第87話

 リゼの向かってくる速さに、クウガは少し驚いた。

 いや、クウガだけでなく、観覧していたアリスたち銀翼のメンバーも同じだった。

 これほどの速さで向かってくる冒険者は、ランクBでも多くはいない。

 いくら俊敏に特化した職業の盗賊とはいえ……。

 しかし、速いだけのリゼの攻撃をクウガは、簡単に避ける。

 能力値で言えば、クウガの方が上だからリゼの攻撃くらいであれば、避けられて当然だ。

 クウガは攻撃をすることなく、リゼの攻撃を避け続けた。


(――当たらない‼)


 簡単に当たるとは思っていなかった。

 しかし、一撃くらいであれば――。

 リゼの甘い考えが簡単に打ち砕かれた瞬間だった。

 同じ人間、同じ冒険者だから……そう思っていたリゼ。

 ランクAの冒険者の実力を侮っていた。

 次第にリゼの視界が狭くなってきた。


「一旦、小休止だ」


 リゼの背後の回り込み、肩を叩くクウガ。


「まっ、まだ、やれます‼」

「自分の体のことも分からないのか……リゼ、今のお前は酸欠状態だ」


 クウガが親切に教えてくれたが、リゼには呼吸するだけで精一杯で、クウガの言葉が頭に入ってこなかった。

 クウガはリゼを強引に座らせて、両手をリゼの頬に添えるとリゼの目を見ながらゆっくりと話し始めた。


「ゆっくりと呼吸をするんだ。ゆっくりだぞ、分かったか?」

「はっ……はい」


 リゼはクウガの言うとおりに、ゆっくりと呼吸をする。

 次第に呼吸がゆっくりとなり、リゼも落ち着きを取り戻した。


「もう……大丈夫です」

「まぁ、落ち着け。もう少し休んだら、再開だ。今度は小太刀を使って、攻撃をしてこい」

「はい、分かりました」


 呼吸を整えながら、数分間のクウガとの戦いを振り返る。

 全く自分の攻撃が当たらない。

 攻撃をする前から、既に避けられている感じさえする。

 素早さの能力値が、まだ全然低いから――。

 リゼは唯一自信のあった素早さでも敵わないことを実感したと同時に、もっと能力値を上げないといけないと考えた。


 リゼは立ち上がり、体を少し動かしながら、酸欠状態から戻ったことを確認する。


「大丈夫そうだな」

「はい」


 クウガに敵わないことは分かったが、一矢報いたい気持ちがリゼに芽生えていた。


「リゼちゃん、頑張って!」

「クウガを殺してもいいからな‼」


 アリスとミランが、リゼを鼓舞するかのように声を上げて応援する。

 クウガは頭を掻きながら、苦笑いをする。


「かかってこい‼」


 クウガが言い終わった瞬間にリゼは、クウガとの距離を一気に詰める。

 しかしリゼの動きは、先程までの動きと全く異なっていた。

 クウガに攻撃をしようとすると、腕が動かないのだ。


(酸欠状態では無いのに、どうして⁈)


