第84話

 リゼは目の前の光景に戸惑っていた。

 ニコルから、クリスティーナが来ていると聞いていたので、急いで向かった。

 しかし、テーブル越しにクリスティーナとヴェロニカが笑いながら会話をしていた。

 クリスティーナの笑顔を始めて見た――。


(クリスティーナさんも笑うんだ……)


 当たり前だと思いながら、今まで迷惑ばかりかけていたので、笑う顔が想像できなかった。

 自分が立ち入ることが出来ない空間が、目の前にある。

 リゼはクリスティーナとヴェロニカを見ながら、そう感じていた。


「お待たせしました」


 ニコルが二人に声を掛けると、クリスティーナは驚き、咳ばらいをしながら立ち上がると、リゼの知っている普段のクリスティーナに戻っていた。


「ニコル。私たちがいたら邪魔だから席外すよ」

「はい」


 ヴェロニカとニコルは席を外した。


「遅くなって……すいません」

「いえ、こちらこそ連絡が遅くなって申し訳御座いません」

「そんな……」


 リゼは言葉に詰まる。


「では早速ですが、内容をお伝えしても宜しいでしょうか?」

「はい」

「まず、場所ですが……領主様の御屋敷になります」

「えっ! もう一度、御願い出来ますか⁈」


 リゼは聞き間違いか? と感じたので聞き返す。


「領主カプラス様の御屋敷になります」

「その……食事会にはカプラス様も御一緒なのでしょうか?」

「いいえ。最初のに御挨拶だけされると聞いております」

「そうですか……」


 リゼは一気に憂鬱な気分になる。

 その後、時間や屋敷への入り方などを聞いたが、あまり頭に入っていなかった。


「服装は、どうすれば?」


 領主の屋敷に出向くとなれば、冒険者の服装でなく、それなりの服装でなければいけない。

 何故なら、昔に父親が訪れた冒険者たちに対して、怒号を浴びせていた記憶があったからだ。

 怒鳴られた冒険者たちは、不機嫌な顔で去って行ったのも見ている。

 その後、父親は機嫌が悪いまま、リゼに八つ当たりで殴られた。


「冒険者の分際で‼」


 自分よりも冒険者は地位が低い者たち! と父親は思っている。

 その冒険者が、地位が上である領主の自分に向かって、反論したことが許せなかったようだ。


「その服装で十分です」

「そうなんですか?」

「えぇ、冒険者にとって命を守る防具とは、正装のようなものです。もちろん、汚れを落とすなどの配慮は必要ですが」

「それは……どこの領地でも同じなのでしょうか?」

「基本的には同じです。国王様に謁見するような場合でも、冒険者が防具を脱ぐようなことはありません。場合によっては、マントなどで覆う場合もあります」

「そうなんですか……」


 クリスティーナの言葉は衝撃的だった。

 そして……自分の考えが間違っていたことや、父親からの教え自体が偏っていたことを痛感した。

 これからは自分の常識が、世間の常識とズレていることを頭の片隅の置いておく必要があると感じていた。


「なにか質問はありますか?」

「大丈夫です」

「そうですか。では、時間に遅れないように御願い致しますね」

「はい、分かりました。ありがとうございました」


 リゼはクリスティーナに一礼する。

 

