第35話

 ギルド会館で、お世話になった人達に礼を言って、リゼは昼過ぎにギルド会館から去って行った。

 別れたとはいえ、ギルド会館には毎日、足を運ぶ事になるので寂しい気持ちにはならなかった。

 それはリゼも、他の者達も同じだ。


 リゼは最初に宿屋に向っていた。

 野宿も覚悟していたが、暴漢に襲われて件で出来るだけ安全を確保しようという考えに変わった。

 通貨をケチって、死んでしまえば意味がないという事に、リゼは気が付いた。


 以前に調べていた街で一番安い宿屋に着く。

 宿屋の名は『兎の宿』。

 扉の向こうからは、大きな声が聞こえる。

 リゼは緊張しながら兎の宿の扉を開ける。


 扉を開けたリゼの目に映ったのは、床で寝ている細い男性と、その細い男性を見下している豊満な女性。

 そして、それを笑っている多数の大人達。

 リゼは、来る場所を間違えたのかと思い、もう一度店を確かめようと外に出ようとする。


「嬢ちゃん。ここは兎の宿で間違い無いぞ」


 入口付近に座っていた男性が、リゼの考えを見抜いたのか声を掛けた。

 声を掛けられたリゼは、何も言葉が出て来ずに軽く頭を下げる事しか出来なかった。

 男性が左手を上げて、誰かを呼ぶ仕草をすると女性が早歩きで近寄って来た。


「この嬢ちゃんが、店に用事あるようだぞ」

「分かりました」


 女性はリゼに向って質問をして来た。


「当店は初めてですか?」

「はい」

「では、簡単に説明させて貰いますね」


 女性は宿の説明を始めた。

 営業時間は二十四時間年中無休で、宿代は前金での支払いのみ。

 支払った宿代の翌日昼までに、部屋を出る事。

 宿泊を延長する場合は、前日までに追加の宿代を払わなければならない。

 支払った宿泊日以降、戻らなかった場合は八日は荷物を保管する。

 八日を過ぎると、こちらで荷物は全て処分する。

 宿代は部屋によって、銀貨二枚から六枚となる。

 食事は無いが、飲み物と軽食に、つまみ程度は提供出来る。

 飲食の持ち込みは可能。

 基本一人部屋だが、二人部屋に四人部屋も各々三部屋ある。

 最大人数の六人部屋は一部屋あるそうだ。

 もし、部屋に誰かを泊める場合は別料金が発生する。

 部屋の移動は出来ないので、一人部屋に二人で泊まる事になるが、備品等は部屋単位なので、布団等の追加は無い。


「ここまでで、分からない事はありますか?」

「いいえ、ありません。因みに銀貨二枚の部屋は空いていますか?」

「確認してきますので、少々お待ち下さい」

「はい、お願いします」


 女性は、来た時と同様に早歩きで去って行った。

 リゼが説明を受けている間も、倒れていた細い男性に豊満な女性が攻撃をしていた。

 周りの大人達は笑ってその光景を見ていた。


「お待たせしました。今でしたら一部屋空いてますが、どうなさいますか?」

「とりあえず、三泊お願いします」

「畏まりました。では、手続き致しますので受付まで、お願いできますか?」

「はい」


 リゼは女性の案内で、喧嘩のような事をしている細い男性と、豊満な女性の横を通って、受付まで着いて行く。


「あぁ、気にしないで下さい。いつもの夫婦喧嘩です」

「……夫婦喧嘩?」

「はい。女性がこの店の店主です」

「そうなんですか……」


 リゼは今迄、見た事が無い夫婦喧嘩に驚いていた。


「因みに私は娘です」

「はぁ……」


 今迄に見た事のない世界が、此処にはあった。

 案内してくれた女性は『ニコル』と言い、豊満な体型の母親は『ヴェロニカ』で細い体の父親は『ハンネル』だと教えてくれた。


 騒がしい声を気にする事無く、ニコルはリゼの宿泊手続きを進めていく。


「三泊なので、銀貨六枚ですね」

「はい」


 リゼはニコルに銀貨六枚を渡す。


「はい、これが部屋の鍵ね。出かける時は鍵を預けて下さいね」

「分かりました」

「部屋は、この廊下を進んでもらうと右側にある青い扉の部屋になります」

「ありがとうございます」

「あと最後にですが、貴重品は置いておかないでくださいね。部屋で盗難があっても保障は出来ませんから」

「分かりました……」


 鍵をしても安全では無いという事なのだろうか?

