたローストビーフらしきものを認めると一心不乱に食べ始める。いったいどこに持っていたんだろう、そのローストビーフ。


「あはは、こそばゆいよ~ちびちゃん。あん、やめてってば!」


 手のひらをめられて、本当にくすぐったいのかしゃがんだ姿勢で身体をよじる彼女。どうやらこの子猫が僕にのようだ。子猫の食事が終わるのを待って、僕は彼女に話し掛ける。


「その子猫が僕に紹介したい友達?」

「そう、よ。あたしの友達のちびちゃん。よろしくね~♪」


 そう言って、猫の手……っていうのか前足って言うのかは知らないけど、それを左右に振りながら僕に紹介してくれる。なんとなく、その光景が母親と赤ん坊を連想させて暖かく感じた。


「ねぇ、この子と透くんってなんとなくだけど似てると思わない?」

「僕とその子猫が似てる?」

「うん、なーんとなく何だけどね。あたしの直感。あ、今ばかにしたでしょ? これでもあたしの直感ってすっごく当たるんだから!」

「ふーん……」

「にゃ~ん」


 猫と似てると言われても、そんなことは僕にはわからない。僕にはなんとなく彼女――大城戸あゆ自身と似ているような、そんな気がした。そのことを告げるべきかどうか迷っていると、彼女がポツリとつぶやいた。


「あとね、透くんと少しだけ話がしたかったからっていうのが本音かな」


 未だに指を嘗めている子猫をしゃがんだ姿勢で見つめながら、そう言う彼女。そのあと彼女は顔ごとこちらに視線を向けた――僕はなぜか一瞬だけ心臓の鼓動が高まるのを感じた――その次の言葉を聞いて冷静にならざるを得なかった。


「あの件のことなんだけど。ほら、おじいさまがふざけて言ってるとしか思えなかったあの話」

「あの話? ああ、婚約がどうしたっていう、あれか。それが?」

「透くんは平気なの? 自分の人生を他人に決められることに耐えられるわけ? あたしはそんなのガマンできないわけ! だから、透くんからもおじいさまに意見して欲しいのよ」


 一息でそこまでまくし立てるように言う彼女。本当のところ僕自身、昨日まで――いや、今日の昼まではどうだっていい問題だったはずだ。でも今はどうなんだろう? 僕は、僕の中で何かが変わってきてることに気がついてる。でもそれがなんなのか今までそんなことを考えたことなんて一度もなかった僕にはわからない。


 だから、なのかも知れない。僕が彼女の問いかけ、願いとはまったく違うことをきたくなったのは。


「その子猫だけど……」

「えっ?」

「どうしてあゆ……さんは自分の屋敷に連れて帰って飼ってあげないんだ? その答えによっては話に乗ってもいい」


 彼女は僕の方から視線を子猫に戻して、柔らかなまなざしで子猫を見つめ、その頭をやさしく撫でながら口を開いた。


「あたしもね、この子を連れて帰ろうと思ったのよ。でもね、この子……ここから離れたくないっていうの。多分、この子にとってはここが『自分の世界』。そして自分の生き方は自分で決めたいんじゃないかなって、そんなことを思っちゃって。だからこの子にはこの子の思うようにさせてあげたくって。

 なんて。あたし自身が勝手にこの子と自分を重ねちゃってるのかもしれないけど」


 子猫が彼女のひとさし指にじゃれつくのを見ながら、僕は口を開く。


「……わかった。あゆさんの望み通りになるかはわからないけど、出来る限り協力するよ。約束する」

「ありがとっ! 透くんならわかってくれると思ってたわよ♪」


 そう言って、うれしそうに僕の手を取る彼女の姿を見て、なぜか僕の心臓のある部分はチクリと痛んだ。本当に何なんだろう? こんな気持ちは初めてだ。僕は僕自身に起こった不思議な気持ちの正体を突き止めるべく考える。狭心症? 静電気? 違うだろうな。


 そんな物思いにふけっていると彼女が不意に声を上げた。


「あーっ! 今日ってもしかして31日だっけ?!」

「10月が32日ないとすれば、10月最後の日だと思うけど」

「透くんってなんかイケズ、だよね。ってじゃなくって、ごめん! あたし締め切りが今日までの生徒会から頼まれてる仕事があったの忘れてた! だから今日はここでお別れって事で! 本当にごめん、じゃあまたねっ!」


 そう言って走り去っていく彼女を見送る僕と子猫。彼女のペースに巻き込まれている僕らの境遇って似ているようだな、とそこに思い至って彼女が僕たちのことを似ていると言ったわけがわかったような……そんな気がした。

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