「では、失礼します」


 顔を上げたリゼに向かって、クリスティーナが話す。


「クリスティーナ‼」


 後ろからクリスティーナの名を呼ぶ声がするので、振り返るとヴェロニカが笑っていた。


「またな」


 ヴェロニカは、受付の横にあるエールの樽を叩いていた。

 クリスティーナは何も言わずに、そのまま『兎の宿』を出て行った。


「あの……」


 リゼはクリスティーナが出て行ったのを確認とすると、ヴェロニカの元へ走って行った。


「どうした、リゼ?」

「ヴェロニカさんは、クリスティーナさんと、お知り合いだったんですか?」

「あぁ、私だけでなく旦那のハンネルも、クリスティーナとは昔馴染みだ」

「そうなんですか⁈」


 三者三様。

 全く異なる三人が一緒にいる風景が想像できなかった。


「まぁ、あいつは誤解されやすい性格だからな。リゼも、あいつのことを――冷たい奴だと思っているだろう?」

「そんなことはありません。私が迷惑ばかりかけているので……」


 リゼは申し訳なさそうに答える。


「なるほどね」


 ヴェロニカはリゼを見ながら、お互いの勘違いをしている。

 ある意味、自分の気持ちを正直に伝えることが出来ない、似た者同士だと感じていた。


「ふっ」


 ヴェロニカは、自分でも気づかずに笑っていた。


「そのことを一度、クリスティーナに聞いてみたらどうだ?」

「そんなこと、聞けません‼」


 リゼはヴェロニカの言葉に反論する。

 しかし、ヴェロニカはリゼがクリスティーナに迷惑をかけていると感じているのであれば、確認はするべきだと話す。

 リゼが思っていることが本当かどうかは分からない。

 相手の受け止め方次第だと、真剣に話す。


「上辺だけでなく、腹を割って話してみなければ、相手のことは良く分からないからな‼」


 ヴェロニカは、そう言い残すと奥からハンネルが、ヴェロニカを呼ぶ声が聞こえた。


「まぁ、焦らずに頑張りな!」


 リゼにそう言って、ヴェロニカはハンネルの所へと戻って行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「なにか御用でも?」


 領主の屋敷の門番がリゼに話し掛けてきた。

 なにをする訳でも無く、門の前に立ったままのリゼに不信感を感じていたからだ。


「あっ、あの……銀翼の方々から、こちらに来るようにと言われたので――」

「銀翼の方たちであれば、既に御屋敷に入られている。最後の招待客は貴女だったのですね」


 事前に招待客がもう一人来ることを知っていた。

 その人物がリゼだということも――。

 しかし、門の前で立ち尽くしているリゼを見て、困っているのでは? と思い、声を掛けたのだった。


「えっ、そうなのですか‼」


 門番の言葉に、リゼは驚く。

 そして、焦り始めた――招待されながらも、冒険者ランクも一番下の自分が最後に到着すると失礼に当たると感じたからだ。

 そうならないようにと、リゼなりに早めに到着したつもりだったのに――。


「別の者が御案内致しますので、暫く御待ち下さい」


 門番はリゼに優しく声を掛ける。

 そして、その様子を見ていたもう一人の門番が、屋敷内に居た使用人に声を掛けていた。

 声を掛けられた使用人は早足で、屋敷の中へと入って行った。

 数分後、案内役が現れてリゼを屋敷の中へと案内された。

 父親の屋敷とは比べものにならない程、綺麗だった。

 装飾品などは少ないが、余計なものが無いからこそ統一感がある。

 それに挨拶をする使用人たちも皆、笑顔だった。

 それは決して作り笑顔ではないと、リゼは感じていた。

 幾度となく見ていた作り笑顔――リゼは自然と本心からの笑顔と、作り笑顔が分かるようになってきたのだ。

 そして、なによりも使用人たちの服が汚れていない。

 身なりがきちんとしていた。

 父親の所の使用人は、来客の前に出られるのは数人で尚且つ、その際は服を着替えていた。

 もちろん、リゼも何回か立派な服装に着替えて来客の前で挨拶したこともある。

 明らかに不自然な使用人の服装に、訪れた何人かは苦笑を浮かべていたのを、リゼは見た記憶があったのだ。


「こちらになります」


 案内してくれた使用人が部屋の前で立ち止まり、胸に手を当てて頭を下げた。

 リゼが礼の言葉を言う前に、扉を二回叩いてリゼが到着したことを伝える。

 扉の向こうから返事があると、使用人は静かに扉を開けた。


「リゼ様、どうぞ」

「ありがとうございます」


 リゼは使用人に礼を言って入室する。


「リゼちゃーん‼」


 アリスが手を振りながら、嬉しそうにリゼの名を呼んだ。


「本日は御招きいただき、誠にありがとうございました」


 リゼは銀翼のメンバーを一度見てから挨拶をした。


「こちらこそ、無理を言って悪かったね」


 アルベルトが困ったような表情で、リゼに言葉を返す。


「リゼちゃんは、私の隣ね‼」


 アリスが右手で手招きをして、左手で空席になっている場所の椅子を指差す。


「そこは、上座なのでは……」


 アリスの指差した場所に、リゼは戸惑う。

 入り口から遠い場所に身分の高い者が座り、入り口に近い場所に身分の低い者が座ることを知っていた。


「リゼは私たちにとっては、来客だからね。気にせずに座って」


 アルベルトも手を出して、座るようにと促す。


「そうじゃとも、儂は入り口に近い場所の方が良いからの。さぁ、さぁ」


 リゼに一番近い場所に座っていたササジールも、アルベルト同様に椅子に座るようにと促す。

 言われるがまま、リゼはアリスの隣の席に移動をした。

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