愛とは何ぞ、と。

@aikonism

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目の前で繰り広げられる争いに無意識のうちにため息をついて我に返る。

その日もパーティーは打算と欲望で華やかに盛り上がっていた。


自分の作る音楽が業界で評価されるようになったのは約7年前。

“音楽プロデューサー”という派手な肩書きは、今では名刺が要らないほどの名声になっていた。

仕事や収入が増えるのに比例して「男」として求められることも増え、35歳という絶妙な年齢も相まっているのか、すり寄ってくる女は多くいた。

それは自分という人間ではなく、「財のある優良物件」としての需要に過ぎないのだが、ともかく女に関して面倒なことが増えたのだ。

現に今も自分の周りは着飾った女たちによって要塞のように固められ、各種取り揃えられたフレグランスで鼻がおかしくなりそうだった。

素人目に見ても似合わない派手なメイクをした女。

会話の中でさりげなく隣の女をけなしていく女。

わざとらしく胸部を強調する女。

彼女たちの共通点はおおよそ「有名になりたい」という願いであろう。

夢を持つことは自由でも、その矛先を自分に向けられるのはなんだか気味が悪く、辟易した。


「椎名さん、ここにいらしたのか」

やっとの思いで要塞を抜け出し、テラスで夜風にあたっている自分を誰かが呼んだ。

腹の立つワイングラスの持ち方で、いやに撫でつけた髪を気にしながら近づいてくるその男は、懇意にしている芸能事務所の人間だ。後ろに若い女を連れて歩いてきたということは、プロデュースの依頼にでも来たのだろう。

「お久しぶりです。最近ますますやり手になられたようで。」

「椎名さんほどでは!こうした場で話しかけるのも一苦労ですよ。」

「持ち上げ方も相変わらずで。」

腹の探り合い、上辺の賞賛、利害で動く人間関係。

「後ろの方は?」

「あぁ、失礼。早速ですが本題に。彼女は今度うちの事務所で売り出すタレントです。歌になかなかのセンスがあるので、そちらの方向で攻めていこうかと。」

「それは大事なチャンスだ。その楽曲を私に?」

「そうです!さすが敏腕プロデューサー、話が早い!もうメロディーまで浮かんでいそうだ。」

黙れ、と言いかけて了承の旨を伝えると、彼は満足げに拳を握った。

嬉しそうに頬を染めた彼女といくらか会話をし、ビジネスを終えた彼は彼女を残しその場を去っていく。

去る瞬間に彼女の尻をスルリと撫でる様子が視界の端に映り、飲んでいたウーロン茶を吐き出しそうになった。


「あの…このあとご予定ありますか?」

撫でた声が耳をなぞっていく。それは夜風よりも生ぬるく感じられた。

「よかったら、私の行きつけのバーで飲み直しませんか?」

「悪いけど、明日が早いからこのまますぐ休もうと思って。」

右手のソフトドリンクを軽く持ち上げ、これ以上アルコールを飲む気がないと暗に伝える。

「そう、でしたか。ではまた、機会がありましたら。」

不本意そうに頭を下げ去っていく、バッククロスの黒いカクテルドレスをぼんやりと眺めながら、機会は「あったら」ではなく、作らないと永遠にこないものだよなぁとすっかり酔いの醒めた頭で考えていた。


ホテルに戻りいろいろなものを洗い流す気分でシャワーを浴びる。

ルームサービスで届けられた赤ワインを口に含み、しばらく呆ける。いつの間に操作したのか、気付けば携帯の液晶にはよく見知った番号が表示されていた。

苦笑いしながらも通話ボタンを押すと、その相手は3コール目で電話に出た。

ホテル名と部屋番号だけ伝えると、電話を切り携帯を放り投げ、ベッドに沈む。

期待のような絶望のような矛盾した感情が心を支配していた。


権力と欲望が渦巻くこの世界では、「いかに上手に生きるか」が才能やセンスよりも重要であるように思える。利益ありきで動いていく毎日に心は悲鳴をあげていた。何よりも音楽作りを純粋に楽しんでいた自分が、少しずつ汚さを覚え「上手に」生きていることが恨めしく悲しく思えた。

そんな中で無意味だとわかっていても、縋ってしまうものが自分にはあった。

利益を追い、人脈を狙い、チャンスを求めて関係を迫ってきた女たちも、自分に縋っていたのであろう。こうしたパーティーのあと、流されるままベッドにもつれ込んだ夜は数えきれないほどあったが、いつも冷めた思考のまま体を揺らしていた。そこには総じて溺れたくなるような熱は存在しなかった。



