暇つぶし小説(野球)
嘉月青史
プロロ-グ
日本の高校野球観は、宗教といっていい。
宗教といえばその名の通り、信者の信仰によって成り立つものだが、日本の高校野球もまた、多くの信者によって成り立っているといってよいだろう。
選手に、際だった罪はない。
ただ、とりまく環境か、はたまた歴史と伝統なるものかが、それらの信仰を生み出して支えているのも間違いないだろう。
長年連綿と続いてきた歴史は、多くの信者の崇拝を生み出し、中にはプロのリーグ以上に情熱を向ける者もいる。
その象徴ともいえるのが、甲子園大会というものだ。
春と夏に行われる全国大会、殊に夏の甲子園は、日本の夏の風物詩とも呼べるものにまで発展している。普段野球を見ない者であっても、この甲子園だけはチェックして、日常会話の種にする者も多いだろう。
それだけ、高校野球といえば甲子園とまで、人々の間に浸透しきっている。それは、素人の観戦者から玄人の野球ファンの多くに広がっていた。
だから、もはやそれは当たり前のことなのだろう。
そのことに、疑念を挟む人間は、ごくごく少数のはずだ。
まるで日本の高校生の野球は、甲子園がすべてであるようにあまねく知れ渡っていることを、おかしいとさえ思わないはずだ。
だからだろうか、多くの者は知りもしない。
ある夏の、ある高校が野球で繰り広げたキセキを。
*
兵庫県に存在する、スポーツピアいちじまの野球場では、毎年の夏、高校野球の大会が開かれているのを知るものは少ない。
甲子園しか知らない多くのファンからすれば当然、またその情報に疑いをかけるものすらいるだろう。
そこでは毎年、女子の高校野球選手が頂点を目指して戦っている。
大会はおろか、存在すら多くに知られていない彼女たちのことを、知れば多くの野球好きは興味ぐらいならば抱くであろう。
そして思うはずだ――「女子にも甲子園があったのか」と。
高校野球信仰からくるこの発想は、ともかく甲子園こそ頂点だという潜在認識が生むものだ。
中には、彼女たちは性別ゆえに甲子園へは出られないから、代わりにそれに出ていると考える輩もいるかもしれない。
その考えは、きっと改めた方がいいだろう。
少なくとも、技術云々を差し引いて、野球が人々の心に響く理由が、その試合には詰まっていた。
場面は、女子野球の最終回である七回の裏だ。
三つある走者をためる塁はすべて埋まっている。いわゆる満塁の場面で、打席には長身の女性選手が向かっている。
「アツいなぁ・・・・・・」
バットを手に、その少女は呟く。
真夏の日差しもそうだ。
この状況もそうだ。
マウンドで待ち受ける相手もそうだ。
そのすべてが、当てはまる言葉だった。
(まったく・・・・・・皆は私に、どれだけ素敵な舞台を与えてくれる気なんだ)
今度は心中で言うと、彼女は打席入る。マウンドの投手を制しつつ、足場をならし、バットを掲げ、構えの準備をする。
(――ここに、すべてを置いていこう)
左肩にバットを乗せた後、投手を見ながら息をつく。
相手の投手は、少女と、少女の後方に腰を下ろすキャッチャーの方を見ながら、鋭い眼光をたたえていた。
どれだけの気迫を込めてきているかは、明白だった。
(自分のすべてを集中させよう。力みも、邪念も捨てて、すべてを一振りに・・・・・・)
そう考えると、彼女は余分な感覚はすべて絶つ。
精神を勝負に向け傾けて、柔らかかった表情が自然と消えた。
その瞬間から、彼女はこれまでのことをすべて踏まえた上で、すべてを忘却する。
この試合のここまでのすべてに伏線があったことも――
この試合までにあったすべての出来事も――
自分の選手としての経歴や原点すらも――
すべてを忘れた冴えた思考の中で、ただ最良の結果を出すための打者になっていく。
最初で最後――この夏にかける彼女たちの戦いが、今最高潮の場面を迎えていた。
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