 万が一、貴重品が無くなった場合に宿屋では責任を取れない。

 それに、嘘を言って金貨を奪おうとする輩防止も兼ねている。


 リゼが部屋に向おうとして振り返ると、ヴェロニカが立っていた。

 右手は折れた枝のようになったハンネルを掴んでいた。


「初顔だね……」


 ヴェロニカは、リゼの顔をじっと見ていた。


「リゼと言います。宜しくお願いします」


 リゼは、どうして良いのか分からずに、名前を言って頭を下げた。


「リゼ? ……あんた、あのリゼか?」


 リゼはヴェロニカの言った「あのリゼ」の意味が分からなかった。

 顔を上げたリゼが不思議そうな表情をしていたので、ヴェロニカは笑う。


「そうか、言葉が悪かったね。あんた、ゴロウの嫁のナタリーを知っているだろう」

「はい」

「ナタリーと私は親友なんだよ。まぁ、ゴロウも腐れ縁だけどね」

「そうなんですか」


 ゴロウやナタリーが、自分の事を他人にどの様に話しているのか分からないリゼは、返答に戸惑う。


「怪我は、もういいのかい?」

「はい。一応、体は動かせるようになりました」

「そうかい、それは良かったね。ハンネル、この子に何か作ってやりな」


 ヴェロニカが手を離すと、ハンネルは床に落ちて痛そうに立ち上がる。


「分かったよ」


 ハンネルは、肩を落としながら受付の隣にある扉を開けて、中に入っていた。


「まぁ、こっちに来て座りな」


 ヴェロニカは座っていた大人達を「退きな!」と言って移動させて、自分とリゼの座る場所を確保した。


「あんたが私の宿に来るとはね」

「街で一番安かったので……」

「そうかい、そうかい。あんたは正直者だね」


 ヴェロニカは大声で笑っていた。


「うちの娘のニコルも、ゴロウとナタリーの娘ミッシェルと仲がいいぞ」

「そうなんですか。ミッシェルさんには、着れなくなった服を頂きました」

「ナタリーから聞いている。あんたは出来た子だともな」

「いえ、そんな……」


 リゼはヴェロニカのような豪快な女性と話をした事が無いので、戸惑うばかりだった。

 対応に困るので出来る事なら、早く部屋に行きたいと思っていた。


「まぁ、リゼ。あんたは、良くも悪くも有名人だから、気をつけなよ」

「それは……」


 孤児である事に加えて、銀翼のメンバーと一緒に居た事や、暴漢に襲われた事。

 有名と言っているのは、この事だとリゼは分かっていた。


(有名になりたかったわけじゃないのに……)


 リゼは言葉に出せない思いを、心の中で呟く。


「はい、お待ちどうさま」


 ハンネルが料理した軽食と飲み物を運んで来た。


「ありがとうございます」

「俺は調理場に戻るから。じゃあな」

「待ちな!」

「なんだよ、ヴェロニカ。まだ、文句でもあるのか?」

「美味いね」


 置かれた料理をリゼより先に食べて、嬉しそうな顔でハンネルの料理を褒めた。


「……当たり前だ」


 褒められたハンネルは照れくさそうに振り向き、調理場へと戻って行った。

 リゼは不思議で仕方が無かった。

 先程まで、大喧嘩していた二人が、何事も無かったかのように会話をしていたからだ。

 ハンネルもヴェロニカ同様に、リゼが今迄出会った事の無い人種なのかも知れないと思う。

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