しばらくして部屋のインターホンが控えめに鳴らされる。

少しペースの早まった心臓を抑えるように、ふうと一息つき鍵を開ける。

「こんばんわ」

廊下の赤い絨毯の上で微笑む相手は猫のようにスルリと部屋に身を滑り込ませた。

「こんなに急がなくてもよかったのに。」

「遅ければ遅いで拗ねるくせに?」

拗ねてなんか、と言いかけて吸い込まれるような綺麗な目に見据えられ口を噤む。

「あ、やっぱり赤ワイン飲んでた。当たり。」

「よくわかったね。」

「いつもだから。はい、いいお供持ってきたよ。」

手にもっていた袋からいくつかのおつまみを取り出す。

「さすがのセレクトだ。特にこのチーズは好きなやつ。知ってた?」

「ううん、勘」

そうして二人で静かに笑う。たわやかな雰囲気が心を落ち着かせた。

この逢瀬は自分にとっての癒しだった。




ただ、彼女は恋人ではない。

自分と彼女の関係性は金銭によって保証されている。

彼女は“そういう”女性だ。

年齢も本名も知らない。本職は別にあると言っていたことはあるが、それが何かもわからない。

こうして会うときはいつもホテルの部屋でだけで、陽の光を浴びる彼女を見たことはなかった。

謎だらけの彼女を自分が呼び寄せる理由は一つしかなかった。




彼女は魅力的だった。

肩あたりで切り揃えられた黒い艶髪に、つうと流れる目尻はやや切れ長で涼し気な印象を持っていた。薄めの唇が弧を描くとき、心臓は初恋に揺らめく中学生のように跳ね、目を奪われる。誰もが振り返るような美人というわけではなかったが、しなやかな所作と伸びた背筋は気高さを体現し、彼女はミステリアスで麗しく、深窓的であった。


何より彼女には知性があった。

どんな話題を振っても興味深い意見が返ってくるのが楽しくて、すぐにベッドにもぐりこまずに世間話や時事ネタの議論を交わすこともあった。

パーティーですり寄ってくる、メイクの濃さと身体のラインだけで勝負している女との圧倒的な差。

それは利害を考えずに素直に発言する潔さがもたらす、心地の良さだった。

自分に気に入られようとはしない強さが新鮮で嬉しくて、こうして彼女を求める夜があった。



「最近忙しかったの?」

「うん、年末はパーティー多いから」

「望んでないなら断ればいいのに」

クスクスと笑う横顔に同じ言葉をぶつけたくなったが、野暮すぎると思い直す。

「無理なときもあるんだよ」

「椎名さんって本当にほかの業界人の方たちとは違う感じがする」

「…そ?自分じゃわかんないや。てか、苗字で呼ばれるの、なんか嫌」

ちがうだろ、呼び方なんて大した問題じゃない。

「ほかの業界人」をよく知っている、というニュアンスはチクリと刺さり心の陰りを加速させた。

彼女がこの部屋の外にいるとき、誰と会おうと誰に抱かれていようと自分には関係ないはずなのに、どんどん感情の線引きができなくなってくる。

頭にカッと熱が集まるのがわかり、眉を顰める。

「怖い顔してる、コウヘイさん?」

やられた。

そのしてやったり顔の彼女に、嫉妬心をもて遊ばれたことに気付いた。



彼女は息をするように男が喜ぶ言葉を並べる。

抱いてるときでさえ彼女のしぐさは計算されつくしていた。

ほしいと思うタイミングで、手を握ることを求め、キスをねだり、足を絡めた。

そのどれもが妖艶すぎず幼稚すぎず、何より割り切らすぎていない。

眉を寄せて縋られると、どこかで本当の恋人に求められているような気がしてたまらなかった。

ただ、自分が熱に溺れて愛を囁いてしまったとき、彼女はいつも微笑むだけで同じ言葉を口にすることは一度もなかった。

その柔らかい微笑みは頭をガツンとやられるような切なさでもあった。

彼女は何を思って自分の腕の中にいるのだろうか。

名前のないこの関係が大きな壁となり、それを聞くことはできなかった。



「ねえ恋愛ってなんだと思う?」

窓の外に目を向けたまま彼女がつぶやく。

「ずいぶん突然だなぁ。俺だって知りたいよ」

「誰に聞いても答えは出ないね」

「うん、だからこそ恋愛には価値があるんじゃない?」

「たしかに。切ないは美しいと紙一重なのかな」

「そうだね」


そのあとも彼女は何か言ったが、携帯の着信がかき消した。



彼女のあとにシャワーを浴び部屋に戻ったとき、初めて彼女の悲しげな目を見た。

窓の外にガラスのような瞳を向け、時折静かに睫毛が頬に影を落とす。

ただそんな顔でさえ、彼女を魅力的に飾ったし、「客の前でそういう顔を」と思うこともなかった。彼女はなぜ憂うのか。自分がその解を出せるわけはなかった。


自分に気付いて振り返ったとき、

彼女はいつもと違った。

冷静で落ち着いた雰囲気はなりを潜め、瞳は心なしか潤んでいた。

「夜景が、」

「うん?」

「夜景が綺麗でなんだか泣けちゃって、」

ごめん、と言いかけた口をふさぎ、言葉はそのまま舌の奥に消えていく。

彼女がワイングラスをテーブルに置く音がしたのを合図に、肩を押し覆いかぶさるようにして二人ベッドに沈む。




その夜、彼女は初めて「好き」と言った。

望んでいたはずのそれは、酷くさみしく聞こえた。





都会の夜景が一望できる、高級ホテルのこのスイートはいわゆる成功の証だった。

それなのに、足りない。たった一つの手に入らないものが欲しくてたまらない。

「どうしても忘れられない」


たしかに、自分は彼女に恋をしている。

歪んだまま形を保つこの世界の中で、それだけが事実だった。

明けはじめた街はあまりに無垢であまりに空しかった。

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