 リゼ自身、思うように動いてくれない体に戸惑っていた。

 それは攻撃を避けているクウガも同じだった。

 明らかに、リゼの動きがぎこちない。

 最初の数回は、フェイントか変則的な攻撃を仕掛けているのかと思ったが、小太刀での攻撃自体が無い。


「リゼ、怪我でもしたか?」


 攻撃を避けながら、リゼに話し掛ける。


「怪我はしていません。大丈夫です」


 リゼの返事を聞いたクウガはだったが突然、リゼの腕を掴んだ。


「ここまでだ」

「まだ、やれます‼」


 不甲斐ない自分が許せないリゼは、戦いを続けようとする。

 しかし、思うように動かない体での攻撃は、これ以上やっても無駄だとクウガは判断した。


「とりあえず、俺の話を聞け」


 クウガはリゼを落ち着かせると、観覧席にいたアリスたち銀翼のメンバーも呼び寄せる。


「ローガンにミラン。お前たちから見て、リゼはどうだった?」

「そうだな。素早い動きには驚かされた。あれだけの動きが出来る冒険者は、それほど多くないだろう」

「しかし、速いだけだ。攻撃も単調だし、避けてくれと言っているようなものだな」


 ローガンとミランが、リゼの評価を口にする。


「それよりも問題なのは……」


 ローガンは途中で言葉を止めると、リゼの顔を見る。


「リゼ。お前、人を斬ったことはあるか?」

「いえ、ありません」

「人を殴ったことは?」

「ありません」


 リゼは、ミランの質問に答えた。


「リゼ、このまま冒険者を続けていたら、いずれ死ぬぞ」

「えっ!」


 ミランの言葉は衝撃的だった!


「ど、どうしてですか⁈」


 リゼは聞き返さずにはいられなかった。


「俺が説明してやる。その前に、質問だ」

「はい、なんでしょうか?」

「いままで倒した魔物を言ってみろ」

「スライムだけです」

「冒険者になる前も含めてか?」

「はい、そうです」

「そうか……人型の魔物、ゴブリンやオークなどとの戦いは見たことがあるか?」

「いいえ、ありません」

「人型の魔物と戦うことになったら、今のように体が動かなくなる危険があるということだ」


 クウガが、リゼにはっきりと理由を口にした。


「でも、その時になれば――」


 リゼの言葉を最後まで聞かずに、クウガが続けて話をする。


「それだけじゃない。新人の冒険者を狙う悪質な輩もいる。そいつらから身を守るためには、相手が人間でも攻撃をする必要がある。リゼ、お前にそれが出来るか?」


 真剣では、相手も傷つけられない。

 それがリゼの弱点だった。


 冒険者を狙う悪質な輩がいることも知っている。

 その輩相手に、人殺しが出来るか?

 クウガの言っていることは、そういうことだ。

 リゼは今迄、一度も考えもしなかったことに戸惑う。


「……出来ません」


 リゼは素直に答える。


「だろうな……一瞬の迷いが生死を分ける。躊躇した瞬間、自分が殺す側から殺される側になるなんてことは、よくあることだ。リゼも頭に入れておいた方がいいだろう」


 ゴブリンやオーク相手であれば、躊躇なく攻撃が出来るかも知れない。

 しかし、人間相手であれば、自分は攻撃が出来ない。

 リゼは苦悩していた。


「リゼちゃん。クウガの言った殺すというのは最終手段なのよ。動けなくしたり行動を抑止すれば、いい場合もあるの」

「あいかわらず、アリスは甘いな」

「ミランは少し黙ってくれるかしら」


 リゼを慰めるアリスだったが、ミランの口出しが気に入らないようだった。


「多かれ少なかれ、私たちも人を殺しているわ。それは自分の身を守るために、仕方のないことなのよ」


 リゼは銀翼のメンバーも人を殺しているという事実に驚く。


「護衛のクエストをしていれば、相手は魔物だけでなく人間相手の時もあるからな」

「商人護衛の場合、徒党で襲ってくる賊の方が多いからな」


 ミランとローガンは淡々と話す。


「リゼちゃん。護衛クエストの場合、優先すべきは依頼者なのよ。襲ってくるのが誰であれ、躊躇してはいけないの」

「……はい」


 魔物討伐のクエストしか考えていなかったリゼは、まだ自分が自分の常識の中でしか物事を考えていないことを恥じた。

 暴漢に襲われた時、自分に力があればと思ったのは、暴漢に立ち向かおうとしていたからだ。

 殺すつもりはないが、相手が自分を殺そうとしていたらと思うと、クウガたちの言っていることも理解出来た。


「人を殺すのに罪悪感を無くせと言っているんじゃない。躊躇したら死ぬことがあるのだと、覚えておけ」

「はい……」


 落ち込むリゼ。

 根本的な解決策はない。そう、自分で解決するしかないからだ。

 そのような場面に出くわした時では遅い。

 リゼは自分の思わぬ欠点に気付かされたのだった――。

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